5月の半ばに、仲間を連れて両神山の八丁尾根に行こうと思っている。
昨年、剱岳で敗退したメンバーでリベンジを期すためのトレーニング山行だ。
といっても、僕自身、八丁尾根に行ったことがない。ペーパードライバーの僕では、公共交通機関に頼れない場所には行きづらいのだ。
が、まさか自分が行ったこともないところに、実力に不安のあるメンバーを連れていくわけにもいかないので、下見のためにソロで八丁尾根に行ってきた。
今回の予定ルートは、
秩父鉄道三峰口駅からタクシーで上落合橋の登山口までアプローチ。(料金は約1万円、、、涙)
そこから、八丁峠に上がり、八丁尾根を両神山へ。
両神山山頂からは日向大谷コースを下り、日向大谷からバスを乗り継いで西武鉄道西武秩父駅に向かう、という流れ。
八丁尾根は初めてなので、スケジュールに余裕を持たせ、清滝小屋に1泊することとした。だが、もし時間的に問題が無いようであればその日のうちに日向大谷に降りてしまうつもりだ。
装備は、上記のような山行計画を念頭に、ツェルト、ペグ、グランドシート、スリーピングマット、シュラフを持った。ただし、ストーブは持たず、食料は日持ちする惣菜パンを持っていくことにし、不足分のカロリーはミックスナッツで補うことにした。
それらの装備とヘルメットをブラックダイヤモンドのエピック45に詰めると、もうパンパンだった。
出発当日、朝5時過ぎに家を出た。
睡眠は3時間ちょっとしか取れなかったので、ミサワ状態だ。
高田馬場から所沢までは西武新宿線の急行で。
所沢でレッドアロー号に乗り換え。
テンションが無駄に上がる。(吉高由里子ファンであることも無関係ではない。)
その後、西武秩父駅で秩父鉄道の御花畑駅に徒歩で移動するのだが、これが5分程度かかる。
乗り継ぎの時間は11分。何かちょっとした引っ掛かりがあれば、乗り継ぎに失敗する可能性がある。
そして、その「ちょっとした引っ掛かり」は、西武秩父駅の改札で早速待ち構えていた。
ゴールデンウィークの初日であるこの日は、山岳救助隊員などが秩父地域の主要な駅前で事故防止の呼びかけをしていたようだが、西武秩父駅でも同様であった。
改札口を出た瞬間に、どう見ても山岳救助隊にしか見えない人が僕の行く手を遮り、
「登山届はもう出されましたか?」
と尋ねてくる。まだ出していないし、登山口で出すつもりだということを説明しても、今ここで出していけと言う。
電車に乗り遅れるから勘弁してくれと説明しても、何時の電車に乗るのかと食いついてくる。時間を告げるとやっと開放してくれる方向となったが、それでも、リーフレットを渡され、そこに記載されているURLにアクセスしてネットで提出しろという説明が続く。
なぜ登山口で出すのではダメなんだ!
電車に乗り遅れちゃうじゃないか!
おかげで、御花畑駅では駅員に、乗るんだったら早くしろと怒鳴られる始末。
秩父ってこういうところなのか?!
