このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2010年12月6日月曜日

旅RUN : 2010年12月5日 仙台駅前~多賀城址 往復

河口湖マラソンから1週間しかたっていないのだが、出張先の仙台で天気が良かったので、ちょっと走ってみた。

どうせ走るならと、大和朝廷の対蝦夷最前線基地であった多賀城の跡地を見に行きたいと思い、滞在していた仙台駅前のホテルを出発。往復で約21km。

仙台駅前から東北新幹線沿いの道をしばらく北上。
次第に回りは田んぼしかなくなってくる。全然人を見かけない。車もまばら。

宮城野区を抜け、七北田川を渡り、再び東北本線と相見える。そこがJR陸前山王駅付近。

そこから先はいよいよ多賀城址のエリアに入る。

奈良時代に築城されただけあって、周りを見下ろせる小高い丘の上に城はあったようだ。
その丘のてっぺんまで、走る走る。地味にキツイ。


てっぺんに着いてみると、予想以上に地味な風景が広がっていた。

入り口には看板。






















その看板の向こうには、、、

















なにもない。。。

















なにもない。。。

来し方を振り返ると、

















小高いだけあって微妙に見晴らしはいいけど、うーむ、、、

とりあえず正面奥に進むと、

















南門の跡。
その奥には、

















正殿跡。

以上。

これだけのためにオレは片道10km以上の道を走ってきたのか・・・。

虚しさを覚えながら、そのまま来た道を折り返して帰る。

途中のコンビニでバナナを買って、日向ぼっこしながら食す。東北の冬は寒い。


2010年11月21日日曜日

旅RUN : 2010年11月21日 福岡 天神~太宰府天満宮

出張ついでに思い付きで、滞在先の福岡・天神から太宰府天満宮まで走ってみた。約18kmの旅。
1週間後に控えた河口湖マラソンの調整を兼ねて。


途中で、スピード違反で有名だと地元の人に聞かされていた国道3号線を横切るも、みなさん法定速度で普通に運転されている模様。
情報がガセだったのか、それとも昼間だったからなのか。


正直、太宰府市に入るまでの道はかなり退屈だったので写真も撮っていないのだが、それが太宰府市に入る頃から、山が近づいてきてテンションがどんどんアップする。
良さげな低山の稜線を眺めながら、近いうちに、このへんのトレイルに是非挑戦したいという思いがどんどん強まる。

福岡県道112号線を南東に向かって走っていると、道沿いに大宰府政庁跡が現れる。

















これは南門跡ということなのだが、この周辺の広い範囲が跡地として散策路のようになっており、人工のせせらぎもある素敵な憩いの場だった。
仕事さえあるなら、この辺に住むのも悪くない。というか、できることなら積極的に移住したい。
鎌倉の山に住んでいるトレイルランナーの石川弘樹さんのように、この近辺の山を走って日々を過ごしたい。

跡地のなかには、ただの空き地のようになっている場所もあったり。

















ただひたすらに、のどか。

その昔、菅原道真公が左遷されてきた頃は、のどかどころの騒ぎじゃなかったんだろうなと思うと、心が痛む。そりゃ、祟りもするわ。

で、ここからすぐに、その道真公を祀った太宰府天満宮にたどりつく。

タイミング的に七五三のシーズンで、参道は観光客も含めてごった返し。
そこを汗だくの状態でランニングウェアのオッサンが一人で歩いている姿は、奇異以外の何モノでもないのだが、ここまで来たからには焼きたての名物・梅ヶ枝餅を食わずにはいられない。

参道にはいろいろな土産物の店が並んでいるのだが、梅ヶ枝餅をその場で焼いて売っている店だけでも5、6軒はある。(写真に撮っておけばよかった。。。)
そのうちの1軒で出来立てを買い、ふぅふぅしながら一人食べるオッサン。心なしかみんなが自分から距離を置いて歩いているような。。。

