このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2014年10月7日火曜日

山行記 : 2014年9月27日~ 奥多摩テント泊縦走 2日目 雲取山~鷹ノ巣山~稲荷岩尾根



(この記事は「1日目 鴨沢~奥多摩小屋」の続きです。)


山の朝は早い。
昨晩寝付くのが早かったせいか、腰が痛くて早々に目が覚める。
時刻はまだ3:30。
まだ他のテントの動きはほとんど無い。が、もう寝てもいられないので、起きることにした。

今日はテントをデポしたまま、5時に出発して雲取山までピストン、その後にテントを撤収して石尾根を鷹ノ巣山へ向かう予定だ。

テントの外に出てみると、満天の星空。
月は無く、そのおかげで小さな星屑の煌きの一つ一つまでがよく見える。

その暗がりの中、アルコールストーブに火を着け、お湯を沸かす。
チタンマグカップに絡みつく静かな青い炎。
周りのほとんどのテントは、まだ静まりかえっていた。


コーヒーを飲み、ナッツバーを食べる。
体をゆっくりと起動する。
寒さはそれほどでもない。
さあ、2日目の始まりだ。

テントはデポしたまま、荷物は最低限に止め、5:04、奥多摩小屋テント場を出発した。
空はまだ暗いが、東の空は薄らと白んできていた。

富士山も、濃紺の空にシルエットだけを浮かび上がらせていた。

5:21、富田新道への分岐に到着。
もちろん、山頂に向かって直進だ。

暗い登山道を歩いていると、折れた木の幹や、先行する登山者などが、いちいちクマに見えてドキッとする。
そんなことも未明の山歩きの醍醐味なのだろう。

5:33、小雲取山の分岐点に到着。
ちょうど日の出の時刻なのだが、地平線にかかった雲のせいで、まだ朝日は見えないようだ。
「ようだ」というのも、ここからだと木立の隙間から様子を見ることしかできないので、あまりハッキリした状況が分からないのだ。

この分岐から見た富士山の姿は、明るさを増した空を背景に、よりはっきりとしたシルエットとなっていた。

できることなら、早く山頂から朝日を拝みたい。
そう思うと、無意識に急ぎ足になってくる。

小雲取山を過ぎると、山頂直下の避難小屋が見えてくる。
ここまで来ると、雲取山から飛龍山へと伸びる稜線が一望できる。
その奥に見える奥秩父の山は同定できず。

登山道の東側に連なる木々の隙間からは、朝焼けの色が濃くなりつつあった。
日の出の時刻は過ぎているのだが、やはりまだ太陽自体は姿を現していない模様。
もしかしたら、山頂でのご来光に間に合うかも知れない。
山頂はもうすぐそこだ。

5:46、山頂直下、避難小屋前でご来光を迎える。
地平線の雲が日の出の時間を遅らせたのだ。

山頂では、たくさんの人々がご来光を拝んでいた。

山頂から見た朝日は、素晴らしく赤かった。


さてここで、雲取山の山頂に立つ山頂標識についてお話したい。
言わずもがな、雲取山の山頂は東京都だ。
明治時代に、水利権を確保するために東京が埼玉から購入したのが雲取山の山頂で、このため山頂付近だけ不自然な形で県境が引かれている。

これにより、山頂間近まで他県の県境が迫っているのである。
そのためか、山頂付近には、なぜか埼玉県や山梨県が立てた標識もある。

まずは、東京都が立てた山頂標識。

つづいて、埼玉県が立てた山頂標識。
なぜか埼玉県が立てたもののほうが立派だし、画像が流布している。

この山頂から少し外れた、避難小屋からさらに西側に立てられた山梨県による標識。
山頂とはどこにも書いておらず、「山梨百名山」という認定がされている。
なかなか自由だ。
いろいろツッコミどころが満載だが、おおらかに受け止めてあげよう。

閑話休題。

山頂には長居せず、さっそく下山開始。

避難小屋側からの富士山は格別。飛龍山も朝日を受けてやや赤らんでいた。

避難小屋直下から振り返る。

小雲取山の手前の木立の隙間からは、強い陽光が差し込んできていた。

石尾根の影を映す飛龍山。

6:22、奥多摩小屋のすぐ上まで戻った。
この場所からも富士山がよく見える。

奥多摩小屋のテント場に戻ると、隣のテントの人が朝ゴハンを食べていた。
せっかくの朝景色や星空を見ることもなく、朝寝を決め込んでいたんだろうなぁ。もったいない。

30分ほどでテントを撤収し、再び出発。

この後のルートは、まず七ツ石山を経由して七ツ石小屋に向かう。
そこでペットボトル飲料を購入する。僕はお腹が弱いので、生水を避けたいのだ。
その後、再び石尾根にもどり、鷹ノ巣山を目指す。
鷹ノ巣山からは稲村岩尾根を下り、日原に下山する。