----(ここからちょっと話が逸れて、登山届と遭難についての話)----
もちろん、実際に登山届も出さずに遭難しちゃうバカが秩父あたりの山では多いらしく、県もかなり難渋しているという話はよく聞く。
これは、行き当たりばったりな登山者がいかに多いか、という悲しい実態をよく表している事象だ。
人間というのは、頭の中だけで「だいたいこうだ」と考えるだけでは、想定すべき事項が抜け落ちるということが多々発生する。それは、人間である以上、どうしても避けられない認知力の限界だ。
だからこそ、図や文字に書き表して、チェック漏れが無いかを確認する必要がある。
実際にそれを踏まえての計画を明文化したものが登山計画書だ。
本当は、これを山行の度に事前に用意するのが望ましいわけだが、実際のところは、そこまでいちいちやってられないというのがホンネだろう。
(僕は毎回必ず登山計画書を作るようにしているが。)
そこで、登山届である。
登山届を提出するということには、遭難時の捜索を迅速にするという効用もあるが、それ以上に、登山計画を(最低限のレベルではあるものの)明文化することで、入山する前に改めて己の行動を認知し直すという働きがある。
認知をすれば、多くの人はその認知に基づいて行動する。逆に、認知が十分でないからこそ、行き当たりばったりで無自覚な行動をするのだ。
つまらんところで遭難する人に限って登山届を出していないのは、まさに己の行動をあらかじめ明文化して認知することを怠っているからに他ならないと、僕は思っている。
もちろん、全てのリスクを認知しきれるかといえば、そうではない。必ずブラックスワンは存在する。また、己の限界に挑むためにはあえてリスクテイクしなければならない場合もあるだろう。
だから、登山計画を万全にすることで全ての遭難が防げるわけではない。
しかし、認知の問題がクリアされるだけで遭難件数は大幅に減少させられるであろうことは間違いないだろう。
山岳救助隊の皆さんが躍起になって登山届の提出を求めるのは、このような実態があるということを嫌というほど目の当たりにしてきたからだろう。
であるとすれば、僕が秩父鉄道に乗り遅れそうになって駅員に怒鳴られたのも、登山届を提出しない無自覚な登山者のトバッチリを食らったと言えなくもない。
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閑話休題。
山行の話に戻る。
なんとか無事、三峰口駅に到着し、駅前のタクシーの営業所から乗車して上落合橋の登山口を目指す。
タクシーの運転手さんは、カーブを曲がるときの遠心力が強いタイプだった。寝不足の僕は、やや酔った。
周囲が山深くなるごとに、道路脇の残雪が目に付く頻度も上がってきた。
運転手さんによると、この季節にこんな場所で残雪を見ることは珍しいとのこと。
さらにその先には、道路脇に潰れたプレハブ小屋があった。
雪の重みで潰れたものだそうだ。
登山道は無事なのか、だんだん不安が増してくる。
その不安は、登山口に着く前に現実のものとなった。
