このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2015年10月2日金曜日

山行記 : 2015年9月19日~22日 立山縦走 2日目その2 立山三山縦走(負けられない戦い編)




(この記事は「2日目その1 雄山まで編」の続きです。)


雄山神社でご祈祷をしてもらったあと、売店に赴く。
お守りとかお札とかを買うべきなのかもしれないけれど、僕が買ったのは手ぬぐいと山バッジ。
そのお金のやり取りも、巫女さんは「○○円いただきます」ではなく、「○○円のお納めです」と。
趣きあるわー。
で、商品を入れた袋がこれ。
手ぬぐいや山バッジがこんな袋に入ってくるとは!
趣き深いなぁ。

それにしても、この売店の周辺には、登山ぽくない服装の人がやたらと多い。
スニーカーにジーパンなど、普段着のまま来ちゃいました、という感じの人が半分を占めるのではなかろうか。
ここはやはり観光地なのだなぁ。。。

その後、せっかくなので、人を掻き分け掻き分け展望台へ向かう。

うっすらと槍ヶ岳が見えた。(探してみてね!)

もう気も済んだので、一ノ越に向かって下るわけだが、異常なまでに混んでいる。
しかも、半分はスニーカーの人!
こんなクズ石だらけの急斜面で、スニーカーを履いた素人が落としてくる石に気をつけながら下るのは、たまったもんじゃない!
しかも、あっちでもこっちでもコケてる。
もう、ただの悪夢だ。

あっちに避けたりこっちに避けたりしながら、やっと一ノ越が間近に見えるようになってきた。

12:30、一ノ越山荘に到着。
この小屋では、空のペットボトルを差し出せば、100円で水を充填してくれる。なんというありがたさ。
残念ながら僕は空のペットボトルが無かったので、普通にペットボトルの水を買った。あと、山頂には無かったタイプの山バッジも買った。

一ノ越から見上げる雄山は、人が多すぎてもうバカなんじゃなかろうかと思うほど。

このとき、一瞬お腹に不穏な気配を感じて一ノ越のトイレに入ろうか悩んだが、混んでるのでパスした。どうせ残りの行程は大したことが無い。立山室堂山荘ぐらいまでなら保つだろう。
(これが完全なジャッジミスだったことに気付くまでは、あと1時間ほどかかった。)

何はともあれ、浄土山に向かって歩き出す。

一ノ越から室堂に下りる道は石畳の坂。
あんな道を歩くのはシンドかろうに。
登山靴ならもちろん、スニーカーでも足裏の突き上げがツラいに違いない。

我々が向かうのは、富山大学の研究施設が建つピークである。
向かって左の岩っぽい山は龍王岳。
今回のルートには入っていない。

登山道から浄土山方面を望む。
のっぺりとした稜線で、室堂から見上げたときの浄土山とは随分印象が違う。

一瞬だけ、岩っぽい場所も現れる。


振り返ると、雄山の姿がよく見える。
この姿を形容するのに、どのような言葉を用いればいいのだろうか。
優美とも違う。雄雄しいわけでもない。かといって穏やかでも広やかでもない。
難しい山だ。

その雄山から、別山へと続く稜線と、その向こうに頭を出している剱岳。

そして、雄山から東一ノ越への稜線。

ピークに向かって登っていくにつれ、龍王山が間近に見えてくる。
通りすがりのオジサンによると、富山大学の研究所から龍王山のピークまでは、往復で30分もあれば行けるのではないかとのこと。が、そのオジサンが言うには、わざわざ行くほどの山ではない、と。

雄山の渋滞に巻き込まれて時間がやや押し気味であったので、龍王山へ立ち寄るのは止めておいた。

ピークの直下はハイマツ帯。

13:11、ピークに到着。

富山大学の研究所がある。

剱岳がかっこいい。

たしかに龍王山は簡単に行けそうな雰囲気。
でも行かない。

時間の問題もあるが、なんとなくお腹の不穏な気配が、嵐の黒い雲のように徐々に近付いてきているのを感じていたからだ。

ピークの南側に回りこむと、五色ヶ原と薬師岳。
やはり薬師岳かっこいいなぁ。

さらに右に目を転じると、分厚い雲海。

眺めを堪能したら、浄土山に向かって出発する。
浄土山まではなだらかな稜線だ。

稜線上には、ところどころに池塘が見られた。

池塘の周りは見事なまでの草紅葉。

稜線はなだらかでも切れ落ちる谷は峻険。

稜線の向こうにケルンが見えた。

13:30、ケルンに到着。
これが浄土山のピークか?

