(この記事は「2日目 その2 行者還で幕営するまで」の続きです。)
5月1日。
山の朝は早い。
が、この日の僕は少し朝寝を決め込んでいた。
前日、思うようにスピードが上がらず悔しい思いをしてフテ寝を決め込み、そのまま朝も寝坊することにしたのだ。
といっても、さすがに5時には起きた。
のそのそとテントから這い出すと、隣のテントはすでに撤収に取り掛かっていた。
そりゃそうだ。このあたりでは皆、出発は遅くとも6時前と相場が決まっている。
テントはビッチリと夜露に濡れていた。
周辺の草や落ち葉も濡れていた。
夜中に雨が降ったわけでもなさそうだし、昨日はまったくカラカラに乾いていたのに。
夜露に濡れる状況と濡れない状況の違いって、なんなんだろう?
そうこうしていると、山上ヶ岳山頂の男性が、出発に当たって僕のテントに寄ってくれた。
予定では楊子ヶ宿小屋泊まりだが、もし行けるようなら深仙小屋まで行きたいとのこと。
僕も今日は楊子ヶ宿泊まりのつもりである旨を伝えた。
皆が続々と出発していくのを尻目に、僕は軽く朝飯を食い、荷物をパッキングした。
そして、もうほとんどの人が出発した、7:09、僕も行者還避難小屋を後にする。
果たしてこの先の小屋でも、蛇口を捻ったら水が出るなんてことがあるのだろうか。
出発してすぐ、お地蔵様が道端に立っていた。
7:13、天川辻に到着。
なだらかな尾根道が続く。
来し方を振り返ると、行者還岳の姿が見える。
行者還岳の名前は、熊野側からアプローチした行者が、この山の南壁を登ることができずに帰ってしまったことに由来するとのこと。(『大峯奥駈道七十五靡』)
写真ではよく分からないかもしれないが、木々の間からはその絶壁がよく見えた。
翻って、進行方向右前方には、弥山が見える。
遠いなぁ。
稜線を進むうちに、次第にバイケイソウが増えてきた。
群生しているなぁと思いながら、なだらかな小ピークを越えていくと、ピークを越えるごとにどんどん密集しはじめ、ついには「これぞ群生」とでも言うべき光景が現れた。
これじゃもう、群生というよりも畑だ。バイケイソウ畑。
でも、お腹が痛くなるから食べちゃダメさ。
まだまだ続く。
バイケイソウ畑を抜けると、コケむした小ピークの向こうに、
ヨモギ畑があった。
こっちは食って食えないことはないが、あんまり美味しいものではない。
7:46、かつて分岐だったところに到着。
尾根を直進するように見える道は、かつては行者還トンネルの西口のほうに降りることができたのだろうが、今は通行止めのようだ。
どっちにしろ、その道には関係の無い僕は、道標にあるとおり南に伸びる別な尾根を進む。
何とも殺風景だ。
新緑であって欲しかった。
が、新緑の季節であればきっと、ヤマビルだのササダニだのがひどいんだろうな。
弥山の迫力はなかなか。
しかも、アホみたいな青空。
8:04、異常な角度で生える幹。
なぜこの一本だけ?