なんと、上落合橋の約2km手前の赤岩橋から先が車両通行止めになっていたのだ。
付近には路上駐車の乗用車が5、6台。
おそらく、八丁尾根に向かった登山者のものだろう。
ここから上落合橋までは、コースタイムで40分。
それほど大きな誤差にはならないが、もし登山道が崩壊していたとして、引き返すためにタクシーを呼ぼうにも携帯電話の電波が通じるかどうか怪しい。
このまま引き返そうか思案する。
が、もし登山道が崩壊しているなら、路駐の車の持ち主と出会すだろうから、頼み込んで便乗させてもらうという手もある。
最悪の場合、時間もあることだし、何時間か歩いて降りれば電波を受信できる場所に出られるだろう。
そう考え、意を決してタクシーを降りる。
念のため、運転手さんの名刺をもらって、電話で配車をお願いできるようにした。
そんな僕の不安を他所に、赤岩橋のヤマザクラは美しい満開だった。
奥に見えるのは、ニッチツ所有の廃屋。
寮かなんかだったようだが、今では打ち捨てられ、厳しく立ち入りが禁止されている。
9:13、いよいよ登山口に向けて歩き出す。
舗装道路を登山靴で歩くのは苦痛だが、沿道にはツツジが咲き誇り、目を楽しませてくれる。
打ち捨てられた重機のタイヤと、工事用ヘルメット。
通行止めにしているだけあって、道にはたびたび落石が転がっていた。
路肩が崩落している箇所も。
それでも、瀬音を聞きながら、赤岩尾根の岩っぽい山肌を眺めたり、花を愛でたりしながらのアスファルト歩きは気持ちよく、ウォーミングアップとして好ましいものだった。
途中、沢の対岸で、ガラガラガラッという、大きな落石の音がした。
いつ聞いても気が重くなる音だ。。。
上落合橋が間近に迫った頃、背後からエンジン音が聞こえた。
道路を整備する工事車両かと思って振り返ったら、オフロードバイクが2台、こちらに向かってくる。
どうやら、通行止めを無視して入ってきたようだ。
オフロードバイクの人はこういうことしがちだよなぁ、、、と。ちょっとモヤモヤする。
9:55、上落合橋の登山口に到着。
その先には通行止めの注意版が。
オフロードバイクの2人は、これも無視して先に進んでいった。モヤモヤ。。。
登山口には、登山届のポストの他に、入山数調査のカウンターが置かれている。
カウンターをガチャッっと1回押し、登山届のポストに登山届を出して、ハシゴを登る。
そう、この登山口はいきなりハシゴで始まる。
先が思いやられる。
登山道は最初、八丁沢沿いにつけられている。
沢にはまだまだ残雪が多い。
登山道はふかふかの落ち葉に埋もれ、雪解け以降に訪れた人が少ないことを物語っていた。
その落ち葉をカサカサと踏みしめていると、10:07、ルートはいきなり雪渓を渡っていた。
雪渓に残された足跡を見ると、足跡のエッジが立っていないので、前の人がここを通過してから時間が経っていることが分かる。しかも、かなり人数は少ない模様。
赤岩橋にあった車は、全部登山者のものだと思っていたが、違うのだろうか。それとも、八丁尾根ではなく赤岩峠方面に行ったのだろうか。
雪渓を渡るとすぐ、登山道は沢にぶつかる。
あれ?登山道はどこだ?
