このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2015年5月14日木曜日

山行記 : 2015年4月29日~ 大峰奥駈道 2日目 その1 山上ヶ岳まで



(この記事は「1日目 二蔵宿まで」の続きです。)


4月30日。

山の朝は早い。
目覚ましを4時にセットしていたが、3時40分に目が覚めてしまった。

夜中は風がゴオゴオと鳴り続け、テントのフライシートが幾度と無くバタついた。
幕営地が樹林帯だったからバタつく程度で済んだが、これが吹き曝しだったら、僕のテントの華奢なポールはひしゃげてしまってたことだろう。

が、夜明け前にはその風もすっかり止み、穏やかな朝を迎えた。

朝飯には、お茶漬けを食べたのだが、これがすさまじく不味い。
吐きそうになりながら無理やり詰め込んだ。

5時を少し回ったところで、木々の間から朝日が顔を出した。

テントを撤収し、5:40、出発する。
この写真の真正面に続く登山道に向かって歩き出した。
が、結論から言うと、それがそもそものルート選択ミスだった。
今振り返って考えると、真正面ではなく、向かって右手の尾根を登らなきゃならなかったのだ。

こんなミスをしてしまったのは、一義的には僕の不注意なのだが、その不注意の助長要因は「山と高原地図」の記述の誤りにある。

下掲は「山と高原地図」の二蔵宿周辺の地図である。(赤と青の矢印は僕が付け足したものです。)
二蔵宿小屋は赤い矢印の先にあるように描かれている。
少なくとも、この地図で見る限り、二蔵宿小屋は1083ピークよりも北にあるかのように描かれている。(上掲の地図は2015年版だが、僕の手元にある2012年版でもこれは同じだった。)
これを見て僕は、二蔵宿小屋を出た後、1083ピークを超えてから分岐が現れるのだとばかり思っていた。

しかし、今振り返ってみると、青い矢印の先あたりが二蔵宿小屋なのではなかろうか。

一方で、同じ場所の2万5000分の1の地図を見て欲しい。
赤と青の矢印を、それぞれ同じところに着けてみた。
「百丁茶屋」の名称と建物のマークがある。
二蔵宿小屋は、新百丁茶屋があったところに立てられた避難小屋なので、「百丁茶屋」と表記されても特に違和感は無い。
実際は、この「百丁茶屋」の場所にも違和感はあるが、ここで言いたいのは、「山と高原地図」と2万5000分の1地形図で、こんなにも違いがあるということ。

実際の地形に従って考えると、「山と高原地図」の二蔵宿小屋の位置は明らかにおかしいのだ。

長々と地図に関する文句を書き立てたが、要するに僕は、大天井ヶ岳を通る尾根ルートでなく、それを巻く在来道に入ってしまったのだ。

この在来道は明治時代に開かれた道で、明治、大正にはこれが正規のルートだったそうだが、今は大天井ヶ岳を経由するのが正規のようである。
もちろん僕も、大天井ヶ岳を経由する気マンマンだった。

しかし、上記のような経緯で分岐の存在に気付かず、意気揚々と在来道をズンズン歩いてしまった。

最初のうちは比較的きれいな道だったが、
次第にその道も悪くなってくる。
だが、途中でちょいちょい道標もあったため、全く気にしないで先を急いだ。

それにしても、いい加減足場も悪いところが度々あり、気をつけないと谷に落ちるかもしれん。

さらに荒れていく道。

橋が落ちちゃって、山側に僅かに細い足場が付けられているだけの箇所も。
よく考えて見れば、さすがにこれは修行の道とは言ってもヒドすぎるわけだが、このときは「開山が5月3日だから、まだ整備が追いついていないのかもなー」ぐらいにしか考えなかった。
丹沢だって、春先はこんな感じになっちゃってるところもあるし。

6:12、沢に出くわす。
ん?沢だと?!
ここで初めてルートがおかしいことに気付いた。
そもそも予定していたルートは尾根道なんだから、こんなしっかりした沢なんかあるはずないぞ!

