このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2012年7月31日火曜日

インプレッション : HAGLOFS(ホグロフス)「MATRIX (マトリックス)70」

山行記 : 2012年7月14日~ 吾妻連峰縦走【1】 計画概要」にも書いたとおり、2012年の海の日3連休は、ホグロフスのマトリックス70を背負って縦走してきた。
その際に感じた使用感などを書き留めておこうと思う


この縦走では、小屋泊なので荷物はせいぜい17、8kg。
70リットルという容量にしては荷物が軽いのだが、このザックにはこれぐらいの重さがちょうど良いのではないかと思った。
ショルダーハーネスの柔らかさや、ヒップベルトの骨盤をやさしく包み込む感じは非常にストレスが小さく、快適だった。
構造も単純で、潔い。無駄なことを考えずに、シンプルにパッキングできる。

フロントのパネルローディング?
はぁ?何それ?
そんな機能はこのザックには無い。
僕個人としては、そんなもん無くても出し入れに支障は感じない。そもそもフロントにパネルローディングがあると、その部分に負荷がかかったら簡単に壊れちゃうんじゃないかと、不安に感じる。
それは完全に人それぞれの使い方によるだろうし、好みの問題だと思うが。


この山行では快適だったが、ハーネスの感じからするとおそらく、20kgを超えるとちょっと心もとないのではないかと思った。
ショルダーハーネスもヒップベルトも柔らかいので。
まー、今どき20kg以上背負うほうがマイノリティなんだろうから、これぐらいの造りでちょうど良いんだろうけど。

やはり荷物の軽量化を考えなきゃイカンなー。




2012年7月30日月曜日

田代博 『世界の「富士山」』

先日、フィリピンに赴任している知人から、「フィリピンの富士山に登りに来ませんか?」と誘われた。
それはマヨン山という山で、ルソン島の南端のほうにあるそうだ。標高は富士山に大きく及ばないものの、コニーデ独特の円錐形は富士山にも劣らぬ美しさだという。
残念ながらまだ実現してはいないが、せっかくなのでいつか登りに行きたいと思っている。

そのマヨン山は別名「ルソン富士」というそうで、名付けたのは、異国の地で望郷の思いに駆られた日本人だという。

そんな話を聞いた矢先に書店で見かけたのが『世界の「富士山」』。



こんなドンピシャなものが新刊で出るとは、なんという偶然か。

さっそく買って読んでみると、世界には日本人が世界各国で勝手に「○○富士」と名前をつけて呼んでいる山が沢山あることを知った。
しかも、南米や東南アジア、極東などには、特に望郷の思いを強く抱く抑圧された邦人により名付けられたものが多いようで、心を締め付けられるようだ。

特に、アリューシャン列島にあるアッツ島という島には熱田富士と呼ばれる山があり、この島にまつわる太平洋戦争中の玉砕戦の話を本書によって初めて知った。
その話がショッキングであると同時に、そんなショッキングなことを自分が知らなかったことにもショックを受け、今、その玉砕戦について書かれた『アッツ島玉砕戦』という本を読んでいる。

正しいリーダーシップ無きところに正しい戦略も正しい用兵も存在し得ないということは、我々にとって歴史が証明してくれた自明の理であるにもかかわらず、それを充分に学習しているとは思いがたいこの国の現状を鑑みるに、返すがえすも無念でならない。


2012年7月29日日曜日

購入 : Mountain Hardwear(マウンテンハードウェア)「エフュージョンフーデッドジャケット」

前々から購入を検討していたマウンテンハードウェアのエフュージョンフーデッドジャケット
セールで30%引きになっていたので、思い切って買ってしまった。


マウンテンハードウェアの独自技術のDRY.Q素材のレインウェアだが、伸縮性のあるDRY.Q ACTIVEというライン。主にトレイルランニングで使用することを想定しているようだ。