地図を引っ張り出してルートを確認しても、もうしばらくは沢沿いに歩くはずなのだが、それらしい登山道は見当たらず、まさかこの沢を遡行するのか?と逡巡する。
キョロキョロと辺りを見回すと、上流に向かって左手に、折り返すように踏み跡がうっすらと付いていた。
沢を高巻くように登山道が付けられていた。
次第に道は、杉林の急斜面をつづら折りに上がっていく。
なんとなく、奥多摩湖沿岸から石尾根に直登しているような気分になってくる。が、ここは秩父だ。
なかなかにキツい急登をふうふう言いながら登ると、10:27、八丁峠まで0.9kmの標識が現れる。
見下ろすと、やっぱり奥多摩のような風景。
ところどころに咲いている花。名前は知らない。
ただ、確か、食ったらお腹が痛くなるヤツだったはず。
10:34、登山道にちょっとだけ雪が現れる。
この日、東岳の山頂までの行程で登山道に雪があったのは、ここだけだった。
標高を上げ、次第に植生がスギから広葉樹林に変わってくると、地面に野草が群生しはじめた。
確かこれも、、食ったらお腹痛くなるヤツだよな。。。
途中でシカの糞をたびたび見かけたが、やっぱりシカが食わない草しか残らないのだろうか。
10:47、八丁峠まであと0.4km。
このあたりまで来ると、だいぶ地面まで日差しが当たり、明るい雰囲気になる。
雪の影響か、まだ木々は葉をつけていないようだ。
新緑はもう少し先か。
次第に稜線が近づいてくる。
僕はこの、もうすぐ稜線に出るというタイミングで見る、稜線越しの青空がとても好きだ。
なんとも言えずワクワクするのだ。
10:56、人工的な穴が2つ穿たれた岩を見かける。
何のための穴なのかは見当が付かず。
10:59、稜線直下の分岐に到着。
この分岐には、一瞬ベンチかと思わせる、脱落した看板が打ち捨てられていた。
随分水平に落ちたものだ。
分岐から見た八丁峠はこんな感じ。
八丁峠の展望台。
展望台にはテーブルとベンチが1組ある。
「山と高原地図」には、ここから西上州方面の展望が良いと書いてあったが、
そうでもない。
ここでヘルメット着用。
このあと両神山山頂までに出会った6人の登山者は誰もヘルメットをかぶっていなかったが、穂高のザイテングラードでかぶるんだったらここでもかぶるべきだろう。
八丁峠からは、稜線を東へたどる。
11:10、何かの遺構があった。
辺りに漂うタール臭。
地面に落ちているドス黒い塊が、タールを含む何かなのだろう。
いったいこれは何なのだろう。荷揚げ用ケーブルの土台のようにも見えるが、、、
稜線の反対側に切り通されて開けていたので、様子を見てみる。
手前の、やたら刈り込まれた山は諏訪山だろう。
奥の山々が西上州か。
稜線を先に進むと、次第にゴツゴツした道となる。
11:16、やっと八丁峠から500mほど進んだ模様。
この根っこ道の切通しを抜けると、、
真正面に警告文が。
いよいよ鎖場が始まるのかと思って左手に目を転じると、そこに早速1つめの鎖場があった。
11:20、いよいよ鎖場との格闘の開始である。
1つめの鎖場を越えると、そこには鎖のない岩場が。
11:25、見晴らしのよい小ピークに出る。
東岳から先の稜線がくっきり見える。
あれ? なんだあの急な傾斜は。
あの傾斜を登るんだよな、、、
とりあえず、見なかったことにして先を急ぎ、小ピークから鞍部に降りる。
鞍部に下りると、2番目の鎖が見えた。
鎖にたどりつく前も険しいが、鎖にたどりついてからもホールドになるようなところが少なく苦労する。
ところで、鎖場で鎖に全体重をかけて、懸垂下降のような大勢で両腕の力だけでぐいぐい登っていく人をよく見るが、なぜ鎖をそこまで信用できるか、僕には全く理解ができない。
当然こういったところの鎖は、県や地元の山岳会などによって管理されており、八丁尾根ほどのメジャーなルートであればメンテナンスもよく行われているだろう。
しかし、それでもこの時期は雪解け間も無く、全てに管理が行き届いているという保証は無い。
つまり、鎖が途中で切れそうになっているかもしれないし、留め金が外れそうになっているかもしれない。
下る時には、留め具や鎖を確認しながら下りられるので一定程度のチェックを自分の眼で行うことができるが、登りのときには一切そんなことはできないはずである。
なので僕は、鎖場では基本的に鎖を用いず、岩登りのトレーニングのつもりで岩壁のホールドをアテにしながら登るのである。
このため、鎖を上るというよりも、向かうべき方向を示す道標として用いている。
もちろん、稀にホールドが見つからず、鎖をホールド代わりにすることもあるが、その場合も全体重を鎖に預けるようなことはしない。鎖が切れてもリカバーできるように常に配慮しておくのだ。
なんてことを書いていたら、リポビタンDの新CMが目に入った。
こともあろうに、鎖場で1本の鎖に2人で取り付き、鎖に全体重を預けて登っている。挙句の果てに、鎖の留め具が外れて危機一髪という内容だ。
鎖場では、1本の鎖に1人まで。これ、鉄則な。
この新CMの前の、ビレイもせずにクライミングしちゃうパターンもアホだなぁと思ったが、今回のはアホなのではなく完全に素人である。
さて、2番目の鎖を登りきると、たいへん見晴らしの良い場所だった。
南には雲取山から奥秩父の主稜方面へ連なる山々が一望できた。
2番目の鎖場から尾根道を歩くと、
すぐに3番目の鎖場が現れる。
これを越えると再び小ピーク。この時点で11:40。
この小ピークに立つと、八丁尾根がよく見渡せる。
ものすごく切れ落ちたキレットの右側が東岳。
地図を見るとそのまま稜線をたどるようなので、やっぱりあの急な斜面を登らなくてはならないのか、、、
この小ピークからは、鎖のない急斜面を下る。
そして、いかつい岩を巻き、
11:46、またもや小ピーク。
この小ピークには、小さなケルンが積まれていた。
小ピークの向こうには、絶壁が見えた。
これを登るのか・・・?
