このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2013年8月25日日曜日

山行記 : 2013年8月20日~8月23日 槍ヶ岳~大キレット~穂高縦走 1日目 槍平



(この記事は「計画概要と0日目」の続きです。)



山の朝は早い。

6時到着予定の夜行バスだったはずなのに、4時半に目的である新穂高温泉に到着してしまい、さっさと降ろされる。
予定外に早い。眠くて仕方がない。

もちろんまだ辺りは暗く、ヘッドライトを着けて出発の準備をする。
ボーーッとした頭では段取りよく準備をすることはかなわないが、どうせ今日は槍平小屋泊まりだから、コースタイムにして4時間ほどしか歩かない。ゆっくり準備をしよう。

もちろん、こんな早く着いたのだから槍ヶ岳山荘まで登ってしまうという手も考えたのだが、こんな睡眠不足ではまともに歩けそうもないので、予定通り槍平小屋泊まりで良かろうと判断した。

5時を過ぎると、少しずつ明るくなってきて、ヘッドライト無しでも見えるようになってきた。

バスが去った新穂高温泉バス停には、いっしょに乗ってきた登山者たちがまだ待機していた。
彼らはどちらに向かうのだろう。

5:07、新穂高温泉バス停を出発。
まずは新穂高ロープウェイの駅に向かう。

途中、登山指導センターに立ち寄って、登山届を提出。

が、この登山届に書いた通りの行程になるのかどうかは天気次第なので、なんとも心もとない。

5:20、新穂高ロープウェイの駅に到着。

営業開始前なので、扉は固く閉ざされている。

もちろん僕は、西穂に向かうわけではないので、ロープウェイには用が無い。
その脇を通る林道を歩くわけだ。

5:27、突然「槍穂高登山道」という道標が現れる。

あれ、しばらく林道歩きが続くんじゃなかったっけ?
しかも、やたら道が細いし、鬱蒼としている。大丈夫か、これ?

と思いながらも、試しに入ってみると、またすぐに林道に出た。
単なるショートカットだった。

その先すぐに、舗装路が途切れて砂利道になる。
うん、林道っぽい。

この退屈な林道をダラダラ歩き、5:40、ゲートに到着。

この林道は、ひたすら沢沿いをあるくのだが、そもそもこの林道は、砂防ダムを作るための工事用の林道なんじゃなかろうか、というぐらいに砂防ダムがたくさん設けられている。

この砂防ダムは滝谷まで続いている。が、この林道の終点はそのずっと手前の白出沢出合だ。

5:52、また林道から登山道への分岐。

ここも随分と鬱蒼としているので、入るのをためらっていると、後ろから来たニーチャンが、「これ、確か林道のショートカットだよ」と言って、ズンズン入っていった。
地図で確認したら、林道をそのまま歩くと大幅にぐるっと遠回りになるので、この登山道で正解の模様。
入ってみると、本当に鬱蒼としていた。
今後の登山道が全部こんな感じだったら憂鬱だなぁと思っていたら、変な踏み跡に吊られてルートをロストしてしまった。危ない危ない。
引き返して登山道を再発見し、事なきを得る。

6:20、鬱蒼とした登山道を抜け、穂高平小屋に至る。

すでにこの時、かなりの睡魔に襲われていたので小屋に寄って休憩をしようか悩んだのだが、特に明確な理由もなく先を急いでしまった。
この判断について、あとで少し後悔することになる。

再び退屈な林道歩き。

6:44、大きな沢筋とぶつかる。地図によると柳谷か。

このあたりを歩く頃には、歩きながらも眠くて眠くて、歩いている最中に寝落ちしてしまいそうになっていた。
といっても、寝転がれるような場所もなく。
こんなことなら、穂高平小屋で少し寝ておけばよかった。。。
そういえば、前回の夜行バス利用での甲斐駒ケ岳も、初日は辛かったなぁ。

7:33、穂高岳山荘へ直登するルートとの分岐が現れる。白出沢出合の分岐だ。
ここから穂高岳山荘までは、コースタイムで7時間。途中には山小屋もテントサイトも無い。できれば歩きたくない道だ。。。

そのすぐ先、白出沢に出るところに、なにか人工物があった。
近づいてみると、登山者向けの仮設休憩所だった。

テントに入ったネームから、おそらくこのあたりの砂防ダムなどの工事をしている建設会社のご厚意であろうことが伺える。
眠くてしかたないので、座って休憩を取る。
見ると、テーブルの上に、この休憩所に救われた人からの感謝のメモが置かれていた。日付はもう半月も前のものだ。