ちなみに、この参道には何故か鬼太郎商店がある。道真公と鬼太郎は、なにか関係が有るんだろうか。


で、せっかく来たのだから、当然お参りもする。
大学受験をする友人の合格を祈願するのだ。

境内はごった返し。さすが観光地。さすが七五三シーズン。
















ちゃんと帽子をとって、二礼二拍手一礼。
きっとハタから見たら不気味だっただろう。

その後、さっさと西鉄に乗って滞在先のホテルに戻る。


感想としては、大宰府市は走っていて面白かったが、そこに至るまでの道は退屈だった。
もう一度同じコースを走りたいかと問われれば、うーむ。。。である。
それならば、太宰府天満宮のすぐ隣にある宝満山でトレイルランニングをしたい。


2010年9月12日日曜日

山行記 : 【2日目】 2010年7月31日~8月1日 常念岳 下山編

ついに下山。

山頂から常念乗越に降りる途中、明確に便意を感じる。
朝からモヤモヤしていたが、どうも決定的な便意にならず、排便を躊躇していたのだが、ここにきてやっと便意が明確になった。

そこで、常念小屋でトイレを借りようと立ち寄ったところ、清掃中とのこと。
テン場のトイレなら使用可とのことで、そこで用を足す。
さすがシーズン真っ只中のトイレ。バイオトイレのキャパを越えているのか、臭気がすごい。それでもトイレで用を足せる幸せをかみしめながら、おなかの中の不要な荷物を放出したわけである。

排便したら、さっきまでの調子の悪さがウソのように軽快になり、どこまででも歩いていけるような爽快な気分になった。
そうか、調子の悪さの原因は、酒でも睡眠不足でもなく、便であったか。


さて、ここからが大変。
すでに時計は10時近く。一の沢登山口までは、下りの標準時間で約4時間半。
これはもう走るしかあるまい。

というわけで、スピードハイク状態。
トレランの下り坂の要領でガンガン下っていき、途中たくさんの方々に道を譲っていただきながらひたすら登山口を目指して駆け下りた。
もちろん、写真を撮るような余裕は無い。

登山口手前の山ノ神の祠に着く頃には、全員膝が笑ってヘロヘロ。
それでもなんとか12時57分に登山口に到着!!
迎えに来てくれていたタクシーの運ちゃんには「時間ぴったりだなぁ」と驚かれるやら、呆れられるやら。。。

その後運ちゃんの案内で日帰り温泉でサッパリして、電車で帰京。


けっこう無理くりなスケジュールだったので、みんな楽しめたか不安だったが、思ったより楽しかったようで、ガイド兼シェルパとしてはホッと一安心であった。

山行記 : 【2日目】 2010年7月31日~8月1日 常念岳 常念岳ピーク編

昨晩悪酔いしたのと、あまり眠れなかったのとで、最悪な気分で朝を迎えた。

ご来光を常念岳山頂に見に行った人たちが帰ってくるまでに、食堂で朝食を取った。

荷物をまとめ、6時半ごろ出発。
混んでる山小屋は狭いテント以上にスペースの使い方が難しく、パッキングに手間取ってしまう。
(単に山小屋に慣れていないだけかもしれないが。。。)

なんかどうも調子が悪い。
とは思いつつも、まずは山頂へ。

みんなアタックザックだけで登っているが、我々は荷物を全部背負っての登り道。
僕の場合は、山頂でパーティのメンバーにラーメンを食わせるというミッションを果たすために、荷物を持って登らなければらなかった。

