このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2012年8月31日金曜日

2012年8月26日 XTERRA トレイルラン 日光白根丸沼大会

ついにその日が来てしまった。XTERRA トレイルラン。
大会運営サイドがタフなコースと繰り返し喧伝する50kmのコース。
考えるだけで憂鬱になり、いっそ夜が明けてくれるなと願ったのだが、無情にも東の空が白み始めた。

大会当日の朝はいつも、最後審判を待つ罪深き子羊のような気分になっているのだが、どちらかというと今回は、仕事で重大なミスをしてクライアントに謝罪に行くような気の重さだ。
どっちにしても、過度のストレスで吐きそうになるというのは同じだが。

というわけで、午前6時過ぎに会場入り。
6時半から開会式兼注意事項周知が行われる。注意事項の周知を「ブリーフィング」と言っちゃうあたりがXTERRAっぽい。
(写真は「ブリーフィング」の様子。)


みんなやる気満々。熱気むんむん。
僕のようなヘタレは気圧されるばかりだ。

ブリーフィングによると、21kmから35kmまでの周回部分が、まさに大会運営側が切り開いたルートだそうで、昔の人々が踏み固めた古い道を元にして作ったそうだ。
事前に講習会で聞いた「国立公園の上に私有地だから、普段は入れない場所だ」という、まさにその場所なのだろう。是非その場所を見たい。なんとかして21kmの関門は突破したい。

もやもやしながらスタートのときを待つ。
「もうすぐスタートです。スタートラインに集まってください」
のアナウンスの後、しばらくしてすぐそばで突然
「バン!!!」
と号砲が鳴った。
スタートの合図だったのだが、「用意!」も「レディー!」も「3・2・1」もなく、いきなりすぐそばで号砲である。
みんな、ビクッ!としたあとに、ハッと気付いて走り出すという滑稽さ。のどかだ。

スタートした直後は舗装された道を走る。
ただ、それも会場である環湖荘のゲートを出たらすぐにトレイルに入った。
その後少しだけ、そこそこの斜度の斜面を登るが、すぐになだらかな場所がしばらく続く。
このなだらかな場所は、幅2メートルぐらいありそうな立派な道だったのだが、山と高原地図にも国土地理院の2万5000分の1の地形図にも載っていない。

なだらかな場所を過ぎると、ゲレンデに向かって雑な舗装道路を登る。
そこから下を臨むと、丸沼が見えた。



丸沼高原スキー場のゲレンデに出ると、そこはけっこうキツい斜面。みんな1列になって登っていく様は、まるでアリの行列。
それにしてもこの斜度は、きっと上級者コースに違いない。直登は無理。

ゲレンデをアリのように登る我々を尻目に、スキー場のゴンドラはすいすいと頭上を通過していく。
なんか悔しい。

そのゴンドラの終着点である山頂駅のすぐ手前に、第一エイドが出ていた。



ありがたく、バナナ2切れ、水2杯、ウィダーのスポーツドリンク1杯をいただく。
いただきながら、
「このペースじゃ、完走できない」
と弱音を吐くと、エイドのオネーチャンに
「そんなこと言わないでガンバッテ!」
と、たしなめられた。

そう、今回のXTERRAの50kmの制限時間は10時間。平均時速5kmを下回った時点でアウトなのだ。
第一エイド、つまり8km地点ですでに数分のビハインド。以降のルートを考えた場合、この時点でのビハインドはかなりマズイのである。

そんなわけで、少しペースを上げる。

第一エイドから先は、完全に登山道に入る。

日光白根山はさすが百名山だけあって、登山者も多い。
が、皆さん我々に快く道をあけてくださる。とてもありがたい。
話によると、ゴンドラの中にXTERRA側から登山者の皆さんにご協力を呼びかけるビラが貼ってあったそうで、それを見てくれていたのかもしれない。

途中、時間の余裕が無い僕は六地蔵を完全にスルーしてしまった。
が、避難小屋はしっかり写真に収めた。


しばらく登ると、ふいに森林限界を迎えた。


ついに日光白根山のピークを垣間見た。(正確にはピーク手前だが。)
日光白根山って、こんなに厳めしいツラ構えだったのか。気圧され、驚いた。
そして、日差しを遮るものがなくなって、暑い。。。

森林限界を超えて来し方を振り返ると、夏の名残りを見たような気がした。


次第に山頂に近付き、選手たちもこの急登に喘いでいる。もちろん僕も例外ではない。


岩がゴロゴロのルートを登りつめると、ついに山頂が見えた。


だが、ルートは山頂を通っていない。
時間に余裕があれば是非山頂を踏みたかったのだが、結局タイム的なビハインドを解消できておらず、むしろ第一エイドで数分だったビハインドがさらに数分多くなっており、いよいよマズい状態になっていた。
距離にしてわずか100m程度のところに山頂がありながらスルーするのは非常に無念ではあったが、やむを得ず先を急ぐことにした。