背面はこんな感じ。


背中の右下には小さなポケットがある。


ポケットのサイズは、iPhoneが入るか入らないかぐらい。

この秋/冬モデルでモデルチェンジするらしく、モデルチェンジ後はいくらかルーズなシルエットになるらしい。
今回買ったのはSサイズだが、それでも慎重165cm、体重58kgの僕にはやや大きい。
これ以上ルーズになったらどうにもならん。

とりあえず、来週富士山に走りにいくときに使ってみたいと思う。


羽根田治 『ドキュメント 単独行遭難』

遭難ドキュメントの羽根田治氏の新作『ドキュメント 単独行遭難』が出版された。



羽根田氏の遭難ドキュメント本については以前にも紹介したことがあるが、いつも非常にリアルにイメージできるケーススタディを提供してくれるので、様々な状況を想定して学習できる。
今回のテーマは単独行ということで、僕にとっても身近なテーマである。

僕は、単独で日帰り登山に行くことはほとんどないが、2泊以上の山行はほぼ確実に単独だ。
1泊までは一緒に行く仲間もいるが、2泊以上になると誰も乗ってこないのだ。寂しい話だ。

とはいえ、単独行が嫌かというと、そんなことはない。
むしろ好きだ。そういう人も、実際は多いのではないだろうか。

建前論では、単独行に対する風当たりは強い。危険だというのがその理由だ。
確かに、何か有ったときのフォローは、単独行ではあまり期待できない。

「何かあったら他の登山者に助けを求めればいい」
ということを言う人もいるが、それこそとんでもない了見違いだ。
なにせ、助けを求められたほうは、自分の 山行計画を放り出してでも応じなくてはならない。
安易にそんな迷惑をかけてはいかんのである。

だからといって、単独行をやめられるかといえば、それは無理な相談だ。リスク回避が最優先なのだったら、そもそも山なんか登らないのだから。

というわけで、単独行にあたっては、他者のフォローを一切期待せずに本当の意味での自己責任で対処できるようにリスクマネジメントできるようになる必要がある。


で、本書を読んでみて思ったことは、結局、単独だろうがパーティだろうが、気をつけなきゃならないことは同じだということ。
  • 計画書を提出すること
  • 道に迷う前に地図と照らし合わせること
  • 軽挙な行動は慎むこと
この3点がやはり最も重要なのだと。
むしろ、パーティの場合よりも単独行のほうが、自身の注意だけでこの3点を担保できるのだから、リスクコントロールを担保しやすいと思う。
だからそこ、全ては自分にかかっているのだ。


2012年7月28日土曜日

山行記 : 2012年7月14日~ 吾妻連峰縦走【8】 総括



<行程>

今回の吾妻連峰縦走は、概ね上手く計画そのままに完了できた。
が、想定よりもひどい悪路であり、結果として充分対応できたものの、肝を冷やした。

特に印象深かったのは、2日目の沼地のようなぬかるみ、足元も見えないヤブこぎ、烏帽子山の強風であり、3日目の若女平のよく滑る濡れた岩である。

ぬかるみは不快なだけだが、岩で滑るのは怪我をしかねない。今後はこういう時のために、わらじを1足荷物に入れておくのもいいかもしれない。軽いし。

烏帽子山での強風は、夏といえど一瞬にして体温を奪われる感覚を経験できた。
これまでも強風の中を歩く経験はしたことがあるが、こんなに体温を一瞬で持っていかれたことはなかった。この感覚はよく覚えておき、今後の山行の糧にしたい。


<食料>

また、今回は行動食を工夫した。
チョコレートなどのお菓子はほとんど持たず、BCAA、クエン酸、塩のそれぞれの機能系の飴を持ち、あとはグリコのCCDを溶かした水をハイドレーションとは別途持ってエネルギー補給をした。
これが見事に図星で、荷物の軽量化が計れた。


