このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2011年9月27日火曜日

山行記 : 【2日目】 2011年9月23日~25日 甲斐駒ケ岳 山頂を見ずして下山編

夜中に目を覚ますと、ポツポツと雨音がした。
その雨音を聞きながら、2日目以降のスケジュールを考えた。

バスが運行できないのは、バス会社の都合ではなく、道路が土砂崩れで通行止めになっているからだ。
バス会社に電話をして聞いたところでは、9月23日(つまり、僕のこの山行の1日目)に役所が現地に出向いて状況を確認するとのことで、結果が判明するのが23日の夕方から24日の朝ではないかということだった。
ということは、早くても24日からしか復旧作業は始まらないわけで、1日で全てが片付くとは考えにくい。

つまり、どう転んでも僕は、あの険しい黒戸尾根を下るしかないのだ。

それを踏まえて、以下のようなスケジュールに変更した。

2日目 : 七丈小屋テント場 ⇔ 甲斐駒ケ岳山頂 ピストン (テントは立てっぱなし)
3日目 : 七丈小屋テント場撤収 → 黒戸尾根 → 横手

2日目、3日目の行動時間は、どちらも5時間程度。黒戸尾根のハードさを考えればこれぐらい保守的なスケジュールにしておくのが無難であろう。
2日目はかなり時間的余裕があるが、そもそも山ではのんびりすることにしているので、本でも読んで過ごすことにしようと。そのために、文庫本を2冊も持ってきているのだ。

そう腹をくくってそのまま入眠。
目が覚めると5時だった。寒い。

テントのフライシートのジッパーを開けると、氷が降ってきた。結露が凍ったようだ。そりゃ寒いわけだ。

テントから顔を出すと、東の空が白んでいる。快晴だ。
隣のテントのソロトレッカーはすでに外でコーヒーを飲んでいた。早起きに頭が下がる。

僕は外に出るだけの根性が無く、下半身をシュラフに 突っ込んだまま朝飯の準備を始めた。

準備と言っても大したものではない。
前日の夕方、お湯を沸かして尾西アルファ米「梅わかめご飯」に注いだまま、酔っ払って寝てしまっていたので、冷たくなった「梅わかめご飯」にフリーズドライのみそ汁でもぶっかけて食べるだけのことだ。
ただそれだけのことだったのに、ハプニングのタネはここにもあった。
ガスに火がつかないのだ。昨日の夕方には問題無くついたのに!

冷所に置きっぱなしにしたのがマズかったのかと考え、ストーブとカセットをシュラフに突っ込んで温めてみたが、1時間温めても効果無し。
もちろん、点火プラグの問題かもしれないと考え(静電気の火花は肉眼で確認できていたが)、ガスの栓を開いてライターでの着火を試みたが、やはり点火せず。ガスの噴出音もしないので、そもそもガスが出ていないのだ。
リスクヘッジのためにカセットを2缶持って行っていたが、どちらのカセットでも同じ状態なので、おそらく何らかの理由で、ストーブ内でガスが詰まっているものと思われる。

完全にしくじった。調理用の火のバックアップは持ってきていないのだ。
せめてテルモスを持ってきていたら、僕の行動パターンとして、前日の夜のうちにお湯を作っていたと思うのだが、60リットルザックに入りきらなかったために持参していない。非常に悔やまれる。

こうなると、これ以後は水でアルファ米を戻して食うしかなく、それだけではカロリーが全然足りない。
アルファ米のカロリー不足は、フリーズドライの雑炊やスープやみそ汁で補う予定だったので、水だけではツラい。
これが北アルプスであれば、小屋には常時お湯が用意されていて、事情を話してお願いすれば割と気軽に分けてもらえるのではないかと思うのだが、南アルプスの頑固オヤジに相談したら一喝されそうな気がして怖い。(たぶん僕の偏見だが。)

他の登山者にお湯を分けてもらうという手もあるだろうが、僕としては、それを潔しとは思えない。
そもそもソロで登山をするというのは、自分自身でリスクを全て引き受けるということであると僕は考えるので、メシという最も大事な部分で他人に依存するというのは、ソロトレッカーとしてあるまじきことであると思っている。

あ、もちろん、自分がそうだというだけで、他の人が困っていれば、やっぱり僕だってお湯を分けてあげるぐらいのことはしますよ。でも、その好意をハナからアテにするのは反則だろうということです。

そんなわけで、僕は本日の下山を決意した。食糧計画が根本から崩れた今、これ以上山に留まるべきではないと考えたからだ。
本当は山頂を拝んでから下山したいところではあるが、それだと行動時間が9~10時間に及んでしまう可能性があり、乏しい食料事情と、このトラブルで行動開始時間が遅くなってしまったことを考え合わせれば、そのようなリスクは取れない。
ということで、非常に無念ではあるが、山頂を見ずして下山することを決意した。

