(この記事は「4日目 その1 深仙ノ宿まで」の続きです。)
さあ、深仙での水が補給できず大ピンチを迎えた。
1時間引き返せば、水場はある。しかし、その往復分のロスはあまりにも痛い。
かといって、果たして1リットルちょっとの水で、コースタイム5時間20分を乗り切ることはできるのだろうか。しかも今日は抜けるような晴天で日差しがキツイ。死ぬんじゃなかろうか。
しばらく逡巡する。
が、引き返してはどうやっても寝泊りできるようなところにたどり着ける保証が無くなる。
前進あるのみだ。
9:26、深仙を発つ。
なだらかな道を行く。
このあたりから、ツツジが点在し始める。
追い詰められた気分を幾ばくかほぐしてくれる。
その先には大日岳。
9:40、山頂に向かう分岐が現れる。
が、水の残量が気になって仕方が無い今は、山頂へは寄らずに、トラバースで直進する。
10:04、太古の辻に到着。
ここから先は、ついに南奥駈道である。
南奥駈道は近年になって復活したルートで、明治期などはここから前鬼に降りて奥駈としていたらしい。
その復活に多大な貢献をしているのが「新宮山彦ぐるーぷ」である。
詳しくはリンク先の公式HPに譲るとして、彼らが道を切り開き、メンテナンスして今日に至る。いうなれば、彼らのおかげで我々は熊野本宮まで歩くことができるのである。
分岐の向こうに見えるのは蘇莫岳。
振り返ると大日岳。
石楠花岳に向かう道は、ちょっと岩っぽい。
10:20、仙人舞台石というものが現れる。
たしかにちょっと舞台っぽい。
そのすぐ先には、ちょっとした岩窟。
まー、居住スペースとしては小さすぎるな。。。
そんな巨岩と笹原とツツジ。
岩とツツジは、相性が良い。
その先は、なだらかな笹の稜線。
開放感はあるが、またこういう風景か、、、と、やや食傷気味。
しかも、水の残りがどんどん減っていく。
臨時マイルールとして、ピークに立つたびにひと口飲むということにしているが、これがなかなかツラい。
その稜線をしばらく進むと、今度はシャクナゲの群生地が現れた。
シャクナゲの群生地を抜けると、また笹原。
きれいな尾根ではあるんだけれどねぇ。。。
11:23、天狗山の山頂に到着。
なんもない山頂なので、そのままスルー。
天狗山から下る道も、デジャヴュのように似たような風景。
いつまでこれが続くのだろうか。
11:38、特に励みにもならない道標が現れる。
日差しを遮るもののない、笹原の稜線をひたすら歩き続け、11:45、奥守岳の山頂に到着。
深仙を出発してから1時間ちょっと。
5月初頭とは思えないカンカン照りを遮るものとて無い笹原の稜線をここまで歩いてきて、ひとつピークを越えるごとに控えめに水をひと口飲む、というマイルールを設定して、水の浪費を抑えてきたが、次第に指先がしびれてきた。これは熱中症の前駆症状だよな、確か。
そういえば、水も足りてないが、塩も足りてない気がする。
今すぐ食べられる塩分というと、、、
ナッツ類はザックの奥に仕舞ってしまった。手元にあるのはバナナチップス。内容表示を見ると、幾ばくかは塩分も含まれているようだ。
食欲は無かったが、背に腹は変えられないので、バナナチップスを食べる。
ポリポリ・・・・・・。
乾いた口腔に残った僅かな唾液を、バナナチップスに全部持っていかれる。
ロ○エ食ってんじゃねーんだぞ、なんでそんなに超吸収なんだよ!
喉の奥にバナナチップスが引っ付く感覚は、全く以っての初体験だ。
水のありがたみを思い知らされた。
もちろん、こんな程度で指のしびれが解消されるわけもなく、それでも先を目指す。
しばらく歩くと、久しぶりの並木道(?)。
もしかしたら、水をふんだんに持っていたら楽しい道行だったのかもしれない。
行く手には地蔵岳の姿が。
登山道沿いにはところどころでツツジが咲いていて、空には雲ひとつ無い。
でも、そんな情景よりも、僕の頭の中は水のことでいっぱいだった。
残念である。
12:19、嫁越峠に到着。
顕著な鞍部である。
こんな風景、確か奥秩父で見たことあるぞ???
