このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2015年5月9日土曜日

山行記 : 2015年4月29日~ 大峰奥駈道 1日目 二蔵宿まで



(この記事は「計画概要」の続きです。)


山の朝は早い。

昨日は仕事を定時に退勤し、パッキングを完了して就寝したものの、うまく寝付けなかった。
小学校のときも遠足の前日には寝付きが悪いほうだったが、それは今でも変わらないようだ。

早朝、105リットルのザックを背負って家を出る。
重いことは重いのだが、おそらく水を除いた重量で20kgに満たないぐらいかもしれない。思ったよりは軽い。
こいつを背負って約100kmの尾根道を歩きとおすのだと思うと、身が引き締まるというよりも、不安で押しつぶされそうになる。


新幹線、特急列車を乗り継ぎ、近鉄吉野駅に到着したのは11時前だった。

駅前には、お土産屋さんが数軒。
この向こうにケーブルカーの駅がある。

予定としては、ケーブルカーで上がった後に、バスに乗り継いで金峯神社のすぐ手前(奥千本バス停)まで行く予定。

11:04、ケーブルカーの駅に到着。

「ケーブルカー」なので、高尾山や御岳山や筑波山や黒部にあるようなやつを想像していたら、ちょっと思ったのと違ってた。
これはケーブルカーじゃなくて、ロープウェイとかゴンドラリフトとか言われるものじゃないのか? 軌道も無いし。
所変われば品変わる、というやつだろうか。
そんなことをブツブツと考えながらケーブルカーに乗り込み、上の駅(吉野山駅)に到着。
降りた目の前にバス停はあった。

が、バス停には、僕が乗ろうとしていた奥千本行きのバスは運行していないという意味の貼り紙が。

意味が全く理解できず、近くの土産物屋のおじさんに尋ねると、下千本から竹林院までの区間はこの時期、歩行者天国になるためバスの運行をしていないとのこと。
頭が真っ白になる。

さらにおじさんに問うと、近鉄吉野駅の駅前から、竹林院まで行く奈良交通のバスが出ているから、それに乗れば良いとのこと。

なんでそういう大事なことを、ちゃんと駅前でアナウンスしてないんだよ!
ケーブルカーとバスを運行している吉野大峯ケーブル自動車のホームページだって散々事前に見ていたのに、全然気付けなかった。
(あとで見てみたら、小さく、「春の期間は竹林院前⇔奥千本間の運行になります。」と書いてあったが、なんでそんな大事なことを、目立たないように、しかも「春の期間」なんていうアバウトな書き方するんだよ!)
いろいろ不親切すぎるぞ。

結局、竹林院まで歩くのか、それとも吉野駅まで下ってバスに乗るのか。その二者択一である。

そして、根性無しの僕は、吉野駅に戻ることを選択。
道端のシャガがとても綺麗なのに、全く心に響かず。
雨までパラついてきて、全く歓迎されている気がしない。
先が思いやられる。


その後、吉野駅前からバスを乗り継ぎ、12:15、奥千本バス停に到着。
バス停のすぐ目の前が金峯神社のドデカい鳥居だ。
この鳥居をくぐり、舗装された坂を、金峯神社に向かって黙々と歩く。

この坂道の途中の見晴らしの良いところからは、おそらく五條の街だろうか、下界が見える。

12:28、金峯神社に到着。

説明書きもある。

持参した昼飯を食べて、12:45、いよいよ出発。
歩き始めは綺麗な石畳。

12:48、分岐が現れる。
石畳を直進してしまうと西行庵に至る模様。
学生時代に西行の歌集『山家集』を読んで以来、西行には多少の縁を感じているのだが、スケジュールがタイトなので西行庵には寄らず。
左に折れる。