そこで初めて我に返り、上を見上げてみると、はるか遠くに尾根が見える。
それを見て、自分が在来道に入ってしまっていることに気付いた。
やってしまった。。。
少なくとも、このときはいったいどこで道を間違えたのかが全く分からなかった。

もうかなり来てしまった。
今から引き返すのはしんどいし、ルートそのものは把握したわけなので道に迷ったわけではない。
であれば、このまま在来道を歩ききってしまおう。そう決めて再び前進し始めた。

こうなったら、楽な分だけスピードを上げて、時間的アドバンテージを作って少しでも先に進めるようにするのだ。

6:17、ちょっとシュールな看板に出くわす。
気のせいかもしれないが、大峰奥駈道ではやたらと「ゴミを捨てるな」という主旨の看板を見かける。東日本の山では、こんなに頻繁に目にすることはない。
この違いは何なのだろう??

6:24、2つ目の沢に到着。
これで、この在来道にある2つの水場は両方通過したことになる。

6:36、道端に「大峯奥駈道」と書かれた道標があった。
うん、この道も大峰奥駈道なのだ。と、気持ちが切れてしまわないように自分に言い聞かせた。

6:41、道端に岩窟が現れる。
こういうところに籠もって修行をするのだろうか。
といっても、こんな登山道沿いでは集中もできんだろうけれど。

6:44、謎の分岐。

「山と高原地図」には載っていないようだが、↓の赤丸の分岐のようだ。
ということは、もうすぐ五番関に到着するだろう。

が、ここに至ってもただの斜面にしか見えない、トラバースな登山道が続く。

そんな、足元が油断ならない道をもうしばらく歩き、6:57、五番関に到着。
道標以外に何かの立て札があるので、回り込んで見てみたら、
「通行止」って。。。。
確かに、けっこう崩落してたもんなぁ。。。
この立て札、二蔵側にも欲しかった。。。

五番関といえば女人結界。
「女」の文字は破壊されている。

その結界門の横には、打ち倒された立て札。
「サベツ」「Fuck」などの落書きも見て取れる。

1992年に外国人女性2名が、この結界の内側に入ろうとして僧侶とひと悶着起こしている場所が、確かこの五番関だったと思う。(ちょっとソースが見当たらず、うろ覚えのネタですが。)
また、この女人禁制が女性差別だということで、なんとか撤廃させようと活動している方々もいらっしゃる。
一方で、宗教上の理由で、女人禁制を維持していくことを支持する人たちも多い。
僕は、どちらが是であるかの判断は留保したいのだが、1つだけ言いたいのは、日本は法治国家であるということ。
ただただ「女性が立ち入れないのはケシカラン」というだけで、その土地を所有・管理している者の意向を無視して立ち入るというのは同意できない。
己の権利を主張するのであれば、ちゃんと法廷に持ち込めばいいのだ。

似たようなケースで裁判になっている事案もある。
男性が、女子大学に入学願書が受け付けられなかったのは不当であるとして提訴したケースがある。

「公立女子大行きたい」男性、出願不受理は違憲と提訴へ
http://www.asahi.com/articles/ASGCF51QYGCFPPZB00N.html

その主張に合理性があれば、当然勝訴する可能性は十分にあるわけで、山上ヶ岳の女人結界に関しても、真摯な信仰心を持つ女性が女性であるというだけで山上ヶ岳に参拝できないというのは不当だという司法の判断がなされるかもしれない。
そのような判例ができれば、その後の女性の入山について大峯寺や地元の態度も軟化せざるをえないだろう。

一方、「女性が立ち入れない場所がこの世に存在することがケシカラン」というだけの理由で入山しようとするならば、司法の判断という法的裏付けは得られにくいのではないだろうか。
だからといって、実力行使を行うというのは、自身の自由を実現するあまり他人の自由を制限する行為であるのだから、法治国家としてのあるべき姿ではない。

繰り返すが、僕は女人結界がケシカランという立場でもないし、女人結界は守るべきだという立場でもない。そんな一律に単純化した話のできるものではないと思っている。
ただ、たとえば、長年連れ添った信仰心の厚い夫婦が、夫婦そろって大峯寺にお参りできるようになれば、それはステキなことだと思う。

また、立て札に「サベツ」「Fuck」などと低俗な落書きをするような輩は、男女同権を推進するどころか、男女同権を実現する上での障害にしかならないように思う。
不満があるならば、その不満と合理的根拠を堂々と主張すればいいのだ。姑息な落書きこそ、相手に利するものであることを知るべきである。