山頂からしばらくは急な下り。
砂と石の入り混じったザレ場で、ブレーキを利かせながら降りないと危ない場所だ。
だが、ここでペースを上げないと、21kmの関門に引っかかってしまう。
幸い、下りは比較的得意なので、可能な限り飛ばす。
が、ここで必要以上に足を使ってしまったことが、後々のペースダウンに大きく影響したように思う。

さて、白根山を駆け下りると、五色沼避難小屋に至る。


この辺りはシカがやたらと多くて、丹沢あたりよりもシカが間近にいたりする。


この避難小屋を過ぎると、すぐに五色沼に出る。
砂浜のある綺麗なこのカルデラ湖のほとりに、15kmのポイントがある。
いっぱいいっぱい過ぎて、写真を撮る余裕が無かったのが悔やまれる。

湖畔沿いに数百メートル走り、また急坂の樹林帯を登る。
登り始めてすぐに「水場」の標識が出ているが、水は非常に少なく、そもそもこんなに鹿の多い山の清水は飲む気がしない。
だが、足が攣りそうになったので、いったん水場近くで休憩をとることにした。

ここで、レース開始後始めての固形物を摂取する。大福だ。
なんと、レース中に摂取した固形物はこの大福だけ。あとはCCDを水に溶かしたものとアミノバイタルのジェルだけしか口にしなかった。それだけ大福の腹持ちがよかったということでもあるだろう。

で、大福を食って幸せになったところで、残りの急坂を泣きそうになりながら登る。
やっと尾根にたどり着いて視界が開けたと思ったら、尾根の先には前白根の厳つい山体が・・・。


ここで、心がやや折れる。
道端の岩に腰掛けて攣りそうなふくらはぎをマッサージしていたら、ご年配の女性2人連れの登山者に心配されてしまった。
お二人は今日が50kmのトレランの大会だということをご存知で、
「もうかなり走られたの?」
と仰るので、
「いえ、まだ16kmぐらいです」
と答えると、息を飲んで絶望的な表情をされていた。こんなところでヘタばっているヤツが、残り34kmをどうやって走るんだろうか、と思ったに違いない。
そう、その通りなんです。無理なんです。それでも行かなければならんのです。

前白根のザレた斜面をなんとか登り、頂上へ。



この時点で既に11:18。
21kmのチェックポイントまで少なく見積もっても4kmぐらい。12:00までにあと4km。
完全に無理ゲー状態だ。いっそこのケルンの下に葬られたい気分になる。
だが、ここで音を上げてもヘリが迎えに来てくれるわけでもないので、とにかく前に進む。

そんなガッカリなテンションの僕の目の前に現れたのが、五色山の尾根道。


このときの僕の目には、この尾根道が大キレットにも匹敵する難所に見えていた。

ここから先は、もはや写真を撮る気力も湧かなかった。

なんとか五色山を越え、金精山に向かう途中、ずーーっと右手に中禅寺湖が見えていた。
が、地図を確認しなかったので「あれー? 菅沼か? なんか遠いぞ」と、ボヤけた意識で考えていた。疲労による判断力の低下とは恐ろしいものだ。

ちょうどこの頃に、21kmチェックポイントのタイムリミットである12時を過ぎた。
ここでまた心が折れる。この日2度目。


金精山山頂を過ぎたところで、このコース唯一の追い越し禁止区間である危険箇所に差し掛かる。
危険箇所の手前には係の方が立っていて、注意を促してくれた。
参考までにその係の方に、
「僕の後ろって、もうほとんど誰もいないですよね?」
と聞いてみたら、苦笑を浮かべながら
「そうですねー、もうみなさん通過されましたねー」
との答え。
なんか悔しい。予想はしてたけど。

ほうほうのテイで菅沼キャンプ村手前の国道120号線に出たときに、ちょうど13:00。
アスファルトに出ると、整地された舗装道路の走りやすさをつくづく感じてありがたくなる。

もうそもそも完走はできないのだから、21km地点にあるお土産屋さんでソフトクリームを食ってやろうと思いながら下山してきたのだが、いざお土産屋さんまで辿り着くと、その100m程度向こうの21kmチェックポイントの係りの方がものすごい勢いで
「がんばれー! ふぁいとー!」
と呼びかけてくる。
こりゃ手抜きできないぞ、という気持ちになり、ソフトクリームを断念。今思えば、心を鬼にして(?)ソフトクリームを食うべきだった。