峠からは再び上り返し。地蔵岳の山頂に続く道だ。
疎林と笹原と青空。
この、長くてなだらかな尾根の、ひと際なだらかな場所が「天狗の稽古場」だ。
天狗の稽古場という名前から連想するのは、幼き頃の源義経が稽古に励んだ鞍馬山なのだが、それとは全く違った風情だ。
ただただ長閑である。
その向こうには、地蔵岳のなだらかな山頂が見える。
12:48、地蔵岳の山頂に到着。
水をひと口、舐めるように飲む。残り僅かな水を見ながら、本当に持経まで無事にたどり着けるのか不安に苛まれる。
山頂には、金色の小さなお地蔵様が置かれていた。
また、山頂標には「子守岳」の字が。地蔵岳のもうひとつの名前である。地蔵といえば子供の守り神なので、このような別名があっても違和感は無い。
山頂から行く手を眺める。
やはり山しか無い。
再び尾根歩きを再開。
道端に、不自然に葉っぱの固まった小さな樹木があった。
最初、まっくろくろすけでもいるのかと思った。
この後も2、3回、この奇妙な樹木を見かけたが、いったい何という植物なのだろうか。
道端の樹木といえば、ちょくちょく見かけるこの花。
殺風景なこの道の、数少ない華なのだが、特殊な匂いがする。
あまり愉快ではない。
うーむ。
なだらかな尾根道を、ただただ歩く。歩く。
13:13、道標が見えた。
道標には「般若岳」と書いてある。
どう見てもここはピークではないが、すぐ上に見えるピークが般若岳の山頂なのだろう。
立派なツツジの横を抜けて、
再び稜線を歩く。
南奥駈に入ってから度々見かける、「第○次 刈峰行」と書かれた札。
こんな笹原では、ちょっと放置したらすぐに笹薮になってしまうだろう。
新宮山彦ぐるーぷがこうしてメンテナンスしてくれているから苦も無く歩けるのだ。
だが、歩いている最中は、ありがたさを感じつつも、あまりに変化のない尾根道に、いい加減飽きてしまう。
飽きて久しい13:31、滝川辻に到着。
この先で登山道周辺の植生が少し変わり、赤い幹の樹木が密生していた。
13:43、道は1317ピークをきっかけに方角を少し東よりに変える。
このピークを降りはじめると、次のピークである涅槃岳が見えてきた。
その三角形の頂点を見ながら、渇きにあえぐ僕は思ったのだ。
きっと自分は、あそこで涅槃を迎えるに違いない、と。
まさか自分の最期が渇死だとは、これまで考えたこともなかった。。
ヤマケイ文庫で読んだ『サハラに死す』を思い出す。
『岳』の、サンポが遭難して樹木の折れた枝を蛇口と幻視してしまうシーンを思い出す。
いろいろなシーンが断片的に頭をよぎっていく。
山は山、人は人。
このカンカン照りの4時間半で、500ml少々しか水分を摂取していない。
残る水は500mlとちょっと。
水場まではこの後、主だったピークだけでも、涅槃岳、証誠無漏岳、阿須迦利岳と、3つも越えなければならない。
たどり着ける気がしない。。。
そんな僕には関係なく、単調な尾根はひたすら続く。
山は山、人は人。
14:11、剣光門(拝み返しの宿跡)に到着。
道標では「剣光門」と書かれているが、「山と高原地図」や石柱には「乾光門」の字が当てられている。
やはりみんなこのあたりで、「乾」に苦労しているのだろうか。
早く下山して生ビールが飲みたい。
せめて生ビール飲んでから死にたい。
ちなみに、ここを「剣光門」ないしは「乾光門」とするのは後世の誤りであるとするのは『大峯奥駈道七十五靡』である。本来は、この先にある証誠無漏岳がそれに当たるということだ。
涅槃岳の上りに差し掛かると、再びあの赤い幹の木が密生していた。
あんまり東日本の山では見ない木だと思うんだけれど、よく分からない。
ジリジリ登る。
そして、14:53、涅槃岳の山頂に到着。
まだ生きてる。
またひと口水を飲み、登山道をたどって南西方向に下る。
すると、
なんだここは。
あの世への入り口か?
そうか、パトラッシュ、僕はもう疲れたよ。なんだかとても眠いんだ。
って、僕には犬の連れなんていない。
気を確かに持って先に進まなければ。
こんなところ、断じて僕にとってのルーベンスなんかではない。(参照)
すぐにまた見慣れた感じの尾根道になる。
もしかして、この同じような風景が繰り返し現れるのは、輪廻転生を表しているのか?
