このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。
2015年5月18日月曜日
山行記 : 2015年4月29日~ 大峰奥駈道 2日目 その2 行者還で幕営するまで(追記アリ)
(この記事は「2日目 その1 山上ヶ岳まで」の続きです。)
前半のハイライトの1つである山上ヶ岳を後にするべく、下りの道へと取り掛かる。
降り口には巨大な鉄下駄と錫杖。
ここまで来て、先に向かおうとしたとき、カメラのバッテリーが切れた。
充電用のバッテリーパックとカメラを接続している最中に、先程山頂で出会った男性がやってきた。
二言三言話をし、彼は先に下りていった。
僕もすぐに後を追うように下った。
道は、やっぱりアバウトな感じ。
もうここまでたどり着く間に、こういう感じの道には慣れた。
次第に道は顕著な尾根を通るようになる。
谷側を見ると、残雪もところどころにあり、
そこから吹き上げる風は、ヒンヤリと心地良い。
その後、尾根は次第に広くなだらかになる。
多分このあたりが地蔵岳なんじゃないかと思って歩いていたのだが、特に地図で確認することもなく先を急いだ。
11:14、投げ地蔵の標識が現れる。
だが、どこにお地蔵さまが居るのかもよく分からず。
周辺を見渡したが、まさかこの石が地蔵だってことでもないだろうし・・・。
諦めて先を急ぐ。
特に趣も無い道をしばらく歩くと、
道端に石垣が現れる。
人工の構造物がこんなところにあるということは、小笹宿が近いのかな?
と思っていたら、11:30、小笹宿に到着。
岩の庇の下には行者像。
小さな小屋もある。
さて、入山前の予定では、2日目の宿はここにする予定だったのだが、いくらなんでもまだ日が高い。
もう少し距離を稼ぐことにする。
だが、ここで水だけでも手に入れておかないと、この後の行程が地獄である。
というわけで水場に行ってみると、
えええええええええ、、、、、、、これが水場なのーーー・・・・・・。
一応流れてはいるけれど、これはそのままダイレクトには飲みたくない。。。
が、この先のルートにある水場といえば、行者還岳の基部まで行かないと無い。
なんだこの罰ゲームは。。。
が、僕は今回、こんなこともあろうかと、SawyerというメーカーのSawyer MINIという小型の浄水器を持参している。これを使えば、気分はともかく、病気になることはあるまい。
というわけで、1リットルと少しだけ汲む。
(この中途半端な汲み方が、後々アダを成すこととなる。)
ともかくも、11:45、小笹宿を出発する。
小さな沢沿いを上がるような登山道をたどると、
勾配がきつくなり、急に登山道が荒れ出す。
樹林帯の中を登山道が突き抜けているのだが、突き抜けきれずに倒木やぐちゃぐちゃの雪渓に阻まれている箇所が複数現れる。(写真どころではなかった。)
まともに登山道がたどれないため、已む無くヤブの中を巻く。
ルートを見つけ、105リットルザックを枝に引っ張られながら進む。
何故か僕の後ろに4人の登山者がピッタリ着いてくる。
ラッセルしているわけではないけれど、なんとなく損な役回りを押し付けられているような気分になる。
ヤブを漕ぐこと約5分、登山道に復帰できたが、疲れて道端で休憩。
すると、後ろにピッタリくっついて来た連中は、何も言わずに先に行ってしまった。
登山道はすぐに尾根筋に出たのだが、そこはシラビソの立ち枯れの道であった。
道の荒れ具合といい、シラビソの立ち枯れ具合といい、甲武信ヶ岳以東の奥秩父主脈を歩いているような気分になる。
というか、奈良くんだりまで来て、奥多摩とか奥秩父の地味な部分を繰り返し見せられているようなこのルートはいったい何なんだろうか。これなら、奥秩父・奥多摩の主脈歩いてりゃ交通費もかからなくて良かったじゃないか。
非常に残念な気持ちになった。(感想には個人差があります。)
そのシラビソの間から、怪しげな山体が見え隠れしているのだが、もしかしてあれが大普賢岳なのだろうか。
なんだか、少し遠すぎやしないか?
