本田勝一氏については、僕はほとんど何の予備知識も持っていない。ルポルタージュなどで厳ついことを書いている人という程度の印象で、実際にその文章を読んだことは無かった。
概して、新聞記者上がりのルポルタージュ作家というものに昔からほとんど興味が持てないのだ。
が、せっかくヤマケイ文庫で氏の著作が発刊されたので読んでみた。
それが『日本人の冒険と「創造的な登山」』である。
本書は著者の著書である『冒険と日本人』『新版・山を考える』『リーダーは何をしていたか』の3冊からピックアップした選集である。
前半は探検と冒険について、後半は山での遭難について、収録されている。
前半の探検と冒険については、首肯すべきところも多々あるものの、大時代すぎてあまり今日性は感じられない。ただ、一ついえることは、著者が繰り返し指摘している、日本人の「冒険」に対する冷淡さや無理解さについては、改善されるどころかどんどん悪化しているように感じるということか。
一方、後半の山での遭難に関する文章は、非常に残念なことだが、全く以って今日性を失っていない。
これらが書かれたのが1980年代初頭であることを考えると、日本の登山界は30年も同じ議論を繰り返しているということか。無念の思いに駆られる。
むしろ、前半部分の「冒険に対する無理解」として指摘されている日本人の気性と相まって、高校生登山に対する規制が厳しくなり、全国の高校からどんどん山岳部が姿を消しているのが嘆かわしいのである。
個人的な話になるが、僕が高校で山岳部に所属していた1980年代後半は、まさに本書で取り上げられているような高校山岳部の遭難事故を受けて、色々なことが禁止されてしまった直後の時代だった。
雪山は禁止、ホワイトガソリンの使用も禁止、岩登りも禁止。
これじゃ、ただのピクニック部だ。
実際、高体連の大会に出ても、競技の中身といえば、重い荷物を背負うことと、道すがら見える山の名前を同定することと、天気図を上手に書くことと、食事のメニューを充実させることぐらいだった。
とはいえ、僕の所属した山岳部の顧問も本書で告発されているような山岳部顧問と同じレベルで、上記のような禁止事項がお上から押し付けられていなければ、僕も成人式を迎えることなく山で死んでいたかもしれない。
実際当時を振り返ると、アイゼンもザイルもなしで広い雪渓をトラバースさせられたり、ペラペラの春装備で猛吹雪の中テント泊させられたりと、今考えればよく無事であったと寒気のする思いである。
せめて自分がオッサンになった今は、自分自身に対しても、同行するメンバーに対しても、厳しく安全登山を求めていきたいと日々考える次第だ。
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