白出沢に出ると、沢沿いに治水工事用のものだろうか、工事車両の入れるような道が作られていた。
もちろん、登山者は沢を登っても仕方がない。
沢を渡って北東に進む。

これを渡ると、石畳と言うにはややワイルドな登山道が現れる。

その石畳も次第にワイルドさを増していき、すぐに単なる登山道となる。

8:20、「ブドウ谷」の標識が現れるが、樹木が生い茂っていて谷っぽい感じは目視では確認できず。

登山道に突き出た岩を登ったり降りたりしながら変わり映えしない景色の中を進んでいくと、登山道脇の茂みから足元に何か飛び出してきた。
蛇かと思ったら、カエルだった。

しばらく眺めていると、反対側の茂みに消えていった。
向かう先は右俣谷の沢か。

数歩先に進むと、山側の斜面に岩室が現れる。

人が2人ぐらい座ってビバーク出来そうな広さがあるが、実際にそういう用途を想定しているようで、石室の手前には
「緊急避難場に付キジ打等禁止」
の看板が立てられていた。

8:56、ガレた沢が現れる。これがチビ谷か。
この谷筋を登り詰めた先には崖が。
この崖の名前は、地図を見てもイマイチよく分からない。

その後も黙々と歩くが、眠気は去らない。
すでにトレッキングポールを出して、転ばぬ先の杖として使っているが、たまに意識が朦朧として岩や樹木に人の顔が見えるようになってきた。
トランスジャパンの選手がよく、レースの後半になると幻覚が見えるというが、僕は1日寝不足になっただけでいろんなものが見えるようになるらしい。
といっても、こんなところで座り込んでいたら、全身虫刺されだらけになってしまう。
滝谷避難小屋がキレイな小屋だったら、少し寝ていこうと考え、それを励みに前に進む。

この谷筋は、比較的樹木の背丈も低く、晴れていたらきっと南岳や中岳あたりが見えるのだろうけど、この日は重くガスが立ち込め、どれがどの尾根なのかの特定も難しい状態だった。
せっかく平日にわざわざ休みを取って訪れたのになぁ。

9:22、滝谷出合に到着。

滝谷避難小屋はこんな感じ。
あー、、、こういう感じかぁ。。。
寝るのは諦めて、あと1時間、槍平小屋までがんばることにする。
ここでで避難小屋まで上がらずに、そのまま川原を直進することにしたため、沢の流れの浅いところを探して渡渉したのだが、渡渉してから振り返ると、避難小屋の手前から橋が渡されていた。
ショック・・・。
そんなわけで、滝谷では二重にショックを被った。
いっそのこと、石の上に寝てしまおうかとも思ったが、体を冷やしても良いことは無いので休憩せずに進む。

ここで、やたらデカいザックを担いだ若い女性に抜かされた。
あんな重そうなザックを担いでいる人、しかも女性に抜かされるとは・・・。
やはり修行が足りないようだ。

滝谷を渡っても、登山道は石がゴロゴロだ。


槍平へ向かう道は、いったん右俣谷の沢の流れからは離れる。

槍平が近付くと、登山道と沢が再び近づくので、しばしの別れ。

このあたりまで来ると、ある程度視界も開けてくるので、来し方を見れば西穂が見えるはずなのだが、今日はガスっていて何がなんだか分からず。

9:54、大きな一枚岩に道標が書かれていた。

10:09、名もない沢を渡り、
次第に沢の音が近づいてくる。
槍平は近い。

10:34、槍平小屋に到着。

槍平小屋の前は、たくさんの花が咲き乱れていた。
これはトリカブト。
今、まさにトリカブトが花ざかり。

早々に受付を済ませ、客が誰もいない小屋でくつろぐ。

いざ小屋に着いてみると、眠気が遠のいた。
談話室には『岳』が全巻揃っていたので、1巻から読み直す。
これから自分が向かう場所での滑落死亡事故なんかが描かれていると、気が引き締まる。というか、怖い。

13時すぎに、いいかげん退屈になって横になると、即時寝落ち。
目が覚めると、現役引退世代の男性が2名、同室になっていた。
それぞれ68歳と65歳で、ソロでの登山の模様。
結局この日は、20人ほどの収容力のあるこの部屋に宿泊するのは、僕とこのお二人だけだった。

なかなか濃いお二人で、すっかり僕は話の聞き役に回ることに。
ここで詳らかにするわけにはいかないが、いろいろと興味深いお話が聞けた。
混んでる山小屋ではなかなかこういう機会を得難いが、この日のように宿泊客が少ないと自然と交流が生まれるもので、山の楽しみの一つでもある。

夕食は17:30から。
(ごはんの写真はiPhoneで撮ったのだが、翌日の嵐で壊れてしまったため、画像は残っていない。)
たいへん美味しくいただいた。


その後部屋に戻って、再び同室のお二人のお話を聞く。

21:00、消灯。
外では激しく雨が降っている。
明日の天候を憂いつつ就寝。

明日も早いのだ。


(「2日目 嵐の槍ヶ岳」つづく)







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