このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2015年8月5日水曜日

山行記 : 2015年7月25、26日 甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根から 2日目 登頂、下山



(この記事は「1日目 七丈小屋まで」の続きです。)


山の朝は早い。
が、連れの目覚めは遅い。

尾瀬に行ったときもそうだったのだが、この連れはギリギリまで寝ていたいようだ。
いや、それは僕もそうなんだが。

そんなわけで、3:50、起床。
モゾモゾと準備をしていたら、連れも目を覚ました。

テントを出ると、地平線が明るくなりつつあった。
今日も最高の好天になりそうだ。

水を汲んだり、朝飯を食ったり、撤収作業をしたり、諸々終わって出発したのは5時半過ぎ。
歩き始めると、やはり靴ズレに激痛が走る。絆創膏ごときではどうにもならないようだ。
とはいえ、ここまで来てしまったからには、行くも地獄、戻るも地獄。同じ地獄なら登らにゃ損である。
今日は13:30に北沢峠を出るバスに乗れればいいのだから、焦らずにゆるりゆるりと歩いていこう。(元気な連れには申し訳ないが。)

登り始めてすぐに、ワラジが道端の木にくくり付けられていた。

そのすぐ先に、もはや見慣れすぎて存在そのものをスルーしてしまいそうになる石碑。

この日は、最初から急登。けっこう岩っぽい。

傍らにたたずむゴゼンタチバナ。

5:40、この日初めてのハシゴが早速現れる。

樹林帯はまだまだ続く。

5:54、行く手に大岩が現れた。
上から見ると、岩の上には小さな石の祠。

5:58、一枚岩が現れた。
岩の表面はある程度の摩擦があり、慎重に歩けばなんてことは無い。

この岩を上がるとすぐに、またハシゴが現れる。
このハシゴの上には、さらにまた一枚岩。
ここからの風景が、絶景だ。

まずは、八ヶ岳方面。

奥秩父方面。

今回の山行で初めて北アルプスが見えた。

すぐそばの岩の上には剣と石碑。なんとなくフォトジェニック。

あれが山頂?? んなわけないか。。。

ここから先はほとんど低木ばかり。
やっと風の抜ける場所に来た!
が、その分日差しも強い。

すぐ近くにピークが見えるのだが、さすがにあれが甲斐駒ヶ岳の山頂ということはないだろう。
八合目御来迎場の先の小ピークか?

6:23、八合目御来迎場に到着。

鳳凰三山とその向こうの富士山がすばらしくハッキリ見える。

八合目御来迎場から少しだけ進むと、木立に隠れていた北岳の姿も見えた。

さっきから見えていたピークの向こうに、さらに2つのピークが見えてきた。
向かって一番左のピークがきっと山頂だ、と当たりをつけながら歩く。

道はどんどん険しくなり、明らかに岩登り要素が強くなってくる。

岩の破断に沿って生える草。
命とは力強いものだなぁ。

アズマシャクナゲもまだ咲き残っていた。

6:39、鎖場が現れる。
花崗岩のモロい岩肌に穿たれた、先人の足跡。いったいどれだけの人がこの岩を登り下りしたのだろうか。

垂れ下がっている鎖の末端には、錘り代わりの金属プレートがぶら下がっていた。
なにやら文字が刻んであるので、この場の由来に関する何かなのかと思って見てみたら、
なんだこりゃ。

気を取り直して先に進むと、すぐにまた鎖場が登場。
花崗岩のモロい岩質に加え、靴ズレの痛みで左足の踏ん張りが利かないため、こういう場所では鎖を持ってエイヤッ!で登らなければならない。イヤだなぁ。

この鎖場を越えると、八合目で見た3つのピークがより間近に見える。
向かって一番左のピークが甲斐駒ヶ岳の山頂だと思っていたけれど、どうもそれにしては様子がおかしいような、、、
が、このとき、すでに地形図を読む気力も無く、「行けば分かる」と、特定を諦めていた。

6:47、またもや鎖場。
それを越えると、目の前にまた岩場。

これを乗り越えると、大岩を巻くように付けられた細い登山道に出る。

道端にはミヤマキンポウゲ。

その先の岩にレリーフがはめ込まれているので見てみると、
嗚呼・・・。
いつ見てもこの手のものは、萎える。
もしかしたら、いつか自分も山で命を落とすのかもしれない。嫌でもそんなイメージが惹起されるのだ。

***

少し横道に逸れるが、山で死ぬことについて書き留めておきたい。

今や登山は、多くの登山者にとってレジャーである。
かつては、初登競争やルート開拓など、先鋭的、冒険的な登山が王道を占めた時代もあったが、登山ブームと言われる中で『岳人』が廃刊寸前に陥ってモンベルに拾われたことを以っても、如何にそのような登山スタイルがマイナー化しているかが伺われる。

