(この記事は「3日目 その1 弥山まで」の続きです。)
13:02、コカコーラ500mlを1/3だけ飲むにとどめ、弥山の頂上を出発する。
コカコーラは、炭酸が抜けた状態でもエネルギー補給に適しているので、ザックのショルダーハーネスに着けたボトルポーチに収納し、CCDのような摂取の仕方をすることにする。
さて、弥山の山頂から八経ヶ岳に向かう道の出だしは、非常に平坦。
ふと横を見ると、残雪が残っていた。
途中で出会った日帰り勢と立ち話をすると、決まって「雪渓溶かして飲めばいいよ」と言うのだが、浄水器を持っているとはいえ、こんな汚い雪を溶かして飲むのはイヤだ。浄水器が目詰まり起こしそうだし。
13:05、目の前が開け、八経ヶ岳す姿がドーンと丸見えになる。
ここから登るならまだしも、ここからいったん下がって上り返すことを考えると、テンションが下がる。
が、道はそんな僕にお構いなく、どんどん下がっていく。
僕の今後の人生もかくあるやと思わせるような、ダラダラとした下り坂。
山頂から10分で、鞍部に出た。
鞍部には、お約束のように石碑が置かれている。
もはや珍しくもなく、碑を読む気にもならない。
八経ヶ岳のピークに向けて上り返しが始まる地点には、鹿避けフェンスが張られており、登山者はゲートを開けて通過する。
このあたりはオオヤマレンゲの群生地らしいのだが、花が咲いていないとどれがそうなのかよく分からない。
ただ、ひとつ言える事は、フェンスの内側のほうが明らかに植生が濃いということだ。
フェンスの外側は草木がスカスカなのだが、フェンスの中に入ったとたんにビッチリ生えている。
さすが奈良。丹沢や奥秩父以上に鹿の食害が進んでいるに違いない。
13:26、道端に唐突に、古今宿を示す案内板が落ちていた。
黄色いペンキがハゲてしまってかなり読みづらく、碑伝(木の板のお札みたいなやつ)が無ければ確実に見逃していたが、間違いなく「古今宿」と書いてある。
(この場所も「山と高原地図」の記載とは一致しない。)
「宿」というぐらいだから、近くに平らな場所でもあるかと思って見回してみたが、目に入ったのは、登山道を塞ぐ雪渓だけだった。
さっきから登山道がやけに水浸しだなと思っていたのだが、どうやらここから溶け出した水が登山道を流れていたらしい。
雪渓に上がって歩いていると、すぐ近くで踏み抜いてしまう人が発生。
そんな真ん中歩いてたら、そりゃ踏み抜くよ。。。
などと冷ややかに見ていた僕も、トレッキングポールのゴムキャップを雪に持っていかれて、慌てて掘り出したりしていた。
13:29、オオヤマレンゲの保護区域の外に出るゲートに到着。
もはや網が破れ枠しか残っていないが、鹿相手ならこれで十分なのだろう。
ゲートを出て引き続き上るが、やはり保護区内に比べて植生が疎らだ。
土の露出している部分も明らかに多い。
やはり増えすぎた鹿は、ちゃんと食料としてありがたくいただくほうが良いのではないか。これではまさに『捕食者なき世界』である。
さすがにこれだけスカスカだと、ところどころで展望が得られる。
ここまでの行程の中で、眺望に満足したのはここが初めてだった。
これはなかなか良い。
さらに、乱雑ながらも緩やかな登山道を上がり、
山頂が見えてきた!
13:42、八経ヶ岳の山頂に到着。
山頂からは、明星ヶ岳(写真右)と、そのあと歩く稜線が連なっているのが見える。
長ぇな。。。
だが、このときの僕はコカコーラの力もあり、気持ちが前向きだった。しかも、ここは今回の山行の中で最高峰。ここからは基本的に下り基調なのだ。
気分はかなり前のめりである。
このままの勢いで、さっさと本日の寝床までたどり着こう。
八経ヶ岳の山頂から明星ヶ岳へ向かう道の出だしは、縞枯れ最前線であった。
縞枯れはシラビソの森で見られる自然現象なのだが、それでもやはり、ここまで立ち枯れていると心配になる。
若木が育っているようには見えないのだが、これでOKなのだろうか。
そんな縞枯れの道を歩くこと約15分、どう見てもピークじゃないところに「明星ヶ岳」という道標が立っていた。
ここは当然、山頂ではなく、弥山辻である。
道案内板にもそう書いてあった。
登山道は明星ヶ岳のピークを通っていないのだ。
少し進むと、山頂が分かりやすく見える場所があった。
あの一番高いところが、明星ヶ岳の山頂と思われる。
ここからは、禅師ノ森までひたすら尾根を南に、ずーーーっと下り斜面を歩く。
下り始めは視界も良い。
急というほどでもない細い尾根道は、気分良く歩けるものと思っていたが、なかなか一筋縄ではいかないのが長期山行。東側に、不安を煽るような黒い雲が次第に広がり始めた。
「急速に発達する」という感じでもないが、じわじわと濃くなってきている。
果たして幕営地にたどり着くまで天気は保つのだろうか。
登山道は、思ったよりも悪い箇所が多い。
ここでは、写真真ん中やや右に立っている立ち枯れの木の左側を登山道が通っている。が、写真で見てもよく分からないぐらい不明瞭だ。
もちろん、平穏な箇所もある。
が、進むにつれて崩落箇所がやたら目に付くようになってくる。
もはや、これは道なのだろうか。
あとで聞いた話だが、この登山道は毎年毎年どんどん崩落していて、毎年登山道を少しずつ尾根側にずらして付け替えているのだそうだ。
