このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2014年10月18日土曜日

山行記 : 2014年10月11日~ 南八ヶ岳 赤岳・阿弥陀岳 2日目 縦走本番



(この記事は「1日目 美濃戸口~行者小屋」の続きです。)


山の朝は早い。

例によって、何度も夜中に目が覚めた。

その間に様々な夢を見たが、最終的には、スーツを着たキツめのメイクのメガネ美女に激しく罵倒され満更でもない気分になる、というヒドい夢で目が覚めた。
メガネ美女のスーツはなぜか少しだけ袖丈が長く、全体のキリッとした雰囲気とは不調和だった。この袖丈はいったい何を暗示していたのだろうか。

時計を見ると午前3時半。行動開始の時刻だ。
連れに声をかけると、すでに起きていたようだ。
後で聞いた話によると、あまりよく眠れなくて、ちょっと前から起きていたそうだ。

シュラフから上半身だけ出して、アルファ米にお湯を注ぎ、ボーーーっと待つ。
待ってる間、特に何もすることが無い。
20分ほど待って、ご飯を食器によそい、お茶漬けのもととお湯をかける。
ズズズッと、ゴハンごとすすってみる。けっこうイケる。やはり朝はお茶漬けだな。

荷物を最低限のものに絞り、残りは全てテントに残していく。
サブザックは持ってきていないので、グレゴリー・バルトロ75をキリキリにコンプレッションして背負った。(ちなみに、剱岳の時もこのスタイルだった。)
バルトロ75は自重が2.5kgもあるが、背負いにくいペラペラのサブザックを背負うよりは余程良い。

4:30、まだ真っ暗な中を、テントから這い出して登山靴を履いた。
フライシートの裏は見事に凍っていた。

今日の行動予定は、まず、地蔵尾根から地蔵の頭に上がり、稜線上でご来光を眺めながらコーヒーを飲むところから始まる。
その後、赤岳山頂を経由して、中岳、阿弥陀岳と縦走し、中岳のコルから行者小屋に降り、テントを撤収して美濃戸口へ下山する。


4:41、いよいよ出発。地蔵尾根ルートの入口に立つ。
道標。

歩き始めてしばらくは樹林帯が続く。
クマに鉢合わせしないかドキドキしながら、辺りをヘッドライトでやたらと照らす。
足元は決して歩きやすいとは言えない、ゴロゴロの道。

5:04、最初の階段が現れた。

5:15、不思議な固め方で整備されている登山道が現れた。

西側には、下界の明かりが見えた。
もちろん、僕のカメラではまともに映らないが。

阿弥陀岳と中岳のシルエット。
その阿弥陀岳の上には、月が。
この月が明るすぎて、輝きの弱い星は姿が見えなくなっていた。

5:20、再び階段が現れる。

横岳のシルエットが、なんか凶悪そう。
次第に空と稜線の境目が白んできた。

5:23、鎖場が登場。
ヘッドライトの明かりで岩場を見ると、なんとなく立体感が無くて登りにくい。

赤岳には赤岳山頂小屋の明かりが灯っていた。

5:28、地蔵登場。
暗闇に浮かび上がる地蔵は、なかなか怖い。
このまま六道輪廻から救われてしまいそうなぐらいだ。

この先も岩場は続くが、今までよりも格段に緩やかだ。

阿弥陀岳もシルエットだけでなく、陰影が分かるようになってきた。

横岳も東側が特に明るくなってきている。
もうすぐ夜明けだ。

地蔵の頭の道標が見えてきた。

赤岳や赤岳展望荘も見えてきた。
人がたくさん、東の方を見て立っている。
時計を見ると、ご来光にはギリギリ間に合いそうだ。

5:38、地蔵の頭に到着。

朝日はまだ昇っていなかった。

足元には霜柱。

日の出前にガスストーブの準備をして、ケトルを火にかける。
朝日を眺めながらコーヒーを飲みたいのだ。

そんな僕の心を見透かしたように、急激に赤く染まっていく空と雲。
嫌が応にも期待感を煽る。

そしてついに、ご来光。
奥秩父の稜線からジワジワと顔を出す太陽の姿に、唖然とする。
こんなにも美しい日の出を見たのは初めてだった。
こうしてこれを書いている今この瞬間も、その時の感動が蘇って胸が苦しくなる。