レジャーであるからには、死んで良かろうはずがない。
先鋭的、冒険的登山においては、ヘッジしきれないリスクを如何に受容するかは避けて通れない問題であっただろうが、レジャー登山では、リスクテイクした分だけ、リスクヘッジもしなければならない。「死んでもいい」というレジャーなど有ってなるものか。

ともすれば、登山者の中には「山で死ねれば本望だ」などとのたまうご老体などもいらっしゃるが、自分ではいいかもしれないけれど、そのためにどれだけの人がどれだけ大変な思いをするか、認識しなければならない。
もはや、「僕が山で死んだなら、小さなケルンを積んでくれ」という時代では無いのだ。

***

閑話休題。

さて、レリーフのそばには、またもや鎖場。
クラック部分に登山靴を挟み込んで踏ん張るわけだが、靴ズレが圧迫されて激痛。

その後もさらに岩場が続く。
結局、八合目から上は、ほぼ岩場であった。

もちろん、それだけに眺めもすばらしい。

7:03、木々の間から、3つ並んだピークの一番右のピークが間近に見えた。
てっぺんに剣が刺さっている。
雷が落ちたりしないのだろうか。

そのピークに向かって伸びる登山道。

7:06、剣の刺さった大岩の直下に出た。
元気だったら登るかもしれないけれど、とてもそんな気力は無い。

大岩の基部には、石碑がある。


大岩を後にして、さらに登る。

ツマトリソウが咲いていた。

岩っぽい道を歩き、
抜け出た場所は展望のテラス。

岩がゴロゴロの場所に、
どこかで見たことがあるような、イルカっぽい岩。

最高の八ヶ岳ビュー。

ゴロゴロの岩の斜面をトラバースしたり、
登ったり。

イワカガミ。

ミヤマキンバイも咲いていた。

そして、登る。
登る。
写真右のピークの上に、祠のようなものが見えた。
あれが甲斐駒ヶ岳の山頂か?!

さて、この斜面を登ったところに、奇岩がある。

石碑も立てられている。

さらに登る。

山頂がいよいよ近い。

7:58、山頂手前の小ピークには、駒ヶ岳神社本社。

そのすぐ先には、山頂直下の分岐。
眼下には摩利支天。

連れが
「マリシテンのマリってなんなんですか?」
と聞いてくるので、「マリ」は多分インドの仏教の音の当て字だと思うからあんまり意味が無いだろう旨と、毘沙門天だの大黒天だのと同じように天部の所属の神様みたいなもの(仏教だから神様じゃないが)だと答えておいたのだが、あんまりピンと来なかったようだ。
wikipediaを見てみたら、まあ、ハズレではなかったようなので良しとする。

日本の山は信仰と切っても切り離せないので、ある程度本など読んで勉強しておくと、登山の楽しみが増すのではないかと思う。

最後の上り、風化した花崗岩のザレ場を歩き、山頂へ向かう。
同じ花崗岩の山・燕岳と酷似した雰囲気に、既視感に襲われる。

岩を乗り越え、
8:03、ついに甲斐駒ヶ岳の山頂に到着。

山頂の巨岩の上から360°ビューを堪能する。

北岳など、白根三山方面。

北アルプス方面。

中央アルプス方面。

富士山と鳳凰三山。

あまりの絶景に、下山するのが勿体ない。
30分近く山頂に滞在した後に、下山を開始した。
目指すは北沢峠。
まずは駒津峰に向かう。

このとき僕は、よりによって仙丈ヶ岳を駒津峰と誤認し、
「あんなに下りて、あんなに上るのか・・・?」
と、地形図との違いに戦慄を覚えたのだが、ハッと気付く。
あの窪みは仙丈のカールじゃないか!
まさか仙丈ヶ岳を見間違えるとは。そんな自分に腰を抜かしそうなほど驚いた。