テント場から見える鳳凰三山と富士山が、今となっては恨めしい。

















下りるとなったら、もうここに長居しても仕方がない。
昨日のうちに戻しておいたアルファ米の「梅わかめご飯」をかき込む。
冷蔵庫みたいに冷え切った外気にさらされていた冷え切ったご飯は、はっきり言ってまずかったが、これがこの山で食べる最後の食事で、あとは下山まで行動食でしのがなくてはならない。
そう思うと一粒たりとも無駄にはできなかった。

食い終わると早々にテントをたたみ、パッキングをした。
すべての準備が完了してテント場を出発したのが8時。
ガスを温めていた1時間が大きく響き、出発が遅くなってしまった。

恨めしいほどの快晴の中を、まだ見ぬ甲斐駒ヶ岳山頂に背を向け、黙々と下山する。

垂直の壁、垂直の梯子は、登るよりも降りるほうが怖い。






















梯子を下りきったところで、垂直具合を写真に収めようとしたが、足場が狭すぎて度アップの写真しか撮れない。























あとはもう、来た道を引き返すだけ。
分岐からは白州のキャンプ場側ではなく、横手に下りる予定だ。
それは単純に、登山口から最寄り駅までのタクシー代が安そうなことと、来た道をそのまま折り返すというのも芸が無いと思ったからに過ぎない。

だいたい山というのは、登りのときよりも下りのときのほうが景色がいいもので、刃渡りのあたりに差し掛かったところで、遠くに八ヶ岳がくっきりと見えた。

















きっとあっちにはリア充な登山者がたくさんいるに違いない。
などとスネたことを思いながら、刃渡りに差し掛かるところで、ビックリするほど道を間違えた。
それが下の写真の場所。






















本当はこの岩の向かって左手を通らなければならないのに、道を見落として右側に入ってしまったのだ。
右側は、砂礫岩と砂で足場が悪く、少しでも気を抜くと谷底まで砂もろとも滑り落ちそうな場所であった。
10mほど進んでから「これは道じゃない!」と気付き、引き返そうにも、振り向いたらそのまま足場が崩れそうで身動きが取れない。かと言って、このまま進んだら多分滑落を免れないだろう。

仕方が無い。この岩を乗り越えて反対側(写真では岩の左側)に出よう。そう決めて岩に取り付いたら、岩の下のほうはグズグズの砂礫岩で、握ったところから大きな塊でボロボロと崩れてくる。
それをうっかり落としてしまったので、落石注意の警告のために叫ぼうとしたが、
「ら、ら~~~~く・・・」
と、ふにゃふにゃで声にならない。
下手に大声で叫ぼうものなら、自分もろ共落ちていきそうな状態である。
背中の荷物の重みもあって、足元の砂地に徐々に足が沈んでいく。
マズイ。
とにかくもう、掴めるものは何でも掴んで這い上がるしかないのである。

幸いにも岩の上部の固い部分になんとか手が届き、体を引き上げた。ボルダリングジムでもこんな無理なリフトはしたことがないぐらいの土壇場の馬鹿力だった。
岩の向こう側に道が見えたときの安堵感と虚しさの交じり合った気持ちは、なんと言い表せばいいのか、今も言葉が見つからない。
ただ、ひとつだけ言えることは、これで南アルプスの土にならずに済んだ、ということである。

こうして、無事下山再開。

11時すぎに横手への分岐に到着。






















横手方面はあまり登山者の姿を見ることはないだろうと予想はしていたが、結果から言うと、ここから登山口までの間に会った人間はたった1人だけ。
だが、この時点ではそこまで寂しいところであるとは思わず、軽い気持ちで横手へ向かったのだ。

分岐からしばらく歩くと、沢が見えてくる。
川床が、よく洗われた白い石で、キラキラと光るようだ。






















だが、この沢が曲者で、登山道が何度かこの沢を渡った対岸に続いていることがあったのだが、そのたびに僕はルートを見失ってしまっ近辺をウロウロするハメになった。
「あれー? こっちは崖だし、こっちは藪だし、あ、この空き缶はいったい何十年前のだ・・・?」
などとウロウロした挙句、下手な踏み跡に迷い込まないように細心の注意を払いながら、やっとの思いで対岸に道を見つけるのである。

単に僕が、キレイな沢を見るとテンションが上がってしまい、「登山道」の標識を見つけられなくなるという性質であるという可能性も充分にあるのだが・・・。

その後、幾つか登り返しなどもあったが、概ね単調な下り坂で、それほどキツいこともなく順調に歩いていく。

「横手バス停まであと60分」という、黒戸尾根に入ってから初めて見るような親切な標識を見つけたあたりで、登山道にやたらと毬栗やミズナラの実がたくさん落ちているのに気付いた。
その時点で嫌な予感はしていたのだ。
つまり、