その右手には、雲海の向こうに富士山。

モルゲンロートの横岳。

しばらく呆けたように、朝日を眺めながらコーヒーをすする。
なんだろう、この景色は。

正直、これまでご来光を山頂から拝むことにこだわっているジジババを馬鹿にしてきたが、こんな素晴らしい風景を見てしまったら、ジジババのこだわりもあながち愚かとも言い切れないと思えた。
とはいえ、それが山頂である必要性は感じないが。眺めの良い場所ならどこでも良かろう。

20分ほど停滞した後、重い腰を上げ、赤岳へ向かった。

6:14、赤岳展望荘に到着。
ここから見下ろすと、行者小屋や赤岳鉱泉が見える。
この風景を見ると、3年前の八ヶ岳全山縦走の時のことを思い出す。

あの時は初日に観音平を出発し、険しい行程にコテンパンにされながらホウホウのテイで赤岳展望荘にたどり着き、もう帰りたいと弱音をメモ帳に書き連ねたあの日。眼下に見える行者小屋を見て、あっちに降りればその日のうちに下界に戻れるのだと考え、本気で逡巡したのが生々しい感覚として蘇ってくる。
それでもなんとか、全山縦走はやり遂げたからこそ、今もこうして八ヶ岳に来て美しい風景に感動することができているのだと思う。

赤岳展望荘を抜けて、赤岳の山頂を目指す。

最初はザレたツヅラ折りの道。

それが次第に岩場へと変わる。
岩場でストック。
それで大丈夫な人もいるだろうけれど、ストックを付くのに意識が行ってしまって足元が疎かになっている人をたびたび見かける。
危なっかしいなぁと思って、「ストック仕舞ったほうがいいんじゃないですか?」と声がけすることもあるのだけれど、そういう人たちは基本的に聞く耳を持たない。
本当に危ない人ほど、自分が危ないことをしているということに気付いていないことが多い。これは、登山に限らず全てにおいてそうなのかもしれない。

6:27、太陽はすでに高いところまで昇り、光を雲に反射させて幻想的な風景を作り出していた。

稜線の反対側には、この朝日が作り出す赤岳の影を受けた阿弥陀岳が、険しい南陵の全容を晒していた。

赤岳山頂小屋まで、もう少し。

赤岳山頂小屋の少し手前で振り返ると、横岳、硫黄岳、その向こうには西天狗岳、東天狗岳、蓼科山が一望できた。
さらにその向こうに浮かぶのは、戸隠や妙高あたりか?

6:47、赤岳北峰と赤岳山頂小屋に到着。

北峰からは赤岳山頂に立つ人々がよく見える。
さすがに混んでいる模様。

山頂はもうすぐそこだ。
山頂小屋には寄らずに、山頂へ向かう。

6:51、赤岳山頂に到着。

山頂からの富士山は、やはり神々しい。

奥秩父の山々。

北の空にはホウキ雲。

南側には権現岳、ギボシ、編笠岳、さらにその向こうには南アルプスの山々が見える。

西側には、阿弥陀岳と、そこから伸びる南陵の、厳しくも伸びやかな稜線も一望できる。
その向こうには中央アルプス。

さらに西側に目を凝らすと、御嶽山の噴煙も確認できた。
明日からの荒天に備え、今まさに自衛隊や山岳救助隊の皆さんが捜索活動に尽力されていることだろう。
かなり過酷な捜索活動であることは各種報道から伝わってくるところである。
本当にありがたいことであるとともに、隊員の皆様の身の安全を祈るばかりだ。

山頂からの全方位展望はいつまで見ていても飽きる気がしないのだが、いつまでも居続けるわけにもいかない。
中岳を経て、阿弥陀岳を目指す。

まずは山頂の南側のハシゴを降りる。時刻は7:07。
このハシゴを降り道なりに崖を降りる。
崖では団体さん同士がすれ違いに苦労していた。
それにしても、なかなかのルンゼだ。

7:11、竜頭峰分岐に到着。

引き続きの急斜面だが、岩場というよりもガレとザレの間ぐらいな感じだろうか。
正直、歩きにくい。

殺伐とした登山道。
ガスの濃い日に歩いていたら、このまま地獄へ向かうような気分になるに違いない。
晴れていて良かった。
おかげで、こんな殺伐とした道から阿弥陀岳が常に見え続け、気分は上がりっぱなしだ。