山頂直下の分岐から、まずは摩利支天方面へ、風化した花崗岩のザレ場を下る。

振り返ると、まさに奇岩の山。

地層も綺麗に露出している。

富士山に向かってキメる連れ。

登山道はそのまま摩利支天に向かうのではなく、いったん右手に巻く。
仙丈ヶ岳はデカいなぁ。

山頂を仰ぎ見ると、より奇岩な感じ。

そんな奇岩に咲くイワツメクサ。

8:55、摩利支天への分岐に到着。

残念ながら、靴ズレも痛いままなので、摩利支天は取りやめ。
分岐から拝んで終わりとする。

引き続き、下る下る。

トラバースして、西に向かう。

次第に、甲斐駒ヶ岳の西から直登する尾根が見えてきた。
「山と高原地図」によると「危」マークがついている破線コースだが、けっこうたくさんの人が歩いている模様。

駒津峰との鞍部には巨大な岩が見えた。
あれが六万石か。

9:09、ついに樹林帯に入る。
樹林帯に入った途端、体感温度が2℃ぐらい上がる。うー。。。

もちろん、樹林帯に入っても岩っぽい。

9:18、甲斐駒ヶ岳の直登ルートに合流。
直登ルートを見上げてみると、見事に岩。

一方、我々が向かう駒津峰方面には、例の六万石。
遠近感のおかしくなるサイズ感だ。

9:22、その六万石に到着。
サイズ感を掴むため、連れを立たせてみた。
デカい。デカいが、この程度の岩は、黒戸尾根のほうにもたくさんあったような・・・。
なんか、中途半端なサイズ感だなぁ。。。

たしかに、六万石を江戸時代の大名の石高で考えると、かなりの弱小藩とはいえ、六万石に満たない藩はいくらでもあった(全藩の4割ぐらい)ので、これまた中途半端だ。
となるとこれは、デカいことの比喩ではなく、中途半端なことの例えなのかもしれない。(←そんなわけは無い。)

ちなみに、甲斐駒ヶ岳の麓・伊那にあった高遠藩は3万3000石。稲作に向かない土地であっただろうから、石高でいうとこんな感じになっちゃうんだろうなぁ。

これまた、閑話休題。

振り返ると、チビりそうなぐらいにカッコいい甲斐駒ヶ岳。

駒津峰への道は、よく見ると岩だらけだ。

そのため、すれ違いが大変で渋滞しまくり。

その後もひたすら岩場を上る。

いい加減ウンザリしたころ、9:47、駒津峰の山頂に到着。

駒津峰から見た甲斐駒ヶ岳と摩利支天。
ゾクゾクするほどカッコいい。
さすが、「山の団十郎」。千両役者である。

さて、ここから北沢峠へは、ルートが2通りある。
1つは、双児山を経由するルート。
もう1つは、仙水峠を経由するルート。

双児山コースは距離も短く、コースタイム仙水峠コースに比べて少しだけ短いのだが、それなりのアップダウンがある。
それに対して、仙水峠コースは、ほとんど下り一辺倒だが、混んでそうだ。
結局我々は、回り道もイヤだし混んでるのもイヤだということで、双児山コースを選んだ。

駒津峰からの下りはハイマツ帯。
手前に見えるピークが双児山。
尾根はそのまま仙丈ヶ岳まで続いているが、もちろん我々はそんなところまで行かない。双児山を越えたら北沢峠でバスに乗るのだ。スーパー林道バンザイ。

それにしても、駒津峰と双児山の鞍部まで、随分と下る。
もったいないことだ。

鞍部近くまで下りると、そこはもはやハイマツ帯ではなく、樹林帯だ。

さすがにこちらのルートは、駒津峰までの混雑がウソのように空いていて快適だが、双児山への上り返しはなかなかキツい。

10:30、双児山の山頂に到着。
山頂なのに甲斐駒ヶ岳の四合目扱いされていて、涙を禁じえない。
眺望はとても良いのだけれどねぇ。

さて、ここまで来たら、あとはひたすら下るだけだ。
 もう連れとの会話も少なくなり、文字通り黙々と下り続ける。
一瞬、奥多摩を歩いているような錯覚に襲われる。
どうも僕は、何かというと奥多摩に居るような錯誤をするようだ。

とっくに集中力も切れ、ウンザリしきった頃、バスのクラクションが聞こえてきた。
嗚呼、北沢峠は近い。

それから15分ほど歩いた12:03、北沢峠に到着。
最後、ダレてペースダウンしてしまったが、無事に到着したので良しとする。

次のバスは13:30。
とりあえずバス停には13時ころに行くとして、それまではこもれび山荘でのんびりすることにした。
まずはコカコーラで乾杯。

そして、角煮丼。
たんぱく質がたまらん。体にグイグイ吸収される感じ。
ゆで卵の半熟具合など、落涙ものである。

さて、食事も済ませてほっと一息つき、周りを見渡すと、トランスジャパンの飯島選手のゼッケンが飾ってあった。
すげー。オレが一生かかっても身につけられないヤツだ。

あと、本棚にはお約束のように星野道夫。
アラスカ行きてーなー。。。

そんなこんなで、僕らの甲斐駒ヶ岳山行は終わった。


僕はこの1週間後に穂高縦走を控えていた。
今回のこの状況で、果たして本当に完遂できるのだろうか。死ぬんじゃなかろうか。
そんな不安を抱えることになったが、まずは4年越しの甲斐駒ヶ岳登頂と相成ったので十分な成果と考えることにした。


(了)



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