7:17、セクシーな木を通過。
このあたりは、景色が良すぎて走る気にならない。
のんびりトレッキングペースで歩く。

7:23、ブナ坂に到着。
そのまま七ツ石山へ登る。
7:36、七ツ石山山頂に到着。
山頂からは雲取山が見える。

ここも長居することなくさっさと下りる。

7:41、七ツ石神社に到着。
ここでモタモタ写真を撮っていたら、「七ツ石小屋」と書かれた白いヘルメットを持った男性に声をかけられる。
その男性曰く、社の中に狛犬がいるとのこと。しかもそれは、狼であるという。
奥多摩や秩父は狼信仰の根付いている土地柄だから、そのこと自体は驚かないし違和感も無いが、なぜ狛犬が社殿の中にいるんだ? 普通、狛犬は社殿の前で番犬の役割してるものであって、社殿の中に鎮座しているものではなかろうに。

これまで社殿の中など見たことはなかったが、せっかくなので覗いていくことにする。

たしかにそこには、狛犬のようなものがあった。
が、これを狛犬というのか。

一体しかない。
小さい。
木製。

こんな狛犬はこれまで見たことがない。
うーむ。。。

これ以上は情報が得られそうにないので、先を急ぐことにした。

7:47、石尾根を離れて七ツ石小屋へ分岐する地点に到着。
このまま石尾根を辿りたいところではあるが、飲み水が残り200ml程度になってしまっているので、ペットボトル入りの飲料を購入するために七ツ石小屋に下りる。

7:51、さらに分岐。

7:53、水場の手前でまた分岐。

7:55、七ツ石小屋に到着。

七ツ石小屋は無料で生水が提供されているので、お腹が丈夫な人にとってはありがたい場所だ。
が、僕のお腹は残念なので、ペットボトル飲料を2本購入。
七ツ石小屋の休憩場兼テント場からも富士山はよく見えた。

さて、この七ツ石小屋、最近大きな変化があった。
それは、トイレがバイオトイレになったということだ。
かつて七ツ石小屋のトイレは非常に汚く、僕の中では「二度と立ち寄りたくないトイレ」ナンバー1であった。
それが、最近になってバイオトイレが建てられ、清潔な環境で用を足せるようになったのである。

もちろん、使ってみる。
なんと、備え付けのトイレットペーパーであれば便器に捨てても良いという仕様。さすが最新式!
「使用済みの紙はこちらに捨ててください」
ではないのだ!
ありがたやありがたや。僕のようなお腹弱い系にとって、これほど嬉しいことはない。

スッキリしたところで、再び石尾根目指して登り返す。

8:17、石尾根と七ッ石山の分岐に到着。
下ってくるときは、この分岐を左側から来たのだが、今度は右側に向かう。

8:23、石尾根に合流。

秋晴れのもと、なだらかな石尾根の雰囲気を満喫しながら歩く。
石尾根はなだらかで、しかも道が広いので、走るにはもってこいの場所だ。
が、こんな気持ちの良い場所を走って通り過ぎるなんて勿体なさすぎる。どうしても走る気になれない。

過去にたびたび写真を撮影しているポイント。
なんてことない場所なのだが、僕はここからの眺めが好きなのだ。

8:39、千本ツツジに到着。

進行方向の右側には富士山。

前方には、高丸山と日蔭名栗山。
あの2つの峰を越える気が全く湧かず、巻道に下りる。
このルートは巻道のほうが整備されている上に、リスや小鳥などの小動物との出会いも期待できるのだ。

高丸山との鞍部で巻道にスイッチ。

快適な巻道を歩く。
走らない。走ったら小動物が逃げてしまう。
もはや、トレーニングのために奥多摩に来たということは忘れてしまった。いや、忘れることにした。
山を走ることも山の楽しみ方の一つだが、状況に応じるべきだろう。

もはや季節的にも花はほとんど咲いていなかったが、ダイモンジソウが咲いていた。

9:38、鷹ノ巣山避難小屋に到着。
ここのベンチで軽く休憩。このまま昼寝をしてしまいたい。

が、そうも言ってられないので、10分ほどで出発。
鷹ノ巣の西側斜面を上りはじめた。
この鷹ノ巣山西側斜面はなかなかサディスティックな斜面で、そこそこの傾斜があるのはもちろん、初めて登るときには
「あれ、あそこが頂上か?」
と思ってたどり着いたらまだ先に道があった、というようなことを3回ぐらい繰り返す地形なのだ。
精神的にキツイ。
分かっていればどうということもないのだが。