すれ違うのも大変な細い道を抜け、
注連縄のように張り渡された鎖の下をくぐって、
開けた場所に出ると分岐の道標が現れる。


7:23、分岐に到着。
この分岐は、竜頭峰の南側から中岳へと向かう登山道との合流地点である。

分岐からの道は展望が開け、大きく弧を描いた稜線が遠近感を狂わせる。

7:30、文三郎尾根との分岐に到着。
文三郎尾根は一路行者小屋へと続いていた。
文三郎尾根には、連れのお父さんのご友人の松田さんという方の墓標があるそうで、一度見たいと思っているのだが、今回はルートから外れているのでパス。

文三郎尾根から視線を少し上げると、横岳以北の八ヶ岳の山々がきれいに並んで見える。
できることなら、こんな眺めの良い場所に葬って欲しいものだ。

分岐からさらに西に向かう。

振り向けば赤岳。
こんなに急斜面だったのか。

赤岳と中岳との鞍部から北側斜面を見ると、これもまたエグれているかのような殺伐とした斜面。

最鞍部から中岳を見上げる。
最鞍部にはケルンが2つ積まれている。
これは誰の慰霊なのか。。。

と思いつつ中岳に取り付くと、すぐに慰霊碑に出くわす。
1992年といえばつい最近のことのように感じるのだが、今から20年以上も前のことなのだなぁ。。。

中岳を少し登ると、赤岳の肩に隠れていた富士山が顔を出した。
うれしい再会である。

7:51、中岳山頂直下まで来たところで、鎖場登場。
まるで、普段クラスで目立たないヤツが学級会で急に発言をしたかのようだ。
オレだって南八ヶ岳の一員なんだぞ、と。

この鎖場を越え、7:52、中岳の山頂に到着。

そして、こんなところにも慰霊碑が。
ものすごく羨ましいロケーションだ。

なにかの石碑もある。

クドいようだが、やはり横岳以北の稜線が美しい。

次はいよいよ、阿弥陀岳を目指す。
よく見たら、阿弥陀岳南陵の山頂直下に、すごい岩壁がある。あれがP3か。あんなもん、どうやって登るんだ・・・?
いや、登らないけど。

8:07、中岳のコルに到着。
やたらとザックがデポされている。
おそらくほとんどの人がここに荷物を置いて、阿弥陀岳のピークを目指すようだ。

コルからは、孤島のように雲海に浮かぶ富士山が見えた。

赤岳の威圧感。

阿弥陀岳の急登もなかなか。

この絶景の中、ジーサンが携帯電話で、おそらく下界にいる山仲間にだろう、如何に絶景であるかを饒舌に説明していた。
説明しても伝わらないだろうけれど、説明したくなる気持ちは分かる。

そのジーサンを尻目に、いよいよ阿弥陀岳に取り付く。
いきなり現れるハシゴは、斜度が異常に緩く、手すりも低いため、非常に歩きにくい。

ハシゴを登りきると、そこからは岩場の連続。



舐めてた。
岩が脆くて、あまり大きなムーブもできない。
阿弥陀岳がこんなに歯ごたえのある岩場だったとは。

途中ですれ違ったオッサンに、
「荷物は下に置いてくればいいのに」
と言われたが、いやいやいや、このザックには山頂でコーヒーを飲むための道具が入っているだけなので、置いてくるわけにはいかないのだ。

そうして、8:40、やっと阿弥陀岳山頂に到着。

山頂には、阿弥陀仏、卒塔婆風の何か、石碑、男根のような何か、などなど、ちょっとしたカオスだ。

展望は全方位。

南陵と権現岳、編笠岳。

赤岳。

横岳と硫黄岳。

北八ヶ岳の山々。

キレッキレの大キレット。

そして、阿弥陀仏。
その視線の先には、
御嶽山。

とてもじゃないけど、冷静なんかじゃいられない。
気分はすでにパーティピーポー。
意味もなく山頂をウロウロする。

が、ふと我に帰り、このまま無駄にウロウロしても仕方がないということに思い至る。
ここでコーヒーを飲むために、わざわざここまでザックを担ぎ上げたのだ。
お湯を沸かしコーヒーを淹れ、クリームパンを食べる。
至福のひとときだ。