この上り坂が、ガレてて非常に登りにくい斜面で、想定の3倍かかって登頂を果たした。
どうも調子が悪い。。。





常念乗越を振り返ると、さっきまで居た常念小屋の屋根が赤い点のように見える。

標高差400mが、意外なぐらいにシンドイ。












なんとか登頂してみたら、狭い山頂が大変な混雑で、祠に手を合わせるような余裕すらない状態。



混みすぎてて、山頂の標識すら撮影できなかった。。。




















←常念岳山頂南側から見た蝶ノ岳方面の稜線。

素敵な稜線で、次回は2泊なり3泊なりの時間を用意して、この稜線を歩いてやろうと思った。












山頂西側にちょっと開けた場所があったので、そこで念願のラーメンタイム。
朝食はさっき食べたばかりなので、2袋のラーメンを4人で分け合って食べた。

ラーメンスープを全部飲みきるのはけっこうシンドイかと思っていたが、やっぱり炎天下の山行で塩分が足りない状態だったのか、しょっぱいスープが異常に美味い。




←山頂西側から見た槍穂。

雲海の上に浮かぶ姿に、絶対あそこに登ってやろうと決意する。








あとは下山するだけ。

ここまででかなり時間をロスしてしまったので急がねば。
一の沢登山口に13時に迎えのタクシーが来てしまう。

2010年8月15日日曜日

山行記 : 【1日目】 2010年7月31日~8月1日 常念岳 常念小屋の夜編

到着直後の生ビールで完全にダウンした僕は、そのまま就寝となった。

部屋は満杯で、1畳に2名の割合で詰め込まれ、1枚の布団の上に2名が1人1つづつの寝袋で寝るような状態。
寝袋は大変清潔で無臭。さすが北アルプスの山小屋。

標高2400mの山小屋だから、寒さは想定していても、暑さは考えていなかった。
それが、満杯の人の体温で、部屋の中は灼熱地獄。とても寝られるような状態じゃない。

夜11時時点で我慢できなくなり、寝袋を持ってそのまま1階の廊下へ。そしてそのままその場で寝た。
非常に快適でぐっすり眠れたが、午前2時ごろになると早起きのじいさんばあさんがバタバタしだして、とても寝ていられない。
これだから山小屋泊は・・・。
テント泊ならこんな思いをしなくていいのに、、、と思いながら、午前3時までは粘ったが、どうしても寝ていられず、かといって元の部屋にもスペースはなく、やむを得ず起きて、外に出て星を見ていた。

月が明るすぎて、星はあまり見えなかった・・・。
うー、、、もうちょっと寝ていたい。。。

2010年8月14日土曜日

山行記 : 【1日目】 2010年7月31日~8月1日 常念岳 常念小屋へ編

一ノ沢登山口を出たのが12:50。
すぐに山ノ神の祠が現れる。登山の無事を祈る。

登山道はほぼ沢沿いに進み、沢の音を聞きながら歩くことになる。

とにかく水の豊富なところだなと。

沢の水は冷たく、とても澄んでいた。




















しばらくいくと、次第に「道」ではなく、岩がゴロゴロした場所がルートとなる。






















烏帽子沢あたりを過ぎると、次第に道が急勾配になり、足場も悪くなる。
しんどいので、「ここが胸突八丁か?」と思ったりした(胸突八丁がどんなところか知らなかった・・・)のだが、本物の胸突八丁を目の前にして、絶句した。




はしごが・・・。



これが胸突八丁か。。。






















胸突八丁の入り口付近では、雪渓も見ることができた。












胸突八丁を登りきると、今度は高巻道を歩く。






















予定では17時に山小屋着だったが、かなりのペースで歩けている。
これなら、16時過ぎには着けちゃうんじゃないか?という感じだったが、ここから先が異常に長く感じた。



第一ベンチ、第二ベンチ、第三ベンチを続くのだが、その距離表示を見るたびに、「え?こんだけしか進んでないの?!」という気分になる。

















もうクラクラしてきたとき、パっと視界が開けて、常念岳の山頂が目に飛び込んできた。


キタコレ!!














ここからはダッシュで常念乗越へ!


キターーー!!

雲間に槍も見える!
無事着いた!

無事全員を誘導して山小屋まで着いた。初日の責任を果たし、すさまじい開放感に包まれた。
これが悪かった。







見れば、先に到着した登山者たちが、槍穂を眺めながら生ビールを飲んでいるではないか。




常念小屋では、生ビール(中ジョッキ)1杯800円!
標高2,400mでこの価格!
これは飲むしかあるまい!
