チェックポイントにつくと、ゼッケンに赤ペンで斜線を入れられる。
この赤い斜線は敗者の証。このレッテルを背負って残りの14kmを走らなくてはならないのだ。
しかも、この14kmは、50kmを完走する人たちにとっても最後の14kmなので、上位の選手たちが容赦なく僕を抜かしていくのだ。
屈辱以外の何ものでもないが、自分のトレーニング不足によるものであることは明白なので、身から出た錆として甘受するしかない。

そこから先は、しばらくダラダラしたアップダウンの地味なトレイルをトボトボ歩く。
もう心が折れていたので、走る気力が湧かない。
右手に120号線が見えることも多く、いっそのこと車道に出てヒッチハイクしてしまいたかった。

このルートの何がしんどいって、やたら太い樹木が何本も道を塞いでいて、くぐるには下が狭く、またぐには高すぎるという、嫌がらせのような微妙な状態で倒れているのだ。
上を乗り越えようとしてコケたり、下をくぐろうとして這いつくばったり、このタイミングでのこれは「大人の泥遊び」(エクステラのキャッチフレーズだ)というより、ただのイジメだ。

そうこうするうちに、なんとか丸山高原スキー場のゲレンデに出た。
ここに「残り10km」の表示が出ていた。
この時点ですでに14:20。
たった4kmの険しくもないトレイルに1時間20分もかかってしまった。。。
これはマズイと思い、ゲレンデを駆け下りた。

ゲレンデはいたるところにシカのフンが落ちており、まさに地雷原状態。
この大会が終わったら、4年も履いてるこのシューズは買い換えよう。良い機会だ。

ゲレンデから作業道のようなところに入ると、今度はシカのフンではなく、クマのフンが落ちていた。
大会直前に、XTERRAのマウンテンバイクのコースを試走中の人がクマに襲われる事故が起こったそうだが、やっぱり居るんだな。。。
先を急いでいたので詳しく調べなかったが、パッと見の感じだとまだ排泄後1~2日程度ではないだろうか。
トレランのときに何が心細いって、クマ避けスプレーを持てないのが何よりも心細い。小さいクマ避けスプレーの購入を本気で検討したくなった。

そのあとすぐに、120号線に出る。
120号線を渡る手前のところにチェックポイントがあり、「残り5km」の表示が出ていた。
あと5km!
あと5kmなら走れる!
そう思って勇んで120号線を渡り、残しておいた末足を使って走った。
120号線を渡ってトレイルに入るところに立っていたオッチャンの
「残り5km! 楽しい5kmだよー!」
という声にも後押しされる。

だが、この先が地味に精神的にきつかった。
なんと、周回してまた同じ場所に戻ってこなくてはならないのだ。
その周回上にエイドがあり、愛想の良いオネーチャンが3人立っていたのだが、どうせ残りわずかな道のりだと思って水しか取らなかった。
これが後に誤りだったと思い知らされる。

というのも、周回コースを出るところに立っていた係の人に残りの距離を聞いたら、
「ここからあと5kmぐらいだよ」
と言われたのだ。
あれ??? 「残り5km」の表示から少なく見積もってももう2kmは走ってるよな??
首をかしげながら、120号線との接触地点まで戻り、先ほど「楽しい5km!」と叫んでいたオッチャンにも残りの距離を聞いたところ、
「あと7、8kmぐらいだよ」
と言われた。
減らないだけならまだしも、何故増える!?

ここで完全に心が折れた。
もう末足は使い切っていた。
あとはフラフラと敗残兵のように丸沼湖畔を彷徨うように歩いて進む。
途中、湖畔に気持ちよさげなベンチがあったので、5分ほど横たわる。
その5分の間に、10人ぐらいが通過していった。もう残り時間も僅かなはずなのに、まだこんなにも人がいたのか。。。

寝ていても誰も迎えには来てくれないので、諦めて再び歩き出した。
道が湖畔ギリギリを通っている場所もあり、「ここでコケて水に落ちたら、今の自分では這い上がれないだろうな」と、要らぬ危機感を抱く。

「環湖荘 1km」の標識が見えたあたりで、会場から太鼓の音が聞こえてきた。
そうか、太鼓の音は1km先ぐらいで聞こえるものなのか、と変に納得する。

14時を回った頃からパラついたり止んだりしていた雨が、環湖荘が見えたあたりから、いよいよ本格的に降り出した。ズブ濡れになるのが先か、ゴールするのが先か。

ゴール100m手前では、今回一緒に参加し既にゴールしていた先輩とその奥さんが手を振って迎えてくれる。

そしてゴール。17時ギリギリ。
と同時にすさまじい雨。とてもじゃないが、写真なんか撮ってる場合じゃなくなってしまった。

こうして僕のXTERRAトレイルランニングは終了した。

聞けば、参加者200人弱のうち、50km完走者は50名程度だったそうで。
(翌日リザルトを見たところ、182名のエントリーに対して、完走は51名。)
ちなみに総合1位の方は、ハセツネを9時間台でゴールする方のようで。


