このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2015年8月16日日曜日

山行記 : 2015年8月1日~ 前穂高・奥穂高・西穂高縦走 3日目 西穂山荘から上高地へ そして帰京



(この記事は「2日目その2 西穂山荘の夜」の続きです。)


山の朝は早い。

が、今日の僕は、昨日、一昨日に比べてのんびりと朝寝を決めこんでいた。
なんせ、5:30からの朝食を食べてから出発するのだから。

5:30といえば、昨日、一昨日であれば、既に歩き始めて1時間。
すっかり体も温まり、寝床に対する未練も無くなった頃である。

せっかくなので5時頃に起きてパッキングを完了し、準備万端で朝食を迎えた。
その朝食はこちら。
その辺の温泉旅館よりも全然美味しい。

朝食を食べていると、いくつかアナウンスがあった。


1.ヘリによる荷揚げがあります。

ヘリによる荷揚げが行われるため、その時間はテラスから退避していてくださいとのこと。
ヘリのローターが登山者の荷物を吸い上げたりしたら墜落してしまうので、もし見学するにして、遠くからお願いします、とのことだった。


2.救助のために、西穂~奥穂の途中でで30分ほど通行止めを行う区間があります。

西穂~奥穂の間で、救助のために30分程度通行止めになる区間があるとのこと。
やっぱり昨日のヘリは捜索だったんだ。。。
(西穂山荘のFacebookページでも、この記事とかこの記事でその辺のことに間接的に触れている。)
実際、危なっかしい人もいたんだよなぁ。


でも、もうどちらも僕には直接関係のないことだ。
今日はさっさと上高地に下りて、風呂に入ってランチを食って帰るのだ。


6:04、荷物を担いで山荘を出ると、テラスがびしょ濡れだった。
夜中に目を覚ました時に雨垂れの音を聞いたような気がしたが、やはり降っていたのだろうか。

そんなテラスでは、ヘリによる荷揚げに向けて、小屋のスタッフさんが準備を急いでいた。
このプロパンガスのボンベ、たしか80kgとか有るはずなので、人間がボッカするのではとんでもない労力がかかる。
やはりヘリはすごいなぁ。。。(小学生並みの感想)

テラスにいる人たちの多くは、今から西穂高に登るようだ。
無事に怪我無く下山して欲しいものだ。

僕の方は、もうここからはおそらく10mだって登ることはなく、上高地まで下り一辺倒である。
その下り一辺倒の登山道は、テント場と外トイレの間から始まっている。
(この写真は前日のうちに撮影したものだ。)
冬は完全に雪に閉ざされていて、存在に気付かなかった。

歩き始めると、最初のうちは両側から草木が迫ってくる狭い道。
その分、花も多く、目を楽しませてくれる。




6:17、焼岳への分岐。
そういえば昨日の夕飯のときに同じテーブルだったニーチャン、焼岳に行くって言ってたなぁ。
もちろん僕は、迷わず上高地へ。
焼岳はまたの機会だ。

分岐を過ぎると、今度はキヌガサソウ。
華は無い(小さい)けど存在感が大きい、というところが、鉄人・衣笠っぽいよなぁと、いつも思う。

その近くのキヌガサソウの花が、一部透明になっていた。
サンカヨウが透明になるのは知っていたけれど、キヌガサソウも透明になるのか。

途中、ぬかるんだ場所になると現れる、水平なハシゴ。
このパターンは初めて見た。
この発想は無かった。資材も少なくて済むし、すごい。

次第に登山道には大きなゴロゴロの岩が多くなってきた。
周囲はもう完全な樹林帯だ。
もともと西穂山荘がある辺りがちょうど森林限界なのだが、その西穂山荘から30分ほど下るともう完全に高木に囲まれるのだ。

6:53、「宝水」の標示が現れる。
ここから、10mほど道から逸れたところに、その「宝水」がある。
ちょろちょろとしか流れていない。
大峰奥駈道4日目の僕なら、まさに天佑だと喜んだだろうが、今の僕には不要な水場のようだ。

6:58、まるで奥多摩のような尾根道を抜け、
 関東ふれいあの道(通称カンフレ)のようによく整備された土の登山道を歩く。

が、油断していたのも束の間、道は急坂となる。
つまづこうもんなら、無事じゃすまない角度。
奥穂西穂を達成してこんなところで遭難したらシャレにならないので、慎重に歩く。