左への道には、「弘法大師の道」という道標もある。
トレランの大会だっけ?
名前だけは聞いたことがあるのだが、実際どういうものなのかはよく知らない。(詳細はこちら

ここからは石畳をはずれて、トレイルになる。
両サイドを土手のように覆われた道は、風が全く通らず蒸し暑い。まだ4月だというのに、すぐに汗が噴出す。

が、そんな状況も長くは続かず、すぐに開けた場所に出た。
宝塔院跡だそうな。
奥には、この宝塔院を建立した報恩大師に関する説明書きもある。

その先も、特に何の変哲も無いトレイルが続く。

12:58、分岐が現れる。
2万5000分の1の地形図には直進ルートしか載っていないが、青根ヶ峰のピークを経由するにはこの分岐を折れるようだ。

なお、この分岐には、旧女人結界がある。
今の女人結界は山上ヶ岳の手前まで後退しているのだが、昭和45年まではここが女人結界だったそうな。(『大峯奥駈道七十五靡』)

青根ヶ峰に向かう上りは、緩くて長い階段状のトレイルだ。

道端で見つけたギンリョウソウ。
実物を見るのは初めてだったので大興奮である。
あんなに高尾山に通っても見たことがなかったのに、まさか奈良県で見るとは。

13:04、あっけなく青根ヶ峰の山頂に到着。

さあ、さっさと先に進もう。

で、後で気付いたのだが、降り口を間違えた。
南南東に下りなければならないのに、なぜか北東に伸びる顕著な尾根を降りてしまったのだ。

実は、タチの悪そうなオッサン2人が本来の降り口の前に座り込んで談笑していたので、なんかちょっとイヤだなと思って、ロクに確認せずに道を選んでしまったのだ。
下りながら、踏み跡の薄さが気になって、本当にこっちでいいのかやや不安になるも、ほかに降りられそうな尾根も無さそうだったので、そのままさらに降りてしまった。

その誤ったルートを降りると、途中に雑な道標があった。
全く意味を読み取れない道標で戸惑うが、道標があるということは少なくとも全く見当はずれなところに迷い込んだわけでもあるまいと、少し安心する(してしまう)。

13:08、眼下にアスファルトの道が見えてきた。
なんだ、やっぱりこっちで合ってるんじゃん!と安堵するが、そもそもその安堵が間違いであることに後で気付くことになる。
よくよく考えてみれば、こんなところにこんな風に舗装道路が見えていること自体がおかしいのだが、認知バイアスとは恐ろしいものである。

ここまで来てなお、行く手を阻む巨大な倒木。
このルートはあまり多くの人があるくところではないのだが、大峰奥駈道は本道だろうと何だろうといくらでも倒木が道を塞いでいるということを、このあと数日に渡って思い知らされることになる。

13:09、舗装道路に出た。
そこにあった道標。
この道標の意味が分からず、途方に暮れる。
いったい自分はどこにいるんだ??
ここで初めて、どうやら道を間違えたことに気付く。

状況を整理すると、
858.1ピークが青根ヶ峰の山頂である。
その山頂から、本来は青い矢印の方向に降り、青い丸の地点で舗装道路に合流しなければならないのだが、僕は、赤い矢印の尾根を降りて赤い丸の地点に至ってしまったのである。
この赤い丸の地点にある道標が、上掲のものだ。

(なお、上の地図には青根ヶ峰の山頂に至る登山道が記載されているが、僕の手持ちの地形図には載っていなかった。)

地図とコンパスを見比べてしばし考えた挙句、5分ぐらいかかってやっと上記の赤丸に居るということに気付く。
不覚である。

やむなく、アスファルトの道を青丸地点に向かって歩く。
無駄に標高を下げてしまったため、道は緩やかな上り基調。
徒労感が全身を覆う。

13:17、やっと青丸地点に到着。
道標が墓標に見えるような気分だ。

青丸地点は展望が開けているのだが
ただひたすらナギの海のように低山が連なっているだけの眺め。
紀伊半島には山しか無いのだろうか。
奥多摩から見た富士山が恋しい。

ここから引き続き舗装道路を歩き、13:22、再び登山道へと誘われる。

登山道に入ってすぐはフラットな尾根道なのだが、
だんだん登山道の両サイドが土手のようにせり上がってくる。
風が止まる。暑い。。。

この登山道は舗装道路と併走するように付けられているのだが、すぐにまた舗装道路に合流する。

しばらくまた舗装道路を歩き、13:44、分岐が現れる。
右に行くと黒滝村役場に至るようだ。
もちろん左に向かう。

奥に見えるのは四寸岩山だろうか。

13:52、再び登山道が現れる。

この分岐箇所に、一軒の小屋があった。
どうやら、運搬用モノレールの始発点のようだ。
このあとしばらく、登山道はこの軌道に沿うようにして伸びていた。

運搬用モノレールの軌道が敷設されているぐらいだから、そりゃ当然なんだろうけど、どこまで行っても木材系樹林である。まるで奥多摩の低標高地帯のようだ。
そして、こういう場所の典型として、勾配がキツイ。そりゃモノレール使うわなー。。。