近づいてみると、果たしてこれを登るのでした。
4番目の鎖場。
登ると、北側には眼下に岩峰が。
そこから狭い尾根道を歩いて、
11:53、5番目の鎖場に。
木の根を登ると、そこに鎖がある。
その上に、さらに6番目の鎖場。
これを登りきると、行蔵峠だ。12:02。
ピークの反対側まで向かうと、西岳の山頂が見えた。
まずは鞍部まで下りる。
登り返しから、早々に7番目の鎖場が始まる。
この鎖場は長い。
長い。
この長い鎖場を登り終えると、やっと西岳の山頂だ。
道標によると西岳は、八丁峠と東岳のちょうど真ん中のようだ。
ここで昼メシ。
ちょうどいい岩に腰掛けて、日向ぼっこのように日差しを浴びながらおにぎりを食べる。
できればここで昼寝をしたい。睡眠が足りてなくてペースが上がらん。
が、そもそも登山口まで歩いて時間をロスしているので、全然時間に余裕が無い。
できれば今日のうちに下山してしまいたいので、なんとか遅れを取り戻したい。
というわけで、ランチタイムは10分で終了。
東岳へ向かう。
西岳の山頂の東側の端まで行くと、そこには普通の尾根道が。
快適じゃないか!と思ったのも束の間。
12:28、8番目の鎖場は、長い長い下りだ。
岩場は、上りよりも下りのほうが難しい。
特に、僕のようにクライミングをボルダリングジムでばかり練習をしている者には、下り始めが特にツライ。
この8番目の鎖場の下の方で、切り返し。
この岩場を下りきって鞍部に至ると、道標がさらに下を指している。
このコブを巻くようだ。
巻くのはいいが、結局この鞍部からの下りも鎖場。
これで9番目。
コブの下には岩室があった。
もし日向大谷から八丁峠に向かう今回の逆ルートの場合、力尽きたらここでビバークすればいいな。
12:45、岩室のすぐ先でさらに下る鎖場。10番目。
この長い鎖場を下りると、やっと鞍部。
もう幾つめの鞍部だかもよく分からない。
さらに登り返す鎖場、11番目。
ほとんど垂直な絶壁。
そして長い。
登りきって見下ろしてみると、ため息が出る。
これ、基本的に鎖を使わずに登ってるけど、それって普通にビレイ無しでのフリークライミングなんじゃないかという疑念が頭をよぎる。
より気合を入れ直さなければなるまい。
この鎖場の上は小ピークになっていて、祠が建てられていた。
ここまで無事に来れたことのお礼を述べて先を急ぐ。
小ピークからは、東岳のアホみたいな急斜面が見えてゲンナリする。
特に真ん中に見える大岩。
あれ登るのかなぁ、、、巻いてたりしないかなぁ、、、と思って見ていたら、先行する登山者が登っているのが見えた。
嗚呼、、、やっぱりあの岩を直登するのか。。。
もう、ため息しか出ない。
鞍部に向かって下りる手前、岩をトラバースする鎖場が現れる。12番目。
一瞬、鎖の下に登山道がありそうに見えるが、そこに降りてしまうと行き止まりで手詰まりとなるので、岩場を渡るように向こうまで行かなければならない。
が、足場となるような場所が非常に少なく、斜面の角度が緩すぎて手も付きづらい。
これ、オレの苦手なヤツや。
去年の夏の大キレットを思い出す。
(参考画像:大キレットのトラバースな鎖場↓)
「落ちたら死ぬ」感は大キレットのこの場所の方が上だが、足場の悪さという意味では、八丁尾根のこの12番目の鎖場の方が上だと思う。
このトラバースが終わると、いよいよ最鞍部へと下る。
13番目の鎖場。
下りは嫌いだ。
14番目の鎖場。
だから下りは嫌いだと(ry
13:03、たぶんここが最鞍部。
ここにはまだ新緑の春は来ていないようだ。
登り返し。
15番目の鎖場。
その先で、手すりのように鎖が付けられている道があったが、これは鎖場としてカウントしないことにする。
普通の登山道で一息ついたのも束の間、16番目の鎖場が現れる。
確か、この16番目の鎖場上部の写真だったと思うが↓、ちょっと記憶が曖昧。
17番目の鎖場。
この向こうに、東岳の西側斜面のど真ん中にあった、大岩がある。
13:18、その大岩に取り付く、18番目の鎖場が現れる。
この鎖場が、これまた長い長い。しかも、ほぼ垂直。
正直、怖い。
で、この鎖をてっぺんまで登ると、アカンところまで登ってしまうことになる。
この岩まで登ってしまう前に、写真やや右手に見える登山道に降りなくてはならない。
僕はこの岩の上に登ってしまって、逆層状の岩の上で呆然と座り込んでしまった。
さらに19番目の鎖場が続く。
そろそろウンザリしてきた。
振り返ると、これまで歩いてきた稜線が丸見え。
時間の割に大して距離が稼げていないなぁ。
20番目の鎖場。
21番目の鎖場。
22番目の鎖場。
13:34、この連続した鎖場を登ったところは、まだ東岳ではなかった。
愕然とする。
ただの小ピークだったようで、いったん下る。
尾根の左手には、えげつない岩峰が見える。
ここから、稜線のコブを巻いて、
13:39、やっと東岳の山頂に到着。
先ほどの岩峰が、より間近に見える。
これだけ目立つ岩峰なら既に誰かが登っているのだろうけど、その記録どころか、この峰の名前すら分からない。
次はいよいよ両神山の山頂を目指す。
東岳から見えるこのピークは、前東岳の手前の顕著なピークと思われるが、地図には名前も載っていない。
ここから先は、これまでのような厳しい道ではない(はず)だ。
13:45、稜線上に、綺麗な節理の岩があった。
まるで正方形を切り出す作業をした跡のようだ。
平凡だが快適な尾根道を歩く。
険しいところでもこんな程度。
多少岩っぽくても、鎖は無い。
14:08、半ば朽ちた道標によると、両神山まであと0.2kmだそうな。
まさかここが前東岳?