開放感に包まれて、勢いそのままに3杯を立て続けに飲む。
一気に酔っ払う。

そしてバタン、キュー。。。

みなさんも、標高の高い場所でのアルコールには気をつけましょう・・・。

2010年8月5日木曜日

山行記 : 【1日目】 2010年7月31日~8月1日 常念岳 出発編

7/31~8/1にかけて、北アルプスの常念岳に登ってきた。

会社の同僚と4人で、土日の1泊だけで北アルプスのどこかに登る、という企画を実現するために立てたスケジュールは、

1日目:
朝7:20集合
新宿~穂高 → JR
穂高駅~一の沢登山口 → タクシー
一の沢登山口~常念小屋 → 徒歩

2日目:
常念小屋~常念岳山頂~一の沢登山口 → 徒歩
一の沢登山口~穂高駅近くの日帰り温泉~穂高駅 → タクシー
穂高~新宿 → JR
新宿着20:00前

という感じ。

山小屋泊なので、先日の2泊3日テント泊単独縦走よりは軽装だったが、それでも、今回の登山では自分がガイド兼シェルパであったため、装備の重さは18kgにもなった。とてもじゃないが、一泊山小屋泊のときの重量ではない、、、

今回の特殊装備は、神保町の石井スポーツで売ってたスリングの中で一番太いヤツ。
何のためかと言えば、メンバーの誰かが足をくじいて歩けなくなった際に、背負って降りるための補助道具として使おうと。
実は今回のメンバーが遭難するようなことがあれば、一事業が完全に止まるリスクが大きかったため、出発前日には会社中から「ちゃんと生きて帰って来い」という念押しを散々されていた。そういう重圧がガイド兼シェルパの自分に圧し掛かってくると、そういう要らん心配まで気を回さなくてはならない。。。

正直なところ、そこまでの心配をしなくてはならないプレッシャーというのは大変しんどく、これなら単独行のほうがナンボかマシだというのが出発前の気分だった。
新田次郎の『孤高の人』を読み終えたばっかりだったので、そういう気分に余計に拍車がかかっていた。


で、穂高について、駅前で蕎麦を食べて、タクシーで一の沢登山口へ向かった。
運ちゃんに促されるまま、翌日の帰りの分を予約する。登山口に13時待ち合わせ。予定時刻から1時間のバッファを見ての時間設定だったが、この時間の縛りが我々をその後苦しめることになろうとは、そのときは思いもしなかった。

(つづく)

2010年8月2日月曜日

『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』

夏山で疲労凍死。しかも、8人も一度に。
2009年に起きたトムラウシ山での遭難事故は、はっきりと衝撃だった。
マスコミは「中高年が山を甘く見て軽装でツアーに参加した当然の帰結」というような論調で報道していたが、本当にそうなんだろうか。
マスコミ報道は平気で素人見解を垂れ流すから信用ならない。といっても、それ以外あまりまとまった情報も得られない。

そんな中、事故から1年のタイミングで山と渓谷社から事故の詳細に迫る書籍が発売されると知り、発売日に購入し、その夜に読み切った。

なかでも、気象や低体温症について詳細に解説した章による啓蒙と、生存者の証言を元にした当時の状況の再現をした章。この両方を良いバランスで配置しているのは、さすが専門出版社。

登山者は皆この本を読むべし。

2010年7月25日日曜日

山行記 : 【総括】 2010年7月17日~19日 金峰山

生まれて初めてのテント泊単独行であった今回の縦走。
単独行のテント泊って、こんなにも充実感があるものなのかと、少々の驚きを感じた。

ザックに衣食住と責任を詰め込んで歩くというのは、こんなにも自由を感じる瞬間なのかと、意外なほどの満足感である。

金峰山、2500m級ということで甘く見ていたが、非常に眺望が良く、登り甲斐もある山だった。
登山地図に書いてある参考タイムも概ね違和感は無かった。

反省点①
事前の準備不足で出発が遅れ、計画を変更せざるを得なかったこと。
だが、当初のスケジュールどおりに歩こうとしていたら、怪我を抱えた自分の体ではヤバかっただろう。
その点は怪我の功名。

反省点②
左大胸筋を怪我してしまったこと。
出発前に怪我をしてどうする。。。
五丈岩登りたかったなー、、、

反省点③
荷物に無駄が多かった。
お湯で煮るだけ、とか、お湯で戻すだけみたいな食事ばっかりだったのに、なぜフォールディングナイフを持っていったのか、とか。
シュラフも、夏の2500m程度なら、シュラフカバーだけで良かったかも。
あと2kgは減らせるはず。