14:06、試み(心見)茶屋跡に到着。
こんなに登ってから現れるのか。
「山と高原地図」を見た感じだと、舗装道路と登山道路の分岐のあたりにあるように見えたのだが。

ここからの風景も、海原ならぬ山原。
なんとも単調な景色である。
ただ、天気が回復に向かっているのが救いだ。
小雨がパラついてきたときはどうしようかと思ったが、これなら天気も保ちそうだ。

その後もソコソコの勾配を、軌道に沿うようにして登る。
が、標高を上げるごとに、登山道を境にして針葉樹と広葉樹に植生が分かれるようになってきた。

14:28、なんかのピークに出た。
このときは単なる小ピークかと思ってスルーしたが、後から考えるとこれが薊岳だったのかもしれない。

そのピークから先は、緩やかな稜線が続く。吹き抜ける風が火照った体をやさしく冷やしてくれる。
一瞬だけ、明るい広葉樹林帯の道だったのだが、すぐにまた暗い針葉樹林になってしまう。

15:05、四寸岩山の山頂に到着。
ここで、すでに薊岳を通過してしまったことに初めて気付いて愕然とする。
そうか、ここはロクに山の案内も無いルートなのか。
これは気を引き締めて歩かないと、簡単にロストしてしまいそうだ。

山頂からの景色は、
うん、まあ、こんなもん・・・。

こうして景色が単調なときは、足元の植物に救いを求めるのである。
といっても、季節が中途半端すぎて、あまり目を楽しませてくれる植物も多くない。

スミレ。

ワラビ。

僕は田舎育ちのため、子供のころは祖母に連れられてよく山菜採りに行ったものである。
それどころか、フキノトウなんて庭に生えていた。
そんな育ち方をしたものだから、有袋類のワラビーよりも、山菜のワラビを知るほうが断然早かった。
このため、小学校の頃にテレビで「動物園にワラビーを見に行く」というフレーズを聞いて、「なぜ動物園に山菜を見に行くんだ??」と混乱したことがあった。
ワラビを見るたびに脳裏に浮かぶ思い出である。

閑話休題。

ヤマザクラの花もまだ少しだけ残っていた。

四寸岩山の山頂から狭い尾根を下り、
15:20、どっちを指しているのかよく分からない道標が現れる。
どうも新茶屋跡への分岐のようだが、地図に無い道のようだ。
方角だけ確認して直進する。

この分岐のすぐ目と鼻の先に、足摺宿小屋がある。

小屋の手前には、なにやら祀ってある。
岩のてっぺんには小さな行者。

小屋の入り口はこちら。

小屋の中には、これまたなにやら祀ってある。
『大峯奥駈道七十五靡』によると、蔵王権現らしい。
この小屋は、いったいどこで寝るのだろうか。

さて、もともとはここに泊まるつもりだったのだが、まだ日が高いので、少し距離を稼ぐことにした。
二蔵宿を目指そう。

道は比較的なだらか。

ところどころで石灰岩が厳つく露出している箇所もあるが、特にそれを乗り越えなければならないわけでもなく。

途中、間伐の行き届いた針葉樹林を通る。
切り株を見てみると、年輪がほぼ同心円だ。
小学生の頃に読んだサバイバル入門みたいな本に、「年輪の広いほうが南だ」などと書いてあったことを思い出し、なんで子供向けの本はあんなガセネタを堂々と載せるのだろうかと、残念な気持ちになった。
(たしかに、日差しのよく当たる方向に年輪は広くなるものだが、それが南とは限らない。)