その先も、奥秩父の東破風山のような稜線を歩き、
12:25、女人結界の門に到着。
女人結界からは、広い尾根を下る。
道がハッキリしなくて、方角と地形を頼りに歩く。
すると、次第に登山道がハッキリしてくる。
12:34、脇ノ宿跡と思われる場所に到着。
笹原を進む。
笹原を進む。
どこまで行っても笹原。
道端にシャクナゲの木が目に付くようになる。
このあたりは、シャクナゲの季節に来たら綺麗なんだろうな。
来ないけど。
尾根を歩いていたら、左手に尖った岩峰が見えた。
きっと名前があるんだろうけど、調べようが無い。
道はなんだかワイルドな感じになってくる。
13:25、急に再び、笹原に出る。
こんな場所にも残る雪。
13:30、経函石との分岐が現れる。
すでに経函石を見ていく余力も気力も無かった。
多分小普賢岳を登っているのだと思うのだけれど、なんか、やたらシンドイ。
13:43、これまでも度々目にした黄色い道標が、天理大学のワンダーフォーゲル部によるものであることに気付く。
天理教って、修験道と関係あるんだっけ・・・?
気のせいか、大きい岩があると、必ず木製のお札のようなものが大量に置かれている。
なんの儀式なのかはよく分からない。そのうち調べてみる。
いつまでも続く笹原。
うー、、、、
大普賢岳が近くに見えてきた。
13:55、大普賢岳のピークを巻く道との分岐に到着。
すでにヘトヘトだったので、巻き道に強く惹かれるも、すでに大天井ヶ岳を心ならずも巻いてしまっているため、これ以上巻くわけにはいかない。
というわけで、大普賢岳のピークに挑む。
めまいがするような登り。
ここからどんな風に登ったか、すでに記憶に無い。
気付けば、14:03、山頂に到着した。
そして変わり映えのしない眺望。
14:05、下山開始。
目の前には、これから向かう稜線が延々と続く。
ゲンナリだ。
本当に紀伊半島には山しか無い。
ズンズン下る。
だんだんとなだらかになる。
鞍部の狭い稜線は視界が開け、ここまでで一番の眺望が得られた。
そして、何故か倒木の上に揃えて置かれた草鞋。
この草鞋の持ち主はどうしたんだろう?
14:29、ちょっとしたピークの脇を通り、
また下る。
道の先に、なんだかヤバそうに尖がったピークが見える。
あれが国見岳だろうか。
絶望しか感じない。
地図によれば微妙にピークを避けて登山道が通っているようだが、あの向こうの向こうまで行かなければならないのだ。
そして、あのピークの向こうに、難所・薩摩転げがある。
地味に体力を削られていく。まるで、生爪を一枚一枚ゆっくりと剥がされているような気分だ。
なんでこんなところに来てしまったのだろう。
道は、嵐の前の静けさのように、なだらか。
14:55、雑な道標があった。
ここがピーク直下の曲がり角だ。
そのすぐ先で下りが始まり、そこからは延々と先に続く稜線が見えた。
見なきゃよかった。
15:00、ついに薩摩転げが始まる。
薩摩転げは、大キレットのようにずーーーっと危険箇所が続くというよりも、地味に断続的に意地悪な鎖場が現れるといった感じ。
なので、単なる急坂の箇所もある。
だんだん本格的な鎖場になっていく。
こんな足場も。
なんかもう、何がなんだか。
降りてから仰ぎ見ても、何がなんだか。
終わったかと思っても、しつこく続く。
15:14、やっと薩摩転げを抜ける。
すると、そこはやけに苔むした場所だった。
登山道はここで稜線をまたぐように、反対側に出る。
そこには、ちょっとした平地が広がっていた。
ここが稚児泊まり。
「山と高原地図」で「泊まりによい台地」と記されている場所だ。
確かに、尾根がちょうど風除けになってくれる上に、西側の展望も良い。
しばし、ここで宿泊するか迷う。
ここに泊まらないとすれば、行者還避難小屋まで、おそらく幕営地は無いだろう。
そこまで、コースタイムにしてあと2時間ぐらいか。もはや今のペースでは、2時間では歩けまい。
が、しかし、ここに泊まろうにも、水の残りがあと1リットル程度。
一晩を過ごした上に、さらに2時間先の水場(行者雫水)までたどり着ける量じゃない。
いかに残念な水であっても、小笹宿の水場でもう1リットル汲んでおけばよかった。。。
となると、こんなところでとどまっているわけにはいかないのだ。
幸い、日没は18時過ぎ。まだ3時間ある。
行者還を目指して歩くのみだ。
そう決めたら、ここに留まっている理由は無い。
稜線に向かい、登り返す。
再び尾根歩き。