<宿泊>

山小屋とペンションに1泊ずつ泊まったのだが、ペンションに泊まったのは大正解。非常に得した気分だった。
ペンション泊を思いついたのは、何度も何度も地図と睨めっこをして行程を検討した結果だった。
やはり、山行の成功の第一歩は、一生懸命地図を検討することだと思った。


<天気>

やはりこの時期の東北は、梅雨明けには程遠い。
が、それにもかかわらず、歩いている最中はほぼ雨にあたらなかった。
1日目、2日目の眺望はかなりひどかったが、雨に降られなかっただけでもラッキーだったと思う。



全体的に、天気以外は上手くいった山行といえるだろう。
天気のことは仕方が無い。サラリーマンにとって、なかなか3連休は取れないのだから、日程は動かしようが無いのだ。

天気が悪くて風景があまり楽しめなかった部分については、また今度1泊2日ででも行けばいいし。

ということで、概ね満足のいく山行であったといえよう。
こんな合格点、久しぶりだ。


山行記 : 2012年7月14日~ 吾妻連峰縦走【7】 3日目 「晴天、西吾妻、そして下山」編




(PREV:2日目その3 「天元台へ」編へ)


ペンションで迎える3日目の朝。
リフトでまた縦走路方面に登り返す予定だったが、リフトが動き始めるのが8時半なので、ゆっくりな朝を迎えた。
前日は21時には寝落ちしてしまったので、睡眠時間は充分。

朝食は7時半から。


これだけでも充分なメニューだが、これに加えてサクランボのジャムを乗せたヨーグルトと、その原料になる生のサクランボを出してもらえた。
このジャムが、サクランボの種を取ってそのまま丸煮した贅沢なジャムで、甘さもちょうど良くてとにかく美味い。生のサクランボも、奥さんによるとジャム用だから酸味が強いとのことだったが、僕にはちょうど良かった。さすが山形。
ロールパンの加熱もちょうど良くて、満たされた朝食だった。

8:30、リフトが動き出したのを窓越しに確認して出発する。
親戚の家に遊びに来たようなくつろぎを得たこのペンションには、また近いうちに来たいと思った。


リフトで登れるところまで登り、また徒歩で登り始める。
リフトからすぐに分岐が現れる。


左は人形石。右はかもしか展望台。
右に進む。

登ると、前日とはうって変わって、雲は多めながらも晴天。
中吾妻山も見える。

ちなみに、3つあるピークのうち、中吾妻は一番右手。
その向こうには、薄っすらと安達太良山が見える。
嗚呼、智恵子、本当の空がやっと見えたよ。(via 高村光太郎)

縦走路の分岐に到着。

左は人形石。右は西吾妻方面。正面には中吾妻。
当然、右に進む。目指すは西吾妻。

チングルマのお花畑だ。


登山道のまわりにも沢山のチングルマが咲き乱れている。

なんとも風光明媚。

1日目、2日目がガスっていたのを取り返すほどの見晴らし。雲は多いけど。

9:53、大凹の水場に到着。


ここから少しの間、岩場の急登が続く。


これが意外ときつい登りで、傾斜が50度以上ある。
しかも笹や樹木で視界は無し。

斜度が緩くなったあたりから、再び視界が開ける。

来し方である中大巓。


梵天岩に至る木道。


いろは沼と、その向こうに見える中吾妻。さらにその向こうに見える安達太良山。


木道沿いのチングルマ。


梵天岩が見えてきた。


この梵天岩へのルートは、このまま直登するのではなく、右手に巻いてピークの反対側に出るのが正しい。

僕はうっかり直登してしまい、金峰山の山頂を思い出した。

ピーク直下にはゴゼンタチバナの花。


10:22、梵天岩のピークに登頂。

ピークから見た中大巓と弥兵衛平。




前の日にガスがかかっていなければ、向こうからこの場所が見えたんだなぁと、改めて残念に思った。

同じく、梵天岩ピークから見た、一切経・吾妻縦走路の峰々。


写真右端には一切経。昨日は概ねこの範囲を歩いたのだ。(実際はもうちょっと長い。)

