大峰奥駈道とは→参考ページ
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大峰奥駈道という修験道の修行の道に興味を持ったキッカケは、もう覚えていない。ただ、何年も前から、いつかは踏破しなきゃならないような気がしていたことだけは確かだった。
そのために、大峰奥駈道を詳しく知ることから始めた。
知りたいことがあれば、まずは文献に当たるというのが僕のスタンスだ。
森沢義信 『大峯奥駈道七十五靡』
藤田庄市 『熊野、修験の道を往く―「大峯奥駈」完全踏破』
井賀孝 『山をはしる―1200日間山伏の旅』
坪井幸生 『熊野修験「奥駈け」同行記―熊野から吉野へ、祈りの道をゆく』
銭谷武平 『大峯今昔』『大峯縁起』
熊谷榧 『大峰を巡る』
前田良一 『大峯山秘録 花の果てを縦走する』
全部読んだ。
このほかにも、修験道や日本の山岳信仰に関する本も複数読んだ。
なんとしても、実際に我が足で歩かねばならぬ思いが強く募るばかりである。
が、普通にテント泊登山のスタイルで考えるなら、僕の足では山中5泊6日はかかる。
前後に東京・奈良間の移動日を加えると、さらに旅程が長くなる。
そんなに長く会社を休める機会は、無雪期にはゴールデンウィークぐらいしか無いわけで。
しかし、巡り会わせが悪く、なかなか実現できないで今年まで来てしまった。
2012年のGWは、その年の2月に父が亡くなり、忌中の穢れをまとったままで大峰の神域に立ち入ることが憚られて頓挫。
2013年のGWは、4月半ばに捻挫をして棒に振った。
2014年のGWは、その年の1月から続く原因不明のめまいにより、長期山行の計画すら立てられない状態だった。
そして、2015年である。
今度は3月に祖母が亡くなったが、もうこれ以上先延ばしにはできない。
ということで、無理やりに今年実行に移した次第だ。
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実際の行程はどうするのか。
本来、大峰奥駈道の七十五靡というと、吉野から那智までを指すのだが、それを全部歩き通すには休暇が足りない。
となると、吉野から入るにしても公共交通機関で入れるところまではそれで入ってしまい、ゴールは熊野本宮にしてしまいたい。
もちろん、前鬼には寄らない。
それだけ短くシンプルにしても、地図上の距離で約93km。
トレイルランならば100km程度のレースは多々あるので、距離だけ聞いても大したことが無いような気がしてくるが、この約100kmの間、当然エイドなんかあるわけが無いし、サポートを受けられるわけでもない。
それどころか営業小屋もほとんど無く、途中で補給できるのは生水だけと思っておくのが正しい。その生水でさえ、非常に限られた場所でしか補給できないのだ。
それを踏まえ、出発前に立てた行程は以下の通り。
1日目:
早朝に東京を出発。新幹線、特急列車、バスを乗り継いで、吉野の南、金峰神社の手前・奥千本まで。
そこから徒歩で足摺茶屋跡避難小屋まで。(途中、水場無し。)
2日目:
山上ヶ岳を経て、小笹宿まで。(小笹宿に水場有り。)
3日目:
大普賢岳、行者還岳、弥山、八経ヶ岳を経て楊子ヶ宿小屋まで。(楊子ヶ宿小屋に水場有り。)
4日目:
釈迦ヶ岳、地蔵岳、涅槃岳を経て平治ノ宿まで。(平治ノ宿に水場有り。)
5日目:
行仙岳、笠捨山を経て塔ノ谷峠まで。(塔ノ谷峠には水場無し。)
6日目:
玉置神社を経て熊野本宮に下山。
コースタイム的には、初日と5日目は行動時間が短いのだが、それ以外は10時間以上だ。
105リットルのザックを背負って歩くとなると、コースタイムからどれぐらいオーバーするか考えるだに怖い。
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装備は、普通の無雪期長期山行でOK。
ただし今回は、水場がかなり心もとないので、ちょっとぐらいひどい水でも飲まなければならないだろう。となると、やっぱり浄水器は欠かせない。
今回は、かつて奥秩父・奥多摩5泊6日縦走を行ったときよりも軽量でコンパクトな装備になっているのだが、楽にパッキングをするためにデカいザックを買った。
それが、オスプレーのジーニス105。
これに、山中5泊+熊野本宮での2泊を含めた装備を突っ込んでの旅立ちだ。
今回は旅のお供として、ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』上下巻(文庫版)を持参した。合計800ページに上る大作である。
これを、東京に戻るまでに全部読み終わるのが目標だ。
準備は万端。
あとは出発するばかりである。
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なお、「おおみね」の字は「大峯」を当てることが多いようだが、今回は信仰と修行のための山行ではなく縦走登山なので、「山と高原地図」の表記に準じて「大峰」とした。
あしからずご了承賜りたい。
(「1日目 二蔵宿まで」につづく)
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