このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2015年9月13日日曜日

山行記 : 2015年8月22、23日 北八ヶ岳 ニュウ、天狗岳 総括



(この記事は「2日目 天狗岳から唐沢鉱泉」の続きです。)


今回のルートは、「登山」というよりも「八ヶ岳の自然を楽しむ」ことを主旨として企画した山行であり、その気になれば日帰りでも行けないことはないようなコースを、たっぷり1泊2日で時間をかけて歩いた。

兎角最近は、ウルトラライトであったりトレイルランニングであったりスピードハイクであったりなどの影響で、
「より短時間でより遠くまで」
という登山が流行っているが、移動距離ばかりが登山の目的ではない。

山には、立ち止まらなければ見えないものがある。
立ち止まって気配を消して、そっと耳を傾けなければ聞こえない音がある。

走るのも良い。遠くまで行くのも良い。
僕もトレイルランニングスタイルで山を楽しむことも多々あるし、ウルトラライトのアイテムを取り入れてその恩恵にも与かっている。そのような山行スタイルを否定するどころか、積極的に取り入れている方だと思っている。
が、それだけで良いのか。

僕がトレイルランニングの大会にエントリーしなくなったのも、まさにこのような疑問からだ。
なぜ大挙して同じ時間に、同じコースに押し寄せ、しかもそのコースの詳細が事前に明かされることもなく、そのために読図のしようもなく、読図しなくても良いように道しるべだらけのルートをただただ闇雲にタイムを気にして急がねばならないのか。

もちろん僕は、前述のとおりトレイルランニングやウルトラライトを否定しているわけではない。
山に対する取り組み方の問題である。
だから、いわゆるトレッキングの人たちに対しても違和感を持つことが度々ある。
10人だの20人だのの大規模パーティで山に来て、ぎゃーぎゃー騒ぎながら、あるいは、ただただ前の人の尻ばかりを見て黙々と歩くジジババたちは、いったい何が楽しくて山に入るのだろうか。

今回の北八ヶ岳山行は、このような疑問に対する解のひとつとして取り組んでみた。
滞在型でもなく、踏破型でもない、ゆっくり歩いて度々立ち止まるという、自然観察型の登山だ。

反省点としては、時間をたっぷり確保したつもりが全然足りなかったということ。
やはり、植物や野鳥を観察しながら歩くのは、思ったより時間のかかるものであった。
コースタイムの倍は見ておくべきだったかもしれない。


このような登山スタイルは、いわゆるピークハント目的の人や、スピード重視の人には全く受け入れられないかもしれない。
が、山の名前だけ知っていても、そこに生えている植物の様子や暮らしている生き物のことを知らずに、その山を知っていることになるのだろうか。

その山の由来、民話・伝説、歴史、植生、生物、地質などまでカバーしてこそ、「山を知っている」ということではないだろうか。
今後も、足元にある小さな価値の一つひとつを見逃さず拾い上げていけるような登山を積み上げていきたいと思うのだ。


(了)



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