同じく、中吾妻山と安達太良山。


さらに、多分、西吾妻山。


さらにさらに、雲に隠れ気味ではあるが、遠く飯豊連峰も見えた。


雲の切れ間から見える飯豊連峰はまだ雪に覆われていて、なんだかすごく神々しい。
よし、来年の海の日3連休は、高校時代からの憧れである飯豊連峰に決めた。

本当は高校3年の時の山岳部の合宿地が飯豊連峰だったのだが、親の同意を得られずに、部長でありながら参加できなかったという苦い思い出がある。(今でもそれを根に持っていたりする。)
ついに、リベンジを来年果たす決心がついた。

なお、地元のおじさんの話によると、この梵天岩からは、天気が良ければ月山が見えるとのこと。
ただ、散々通い詰めているそのおじさんも、まだ1度しか見たことが無いとのこと。たしかに、夏は空気が澄みにくいし、このあたりは冬は曇天が多いだろうから、機会は少なそうだ。

梵天岩の標識はこんな感じ。


この梵天岩からほんの2、3分のところに、天狗岩と呼ばれる場所がある。


天狗岩はやたらとだだっ広い岩場だ。
この広場の西の端に吾妻神社が建っている。


風雪の厳しい場所だけに、岩を積み上げた頑丈な外壁だ。
この吾妻神社のすぐ向かい側から西吾妻避難小屋に向かう登山道が伸びているが、これを下ると西吾妻山のピークを踏むことができない。

その登山道の入り口から臨む西吾妻避難小屋と、西吾妻山から西に張り出した特徴的な尾根。



正しい道は、天狗岩の南東にある。

西吾妻山山頂には、天狗岩から10分ほどでたどりつく。
10:50登頂。


展望はゼロ。

ペンションの奥さんからは「全然展望が無いので有名」と言われ、道中で出会ったオッサンからは「あんなところはただの道」と言われ、いったいどんな百名山だよと思っていたのだが、本当にこりゃヒドイ。
たしかにこれはただの道端。分岐ですらない。
今回の縦走の中で、最後のピークがここなのに。嗚呼。。。

特に何をするでもないので、さっさと通過することにした。

ここから先は、西吾妻避難小屋を経由して若女平コースを白布温泉まで降りる。

西吾妻のピークを下り始めると、視界が開け始めた。
西南西には、初めて見る西大巓。




その少し左には磐梯山。


磐梯山は、オハラショウスケ氏が、朝寝、朝酒、朝湯のトリプルコンボで身上を潰したことで有名な山である。

そして、相変わらず雲に姿を中途半端に隠した飯豊連峰と、西吾妻避難小屋の赤い屋根。


その西吾妻避難小屋に、11:06到着。


さすが豪雪地帯。2階の窓から入れるようになっている。
特に用は無いのだが、せっかくなので見学がてら中を覗いてみる。


良くも悪くも、普通の避難小屋。
というわけで、見るものも見たことだし、あとはもう下山するだけだ。

ここから先の行程は樹林帯をひたすら下るだけと予想していた(歩いてみたら実際にそうだった)ので、非常に気が重い。

若女平への分岐。これを左折する。


ちなみに、真っ直ぐ木道に沿って行くと、先ほどの天狗岩に至る。

若女平コースは、木道などあるわけが無い。
分岐から先はグチュグチュの泥との戦いが始まるのである。


若女平コースは、どう考えても通る人の少ないコースだ。
だって、ほんの2時間で天元台のリフト&ロープウェイを使って白布温泉へ降りられるのに、見るべきものも無いこの樹林帯を誰が好きこのんで3時間も歩くというのか。