なお、連れはジャムパンを食べていた。チョイスが渋い。


クリームパンとコーヒーで人心地ついたところで、南稜の稜線上に登山道がついているのに気付いた。
が、「山と高原地図」では破線すら無く、ただ一言、
「南稜は岩登り経験者以外立ち入らない事」
と書いてあるだけ。
そんなキツいルートなら、あんなにハッキリした道はできないのじゃないだろうか。

下山してから調べたところ、どうやらバリエーションルートとしてはメジャーなようで、山行記録には事欠かなかった。(例えばこれとか)
来年あたり挑戦してみようかな。


あまりに快適な山頂で、思ったよりも時間が経ってしまう。
が、いつまでもここに居るわけにはいかない。
名残り惜しいが、9:20、山頂を後にした。(40分間も山頂に居た計算になる。)

登ってきた崖を、再び下る。



9:38、ハシゴまで戻ってきた。

9:43、中岳のコル、再び。

本日の富士山はここで見納め。ここから先のルートでは、富士山はもう見えない。
台風の影響か、南や西の方の空はすっかり雲で覆われてきた。
今日いっぱいは雨は降らないと思いつつも、やや気持ちが急く。

さっさと行者小屋に向かって降りる。
この道は、けっこう歩いている人が多いのに、悪路だ。
工事中のような箇所とか。
細い細いシングルトラック。
が、絵になる。


枯れた沢を横切ると、
すぐに文三郎尾根と合流する。
ここから行者小屋は目と鼻の先だ。

10:33、行者小屋に到着。
すでにAさん夫妻のテントは無かった。
テントを担いでどこかの山に登って行ったか、それとも下山したのか。

テントにたどり着くと、ガイラインにメモが貼ってあった。
それは、Aさん夫妻の書き置きだった。
先に下山するとのこと。タイムスタンプは10:00だった。
ということは、きっとあの夫婦はどこにも登らずに下山したんだな。
ここまで来て、山に登らず酒飲んで帰るだけという割り切りがスゴイ。

それはそれとして、我々もテントを撤収して下山しなければ。
とはいえ、それなりに疲れているので、撤収作業はノンビリになってしまう。
結局、1時間程度かかって、出発準備を整えた。

出発準備にそれだけ時間をかけたら、なんだか一仕事終えたような気分になって、ビールとおでんを注文しそうになってしまった。
何も終わっていないどころか、今から下山を開始するというのに。。。
なんとか自制したが、一人だったらたぶん飲んでしまい、美濃戸山荘にたどり着く前に道端で寝てしまっていたに違いない。連れがいるというのは、人を正気にさせる効果もあるようだ。


11:41、美濃戸口に向かって下山開始。
元々予定していた13:20のバスには間に合いそうにないが、15:00のバスに乗れれば十分だ。

11:46、ヘリポート通過。
往路のときには気付かないうちに通過していたのだが、なんでこんなに大きなものを見落としていたのだろう、、、

昨日来た道をそのまま辿るだけの復路だ。

できればもう1泊して、八ヶ岳の晩秋の佇まいを心ゆくまで堪能したかったが、台風の状況がそれを許さなかった。残念である。

より標高の低いところが紅葉の盛りであるためだろうか、昨日よりも紅葉がより目につく。

昨日と違って下り斜面ということもあり、快調なスピードで歩く。
幸い、連れのコンディションも大丈夫そうだ。
途中、砂防ダムを高巻きするところで上り斜面になる箇所もあるが、呪いの言葉を吐きながらも問題なく乗り切った。

13:15、最後の砂防ダムに到着。
これを越えれば、美濃戸山荘はもう目の前だ。

というわけで、13:17、美濃戸山荘に到着。

おいしそうなリンゴが1個100円で売られていた。

が、リンゴは買わずに、昨日心に誓ったソバを食べる。
山菜きのこそば。
うまい。特にきのこが。

20分ほど休憩して、ふたたび美濃戸口を目指す。
美濃戸山荘ではauの電波が入ったので、Aさんに現在位置を連絡した。

途中のカエデが目に鮮やか。
退屈な林道歩きも、紅葉のおかげで目に楽しい。

14:32、やっと美濃戸口に到着。

八ヶ岳山荘のテラスでビールを飲んでいたAさんが、我々の下山に気付いて出迎えてくれた。
その後、結局バスに乗らず、4人でタクシーで移動。

こうして南八ヶ岳の1泊2日は終わった。


(「余録」につづく)




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