さて、そんな女人結界をくぐり、山上ヶ岳を目指す。

ここから鍋カツギ行者までは、かつては稜線上を通るルートもあったようだが、今は山腹をだらだら登るルートのみのようだ。

7:08、ゆるい鎖場が現れる。
斜度はルーズだが、足場はタイトだった。
雨の日は歩きたくない。

ここに限らず、道は悪い。
さっきの在来道のこともあり、本当にこの道でいいのか非常に不安になる。
やっぱり稜線に本当の道があるんじゃないのか?
何度も地形図を見るが、やっぱり道は山腹に付いている。うーむ。

トラロープも現れる。

例によって道を塞ぐ大木。

不安を煽る、朽ちた道標。

が、7:30、無事に鍋カツギ行者に到着。

祠と、
その横には中華なべ。
たしかに托鉢坊主のこういう笠と中華なべは似ているけれども・・・。
由来は、修行中に遭遇した大蛇から身を守るのに鍋を被ったということらしい。でも、中華なべは持ってなかっただろー、さすがに。

その後、退屈な登山道を歩き、
ものすごく気持ちのよい尾根道に出る。
こんな気持ちのよいところに、小さな石碑が立っていた。
なんだろう?
遭難碑だった・・・。

その後も気持ちのよい尾根道を通り、
7:55、今宿跡かな?と思われる場所に到着。

さらに伸びるヤセ尾根。

尾根から見える風景は相変わらず低山の連なり。

木々の間からは山上ヶ岳が見える。
まだけっこう遠いな。。。

8時を少し回ったあたりかから、険しい場所が現れる。



意外と長い。

それを過ぎるとまた平坦に。
まだ新緑は無い。

登山道には、なぜか砂利が敷かれている。

8:26、道端にシューズのインソールが落ちていた。
しかもご丁寧に両足分。
これ、ぜったい落し物じゃないだろ。故意に捨てただろ。

洞辻茶屋までは、やたらなだらかな地形が続く。

8:47、脚立のようなものが見えてきた。何だアレは?
回り込んでみると、不動尊だった。
出迎不動と言うそうな。

その出迎不動の目の前には、洞辻茶屋がある。
中に入ると、アーケードのようなつくりになっている。
営業はまだ始まっていない。

ここで少し休憩し、軽く行動食を食べる。

洞辻茶屋を抜けたところにも出迎不動が立っていた。

道には急に石碑が増える。

9:04、カワラケ投げという看板に出くわすも、なんだか分からず。

その先には、やたらおしゃれなウッドデッキ風の橋。

陀羅尼助茶屋の手前は石碑だらけ。
まるで墓場。

9:10、陀羅尼助茶屋に到着。
こちらもまだ営業開始前。
この長屋アーケード風茶屋を抜けたところにもまた茶屋が現れる。
この茶屋を抜けたところで、今度は謎の道標が現れた。
どうやら、向かって右のルートは通行止めらしい。
まあ、何にしても、油こぼしを通るルートが通れるようなので、文句は無い。

道標を過ぎてすぐに、階段地獄が始まる。

道端の石碑は、より仰々しくなる。

山の上の宿坊も、かなり近付いてきた。

9:17、どうやら通行止めの道との途中の合流点に着いた模様。

なんだかもう、石碑と石像と、思いつくものは何でも立てた感のある乱立ぶりだ。
この調子でいくと、近未来には白色彗星の要塞都市みたいになっちゃうんじゃなかろーか。

なおも続く、階段。

岩。

道端には残雪。

引き続き岩。

そして再びの階段。

ダメ押しの鎖。

9:27、通行止めの道との合流地点に到着。

通行止めの道を見ると、確かにヒドいことになっていた。
うっかりこんなところを歩いたら、踏み抜いてしまいそうだ。

そしてなおも続く階段。

9:29、行人の像が現れる。
その視線の先には、
ご存知、釣鐘岩。(逆光)

修行の注意事項も掲示されている。
初手から
「行場の修行は強制されるものではありません。」
という先制パンチ。
責任回避かい。

釣鐘岩の基部へと続く岩の道。

釣鐘岩の基部から、展望台へ向かう。

9:32、展望台に到着。

わざわざ展望台にするだけあって、たしかに眺めは良い。


やっぱり紀伊半島には山しか無いらしい。

そして、背後には釣鐘岩。
これ、登るのはそれほど難しくなさそうだぞ。
登山靴でもフリーで何の問題も無く登れるような難易度だ。
が、先を急ぐのでトライはせず。(今思えば、やっときゃ良かった。)