8:24、行者還トンネル西口へ降りる分岐が現れた。
もちろん、後ろ髪を引かれながらもスルーして尾根を先に進む。
お気づきかもしれないが、全く景色が代わり映えしない。
もはや飽きた。
8:32、一ノ多和に到着。
2012年の「山と高原地図」に載っている避難小屋(荒廃)は既に跡形も無くなっていた。
(2015年版には載っていない。)
地図だと一ノ多和に分岐があるかのように書かれているが、実際はちょっと先にある。
というわけで、8:38、行者還トンネル東口へ下る分岐に到着。
8;41、道端に唐突に民宿・白滝荘へ導く案内が打ち付けられていた。
ここらしい。
さらに先に進むも、代わり映えしない風景。
新緑の季節ちゃうんか。
8:49、微妙な分岐が現れる。
一方は稜線へ。一方はトラバース気味にどんどん下がっていく。
最初トラバース側に行ってみたが、あまりに下がるので不安になり、もう一度分岐まで戻って、稜線を確認してみた。
稜線に上がってみると、尾根道は明らかに踏み跡が薄い。
「山と高原地図」だと尾根上にルートがあるかのように書かれているが、2万5000分の1地図をよく見ると、たしかに尾根ではなく山腹をトラバースしている。不覚だ。
文句を言わせてもらうと、「山と高原地図」ではこういう表現になっている。
ルートは赤丸部分の1516ピークの上を通っている。
これに対して、2万5000分の1では
1516ピークには県境は通っているが、登山道は通っていない。
なんだこの差は。
そもそも、このトラバースにある看板がこんなにも朽ちてるから、正しい道か自信無くすねん。
そのトラバース道を進み、いったん標高を下げるも再び上り坂となり、なんとなく弥山に向かっているような気分になる。
このピークを越えたところで、見たくない風景が目に飛び込んできた。
代わり映えしないままに延々と続く、地味なアップダウン。
・・・もう帰りたい。
9:41、奥駈道出合に到着。
行者還トンネル西口から上がってきた人たちがたくさん居て、これまでの道と登山者の層が変わる。
明らかに日帰りピークハンターな雰囲気の人ばかりだ。
そのせいか、これまでよりも道が広くなる。
その道も、弥山が近付くにつれて、アップダウンが顕著になり、
ここがどういう場所なのかよく分からなくなってくる。
なんだろう、この風景は。既視感だけが付きまとう。
北八ヶ岳あたりで見たことあるような気のする風景だが、よく分からん。
10:12、弁天ノ森に到着。
この山域では、ピークに「森」と名付けられているケースが多々あるが、なぜピークが「森」なのか違和感があったので調べてみたところ、どうやら「森」はやはりその一帯の森を示すそうなのだが、ピークがその中心と見なされ、ピーク自体が「○○ノ森」と呼ばれているようだ。
ちょっとこの言語感覚は新鮮。少なくとも東日本のほうの山では聞いたことの無いネーミングだ。
10:36、やたらダダッ広いところに出る。
ここならテントも張れそうだ。
というか、この山域は、どういう運用になっているのかよく分からないが、テントが張れる地形にはどこでもテントを張っているようだ。
途中で話した登山者から聞いた話によると、釈迦ヶ岳の山頂にテントを張っている人を見たそうな。
東日本でそんなことをやったら、たぶん怒られる。
10:53、理源大師像が現れる。
何をした人かはよく知らんのだけれど、ここに詳しく書いてある。(正確性は担保できず。)
そのすぐ横に、聖宝の宿の道標。
理源大師の僧名が「聖宝」だったそうで。
いよいよここから弥山に向かってひたすら登る。
どんどん険しくなる。
そして、延々続く階段になる。
こんな道だが、登山者は多い。
弥山は思ったよりも、日帰り登山の対象として大変人気のようだ。
こちらは105リットルザック。ほかの多くの登山者はせいぜい30リットルザック。
悔しいかな、どんどん追い抜かれる。これじゃただの苦行だ。
すれ違う人々も軽快だ。
身奇麗で、下界の空気をまとっているように見える。
そんな人たちと、立ち話をすることもある。
僕が、ほかの奥駈の人たちよりも一層大きなザックを背負っているからか、話しかけられることが多かったのだ。
そんな登山者の1人、年のころは60代後半といったところか、山慣れていそうなオジサンと話をしたときのこと。
オジサンが言うには、この先、楊子ヶ宿の水場はアテにならんが、深仙、持経、平治の水場は大丈夫だとのこと。
まじかよ、今日はどうやっても深仙までなんて行けないから、楊子に泊まろうと思っていたのに!
手持ちの水だけじゃ全然足りないよ!
大峰奥駈道は、まさに水との戦いである。こんなにも水で苦労するとは・・・。
不安を抱えながら歩いているときに、さらに追い討ちをかけるような風景に出会った。
男連れの山ガールが軽やかに下山してきたのである。
2つに分けて束ねた長めの茶髪に、ツバ広の登山帽を被り、チェックのシャツとキュロットのような短めのショートパンツ。
もはや絶滅危惧種に認定されている、まさに絵に描いたような山ガールである。
まだ生存していたのか!