案の定、僕が見た登山者は、登ってくるオジサン1人。下っていく人2人。梵天岩や西吾妻避難小屋前の賑わいを考えると、ウソのように閑散としている。

実際、もう1度この道を歩きたいかと言われれば、僕としても答えは「NO!」だ。
なにしろ、「展望が無い」などということ以上に、「滑る」「ぬかるむ」「濡れる」という状況に、登山口に着くまでずっと苦しめられたのだ。

地形図で見る限り、かなり標高を下げるまではずっと尾根道のはずなのに、登山道は沢のようになっていて、ゴツゴツの岩が滑る滑る。
もちろん、岩っぽい地面のところは清水、土っぽい地面のところはぬかるみ、と、どこまで行っても靴の中が乾かない状態が続いた。
あまりに沢っぽいので、道を間違えて沢に迷い込んだのではないかと思って周りを見渡してみるのだが、木々の隙間から見える様子からすると、やっぱり尾根を歩いているようだ。

そして、不安になりながらしばらく歩くと、ここが登山道であることを示す金属プレートが現れる。


唯一の救いは、ヤブで道が塞がれているという場所がそれほど多くなかったことだ。(もちろん、ゼロではない。)

そんな道なので、当然、何度もコケた。この若女平コースだけで、全身に幾つものアザを作った。
捻挫や骨折に至らなくて本当に良かった・・・。

唯一の見どころは、このコース上の水溜りに大量のオタマジャクシが泳いでいたことだ。


この大量のオタマジャクシ、サイズ感を考えれば小型のカエルではないかと思う。
また、アマガエルのように水中に卵を産むカエルが、こんな登山道の水溜り(といっても、増水すれば沢になるんだろうけど)に卵を産むことは考えにくい。
もしかしたらモリアオガエル?!
結局僕の知識では同定できず。踏まないように脇に避けて歩くことだけが、そのときの僕にできる唯一の対応だった。

※追記
調べてみたら、どうもアズマヒキガエルだったようだ。
大人になるとあんなにデカくなるのに、オタマジャクシは小さいんだそうだ。


さて、このコースには、途中で「若女平」という地点があるかのように、山と高原地図には書いてある。
僕の見落としかもしれないが、少なくともその地点を示す標識は最後まで見つけられなかった。
地形的には、後から「あー、あれが若女平だったんだろうなー」というのは思い当たったのだが。

そうこうするうちに、登山道がどんどん沢に向かって下り始めた。地形図と照らしてみると、藤右ェ門沢に下りるようだ。
降りてみると、登山道にありがちな、沢と道が一緒クタになった場所だった。
渡渉というほど深くないが、トレランシューズで無事で済むほど浅くも無い。ううう、、、

沢筋には、名前の分からない花も咲いていた。



そこを抜けると、出し抜けに登山口への標識が現れる。


その標識からすぐに沢を渡る橋が現れ、


その先すぐに、若女平登山口に至る。
13:49、若女平登山口に到着。




登山口には、白布温泉のでっかい看板が。




ここからは、普通のアスファルトの道を10分ほど歩き、東屋へ。




温泉に入ってサッパリして、路線バスで米沢へ。
こうして僕の吾妻連峰縦走は終わったのだ。




総括へつづく)

2012年7月27日金曜日

山行記 : 2012年7月14日~ 吾妻連峰縦走【6】 2日目その3 「天元台へ」編



(PREV:2日目その2 「五色沼から東大巓」編へ)