反省点④
やっぱり岩場ではトレランシューズはキツイ。
トレランシューズの中ではかなりカッチリしているマウンテンマゾヒストでも、岩場ではソールが柔らかすぎると感じた。


今後の装備や計画立案で生かしていきたい。

山行記 : 【3日目】 2010年7月17日~19日 金峰山 あとは帰るだけ編

3日目の朝。
みずがき小屋に10時ぐらいまでに到着できれば良いというスケジュールなので、8時前に出発できれば良い。
ということで、朝は6時まで惰眠を貪った。

撤収して、だらだらとした下りを歩いて、2時間ほどでみずがき山荘到着。

山荘の自販機でコカコーラの500mlを買って一気飲み。
これこそが文明の味だ!

ここで、自分の不自然な日焼けに気付いた。


手首に不自然な日焼け。
前日に、長袖を着て手袋をして歩いていたのだが、その隙間だけが極端に焼けてしまった。
まるで縛られた痕みたい。。。

夏山の日差しをなめちゃイカン。。。


ちなみに、耳もだいぶ焼けてしまった。
帽子をかぶって長袖着て手袋してれば大丈夫!と思っていたので、完全に耳のことは想定外。

子供のころ、「耳無し芳一」のお話を読んで、「そんなアホおるんかな」と思ったものだが、ここに居た。。。


その後、韮崎駅行きのバスを途中下車し、温泉で2泊3日の汚れを落として、さっぱりして下界に帰った。

山行記 : 【2日目】 2010年7月17日~19日 金峰山 テントに戻る編

金峰山の山頂を通過して朝日岳へ。
なんか知らんけど、やたらとハエが多い。

道中、僕の近くを巨大な虫取り網を持った青年が歩いていたのだが、彼は昆虫採集をしながら「イエバエばっか・・・」と、嘆きとも呆れともつかない独り言を言っていた。
2000m超の山奥まで来て、そりゃイエバエなんか採取したくないわなー。

朝日岳山頂はは特にたいした眺望でもなく、ハエも多いので、ろくに留まらずにそのまま折り返し。



















金峰山の山頂を通過して、帰途を眺めると、非常にキレイな稜線が続いていた。



このキレイな稜線を歩いて帰るのかと思うと心が沸き立って何ともいえない快感を感じるのだが、ふと足元の岩場を見て、左大胸筋の痛みを思い起こしてテンションが下がる。


まさにこの写真のタイミングと前後して、手持ちの飲み水が切れた。
カンカン照りの正午過ぎに水を切らすとは、これまでの山での失敗の中でも、かなりヤバめ。


なんとか2時間ちょっとを歩き切り、テントにデポしておいた水をガブガブと飲んだ。
マジで熱射病になるかと思った。。。


その日の夜は、持参した本を早々に読み終わってしまい、ヒマで仕方ないので、文化放送のホームランナイターを聴きながら、iPhoneでポケットベガスをやっていた。もちろん電波は入らないので、一人プレイである。次はもっと読み応えのある本を持参しよう。。。

