このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2014年9月15日月曜日

山行記 : 2014年9月13日~ 剱岳リベンジ 計画概要&0日目

昨年9月、我々は剱岳の登頂を断念した。(詳しくはこちら

天候のコンディションの悪さも断念の理由だったが、それ以上に、パーティのメンバーの岩場に対するスキルの不足が、僕に断念させた最大の理由だった。
もし、天候が良かったとしても、僕はパーティのメンバーのスキルに不安を抱いたままであったのだから、むしろ恵みの雨だったのだろう。

このため、剱岳敗退の時点で翌年のリベンジを誓うとともに、トレーニングにも励んだ。(というか、ケツを叩いてトレーニングさせた、というのが近いかもしれない。)

難易度の高い岩場での長丁場を訓練するために両神山八丁尾根ピストン、雨の岩場の訓練のためにわざわざ雨天時を選んでの乾徳山などで、確実にスキルと自信を身につけていった。

そして、敗退から1年、ついに剱岳に再挑戦する日が来た。
メンバーは、昨年の剱岳登山から1名欠けて、僕を入れて3名。
僕以外の2名は、1人は9月1日付けで社長になり、もう1人は10月1日付けで社長になる上に奥さんが身重、という、なにがどうあってもケガひとつさせるわけにいかない立場の人なので、引率者である僕には変なプレッシャーがかかり、山に向き合ってるどころではない。
(その変なプレッシャーに負け、事前に山行の中止を提案したが、2人によってあえなく却下となったのである。泣きたい。)

ともあれ、彼らの会社の従業員の生活、および、生まれてくる子供(僕にとっては他人だが)のために、なんとしても無事に下山することを最優先にした山行にしなければならない。
僕は独り身だし、単なるパラサイト系サラリーマンなので、メンバー2名に比べると気楽なものだが。


今回の計画は以下のとおり。

9月12日(金)(0日目) : 新宿発21時の特急あずさで松本に向かい、松本駅前のホテルで1泊。
9月13日(土)(1日目) : 早朝に松本駅から信濃大町駅へ。その後、黒部アルペンルートで室堂へ。室堂から剱沢キャンプ場まで歩いて、幕営。
9月14日(日)(2日目) : テントをデポしたまま、剱沢キャンプ場を未明に出発。剱岳山頂までピストンしてテントを撤収後、雷鳥沢キャンプ場まで移動して、幕営。
9月15日(月)(3日目) : 早朝にテントを撤収し、さっさと下山。

2日目にわざわざ雷鳥沢キャンプ場に移動するのは、3日目にできるだけ早く帰京するためだった。
もし可能であれば、そもそも雷鳥沢に幕営せず、そのまま下山してしまうこともスコープに入れた計画になっている。
会社設立の前後であるメンバー2名のたっての希望で、できるだけ帰京のタイミングを早めるための施策だった。(これが後ほど、僕に登山の意義を迷わせるほどの地獄を見せることになる。)


前回の計画と大幅に異なるのは、小屋泊ではなくテント泊であること。
実は、剣山荘、剱澤小屋、剱御前小屋のいずれも満員で予約を断られた結果の苦渋の決断だった。
このため、わざわざ3人用のテント(モンベルのステラリッジ3)を購入したのだ。
僕はソロテントしか持っていなかったのでちょうど良い機会ではあったのだが、こんなことしていたらいつまで経っても金欠のままである。

また、テント泊ということは、当然防寒着の準備も大きく異なってくる。
この時期であれば、テント場の最低気温は10℃を下回るであろうと思っていたが、出発の前日に北アルプス全般で初氷となったようで、我々の幕営時も氷点下まで下がる可能性が十分にあるということが分かった。慌ててメンバーにそれを伝え、防寒具の強化を促した。



出発当日、リーダーである僕自信が、仕事に追われて何の準備も出来ていない。
計画書すら、できたのは2日前だ。
無理矢理仕事を切り上げて自宅にもどり、準備を急ぐ。
家中から装備を引っかき集めてザックに詰め込み、新宿駅へ。特急あずさに駆け込んだ。

途中多少の遅延もあり、松本駅に着いたのは24時を回っていた。
ホテルに早々にチェックインし就寝。
すでにぐったりで、明日からが不安でしかない。


(「1日目 剱沢キャンプ場まで」につづく)




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