さあ、もう一息。
この斜面を登りきれば頂上のような雰囲気だが、これはダミーである。
この先には、
こんな尾根道が続いている。

道端のカエデは一部色づいていた。

10:09、鷹ノ巣山の山頂に到着。

鷹ノ巣山の山頂は大パノラマビューだ。



しばし呆けたように座り込み、ただただ風景を眺める。
次第に眠気がやってくる。
このまま下山せずに、寝てしまいたい。
いっそここでもう1泊して、明日は会社を休んでしまおうか。


・・・・・・。


いやいや、さすがに明日出社しないのはダメだ。社畜の鏡としては、艱難辛苦を乗り越えてでも出社しなくてはならん。

ということで、10:29、稲村岩尾根を下山開始。
稲村岩尾根の入口は、なんとも地味だった。
しかも、こんな地味な登山道なのに、ちょっとゴミが落ちていた。
いかんなー。

下り始めると、意外と急坂。
地形図で見てみても、けっこうな頻度で等高線が等間隔にしつこく並んでいる。
これは登りたくないなぁ。。。
と、僕なんかは思ってしまうのだが、にもかかわらず、10分に1度は人とすれ違う。
けっこう鴨沢ルートにも負けないぐらいの人気ルートなのか?

ただ、登ってくる人たちは、さすがに汗ダクになりながらげんなりした様子で登ってくる。

みなさん口々に、

「あとどのくらいですか?」
「山頂は見晴らしよかったですか?」
「ずっとこんな感じですか?」

と尋ねて通り過ぎる。
そりゃこんな坂を延々登っていたら、うんざりもするだろう。

たまに緩やかな場所もあるが、それは長くは続かない。

10:46、ヒルメシクイノタワに到着。
「昼飯食い」とは、また変な名前だなーと思って先に進むと、すぐに道は木の根がボコボコの急斜面になる。
あー、、、この急斜面を登ってきて、やっと一息つける場所という意味で「昼飯食い」なんだな、きっと。。。

まだまだ単調な急斜面はつづく。
短調ではあるものの、広葉樹の森であるおかげで、いくらか気持ちは軽い。
これが針葉樹林だったら、気分も暗くなりそうだ。

11:04、根こそぎぶっ倒れた樹木に行き当たる。
ラピュタが落ちてきたかのようなビジュアルに、しばし呆然となる。
ちなみに、このえぐれた部分の高さは、僕の身長より大きかった。

11:11、倒木が行く手を阻む。
どうも、倒木が多い。

その後もひたすら単調な下りがつづく。

もういい加減、稲村岩に着いても良い頃なんじゃないかと焦れてきた頃、鞍部と岩場が見えてきた。
この岩場が稲村岩か?と思って道標を確認すると、
稲村岩はもっと奥であるかのような指し示し方だ。
実際、造作もなく歩けそうな岩場なので、行ってみる。

下から見えていた場所を超えると、そこには岩の尾根が続いていた。

難易度は決して高くないが、面白い岩場だ。
単調な下り坂に飽き飽きしていたところに、ちょうど良い刺激である。
岩は木の根にガッチリとガードされ、脆さを感じさせない。バランスを崩して転倒したりしなければ、決して危険な場所ではない印象だ。

さらに奥へと進むと、
岩壁が現れた。
うーん、この岩は、ボルダリング経験すら皆無な連れには、ちょっと酷だろうな。
ましてや、今日はお互いトレランシューズだ。岩を登るには不向きなシューズだ。

仕方がないので、連れを待たせ、この壁の向こうに何があるのかだけ確認することにした。

登ってみると、まだまだ先が続いている
うーん、リベンジせねば。
後ろ髪を引かれる思いで引き返す。

引き返しながらも、なかなかの岩尾根にウキウキする。

さて、岩尾根を先程の分岐まで戻ったが、ここからが何ともイヤな感じの斜面となる。
「山と高原地図」では「急坂」と書かれた場所だ。

見ると、
ほとんど崖じゃねーか、こんなの!

と思ったら、さすがに崖のような場所は10m程度で、その後は急斜面に付けられたトラバース気味の道を歩く。
道幅はさほど広くなく、谷側はけっこう切り立っているので、ヘタにトレッキングポールなどは着かないほうが安全だ。

その後もつづら折りの道がつづく。

12:11、沢まで下りると、苔むした橋がかかっていた。
全く人が歩いた形跡が無いのだが、まさかこの橋を渡るなんてことないよな・・・?