本当は尾根の上に付け替えるのが一番なのだが、国立公園のため、いちいち国土交通省に届出をしなければならず、しかも、よほどの例外を除いては、現登山道の範囲から何メートル以内でなければ移設を認められないということになっているそうだ。
このため、尾根に道を付ける申請をしても却下され続けているとのこと。
結果、毎年毎年、少しずつ尾根側に移設し続けているのだそうだ。
この日は天気が良かったから、慎重に歩きさえすれば大過無く通れたが、もし雨の日であれば、無事に通れる気がしない。
そんなヒヤヒヤしながら歩く僕には無関心を決め込んでいる楊枝ヶ森、仏生ヶ岳、釈迦ヶ岳。
15:01、従来の登山道と思われる道を塞ぐように、トラロープと道標が設置されていた。
そのトラロープに導かれながら歩くと、
結果、土の崖を登らされる。
いかにもモロそうな土の急斜面を、貧弱な手がかり(草やら、細い木の根やら)を掴みながら、無理やり登る。
スベってコケようものなら、奈落に真っ逆さまである。
途中には、引っかかったり止まったりするような箇所は無さそうだ。
なんとか登りきるが、心臓の鼓動がネズミのように早くなっていた。
地味なのに命の危険があるなんて、なんと割りに合わないルートだ。どうせ落ちるなら、こんな地味なところじゃなく、もっと主体的にリスクを取りにいった結果として落ちたい。いや、そもそも落ちたくはないんだけれど。
吐きそうになりながら息を整えていると、すぐ近くで数羽のカラスがギャーギャーとしつこく鳴き始めた。
もしかしたらオレ、死ぬのか?
思えばオレの人生、奥駈のここまでのルートのように、標高も低く地味でいながら、無駄にアップダウンが激しく、差し障りの多い人生だったなぁ。。。
って、こんなところで死ぬわけにいかん。あまりにカッコ悪い。
地味で差し障りの多い人生を送った僕の締めくくりとしてはちょうど良い感じのカッコ悪さではあるものの、さすがにこれはイヤだ。
先へ進むのだ。
ところで、今僕は、崩落箇所を尾根側に巻く道を登った。(登らされた。)
ということは、本来の登山道に戻るためにはきっと、似たような斜面をまた降りなければならないというわけだ。
そう、その降り口はすぐ目の前に待ち構えていた。
ここから見ただけで、常軌を逸した角度で道が付いているのが分かる。
上から覗き込むとこんな感じ。
こんな乾いた土の斜面、足を置いただけで滑ってしまう。
止むを得ないので、大して太くもない木の幹にくくりつけられたロープにしがみつく。
南無三。
なんとか無事に降りると、元々の登山道を塞ぐ道標が現れた。
元々の登山道は、こんなに歩きやすそうな道だったんだなぁ。。。
その先も、どう見ても登山道のすぐ脇で崖が崩れている箇所があった。
実際その場まで行ってみると、
見事なまでに、踏み後と崖のコントラスト。
これはアカンやつや。
もうこの道も、来年には無いに違いない。
こうして何とか土崖地帯を抜けたものの、もはや気持ちを使い果たしてしまった。
今日のうちに楊子ヶ宿にたどり着ける気がしない。
その手前の舟ノ多和が幕営適地だと「山と高原地図」に書いてあるので、水もあることだし、そこで幕営してしまおうかと考え始める。
15:22、尾根を風除けにできるような場所に、平らな場所を見つけた。
続いて15:24、こちらもテントを張りやすそうな場所だ。
さすがにまだ時刻が早いので、先に向かうことにする。
このあたりで、尾根道は、これまでの南南東から、南南西に折れ、比較的穏やかな登山道となる。
ここを過ぎると、広くなだらかな場所に出るのだが、そこで4人組の行者とすれ違った。
まだ開山前だから、このタイミングで行者に出会えるとは思っていなかった。
行者の1人は茶髪でロン毛のトッポい兄ちゃん。
もう1人は、長い白ひげのおじいちゃん。
ほかの2人は覚えていないのだが、その2人の容貌の振れ幅が大きすぎて、少し混乱した。
いろんな行者がいるものだなぁ。
その後も登山道はなだらかだったり、険しかったりするものの、
斜度は緩く、危険箇所も無い。
そのうち、僕と同じ年頃の男性が1人、追いついてきた。
聞けば楊子ヶ宿泊まりの予定だという。
せっかくなので連れ立って歩いた。
上空は、イヤな感じの雲に覆われていた。
僕らの頭上以外は晴れているのだけれども。。。
16:15、舟ノ多和に到着。
確かに、場所を選べばテントを立てられそうな気もするけれど、
なんかジメジメしてそうでイヤだ。
なんでこんなところを「キャンプ適地」だなんて推すのだろう。。。
さて、この地形を見て頓悟したのだけれど、たしかにここは舟のような形をした不思議な形の二重稜線になっている。見たまんまのネーミングだったのだ。
となると、ここにテントを張るということは、まさに船底の三等客室に寝るようなもの。余計に気が進まない。
一時はここで幕営を考えていたが、ここでの幕営は全く気が進まないし、時間的にも全然余裕なので、先程合流した男性と連れ立って楊子ヶ宿を目指した。
船底から稜線に上がってみると、雲の濃淡の影響で、山々に不思議な陰影ができていた。
船底から出るとちょっとした平坦地もあるので、幕営するならこういうところなんだろうなぁ。
どっちにしても、今の僕にとってはここに留まる理由は無い。
ここから小さなピークを1つ越えると、
楊枝ノ森が見える。
あのピークを越えるのかぁ、と呟いた僕に、連れになった男性が
「いや、地図を見ると、ルートはピークの手前を巻いてますよ」
と指摘する。
おおお、それは朗報!