もうここまで来るとクマザサばかりで花も無い。
ひたすら機械的に下山をするだけとなる。

急坂を抜けると、逍遥道のようななだらかな、苔むした道となる。

あと少しで梓川に出るという頃、右手からヘリコプターの音が聞こえた。
しかも、かなり近い。
なんだろうと思って樹林の向こうに目を凝らすと、どうやらヘリポートがあるらしい。
車の何台か停まっている。
車が停まっているということは、当然整備された林道があるのだろう。(よく見ると、たしかにその林道も確認できた。)
が、「山と高原地図」でも、GoogleMapでもその存在が確認できない。
国土地理院の2万5000分の1の地図では、それらしいものが確認できたが、どんな性質の施設なのかは分からない。(多分この記事に載っているヘリポートのことなんだろうけれど。)

7:52、ついに田代橋の登山口に到着。
この門を抜けて、正面から撮ってみた。
立派な登山口やなぁ。
僕が奈良で野宿したバス停より、よっぽど立派やで。

なにはともあれ、無事に下界に戻ってきた!
そのありがたさを噛み締めながら、梓川沿いを歩く。

8:02、ウェンストン碑を通過。

8:10頃、上高地アルペンホテルに到着。朝風呂タイム!
が、なんと、ちょうどたった今、団体が入っていったとのこと。
さすがに混んでる風呂は嫌なので、ロビーで20分ほど待って時差をつけることにした。

その間に、信州りんごサイダー。
低標高の高温に喘ぎながら歩いてきた身に染みます。

タイミングを見計らって風呂に向かう。
団体客はどうやら、どっかの高校の山岳部の模様。10人ぐらいか。
みんな体を洗い終わり、湯船につかっているタイミングだったので、スムーズだ。
やっぱり時差大事。

体を洗って湯船に入ると、気持ちよくて声が出てしまうが、同時に、腕がピリピリしてお湯に入れられない。日焼けが過ぎたようだ。

湯船から出ると、脱衣場で、先に上がった山岳部のうちの一人が、後輩を捕まえてなにやら熱心に主張している。
熱心なのはいいけれど、フリチンのままだ。
その彼は、僕が服を着て髪の毛を乾かして撤収するまで、フリチンのまま後輩に何事かを熱心に主張していた。パンツぐらい履けばいいのに。
断片的に耳に入ってくる内容からすると、面白くも無いし、タメにもならないような話のようである。
こういう先輩に捕まると、後輩としても大変だよな。幸い、僕がいた山岳部にはこういう先輩は居なかった。
僕? 僕はコミュ障なので、そもそも後輩に何事かを語るようなことは無かったと思う。


風呂を出たら、今度は五千尺ホテルのランチ営業時間を確認しつつ、バスターミナルへバスのチケットを買いに行くのだ。

河童橋からは、お約束なショット。
穂高側。

焼岳側。

そして、河童橋を渡ると五千尺ホテルである。
さあ、ランチタイムのチェックだ。
「本日貸切です」。







 。


なんだこれ! これじゃまるで道迷い遭難じゃないか!
まさか下山後に遭難するとは!

でも、まあ、仕方が無い。
気を取り直してバスターミナルまで行ってチケットを購入したあと、再び戻ってきて、五千尺ホテルのカフェコーナーに転進。
「山形村ブルーベリータルト」というのを食う。

タルトを食べながら、窓越しに穂高の稜線を見ていると、ついさっきまで山の中に居たはずなのに、それが遠い昔のような気がしてくる。

今回の山行では、これまで経験したことの無いような感覚に触れることができた。
うまく言語化できないのだが、今まで存在にすら気付いていなかった扉が開いたような、そんな感覚だ。
その感覚が、果たして自分の今後の心象風景にどのような影響を与えるものなのかは、全く分からない。

なお、『でこでこてっぺん』の単行本153話には、岩ヤの発言として、

「生きるか死ぬかのせとぎわに 奇跡のような動きで岩をのぼりきった瞬間、目の前がパーーッと明るくなり この世の全てにピントが合う」
「山から下りてきた今、このうすぼんやりした現実こそが幻ではないかと・・・」

というのがあった。
僕もそういう廃人になってしまうのだろうか。
いや、すでになっているのかもしれない。


そうこうするうちに、バスの出発時刻が近いづいてくる。
五千尺ホテルを出て、穂高に後ろ髪を引かれながらバスターミナルに向かう。
さらば穂高。


こうして僕の夏休みは終わった。


(「振り返り (装備編)」につづく)




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