(この記事は「3日目 その2 楊子ヶ宿幕営まで」の続きです。)
5月2日。
やっぱり山の朝は早い。
3時すぎには目を覚まし、身支度を整える。
既に小屋の中でも出発の準備をしている物音がしている。
と、そのとき、
「なんでそういうことするんだ! 命に関わることだぞ!」
という年配男性の怒鳴り声が聞こえてきた。
あーあ、トラブルだよ。。。こういうのがイヤだから無人小屋や避難小屋に泊まるのは避けたいんだ。
5:05、出発。
小屋の前から見た空は、朝焼けが始まっていた。
今日は最低でも持経ノ宿、できればその1時間先にある平治ノ宿まで行きたい。
持経ノ宿まででも、コースタイムで約8時間。昨日までのペースを考えると、10時間ぐらいかかりそうだ。
が、きっと下り基調だし、コースタイムに近いタイムで歩けるのではないかという淡い期待もある。
何はともあれ、1歩1歩前に向かうしかないのだ。
まずは仏生ヶ岳へと登る。
なんてことない緩やかな上り坂だ。
そのうち、陽が登ってきた。
ダラダラと、なんとも長閑な斜面を上り続ける。
振り返ると、楊枝ヶ森と、その向こうには明星ヶ岳、八経ヶ岳、弥山などが見えた。
このあと、登山道は尾根のやや西側を歩くため、いったん太陽が見えなくなる。
そして、5:27、再度朝日が見えた。
1日に2度も日の出が見られるなんて、得した気分だ。
さて、この仏生ヶ岳の登山道は、特にキツい上りでもないのに、何故か山頂直下で稜線を逸れ、ピークに向かうのを止める。
このため、登山道はさらに緩やかになり、山頂直下をトラバースするのだ。
もういい加減、笹原は飽きたのだけれど、今後もしばらく続きそうな気配だ。
笹が密集するぐらいなので、樹木は疎ら。
そのおかげで釈迦ヶ岳がよく見えた。
あんなところを登らなければならないのかと思うと、むしろ見えなかったほうが幸せだったなと思う。
もちろん、見えるのは釈迦ヶ岳ばかりではない。
低山が見渡す限り続いている紀伊半島ならではの風景が、これ見よがしに広がっているのだ。
そして、こんな低山にも、雲海が発生していた。
いや、「海」というには小さすぎる。
その姿は、山々の間に取り残された湖のようだ。
ということは「雲海」ではなく「雲湖」というわけか。
・・・。
「雲湖」では、語呂が悪すぎるな。。。
気を取り直して、先に進む。
5:54、稜線に復帰。
ここが孔雀岳との鞍部かと思ったら、その手前に1つ、小さなピークがあった。
その小ピークをトラバース気味に巻きながら、
6:00、今度こそ、孔雀岳の手前の鞍部に到着。
ただただ、だだっ広い鞍部である。
6:22、鳥の水に到着。
写真では分かりにくいが、ちょろちょろと水が染み出していた。
「山と高原地図」に「渇水期には枯れることがある」と書かれている、この稜線に程近い場所で水が得られるなんて、すごい。
が、この事実が後に僕の判断を誤らせることとなる。
その先も、登山道は微妙に西側に稜線を外して伸びている。
このため、西側の展望は頗る良い。
そして、微妙に孔雀岳のピークも外している。
多分あの上が孔雀岳の山頂なんだろうなぁ。
だいぶゴツゴツした登山道ではあるものの、
崩れなさそうなので、安心して歩ける。
足元が確かだというのは、こんなにもありがたいことなのだなぁ。
6:33、釈迦ヶ岳と孔雀岳の鞍部に到着。
この鞍部からは、孔雀岳の山頂への道(というか踏み跡)がついているのだが、スルーして先を急ぐ。
10分ほど歩くと現れる、孔雀ノ覗。
覗いてみた。
確かに高度感はあるが、昨日の崩落箇所に比べたら足元がしっかりしている分、恐怖感は無い。
正面はさすがの視界。
鐺返し方面を見ると、やっぱり崖。
先に進むと、すぐに岩場が現れた。
トラロープが1本垂れている。
これを乗り越えると、釈迦ヶ岳が丸見え。
例によって倒木が道を塞いでいた。
視界は良く、日差しが暑い。
なんというか、殺風景な尾根だ。
登山道はいったん稜線を外れるが
7:13、やたら険しい場所に出る。
降りた先には蔵王権現と碑伝。
碑伝が風に飛ばされないように、石で押さえる芸の細かさ。
ここが橡の鼻らしい。
さらに崖を降りるが、特に難しくはない。
降りると再び笹原。
険しい切れ込みを尻目に、釈迦ヶ岳に少しずつ近付いていく。
7:24、さらに岩場を降りる。
7:29、絶壁が見えた。
まさかこれを登るのか?!
