このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2015年6月6日土曜日

山行記 : 2015年4月29日~ 大峰奥駈道 5日目 その1 笠捨山まで



(この記事は「4日目 その2 持経ノ宿まで」の続きです。)


山の朝は早いのだが、この日の持経ノ宿は異常だった。

同宿のジジイが0時を回ったころから、ずーーーーっと荷物をガサゴソして、うるさくて全然眠れない。
早立ちの準備をしているのかもしれないが、他の宿泊者に対する配慮というものはないのか。
これまでも山小屋ではジジババのこの手の無配慮を経験してきたが、今回のは最上級にひどい。

結局睡眠が十分に確保されないまま、3時過ぎに起床。
お湯を沸かし、朝飯を食べ、モタモタとパッキングをする。

山上ヶ岳で出会った男性は5時に出発していった。
一緒に行こうと誘ってくれたのだが、身支度の遅い僕は出発できる状態ではなかったので先に行ってもらった。

5:19、すでに太陽は昇っていた。

朝日を受けて色付く持経ノ宿と
不動堂。

5:29、いよいよ出発。
まずは林道を歩く。
こんなに出発が遅くなろうとは・・・。
山上ヶ岳の男性には先に行ってもらって良かった。。。

出発してすぐに分岐が現れる。

この分岐の右の道を入ると、すぐに登山道の入り口が現れる。

尾根に上がると、なだらかな道が続いている。

5:36、持経千年檜が見えてきた。
千年檜は、デカい。デカいけれど、自立するには根が弱いのか、ケーブルで支えられてた。

二代目も育成されているようだ。抜かり無い。

ここにも不動堂がある。

東の空では、太陽が雲に隠れていた。
日差しが無くなると、やっぱり体感温度がぐっと下がる。

のたりのたりと緩やかな尾根道を引き続き歩く。
奥に見えるピークは中又尾根分岐のあるピークだろう。

6:13、中又尾根分岐に到着。

引き続きのんびり尾根道を歩く。

6:20、新宮山彦ぐるーぷの千日刈峰行の第一回の標が現れる。

6:29、平治ノ宿に到着。

小屋の前には西行の歌碑があった。

小屋の中は綺麗に保たれている。
特にここで滞在する必要も無いので、先を急ぐ。

だんだんと天気が悪くなってきて、ポツポツ雨粒が落ちてくるようになった。
大した雨では無いのだが、早々にザックにカバーをかける。

その後も長閑な尾根を歩き、転法輪岳のピークが見えてくる。

6:54、転法輪岳の山頂に到着。

山頂には、大峯蛇ノ倉七尾山の銘の入った巨大錫杖が立てかけられていた。

その後、次第にガスが濃くなってくる。
ガスというよりも、霧雨な感じ。

7:45、倶利伽羅岳への鎖場を巻いて山頂に至る道との分岐が現れる。
土だろうが岩だろうが、こんな濡れた状態では鎖場はできるだけ避けたい。
「くさりなし」の言葉にフラフラと引き寄せられて、巻き道に入る。

が、初手から険しい。
えーー、、、、、と思いながら進むと、現れたのはトラロープ。
ハメられた!
たしかに鎖は無いけれど、鎖の代わりにロープが垂れているっていうオチじゃないか!
しかも、急斜面過ぎて、土がズルズルと滑る。
もう滅茶苦茶だ。
それでも、なんとか登りきって小ピークに立つ。
ピークには何かの碑があった。
でも、ここは倶利伽羅岳のピークではないらしい。

ピークに向かう途中に、鎖場からのルートとの合流地点がある。
鎖場への道もなかなか険しそう。

7:52、倶利伽羅岳の山頂に到着。

そうこうするうちにも、霧雨がどんどん濃くなってきた。
先を急ごう。

ところで、今回着用していた雨具は、マウンテンハードウェアのエフュージョンフーデッドジャケットなのだが、
水滴を弾くは弾くのだが、けっこう染み込んでもいる。
防水性よりも動きやすさを優先したドライQアクティブだから、こういう感じなのだろう。やはりこのアイテムの使用はトレランに限定したほうがいいのかもしれない。

8時半ぐらいになると、いったん雲が高くなったように見えた。

細い尾根が続く。

8:37、折れた幹から生える新たな樹木。
古い命を土台にして育つ、新しい命。
せめて自分も、新しい命の土台になれるような存在になりたいものである。

そのしばらく先で、尾根道は角度を増す。
なんだか険しい。

9:10、眼下にアスファルトの道が見えてきた。
ということは、もうすぐ白谷トンネルの上を通過するのかな。

9:23、怒田宿跡に到着。
まさにここが、白谷トンネルの真上のはず。

その先すぐ、階段が現れるが、真新しい補修の形跡がある。
見上げると、上の方で補修作業をしている人影が。
あの人たちが新宮山彦ぐるーぷか。
頭が下がる。

9:34、巻き道との分岐。
登山道整備の資材や荷物が置かれている。
もちろん巻き道など使わない。
補修作業をしている人に挨拶をして、そのまま行仙岳のピークを目指す。