行く手には、なんだかすごくギザギザした尾根が続いている。
15:35、登山道脇が切れ落ちて、深い窪地になっている場所が現れた。
底にはまだ雪が残っていた。
ここが七ツ池らしい。
ここからルートは、ピークを避けて、下るようにトラバースする。
ハシゴを使ってさらに降りる。
さらに、鎖場もある。
降りてから仰ぎ見ると、なかなかの岩場。
いよいよ七曜岳への登り返しに入ると、道はかなりワイルド。
なだらかな為、かえって登りにくいハシゴを登り、
鎖場を登り、
崖に架けられた渡し廊下を通り、
さらに岩場を登って、
15:59、七曜岳の山頂に到着。
もうこんな時間か。
モタモタしてられない。
先を急ぐ。
急登を登って来たのだから、そりゃ降りるのも岩場だわなぁ。。。
さらに鎖場は続く。
そして、細い道に出た。
16:09、和佐又への分岐が現れる。
このとき、すでに僕はこの山行始まってから何度も脳裏に浮かんだ言葉を繰り返していた。
「なんでこんなところに来てしまったのだろう。。。」
こんなにも長く、こんなにも地味で、こんなにも退屈な場所。
もうウンザリである。
と、そのとき、目の前、20mも離れていないであろう場所を、登山道を横切るように、鷹が音も無く通り過ぎていった。
頭上ではなく、目線の高さである。
ここはちょうど鞍部の狭い尾根になっているので、鷹にとっても通り抜けるのに都合が良いのかもしれないが、それにしても、こんなすぐ近くを鷹が飛んでいくなんて、何かの吉兆なのだろうか。
まるで自分が説話の中の登場人物になったような気分だ。
おかげで、幾ばくか気分も持ち直す。
16:15、傾斜の無いハシゴが現れる。
傾斜が無さ過ぎて橋のようなのだが、歩きにくい事この上ない。
せめて横木を平らにしてほしい、、、
さらに狭い道を通り、
16:09、またハシゴが現れる。
こういう角度の緩いハシゴは歩きにくいからカンベンして欲しい。
そして、道を塞ぐ太い倒木。
これで何本の倒木を乗り越えて来たのだろうか。
こんなところも、奥秩父の人通りの少ない登山道にそっくりだ。
17:09、行者還に無事到着できるのか不安になっているところに現れる遭難碑。
全てがことごとくアウェイな感じ。
17:23、殺伐とした気持ちでたどり着いた、行者還岳のピークへ向かう道と、巻き道との分岐。
無念ではあるけれども、もうタイムオーバーだ。
山頂は諦めて行者還避難小屋へ向かう。
巻き道は、心なしか寂しい。
17:31、この期に及んで、ハシゴの段が抜けている。
その後、ガレた階段を下り、
17:36、行者雫水に到着。
ここの水場は、本当にちょろちょろしか出てなくて、1リットル溜めるにも5分以上かかる。
ここに、なんと僕の前に5人もの登山者が水の補給のために並んでいた。
ここでひたすら待ちぼうけ。
やっと順番が回ってきたのは18時を過ぎてからだった。。。
とりあえず、手持ちの水を2リットルまで増やし、あとは明日どこかで補給することにする。
早くしないと、行者還小屋にたどり着く前に日が暮れてしまう。
水場を立ち去り小屋に急ぐも、崩落箇所もあるような悪路に足をとられ、スピードが上がらない。
そして、ついに小屋が見えた。
結局小屋に到着したのは18:21。
今まさに、日が沈もうというタイミングだった。
一応小屋の中を覗いてみたら、大変な混雑ふり。
やはりテントを張って寝ることにする。
幕営地は、小屋の裏にあったが、結構狭い。ソロテントを3張も広げたらもういっぱいではなかろうか。
幸いにも、僕のほかには2名のテントがひとつだけだった。
テントを張り、寝床をつくっていたら、小屋の中から、山上ヶ岳で出会った男性が出てきた。彼もここに宿泊していたのだ。
彼が言うには、小屋の中にある蛇口を捻ると、水がじゃんじゃん出てくるとのこと。
そして、すぐ傍らにある蛇口を指し、
「きっとこれも水出ますよ」
と。
実際、捻ってみたらエラい水圧で水が出る。
(後で知ったことだが、行者雫水から管を引いているのだそうだ。)
僕の行者雫水での苦労は何だったのだ・・・。
なんだか疲れきって、メシの準備をする気力も湧かず、持参したビーフジャーキーとミックスナッツとウィスキーでクダを巻いて、20時には就寝した。
ただ、今日のがんばりで、明日の行程はかなり楽になったので、朝はゆっくりでいいだろう。
(「3日目 その1 弥山まで」につづく)
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