山行記 : 【2日目】 2010年7月17日~19日 金峰山 山頂編

大日岩から金峰山へは、せいぜい2時間程度の道のりだが、ここが地味にキツイ。
あんまり「道」として整備されている感じではなく、ガレているところや岩場も多い。



←こういう場所は両手を使って岩に捕まりながら登らなくてはならないこともしばしばなのだが、左腕を使うたびに大胸筋が悲鳴を上げる。

そのたびに、なんでわざわざ奥秩父くんだりまで来てこんなことをやっているのかと、情けない気持ちになった。



そんなわけで、写真を撮る余力無し。






というわけで、写真はいきなり金峰山の山頂へ。






















その山頂から見た、金峰山名物「五丈岩」。

本当は、クライミングシューズを持参して、この五丈岩に登ろうと思ってたんだよなー。。。全ては左大胸筋の(ry


















登ってる人たちを恨めしく眺めながら、無為に山頂付近で休憩を取る。


とりあえず、僕が山頂に滞在している間に、五丈岩のトップを制した人はいなかった。

自分が五体満足だったら絶対に(ry







リベンジを心に誓った。

山行記 : 【2日目】 2010年7月17日~19日 金峰山 行動開始編

朝、寒くてなかなかシュラフから抜け出す踏ん切りがつかず、動き出しがかなり遅くなってしまった。

5時半過ぎにテントから這い出したら、もう他の人たちはみんな出発した後だった。


そうはいっても、別に焦らない。

もともとの計画では大弥小屋のテント場まで移動するつもりだったが、ここにきて左大胸筋の肉離れが悪化してきていて、とてもじゃないが20kgの荷物を背負ってそこまで移動することは無理そうだと感じていた。

なので、前日の夜のうちに計画を練り直し、テントをこのまま張りっぱなしにして、金峰山を越えて朝日岳まで行って、大日のテント場までピストンで帰ってくることにした。
なので、時間的にはかなりの余裕があるのだ。
できれば北奥千丈岳まで行きたかったんだけどなぁ。。。

7時に出発。
荷物の大半を置いていくので、ザックが非常に軽い。

30~40分で大日岩に到着。

ここが大変見晴らしの良い場所で、




















雲海の向こうに見えるのは南アルプス??
もっと左手には富士山が見えたので、方角的には南アルプスのはず。八ヶ岳ではないはず。
(自信無し。)



でも、この眺めを得るために多少の岩場があり、左大胸筋が思いっきり悲鳴を上げた。

テント置いてきてホントに正解だった。。。

2010年7月20日火曜日

山行記 : 【1日目】 2010年7月17日~19日 金峰山 瑞牆山荘~大日小屋テント場編

甲府で特急かいじを降り、各駅停車で韮崎まで行く。
韮崎駅からは山梨峡北交通のバスでみずがき山荘まで。


←瑞牆山荘












そこからは、
こんな感じの山道入り口を入り、そこそこの登りを20分もしないうちに、道幅の広い林道と交差する。

これを横切って、またそこそこの登りを20分程度歩くと、富士見平のテント場に出る。
富士見平の小屋は閉鎖されていた。







さらにそこから50分ほど歩くと、初日のゴール地点である大日小屋のテント場である。

到着が16:30と少し遅めの時刻だったからか、すでに先客もチラホラ。

テント場としては富士見平のほうが広い感じ。
大日小屋は、管理人さんは居ないものの素泊まりは可能で、すでにオッチャンの一団が酒盛りを始めていた。

ここの水場は水道でも湧水でもなく、清水だった。
非常に冷たくて澄んだ清水だったが、生のままで飲むにはちょっと抵抗が・・・。昔は抵抗無く飲めたんだけどなぁ。。。


さっさとテントを張って、













メシを食う。


尾西の炊き込みおこわ、マジうま!
予想外のうまさにテンション上がってそのまま就寝。









(つづく)

2010年7月19日月曜日

山行記 : 【1日目】 2010年7月17日~19日 金峰山 出発編

もともとの予定では、JR中央本線で小淵沢まで行って、長野県側から金峰山にアプローチするはずだった。
それには、自宅を午前8時過ぎには出なくてはならない。

前日まで、家には寝に帰るだけの生活を送っていたため、全く準備ができていない状態だった。
とはいえ、持って行くものは全てピックアップ済みで、あとはパッキングするだけだったから、それほど心配していなかった。
そこに落とし穴があった。。。

朝6時に起きて早速パッキングを始めたが、どうやっても荷物が入りきらない。
今回のためにトリコニ60を買ったようなものだから、別なザックなんか使いたくないので、なんとか詰め込もうと悪戦苦闘して、荷物を削ってみたり、詰めなおしてみたり、そうこうするうちにタイムリミットが来てしまった。

やむを得ず、Bプランとして考えていたルートに切り替え、JR中央本線で韮崎まで行き、山梨県側から金峰山にアプローチすることにした。それなら10時前に家を出ればなんとかなる。