こっちは105リットル背負ってんだぞ!
そして、どんどん近付く岩壁。
これはもう絶望だ。そう思っていたら、
あれ?
なんと、ルートは岩壁を東側に巻いていた。
助かった、命拾いした・・・。
頭上にそびえる奇岩も、余裕で見上げて観光気分で進む。
だが、地図だとモロに稜線をトレースするように登山道が付いていることになっているので、トラバース気味にどんどん標高を下げていく現状に、非常に不安を覚える。
こんなに下げて大丈夫なのかなぁと心配していたところに、案の上、ロープが垂らされていた。
そりゃ、降りた分、登り返さなきゃいけないよね。。。
7:51、稜線に復帰すると、奥に釈迦ヶ岳のピークが見えた。
ここからが一苦労だった。
まず、7:59に現れたのが、泥の急斜面。
泥はカンベンして欲しいのです。
幸か不幸か、登っていくと、どんどん岩っぽくなる。
当然、足元は崖。
もういろいろ麻痺してきた。
崖っぷちの狭い道を歩き、
岩を上り、
やたら狭い尾根を歩く。
そして岩場を下る。8:11、見晴らしの良さそうな場所があった。
こういう場所を見つけると、立たずにはいられない。
実際、見晴らしは大変に良い。
でも、どこまでも山しかない風景なのは同じこと。ずっと代わり映え無し。
ここから先は、やや険しくはあるものの、単なる登山道だ。
ワイルドな登山道を進み、
ついに樹木の向こうに山頂が見えた!
8:22、釈迦ヶ岳の山頂に到着。
山頂には、お釈迦様の立像がある。
前田良一『大峯山秘録』によると、この立像は大正13年、一人の男によって担ぎ上げられた。
その男の名はオニ雅。
巨体怪力でならした強力で、素行があまり良くなかったらしく、地元では悪名を轟かせていたとのこと。
いかにも人間くさい話だ。
そのオニ雅が、命がけで運んだこのお釈迦様。といっても、信心からそうしたというよりも、あくまで強力の仕事として嫌々ながら引き受けた模様なども、同書には記されている。
そう知って見ると、なんとも趣き深い。
そんなことに思いを馳せながらお釈迦様を見上げていると、同じく山頂にいた60がらみの男性が話しかけてきた。
その男性によれば、
「秋になると、このお釈迦さんの中から羽アリが大量に出てきてなぁ。そりゃもうスゴイんよ。表面が真っ黒になるぐらい。きっと、お釈迦さんの手足となって働いとんのやろなぁ。」
とのこと。
あまり見たいとは思わないが、なんとも長閑で趣き深い。
来し方を見ると、仏生、楊枝、明星、八経、弥山と、山並が続いている。
下り斜面もやはり笹原。
8:37、古田ノ森方面への分岐が現れる。
これを直進すると深仙ノ宿方面へ。右折すると、千丈平かくし水という水場があるのだが、わざわざ寄り道しなくても、深仙に水場があるはずなので、直行することにする。
しばらく降りると、古田ノ森の稜線が見える。
9:13、笹原の向こうに深仙小屋が見えてきた。
建物が2つある。
手前の建物は祠。
中はこんな感じ。
祠の前には、護摩を焚くところか。
深仙小屋は、奥にある掘っ立て小屋である。
さて、ここで重要なミッションを果たさなければならない。
それは、水の補給だ。
が、水場がどこだか分からない。
近くにいたオジサンに聞いて見ると、あそこだと指を指された場所がこちら。
が、その男性が言うには、水は枯れているとのこと。
開いた口が塞がらない。
その男性が言うには、この水場はよく枯れるとのことで、彼はかくし水に寄って汲んできたそうだ。ファック。
もう僕の持っている水は、1.5リットルを切っていた。
次の水場は持経ノ宿。いったい何時間かかるんだ。
とはいえ、かくし水まで登り返すのはイヤだ。
昨日会ったジジイは、深仙、持経、平治の水は大丈夫だって言ってたじゃねーか。
なんだよ、ガセかよ!
やはり山で見知らぬ人の言うことを信じるものではない。クソ。完全に油断した。
そんなわけで、ここから渇きとの戦いが始まるのである。
(「4日目 その2 持経ノ宿まで」につづく)
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