さて、ここでこれ以上見るべきものも無いので、さらに頂上を目指す。
階段、階段、階段。

階段を登り終わると、何が祀ってあるんだかも分からない何かがあった。
ここから、山頂へと、釣鐘岩の上への道との分岐になっている。

せっかくなので釣鐘岩へ。
渡り廊下のような通路を通り、
岩壁を登る。
さすがに105リットルを背負ったままではしんどいので、この岩場の下にザックをデポして登る。

9:39、釣鐘岩の上に出た。
てっぺんからの眺めは展望台と変わらないので割愛。

ただ、このてっぺんに居る気分は、ものすごい開放感である。
釣鐘岩に来たら、ぜひともこの上には立つべきだ。
できることなら、釣鐘岩をクライミングで登った上でてっぺんに立ちたいところである。

ひとしきり眺望と開放感を楽しんだあとは、早々に山頂に向かう。
先ほどの分岐まで戻り、なだらかな登山道を歩く。

9:47、道端にトラロープが張られ、看板まで立てられていた。
胸騒ぎのする光景である。
こちらに立ち入っちゃいけないかのような佇まい。
ルート間違ったのかな・・・。

回り込んでみると、
なんのことはない、単に下山ルートの案内だった。

そして階段。
うんざりしているところに、さらに岩。

9:49、等覚門に到着。

等覚門には祠もある。

門の向こうでは、墓場のように石碑の立つ、なだらかな道を行く。
というか、これはもう墓場だろ。

9:53、いよいよ宿坊が間近に見えてきた。

鋸岩みたいなのも見えてきた。

岩っぽいけど、険しさは無い。

再びの砂利道。

10:00、岸田日出男の顕彰碑が現れる。
で、岸田さんってどなたですか・・・?

調べて見たところ、このあたりの原生林の保護に尽力された方のようで。

そんな岸田さんに見守られてか、道端にはバイケイソウが群生していた。

寺院が近付くにつれ、道が石畳になってきた。

階段も石づくり。

10:04、龍泉寺に到着。
まだ、開ける準備の最中のようだ。

さらに石段を登る。

左手に宿坊が見えた。

なぜか頭上では、ヘリコプターが旋回していた。
遭難捜索か?と思って見ていたら、宿坊のほうで作業していた男性が
「報道ヘリだな、ありゃ」
と言っているのが聞こえてきた。
報道ヘリがいったい何を・・・?

さらに石段を登り続ける。

10:11、大峯山寺の立派な山門が現れた。

大峯山寺はまだ開いていない。
開山は確か5月3日だったはず。

寺の正面に、山頂への登山道は伸びている。

10:16、山上ヶ岳の山頂に到着。

山頂はだだっ広い笹原。
お花畑どころか、かなり殺風景。

稲村ヶ岳方面の眺望。

山頂から少し入ったところに、湧出岩がある。

岩の目の前には三角点。

この湧出岩から奥へ登山道が伸びているのかと思いきや、ここで行き止まり。
改めて山頂に引き返す。

山頂では、僕と同じく熊野本宮を目指して歩いているという男性に出会った。
その男性と、どの道をどっちに向かえばいいのかを議論し、結局分からず、大峯山寺に引き返して、作業している男性に尋ねてみた。

「熊野に行く道はどっちでしょうか。」

我ながら間抜けな問いだと思うが、致し方ない。

すると、その男性に教えてもらった道は、寺の奥から出ていた。
なんだ、山頂から伸びているんじゃないのか。
せっかくなので、山頂まで戻って、目的地が同じ先程の男性にその旨を伝える。

さあ、いよいよ山上ヶ岳を後にして、先を急ぐのだ。


(「2日目 その2 行者還で幕営するまで」につづく)



2 件のコメント:

  1. 大阪のおっさんことスガです。
    面白過ぎて最初のブログから最後まで読んでしまいましたわ。文章上手ですね。とても勉強になりました。
    GW明けから漸く大峰まで辿りつきました。
    立ち姿が極まっていたので経験豊富なんだろうな~と思ってましたが凄くタフですね。見習います。

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    1. おおおお! その節は大変お世話になりました!
      長いばかりで拙い文章を読んでいただいたとのことで、非常に恐縮です。(恥
      タフであれば、きっと熊野本宮にたどり着けたはずなんですけどねー、、、お恥ずかしい限りです。
      ぜひ今後とも情報交換していきましょう!

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