ケルンの向こうには軍人霊碑が見える。
が、すでにお腹の不穏な気配が実態を伴い始めていた僕は、なんのかんのと理屈をつけて連れを促し、碑には立ち寄らず先を急ぐ。
こうなってくるともはや、僕と僕のお腹の一騎打ちは避けられない。殺るか殺やれるかだ。

浄土山の下りは、すさまじく岩っぽい。
前月に行った八ヶ岳の西天狗岳の西側斜面を思い出す。
道の雰囲気は似ているが、あの時は天気がグズつき、今は僕のお腹がグズついている。
万全に山を楽しんで終われる日があっても良さそうなものだが、なかなかそういうチャンスにめぐり会えないものだ。

安全な岩を選びながら歩くのももどかしく、もはや連れに気を使うことも忘れてひたすら自分と(というか、自分の腸と)向き合いながら標高を下げていくと、室堂山展望台へ続く道が見えてきた。
まだこんなに距離があるのか、、、絶望しか感じない。

脂汗をかきながら一生懸命歩いても、いっこうに前進している実感が湧かない。
トレイルが永遠に感じる。

この期に及んで、決して歩きやすくない道が続く。

13:53、立山室堂山荘が見えた。
近くて遠い。
ひとつ言えることは、絶望感を感じるには充分な距離だということだ。

ここまで来ると、室堂展望台への道との合流点はすぐそこだ。

ここでついに、連れにカミングアウトする。
「ごめん、、、ちょっと、、、、お腹が痛い」

本当は「ちょっと」どころではない。
さすがに連れもそれを察したのか、先に行けと言う。
ここまで来れば、あとは石畳の道だから、トラブルに見舞われることもなかろう。
というわけで、連れを置き去りにして全速力で立山室堂山荘に向かう。

ここから立山室堂山荘までコースタイムにして約30分弱。
果たしてそこまで、僕の括約筋は耐え切ることができるのか。本気のマッチレースである。

合流点から最初こそ、石が敷き詰められているだけの道だが、
すぐにコンクリートで固められた石畳になる。

この石畳をのんびり歩いている観光ハイキングの皆さんに、
「すみません、先に行かせてください」
と、泣きそうな声で道を譲ってもらいながら、ひたすら先を急ぐ。

が、寄せては返す便意の波。
次第に、立ち止まって苦痛に顔を歪めながら天を仰ぐ頻度が増していく。
括約筋だけでは押さえられず、大臀筋まで動員して戦わなければ、押し切られる勢いだ。
もちろん、大臀筋を動員してしまったら、歩けなくなる。
だから立ち止まるのだ。

そうして立ち止まり、便意と戦いながら撮った写真がこちら。
立山室堂山荘まで、まだ山手線の駅一区間ぐらいの距離がある。

空を見上げたら、昼にもかかわらず死兆星が見えたかもしれない。が、虚空を見つめる僕の目には、もはや立山室堂山荘以外の何も映ってはいなかった。
小説『火垂の墓』の冒頭では、地べたにへたり込んで立ち上がる力も無くなった主人公が、便意と戦い、そして敗れる姿が描かれているが、とても他人事とは思えない。

事ここに至り、コンスタンティノープルに立て篭もってオスマン帝国との絶望的な戦いを繰り広げた人々の気持ちが分かるような気がした。
援軍が期待できるわけでもなく、ただひたすらに城壁や城門を破られないよう、繰り返されるオスマン帝国軍の攻撃に耐えるだけの防衛戦。
彼らを奮い立たせたのは、使命感でも、勝利の栄光でもなく、城壁を破られた後に待っているジェノサイドへの恐怖だったに違いない。
僕も、括約筋を突破されたときに待っているジェノサイドが何よりも恐ろしかった。人間としての尊厳を失うだけでなく、その後どうやってテントへ帰るのか。考えるだに恐ろしい。その恐怖心こそが戦いへのモチベーションとなっていた。