ということは、今僕は何度目の転生を迎えているんだろうか。
この稜線を、まるで僕を誘うかのように、小鳥が僕の10mほど前方を歩く。
度々僕の方を振り返っては、ちょんちょん跳ねるように登山道を歩くのだ。
仏道の話などには、よく動物たちに助けられて修行を全うする話などが出てくるが、まさにこれがそれなのだろうか。
しばらくして、まだ僕が力尽きていないことが確認できたからだろうか、小鳥は飛び去っていった。
しだいに、尾根道はぐいぐい上り斜面になる。
もうアカンと思った頃に、ピークが見えた。
15:30、証誠無漏岳の山頂に到着。
写真に指が入ってしまっているのは、疲れ果てて頭がボーーッとしていた証である。
『大峯奥駈道七十五靡』によれば、「証誠無漏」とは「清浄無漏」のことであり、清浄にして妄念の無いことを意味するとのこと。
さて、いよいよ、というべきか、やっと、というべきか、ここから先のルートは、「山と高原地図」でいえば裏面に入る。
それなりに感慨深い。
引き続きなだらかな斜面を歩く。
と、油断していたら、久しぶりにとんでもない道が現れた。
崩落したところにトラロープ1本張っただけのタイプだ。
大峰奥駈道に来てこの手の登山道は当たり前のように感じてきたが、水不足でフラフラしているところで出くわすと、なかなか心臓に悪い。
さらに、追い討ちをかけるように鎖場。
その先も、ここまでとは雰囲気の違う道が続く。
ここを登ってくるおじいちゃんとすれ違った。
話を聞くと、ここから先の水場が全くアテにならないので、水を7リットル背負ってきたという。
すでに重さに負けてバテている模様。
たしかに水が足りないのは不安だが、それにしても7リットルとは、、、
やはりこの山域では、水をどれだけ背負うかは、本当に重要な戦略である。
16:01、証誠無漏岳と阿須迦利岳の狭い狭い鞍部が現れた。
ここからは一気に登りかえし。
そして、16:14、阿須迦利岳の山頂に到着。
もはや写真もブレブレ。
なんとか、生きて最後のピークを越えることができた。
あとは持経ノ宿へ向かってひたすら下るだけだ。
水はもう3口分ぐらいしか残っていない。こんなもん、誤差の範囲。無いも同然である。
水が尽きるのが先か、持経に着くのが先か。
もう写真を撮っているような余力もなく、下る下る。
16:34、茂みの向こうに建物の屋根が見えた!
助かった! 持経に生きてたどり着けたんだ!
ここで水を調達して平治に向かうか、それとももう今日はここで一夜を過ごすか、逡巡しながら小屋を覗くと、なんと山上ヶ岳の山頂で出会った男性が小屋の中に居た。
これも何かの縁と思い、今晩はこの宿で過ごすことにする。
小屋の中には汲み置きの水もあったが、ちょっと日付が古いのと、どうせ時間もあることから、林道を400mほど下ったところにある水場まで汲みに行くことにした。
ヨタヨタと5分ほど歩くと、水場が現れた。
この先で林道が崩壊しているらしく、ここから先は行き止まりの旨がクドいぐらいに告知されていた。
行き止まりであることから、この水場のすぐ脇、林道にテントを張っているカップルがいた。
たしかに、行き止まりなのだから通行の邪魔にはなるまい。
考えたものだ。
そのカップルの会話がイヤでも聞こえる状況で水を汲む。
水量は十分に豊富。とはいえ、3リットル汲むのはなかなかに時間がかかった。
小屋に戻り、早速メシを食いながら、山上ヶ岳の男性と話をする。
その男性は、僕と年齢がだいぶ近いということが判明。
18時頃、1人の男性が小屋の扉を開けた。
泊まりたそうだったが、ほかの宿泊客がもういっぱいである旨を告げる。
いや、実際は全然いっぱいじゃない。
僕が居たのは端っこの方だったので詰めようが無かったのだが、おっさん数人がド真ん中を広々と占拠しており、かなり余裕があるにもかかわらず詰めようとしないのだ。
男性は諦めて外にテントを張ることにしたようだ。
楊子小屋のところでも少し書いたが、僕は無人小屋の類に宿泊するのが嫌いだ。
なぜなら、そこに宿泊している人全員がモラリストとは限らないからだ。
管理人が居るのなら、ある程度の抑止も効くだろう。テント場なら薄壁とはいえ隔離された場所だ。
だが、無人小屋のエゴイストは、始末に負えない。
まさに今回のような状況というのは、バリエーションを変えていくらでも発生しうるのが無人小屋の宿命である。
だから僕は、無人小屋に泊まるのを避けたいのだ。
なんとも後味の悪い思いを抱きながら、20時には就寝。
(「5日目 その1 笠捨山まで」につづく)
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