そう覚悟を決めると、最後の荷物のチェックをした。
ここにきて、せっかく買っておいたプチウナαがどこにも見当たらない。キーーーーッ!!! もう仕方ないからどっかで買う!
そんなドタバタで出発し、新宿駅の構内の薬局でプチウナαを買ったところで、ストックを持ってくるのを忘れたことに気付いたがもう遅い。

ストックの有るのと無いのとでは、疲労度が全然違う。これは困った。。。
と思ったものの、考えてみれば数日前に左大胸筋が軽い肉離れを起こしていたので、その時点でもまだ痛みがあり、ストックなんか持てる状況ではないなと思い直した。
そんなコンディションで20kgの荷物を背負うというのもいかがなものかと思うが・・・。

そんな一抹の不安を抱きながら、特急かいじで新宿を出発した。

(つづく)

山行記 : 2010年7月17日~19日 金峰山 装備編

7/17~7/19の3連休を利用して、金峰山2泊3日テント泊単独行に行ってきた。

だいたいみんな、単独行というと哀れみのような表情を浮かべる。
寂しいヤツと思われているんだろうが、実際そうだから仕方ない。
むしろ、自分の孤独癖を満たしに山に籠るようなものなのだから。

さて、今回の装備は、

グレゴリーのトリコニ60にパンパンに詰め込んだ荷物。
トリコニ60は、ザック本体はMサイズだが、ウェストベルトとショルダーハーネスをSサイズに変更してもらった。神宮前の直営店のニーチャンが、とても手際よく段取りしてくれたので、予算オーバーだったがその場で購入。

トリコニの手前にぶら下がっているのは、ナイキの便所サンダルと、アークテリクスのウェストバッグ。
サンダルは、テント滞在時に便利。
ウェストバッグはウェストにつけるのではなく、斜めがけにして、行動食などを入れている。
トリコニ60の弱点は、ウェストベルトのポケットが小さいこと。チロルチョコなら5個ぐらいしか入らないのではないだろうか。それをアークテリクスで補うのである。

左下のほうにぶら下がっているのは、今どき誰も持参しないであろう、エンピである。
これは、折りたたみ式で、シャベルにもツルハシにもハンマーにもなる優れものである。
ただ、非常に重い。穴を掘るだけなら、もっと軽くてもっと小さいシャベルも安価で出回っている。そもそも野グソでもしない限り穴を掘ることなどないので、こんなに大層なものを持ち歩く必要は無いのだ。
ただ、山でこいつが無いと、なんとなく不安なのである。こいつがあれば、うっかりツキノワグマに出会っても強気でいられそうな気がする。(戦ったら確実に負けるけど。)

結果、総重量20kg。ちょっと重め。
しかも、この状態に収めるまで2時間かかってしまい、当初乗ろうと思っていた電車に乗れなくなってしまった。。。
そこで、登山ルートも予定を大幅に変更。幸先の悪い出だしとなってしまった。。。

靴は、

モントレイルのマウンテンマゾヒストのゴアテックスタイプだ。

金峰山は2500メートルを越える山で、ルートに岩場も多いのだが、あえてトレイルランニング用のシューズで挑んでみた。

昨年末に西伊豆を1泊2日で縦走した際に、某欧米メーカーのハイカットの登山靴を履いたのだが、自分の足が極端なO脚のため、足首の上の方をハイカット部分(?)で圧迫されて、恐ろしく痛くなってしまった経験があるので、ハイカット不信なのだ。(ちゃんとフィッティングしなかった自分が悪いということは重々承知の上だが・・・。)

トレイルランニングのシューズとはいえマウンテンマゾヒストは、かなりカッチリした造りでグリップ力も高い。しかもゴアテックス仕様とくれば、そのへんの登山靴には負けまいと思い、今回の相棒に選んだわけである。

スパッツは、ショートでタイトなタイプにしてみた。このタイプは、通常のスパッツと違ってカサカサしなくて心地よい。ただ、着脱時には靴を脱がなくてはならないので、その点だけ面倒。


(つづく)

はじめに

僕の趣味は、走ることと登ることだ。
具体的には、

・ランニング
・トレイルランニング
・ボルダリング
・トレッキング

だ。

このブログでは、走ることと登ることに関連した話をボソボソと語っていきたいと思う。