俄然、足が軽くなる。
16:26、木の幹に「七面山」と貼っててあった。
写真に撮り損ねたが、この手前にあった石碑が「七面山遥拝所」だ。
このすぐ先で、道は稜線を外れ、トラバースする。
道は狭く細いが、ハッキリしている。
そのトラバース道を抜け、16:38、楊子ヶ宿跡に到着。
てっきりここに楊子ヶ宿小屋があると思っていたので、何も無い笹っ原に動揺する。
よくよく地図を見て、どうやら手前の低いピークの先に小屋がようだということに気付き、気を取り直して歩き始めた。
微妙に稜線を外してつけられた登山道を歩き。
16:47、やっと楊子ヶ宿小屋に到着。
連れ立った男性は小屋の中に泊まるとのことだったので、小屋前で別れた。
僕は小屋の裏に回り、テント場にテントを張る。
テント場は、せいぜいソロテントが3張立てられるかどうか、という程度の広さ。
が、今日はおそらく僕が独り占めだ。
設営していると、先程の男性が出てきて、小屋の中は中二階もあって広く、収容人数的にもまだかなり余裕があるという。
だが、もうテントを広げてしまったのと、テントのほうが気を使わなくて楽なため、このままここで幕営することにした。
しばらくすると、今度は山上ヶ岳で出会った男性が現れた。
彼も今晩楊子泊まりだそうだ。
楊子の水場は小屋から4~5分ほど降りたところにあり、問題ない程度には水が出ているとのこと。
どうやら、弥山で出会った爺さんの情報に踊らされてしまったようだ。
良くも悪くも、僕はまだ水が3リットルほど残っていたので、水場には行かなかった。明日は深仙で水を調達するので、出発時に2リットルあれば十分だろうとタカをくくっていたのだ。
(これにより4日目は本当にヒドい目に遭うのだが、それはまた後のお話。)
なお、この日の夕飯は、初めてクスクスを食べてみた。
調理手順は、ヤマレコに載っていた情報を元に、以下のようにした。
- 家を出るときに、クスクス1食分を塩適量と共にジップロックに入れる。
- 現地での調理開始時に、大さじ1杯のオリーブオイルを入れる。
- クスクスと同量の熱湯を注ぎ、ジップロックを閉じ、服などに巻いて熱が逃げないようにする。
- 5分経ったら、同じく持参したレトルトのペペロンチーノソースを入れて、混ぜる。
以上の手順により出来上がったのがこちら。
緑色なのは乾燥パセリ。うーん、美味そうには見えない。
念のため、バックアップとしてフリーズドライのなめこ汁もスタンバイ。
いざ、クスクスを実食。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
温かいうちは、美味いのか不味いのか、よくわからなかった。
とりあえず、ひと口ごとに首を捻りながら、エサだと思ってもりもり食べる。
が、次第に冷えてくると、どんどん不味さが浮き立ってきた。どんどん不味くなる。
それでも、食わなければ荷物になるので、無理やり口に詰め込む。結果、エヅく。おえっ。
それをなめこ汁で無理やり流し込む。なめこ汁は美味い。さすがアマノフーズ。
で、また、クスクスを口に詰め込む。エヅく。そして、なめこ汁で流し込む。
これを何セットかやって、疲れ果てて夕食を終えた。
ダメだ、今度からは毎夕食、アマノフーズのフリーズドライのカレーにしよう。何のヒネリもないけれど、そっちのほうが間違いなく幸せになれる。
口直しに、スターバックスのインスタントコーヒーを飲む。幸せ。
人心地着いたところで、寝酒を飲みながら本を読み、19時半には寝落ち。
歩くことと食うことと寝ることしかしない生活の3日目が、こうして終わった。
(「4日目 その1 深仙ノ宿まで」につづく)
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