と思ったら、さすがにこの橋を渡ることはなく、沢の手前に道が付けられていた。

橋を間近で見ると、そこだけ人間に忘れ去られた土地のような雰囲気だった。
「文明は再び自然に飲み込まれ、そして潰えた。失われたテクノロジーは、今やその残骸を残すのみとなり、それは何代にも渡って語り継がれていくうちに、史実ではなく伝説となった。もはやかつてこの地上に文明が栄えていたことなど、誰もがおとぎ話と考えるようになっていたその頃・・・」
と、勝手に延々とナレーションをつけたくなる。

沢は、細々と水を運んでいた。

12:14、この細い沢にかかる小さな橋を渡る。

その後、道は沢との標高差を生じるが、
再び下って沢へと下りる。
下りるのはいいのだが、この道、1箇所穴が開いていて危ない。
落ちないように気をつけながら下る。

ここで対岸に見えるのは巨大な岩壁。
大きすぎて、全くフレームに入りきらない。
これがもしかして、稲村岩なのか?
こんな被った岩なんて登れる気がしない。

そんな岩に挟まれた沢筋を歩く。

来た道を振り返ると、そこには白っぽい岩と広葉樹の緑、そして空の青だけがあった。
そのすばらしい空間に気圧され、何度もため息が出る。

その後道は沢筋を離れ、いつの間にか針葉樹の森に入る。
なんだか急に、奥多摩の低標高の場所っぽくなった。

12:39、巴ノ戸橋の袂に到着。
どうやらここから岸辺に下りることができそうな踏み跡があった。
ちょっと降りてみる。

降りてみると、なんとも気持ちの良い渓流だ。

巴ノ戸橋を見上げる。

せっかくなので、童心に帰って水切りなど試してみるが、一段しか跳ねない。
やはり腰の調子が悪くて低い位置から投げられないのがイカンのだろうか。
心は子供に戻ったつもりでも、フィジカルな老いは隠しきれないことであるなぁ。。。

ふと見ると、水の中に何かの骨らしきものが沈んでいた。
大型の哺乳類のものであることは間違いないだろうが、僕の乏しい知識では同定できない。
人間のじゃありませんように、と思いながらその場を離れる。

ひとしきり遊んだところで、登山道に戻る。
時刻は12:46。

橋を渡ると、気のせいだろうか、登山道がジリジリと上り坂になっている。
地図を確かめてみると、確かに緩やかな上り坂になっているようだ。
最後の最後にいじめられているような気分だ。

が、まだこれは序の口だった。

12:51、この期に及んで階段が現れる。

そんな時、道端のマムシグサが語りかけてくる。
「そんなに苦しかったら、オイラを食えばいいよ。楽になるよ」
と。

いや、オマエを食っても死にはせんぞ。
むしろ、激しい嘔吐と下痢になるから、単なる生き地獄を見るだけだろ。。。


12:54、ついに舗装路に出る。
やっと文明社会に戻ってきた。

ここからさらに10分ほどかけて東日原のバス停へ。

東日原のバス停ではauの電波が非常に弱く、Facebookに下山報告をするのを諦めた。
そのままバスに乗って奥多摩駅へ。

空腹に耐えかねて、奥多摩駅前の定食屋に入る。
すると、店のテレビでは御嶽山の噴火のニュースを流していた。
注文するのも忘れてしばし呆然とする。なんだこれは。。。

iPhoneの機内モードを解除すると、何通ものメッセージが受信された。その多くが、
「まさか御嶽山に行ってないよね?」
というものだった。
それに逐一返信しつつも、テレビから目が離せない。

御嶽山の噴火など、誰が予想し得たであろうか。
戦慄を覚えた。
あの場で助けを求めている誰かは、僕であったとしても不思議は無いのだ。
おそらく、全国の山ヤが皆、この一事に戸惑いと恐怖を感じたに違いない。

その後1週間以上、あの場にいたら適切な判断ができていたのだろうかと、僕は何度も何度も自分に問い続けた。
何度考えても、無事に下山できる気がしない。

僕一人であれば、最悪の事態に陥ったとしても諦めはつく。
が、もし誰かを引率している時にこんなことになってしまったら?
考えたくもないし、考えたとしても何が正しいのか、そもそも正しい答えなんて存在するのか、全く見当もつかなかった。

混乱のまま、1週間が過ぎた。
今も僕の中で混乱が続いている。
今回の御嶽山の噴火から、僕は何も学び取ることができていない。
文脈を紐解いて、教訓を導き出すことができない。
今後もっと時間をかければそれができるだろう、という手応えも無い。
それでも僕は今後も山に登り続けるだろう。

今の僕には、亡くなった方々のご冥福を祈り、ご遺族に心からの哀悼の意を表すことと共に、行方不明の方々が1日も早く発見されるよう、メディアを通じて見守ることしかできない。
なんとも歯がゆい。


<了>

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