14:10を少し回ったぐらいに、立山室堂山荘に到着。
(この写真は、後から撮影したものだ。)

受付のお兄ちゃんに、泣きそうな顔をしながら
「トイレ貸していただけますか」
と申し出る羞恥プレイ。

「上がっていただいて、奥です」
と冷静に受け流すお兄ちゃん。

嗚呼、登山靴を脱がなくてはならないのか!
前かがみにならないと靴ヒモをほどくことができないわけだが、これはお腹を一番圧迫する姿勢だ。
だが、躊躇っているヒマはない。
南無三!と気合で乗り切り、靴を脱いでトイレに駆け込む。

すると、最後の刺客が、トイレの1つしかない「大」の個室で僕の行く手を阻んだ。
5歳ぐらいの男の子がドアを開けっ放しで用を足し、お母さんがそのそばで、
「出た?大丈夫?」
などとケアしているのだ。

なんだこのシチュエーション。
古すぎて、今どきコントでもこんな場面設定しないぞ。

ショックのあまり僕は危うく入滅しかけたが、なんとか意識を保ち、無言で5歳児を待つ。
もはや括約筋は使い物にならない。大臀筋がフル稼働である。

そんな僕のただならぬ気配を感じたのか、お母さんが5歳児を急き立てて退出していった。
ありがとう、おかげで間に合いました。

抑えていたものを放出しながら、道を譲ってくれた家族連れハイキングの人たち、外国人カップル、そしてお母さんと5歳児、全ての人々への感謝の念が溢れ出て止まらなかった。
皆様のおかげで、なんとか無事に済みました。

それもこれも、携帯トイレを持参しなかった僕が悪いのである。
朝、剱御前小舎のトイレで「携帯トイレの回収ボックス」を見かけたとき、なんとなく引っかかるものはあったのだ。まさしく虫の知らせ。

さて、用を足しながら痛む腹をさすると、ちょっと驚くぐらいに冷たかった。
これは完全にお腹が冷えたのだ。
厳冬期ならば腹巻を着けておくのだが、まだ9月だからと油断したのがいけなかった。
腹巻と携帯トイレは、やはり僕の必須アイテムと考えなければならない。


用を足し終わると、もはや精も根も尽きた抜け殻となった。
全身全霊をかけて立山室堂山荘にたどり着いたわけで、もはや立っているのがやっとという状態である。
なんとか山荘前の広場で連れと落ち合い、それでも立ち上がる気力すら無くしばらくベンチに座り呆ける。
日差しが心地よい。

広場から見上げた浄土山は恨めしいほどに美しかった。
よく無事に帰ってこれたものである。

雄山には残念ながら少し雲がかかっていた。

なんとか重い腰を上げ、連れに労わられながら、ヨロヨロと石畳を歩いてみくりが池温泉へと向かう。冷えたのだから、温めれば良いのだ。

石畳の道は、ヒットポイントがほぼゼロとなった今の僕には、剱岳のカニのタテバイよりもキツかった。
ここで遭難しかねない勢いである。

14:57、みくりが池温泉に生きてたどり着くことができた。

じっくりと温泉で温まり、なんとか人心地ついたところでテント場に戻る。

安息の場であるテントまでもう少し。
と思って、雷鳥荘の前から雷鳥沢キャンプ場を見下ろして、卒倒しそうになった。
まさしく、立錐の余地も無いとはこのことである。
シルバーウィークがいよいよ本気を出してきた観がある。
これは、夜になってもけっこううるさいんじゃなかろうか、と不安になった。

が、そんな心配は無用だった。
ヒットポイントがゼロになった僕は、午後7時には昏倒するように眠りについたのだ。


(「3日目 沈殿」につづく)



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