その後も相変わらず、広葉樹林と針葉樹林のパッチワークのような地帯が続く。

広葉樹林では、下生えに花が咲く。
名前は忘れた。

15:54、またもや舗装道路に合流する。
そこには広場のような場所が。
道端の看板の鳥瞰図によると、ここは四寸岩山と大天井ヶ岳の鞍部らしい。
もうすぐ百丁茶屋跡の模様。

ここから舗装道路はたどらず、広場に入り込むと登山道が続いている。
石柱には「九十丁」と彫ってあった。あと十丁で百丁である。が、一丁ってどれぐらいの距離だっけ・・・?

16:06、怪しく平らな場所が現れる。
もしかしたらここが百丁茶屋の跡だろうか。
確認する術も無いので、スルーして先を急ぐ。

斜面をトラバースするような道を抜け、
16:13、二蔵宿小屋に到着。
入り口は反対側。
小屋の中の造りを見ようと思ってドアを開けたら、先客が所狭しと囲炉裏を囲んでいて、びっくりしてすぐにドアを閉めた。テントを持参して、本当に良かった・・・。

小屋の前には祠が2つ。


テントは僕のほかに、ソロが1張、2人パーティが2張だった。それでもスペース的には幾ばくかの余裕があった。

トイレは別棟で設置されている。
バイオトイレなどというシャレたものではなく、ボットン式だ。
それ自体は全く何の変哲も無い古いタイプの山のトイレなのだが、大峰奥駈道ならではの特徴が1点見受けられた。
それは、なんとトイレの壁に真言が貼ってあることだ。そう、「オン バサラ・・・」というアレである。
後からある行者の方に聞いたのだが、行者はここで用を足すにあたり、この真言を唱えなければならないそうだ。
さすが現役バリバリの修験道の道だ。。。


さて、テントを張り終え、日が暮れないうちにメシを食う。
メシの準備といっても、アルファ米とフリーズドライのカレーなので、お湯を沸かすだけだ。

今回、お湯を沸かす道具として、新しいギアを投入してみた。
belmont製深型のチタン製シエラカップと、チタン製のフタだ。
これだと、軽量・コンパクトなだけでなく、目盛りもついていて無駄な分量を沸かさずに済み、燃料と水の節約ができる。
また、マグカップ型や通常のシエラカップと異なり底面が広いので、SOTOのマイクロレギュレーターストーブの五徳でも安定する。

そんなわけで、メシの準備完了。
尾西の2食分の白飯は最近生産されていないようで悲しい。今回は買い置きしておいたもの放出。
カレーはアマノフーズの「服部幸應推薦」シリーズ「香る野菜カレー」と「香るチキンカレー」を混ぜてみた。
なかなか旨い。

ちなみに、上記の深型シエラカップは、この食器の中にぴったり納まる。


さて、メシを食べ終わって、夕日を見ながらコーヒーを飲んでいたら、小屋から少し下ったところに幕営している3人組が僕のテントに寄ってきた。
どうやら、僕のテントに興味津々らしい。(去年、八ヶ岳でも「かっこいいテントですね」と声をかけられたこともあり、どうやらけっこう人目を引くテントのようだ。)
また、グラウンドシートとして敷いていたタイベックシートや、山と道のスリーピングマットにも興味があるようだった。

そんな3人組の1人は、なんとハンモックでの幕営だった。設営も撤収も手っ取り早くて楽だと言っていたが、ザックやシューズはどうしているのだろうか。
ビビィサックやハンモックの人は、ザックやシューズをどうしているのだろうかと常々疑問だったので、尋ねればよかった。その疑問を解決してくれる人だったかもしれないのに、思い返すと残念でならない。

そんな、装備四方山話をしているうちに、太陽が稜線に沈んだ。
持参したウィスキー(今回は気合を入れて「白州」にした)を舐めながら、テントで読書と洒落込もう。
と思ったのに、3ページ読んだところで寝落ち。
たぶん時刻は19時を少し回ったばかりの頃だっただろう。

山は夜も早い。


(「2日目 その1 山上ヶ岳まで」につづく)



0 件のコメント:

コメントを投稿