ガスの向こうに見えてきた、ピークに立つ電波塔。

山頂周辺は見事なまでに工事中。

なんだかとてもガッカリだ。

一応ピークだけは山っぽかった。

手すり(!)に沿って山頂から東に向かう。
すると、鉄の階段が現れた。
なんだかやっぱり残念感が漂う・・・。

9:48、巻き道と合流。

分岐には別な道標も立っていた。
山頂の電波塔は何の施設なのかと思ったら、NHKの中継局だったのか。

再び尾根道を歩く。

10:06、地形図的にはそろそろ行仙宿山小屋が見えるはずだと思ったら、丸太がつんであるだけの場所だった。
嗚呼・・・。小屋はまだなのか。。。
そう思いながら、丸太の置いてある平坦地まで降りると、そこからは小屋の壁が見えた。
やはりここだったか!

10:08、行仙宿山小屋に到着。

行者堂もある。

少しこの山小屋で休憩させてもらうことにした。
小屋には、年のころ70歳ぐらいの男性と、妙齢の女性がいた。この小屋を管理している新宮山彦ぐるーぷの方らしい。
男性のほうから、このあたりの山の話などを伺っているうちに、すっかり長っ尻をしてしまい、小屋を出たのは10:40だった。

さすがに屋内でこれだけ休憩すると気力体力共に回復しており、足取りも軽くなった。

ガスはますます濃くなってきたが、雨は概ね止んでいた。
このガスの中を、笠捨山に向かう。

笠捨山の名は、その昔、あまりの寂しさに西行法師が笠を投げ捨てて逃げ帰ったという伝承に由来するという話がある。
てっきり、上りがつらくて笠が邪魔に感じて捨てるぐらいだという意味かと思ってたのに。

10:49、笠捨山の巻き道が現れる。
この巻き道の存在は、行仙宿山小屋の管理人から聞いていた。
そして、
「ここまで来て巻き道ってこたぁねぇだろ(笑)。でも、みんなそう思って笠捨登って、登ってる最中に後悔するんだよ、巻き道行きゃよかったって(笑)」
と言っていたことも思い出す。
一種の呪いみたいなもんだな、、、、

もちろん、巻き道には行かない。

ルートは、地味な上りがえんえんと続く。

登る登る。

確かにこれは後悔するレベル。

ツツジなども咲いているが、ガスが濃くて霞む。

11:45、この何でもない小ピークで、何の気なしにスマホの機内モードを解除してみたら、なんと4Gの電波が入った。
入山2日目から電波が入る場所が無かったので、Facebookに生存報告をした。

なかなか足場の険しい場所もある。

ガスが濃すぎて、このまま冥府に誘われてしまうのではないかと不安になるほど。
しかし、冥府にしては上りがキツイ。
土の急斜面だから、折からの雨で滑りやすくなっている。
実際、先行者の滑った跡なども見受けられるほど。
例によって、「オレはこんなところで何をやっているんだろう・・・」と思う中、追い討ちをかけるような急斜面が続く。

もう、早く帰りたいという思いが頭の中をぐるぐるする。

帰るといえば、熊野本宮から東京への帰路では紀伊田辺駅を経由するのだが、紀伊田辺といえば南紀白浜のすぐそばである。

南紀白浜。
この時期は暑すぎず、それでいて日差しはサンサン。非常に快適な時期だろう。
今さらだが、その南紀白浜のホテルのテラスで海を見ながら読書してノンビリ過ごすほうが、ゴールデンウィークの使い方としては正しかったのではなかろうか。ゴールデンって言うぐらいだし。

そんな考えが頭に浮かぶと、もう南紀白浜が頭から離れなくなった。
くそー、来年のゴールデンウィークは絶対南紀白浜に行ってのんびりしてやる!

すっかり心が南紀白浜に飛んでしまった状態で黙々と斜面を上り、12:31、ついに笠捨山山頂か?!と思ったら、
西峰と東峰の分岐だった。
もうイヤ・・・。

気を取り直して、12:33、笠捨山(西峰)の山頂に到着。
山頂には、ちょっとなんだか分からないことが書いてある道祖神の祠があった。
ホントになんだかちょっとよく分からない。

ガスが濃すぎて山頂からの展望はゼロなので、さっさと先を急ぐことにする。
残念ながら、この先で僕はこの山行にとって致命的な判断ミスを犯す。
が、それはこの後のお話。


(「5日目 その2 ひどい判断ミス」につづく)



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