そして彼女は、すれ違いざまにシャンプー(もしくはコンディショナー)の香りを残していく。
嗚呼、もう下山したい。
下山すれば、己のTシャツから立ちのぼるアンモニア臭に顔をしかめることもなく、シャンプーの匂いも嗅ぎ放題なのだ。
下界にはもっと楽しいことがたくさんあるのに、なんでオレはここにいるんだ・・・。
様々な邪念が僕の脳裏を掠めていく。
そのたびに僕は立ち止まり、行く手を仰ぎ見て、諦めてまた歩き出す。
弥山の上りは、思ったよりも長い。
しかも、ほとんどが樹林に囲まれて眺望も無い単調な登山道なので、どうしても黙々と歩くことになる。
このため、どうしてもツラツラとどうでもいいことを考え始め、しかも疲れているので、そのときに思い至った事について何かの真理に到達したかのように勘違いすることもある。
だが、このときはもはや思考力も無くなり、頭の中に古いJ-POPが流れるに任せている状態だった。
それは主に、ドリカムの『うれしい!たのしい!大好き!』、スピッツの『空も飛べるはず』、ミスチルの『CROSS ROAD』の3曲。
なぜこの3曲なのかは、僕にもよく分からない。特にファンだということでもない。
ひとつ言えるとすれば、僕が若かった頃に世間的にヘビーローテーションされていた曲であるということ。
極限状態になると、普段意識したこともない記憶が脳の奥から引っ張り出されるのかもしれない。
標高を上げるごとに、樹木の疎らな場所が現れるようになる。
こういう場所は広い展望を得られるのだが、
ただただ低い山々が連なるばかりの風景。
やっぱり紀伊半島にはこういう山しか無いらしい。。。
さらに登る。
12:11、斜面から突き出している場所があった。
これが国見八方睨か? (←違うらしい)。
その後もしつこく続く階段。
さらに、角度が緩すぎて歩きづらいハシコを経て、
12:27、弥山の山頂に到着。
行者還小屋から5時間半近くかかってしまった。
こんなことでは先が思いやられる。トホホ、、、
山頂には、このルート唯一の営業小屋が建っている。
なので、トイレも立派。
そう、このルートの避難小屋にはトイレも無いことがあるので、こんな立派なトイレはなかなかお目にかかれないのである。
さらに、こちらは冬季小屋か。
営業小屋はその隣に写る壁のほうだ。
昨日小笹ノ宿で出会ったオジイサンが、今日はこの小屋を予約していると言っていた(という話を人から聞いた)ので、きっと管理人がいるはずだ。
そう思って営業小屋に入って呼びかけてみたが、全然反応が無い。
ここで水を手に入れなかったら、楊子の水場がアテにできない以上、山行が詰んでしまう。
どこかに雨水でも溜まっていないか、ウロウロしてみたが、
どうもそういう場所は無さそうだ。
いよいよ途方にくれる。
営業小屋の前のベンチに座り込み、このあとどうすべきかの答えの無い自問自答に明け暮れている間にも、何人もの人が営業小屋に入っては、すぐに諦めて出てきた。
これは本当にいよいよダメかもしれん。
そう思ったとき、白人男女の2人組が、営業小屋に入っていき、その後、なかなか出てこない。
あれ、もしかしたら?と思い、僕もプラクティパスとサイフを持って営業小屋に入ってみた。
すると、小屋番と思われるオジサンが白人男女に水を渡しているではないか!
僕も、ここで会ったが百年目と、懇願するように小屋番に水を分けてくれるようお願いする。
1リットル100円。2リットルお願いして200円を払った。
小屋番が水を汲んでくる間に、ふと壁に目をやると、「ジュース 300円」の記述が!(※値段の記憶はちょっとあやふや。たしか、水と合わせてちょうど500円だったような記憶。)
またもや懇願するようにコカコーラをお願いする。
実は、今日はずっとこの小屋でコカコーラが買えることを期待して歩いてきたのだ。
そのコカコーラを、なんとか手に入れることができ、この山行始まって以来の心からのガッツポーズをせずにはいられなかった。
CMソングの『私以外私じゃないの』が頭の中をぐるぐる回る。
ひと口飲むごとに、体に力がみなぎる。
やっぱりコカコーラにはヤバい成分が入っているに違いない。
水とコーラを手にするために大幅に時間を食ってしまったが、このコーラは値千金である。
この分なら、この先の行程が非常に楽になるはずだ。
13:02、弥山山頂を出発し、大峰奥駈道最高峰・八経ヶ岳へ向かった。
(「3日目 その2 楊子ヶ宿幕営まで」につづく)
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