「熊出没注意の看板」+「毬栗・ミズナラ」+「沢筋」+「ひと気の無い山中」+「秋」=熊に遭遇

という足し算が容易に成り立つのである。
ただ、正午過ぎのこの時間帯に、はたして熊が活動するものなのか。熊は朝方と夕方に活動するものではないのか。その1点だけが、安心材料であった。いや、確かに不安材料はたくさんあったが、正直なところ、真昼間には、熊は寝てるものだと思っていたのだ。

ところが、出たのである。
熊が。

登山口まであと30分ぐらいのところで、前方150~200mあたりを大きな焦げ茶色の物体がワッサワッサを走って横切っていった。ガサガサと茂みが大きな音を立てたが、登山道からちょっと入ったところでその音が止まった。

ヤバイ、熊だ!
そう思って僕は歩みを止めた。
間違いなく熊だ。鹿や猪や猿はこれまでも野生のものを見ているから、見間違える可能性は極めて低いし、そもそも僕が目にしたものはテレビで見た熊の走り方そのものだった。
しかも、大きさから考えて子熊ではない。

以前読んだ熊の本によると、熊は距離が充分な状態で人間に気付くと、隠れてやり過ごそうとするそうで、まさに今、茂みの音が止まったあたりで隠れてやり過ごそうとしていることが容易に推察された。
とりあえずいったん退却して様子を見るべく、熊鈴を鳴らしながら、僕は50mほど後ずさりをした。
もちろん、付近には人間が誰も居ない。つまり、今、僕は熊と1対1で対峙している状態なわけだ。

「怖くて小便がちびりそう」という言葉は、こういう時のために用意されているのだということを、実感を持って知ることができた。ちびりはしなかったが、まさしく「ちびりそう」だった。

前方には熊がいる。
でも、だからといって分岐まで引き返すのは時間的に厳しい。それに白州のほうに熊が出ないという保証も無い。
前方の様子を伺っていると、熊のほうからこっちに向かってくるような気配は無い。一応、目視の範囲では熊の姿も見えない。
それならば、熊を刺激しないようにしながら、思い切ってこのまま歩いていこう。そう決めて再び歩き出した。

ちょうど熊が走り去ったあたりに差し掛かったあたりで、急に木の枝がバサッと落ちてきた。
落ちた枝と自分の距離が約50メートル。

うわっ、茂みじゃなくて木の上に居やがったか!

僕は反射的にそう思った。だが、その木を見上げることは、熊の姿を直視し、熊を刺激することになる可能性が高い。
もし熊が、僕に見つかったことで退路が無いと考えたら、攻撃に転じてくる可能性のある距離感だ。
だから僕は、一切その木の方を見ず、ゆっくりゆっくり歩いた。走ったりすれば熊の本能で追いかけてくるに違いないからだ。

その後、5分歩いては振り返る、ということを繰り返した。

可能性としては低いが、登山者が餌を持っているということを経験的に知っている熊だったり、好奇心を抑えられない若熊だったりした場合、後をつけてくる可能性があるからだ。
登山口まで30分の場所だったので、民家が近いという点でも、人間が餌を持っている可能性を理解している熊であることは否定しきれない。

また、他の熊に出会ったらもう心が持たないと思い、本で読んだ、もっとも効果的とされる熊避けを実践しながら歩いた。
それは、「ほーい、ほい」と言いながら、手をポーンポーンと叩くというものだ。
「ほーい、ほい」のトーンが分からなかったので今まで実践したことは無かったのだが、もうそんなこと言ってられない。熊鈴は高い音が出るものを選ぶと良いというから、きっとトーンが高いほうが熊に聞こえやすいのだろうと考え、できるだけ高いトーンで「ほーい、ほい」と言いながら、できるだけ大きな音で手を叩き、30分間それで歩いた。
ハタから見たら、どれだけ滑稽な姿だったことだろう。でも、やっている本人は100%大真面目である。

その後アスファルトの道に出て、横手駒ヶ岳神社が見えたときの安堵感たるや、まさに地獄に仏、いや、地獄に神様である。

横手駒ヶ岳神社では、ちゃんとお賽銭を投げ入れつつ、
「無事に下山できました。ありがとうございました。」
と心の底からの感謝の念を伝えた次第である。

その後、タクシーで日帰り温泉「むかわの湯」に連れて行ってもらい、さっぱりした状態で中央本線で甲府に向かい、「小作」でほうとうを食べた。
行き当たりバッタリで入った店だったが、どうやら有名な店らしく、さっきテレビを見ていたら、SMAPの香取信吾とアンタッチャブルの山崎がロケに行っていた。
実際、注文した「きのこほうとう」は非常に美味しかった。






















子供の頃に祖母に連れられて山で採ったのとそっくりなキノコが入っていて、とても懐かしく食べた。
あの頃は、悩みなんてなかったなぁ・・・。

とにかくこのほうとうは、味もボリュームも申し分なし。また食べたい。

ということで、いろいろハプニングもあり、根本的に納得感の無い山行だったか、最後の最後、ほうとうは当たりだったということで納得するしかないのである。

そんなわけで、2泊3日の予定が1泊2日になってしまった。



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