大会の印象としては、コースは地獄だが、運営は温かかった。
エイドも非常に物資が豊富だった。
コースのマーキングも非常に丁寧にされており、迷いそうなところには必ず係員が居てくれたので大変助かった。(あくまでショートカットコース35kmでの印象だが。)

唯一残念だったのは、残り5kmの表示のところか。(本当にガッカリした。)


最後に、大会前日の菅沼の売店(21kmチェックポイント)で見た虹の画像を貼って、僕のXTERRAトレイルランのレポートを終了したい。


さようなら、日光白根山。



2012年8月22日水曜日

『RUN+TRAIL』vol.2

今週末にXTERRA トレイルラン 日光白根丸沼大会の50kmトレランに出場するのだが、とても完走できる自信は無く、非常に気が重い毎日を送っている。

平地でもフルマラソンまで、トレイルでは30kmまでしか経験の無い自分が何故50kmの大会にエントリーしてしまったのか、今更ながら自分に猛省を促している次第だ。

とはいえ、もう本番が目前に迫っているので、無理やりにでもモチベーションを上げようと思い、『RUN+TRAIL』vol.2を買って読んでみた。


中身は激熱。
タフなトレランレースに編集部員自らが出場しての体験ルポに多くの紙面を割いていた。
すげーな。

特に目を引いたのが、北丹沢12時間山岳耐久レースのスタート直前の写真。
完全な曇天模様の下、スタートラインに立つ猛者たちの表情は、緊張感を通り越して忘我の境地とも言えるような遠い目をしたものだった。

彼らの表情を見ていたら、もし何かの間違いで自分が今週末の50kmトレランを完走できてしまった場合、この北丹沢のトレランに出場しなくてはいけないような気分になってきて、余計に気持ちが重くなってきた。
テンションは上がらずに、モチベーションだけ上がるっていう状況ってあるんだなーと、驚くばかりである。

なお、「モチベーション=やる気」だと思っている人は、ネットで調べて勉強しなおしてください。


2012年8月12日日曜日

坪井伸吾 『ロスからニューヨーク 走り旅』

今の僕よりも年を喰った人が、ロスからニューヨークまで北アメリカ大陸を自分の足で走って横断する。そんな衝撃の試みの顛末を語ったのが『ロスからニューヨーク 走り旅』である。


!以下、ネタバレ注意!

読んでみると、結局一度にロス~ニューヨークを走り通せたわけではなく、セッションハイクのように2度に分けて達成している。
が、だからといってこの成果の価値はいささかも減じていないと、僕は思う。

そもそもこの走り旅は、いわゆるウルトラランナーのようにエイドが用意されていたりサポートスタッフがいたりするわけではなく、宿やルートも自分で探さなければならないし、必要なものは全て自力で担いで走らなければならない。

本書の表紙に載っている旅の出で立ちからすると、とてもじゃないが走る格好ではない。
ザックもトレランで使うようなコンパクトなものではなく、ウルトラライト系のハイキング用モデルのようだし、容量も大きい。
こんなもんを背負って走るなんて、ちょっと考えただけでも眩暈がする。

それにしても、アメリカのように不審者に対して厳しい国(ハロウィンの仮装をして家々を回っていた日本人留学生が強盗扱いされて射殺されるような国だ→詳細)で、この風体でウロウロして、よく無事でいられたものだと驚くばかりだ。(実際、ずいぶんとひどいあしらわれ方をしたケースも、本書にはたびたび登場する。)

反面、アメリカは冒険者に対して尊敬の念を持っている国民性のようで、著者を暖かく迎えてくれるケースも多かったようだ。これこそが、アメリカの陰陽なのだろう。


本書には僕にとっていくつも心に残るシーンがあるのだが、そのなかで1つ面白かった部分を引用させていただく。
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1日の大半はただ走っていた。それなのに思い出すのは人のことばかり。肝心の「走っていた」事実にまつわる記憶は心の奥から湧いてこない。(P.197より)
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やはり人間は、人間とのかかわりの中で生きてこそ人間たり得るのかもしれない。
だからこそ、アパラチアントレイルのスルーハイクのレポート『メインの森をめざして アパラチアン・トレイル3500キロを歩く』のなかで、著者の加藤則芳氏は「人のこと」ばかり書いていたのかもしれない。