東大巓の山頂で昼ごはんを食べ、すっかり元気になって再び歩き始めた。

しばらくは東大巓ののなだらかな尾根を下るのだが、ここが弥兵衛平だ。
ほとんどが湿地帯で木道歩きである。




ガスのかかったなだらかな湿原の木道を延々と歩いていると、ここがこの世なのかどうかの確信さえ持てなくなってくる。




この真っ直ぐ伸びる木道の向こうには、本当にただの縦走路があるだけなんだろうか。
なんだかだんだん夢見心地になってくる。


緑の湿原を抜け、


最鞍部の樹林帯を抜け、


登り返してすぐに大平温泉方面への分岐が現れる。
が、この分岐の道標になぜか、ここが藤十郎であるかのような書き方がされていた。

地図で見る限り、もっとこの先の小ピークが藤十郎なんじゃないかと思うんだが・・・。

大平温泉は車では辿り着けない秘湯だ。
この大平温泉のすぐ近くにある火焔滝を見てみたかったのだが、今回はスケジュール的に無理なので諦める。

謎の「藤十郎」標識から5分ほど歩くと、今度はヤケノママへの分岐が現れる。


ヤケノママへの登山道は、山と高原地図では破線になっている。
まー、破線といっても色々なレベル感のルートがあるものだが、このルートは入り口からしてハードそうだ。
その入り口の写真はこちら。

2メートル進んだら、その先はヤブ。
歩ける気がしねぇ。
きっと沢登りの人たちが歩くようなルートなのだろう。


その後、本当の(?)藤十郎あたりまで登り、ふと東大巓方面を振り返ると、ガスが切れかかって弥兵衛平の湿原が姿を現した!




天気の良い時に来たら、どんなにか素晴らしい風景だったんだろうなと、たったこれだけの風景からでも充分に感じ取ることができた。
が、ほんの数十秒後には、またガスの向こうに姿を隠してしまった。




いつかまた、天気の良さそうな時期にリベンジすることを決意した。


この辺りからは、ゴロゴロの岩がルート上に増えてくる。
途中の道標周辺も、岩がゴロゴロ。




ここまで来れば、人形石はもう少しだ。


そしてついに人形石が見えてきた。




13:50、人形石に到着。




本日はここから縦走路を外れ、天元台スキー場のリフト乗り場に降りる。
その後、リフトに乗って天元台のペンション村に投宿するのだ。


結局、一切経を出てからここまでで出会った人はトレイルランナー2にだけ。
海の日の3連休なのに、どんだけ空いているのか、と。


その後、リフト乗り場に向かう30分弱の間に、3人の登山者を抜いた。実際のところは「登山者」というよりも、リフトで散歩に来た、という感じの出で立ちである。
リフトへの道はなかなか急な悪路で、高尾山のようなわけには全くいかない。僕が抜いた3人も、なかなか苦労しながら歩いていた。
さすがは東北の山である。容赦の無い感じがたまらん。


14:16、リフト乗り場到着。


この日の踏破距離、約15km。
予定よりも1時間早い到着だった。

リフト乗り場のオジサンに、浄土平から来たと伝えたら、
「あの道歩いてる人なんていなかっただろ~?」
と言われた。
やっぱりあの縦走路はみんな歩かないのか・・・。

リフトに乗って下界方面を見ながら下っていると、米沢市内のほうは雲が多いものの晴れているといってもいいお天気だ。恨めしい。


約35分かけて、天元台まで降りる。
リフトの降り場のすぐ向こうに、ペンション村はあった。


今晩はこのペンション村にある「ペンションかもしか」に投宿する。
縦走中とは思えない贅沢だが、いいんです、これで。

ペンションに到着すると、かわいらしい奥さんが応対してくれてドギマギしてしまう。
あとで聞いたところによると、この奥さん、山スキーやら沢登りやらをやってしまう、気合の入った方だった。スゴイ。

さっそくひとっ風呂失礼して、ビールをいただく。
テレビをつけると、大相撲中継では高見盛が負けていた。
もはや縦走中だということを忘れてしまいそうになる。

しかも、今晩の泊り客は僕だけだそうで。
心置きなくのんびりさせてもらえる環境だ。
きっと今頃、穂高あたりの山小屋はクソみたいに混んでるんだろうな。ウヒヒヒ。

18:00、夕食をいただく。


豪華な食事。
どれもこれも美味しく、至れり尽くせりだ。
お腹がパンパンになるまでいただいた。
まさに至福である。

このまま快適な寝床へ。



3日目 「晴天、西吾妻、そして下山」編につづく)