結局よく分からない。
14:10、稜線の岩を東側に巻くように道が付けられていた。
この道はいったいどこまで下るのだろうかと不安になるが、
すぐに登り返しとなる。
この東側斜面は日当たりが悪く、ところどころに雪が残っていた。
とはいえ、慎重に歩けばアイゼンは要らない。
14:13、23番目の鎖場が現れる。
この岩も、端正な節理が特徴的であったが、逆層ぎみでやや登りにくい。
そのすぐ上には、24番目の鎖場。
ここを登りきると、またもや小ピークが。
この小ピークのてっぺんには、石碑が立っている。
これを見て、両神山が信仰の山であることを思い出した。
こうやって石碑を奉納するのが修験の山の習わしだ。
その石碑の北側には、今巻いてきた尾根が連なっている。
ここはちょっと歩きたくないな、、、
南側には、ついに両神山の山頂が見えた。
やっとここまで来たか。
平凡な尾根道をたどり、14:22、ついに両神山の山頂にたどりついた。
山頂の一番てっぺん。
そして、石の祠。
両神山の山頂に至るまでには、すれ違った人が4人、僕を追い越した人が2人いただけだったが、この山頂には僕の他に5、6人の人がいた。
それらの人が話しているのを聞くと、本当は八丁尾根を歩きたかったが、通行止めのため、急遽日向大谷から登ってきたのだとか。
どうやらそういう人は多かったらしく、下山後に知ったのだが、僕の知り合いもまさにこの日に、八丁尾根を諦めて別のルートから登ったそうだ。
きっとそういう判断をした人が多かったおかげで、鎖場での渋滞に出くわすこともなくここまで来れたんだろうな。
さて、ここでヘルメットを脱いで、さっさと日向大谷方面に下山を開始する。
うまくいけば、今日のうちに下山できそうだ。
下り始めは、いきなりの鎖場。
このまままた鎖場が連続するのかと思ったが、そうではなく、比較的平凡な登山道が続いた。
ただ、迷い道のようなものは多いようで、一見すると登山道のようなところにロープを張って立入を制限している箇所がたびたび現れた。
14:31、ロープ場。
このロープ場のすぐ先は、うっかり直進しそうになる地形だが、実際には左手に折り返すように下る。
直進しないようにトラロープが張られていた。
山頂直下の岩壁の下を歩くように登山道が付けられている。
14:37、鎖が手すりのように付けられている箇所を通過。
その先すぐに、簡易な橋が設置されている。
簡易といっても、手すりも付いている立派なものだ。
快適な尾根歩きが続くが、途中で尾根道が二手に分かれていることが何度かあった。
結局それはまたすぐに1本の道に戻るのだが、何でこんなふうになっているのだろう?
14:47、石仏。
14:48、祠。これが両祇神社か。
両神山が信仰の山であることを再認識するとともに、この日向大谷コースが参道あることに気付く。
同じ場所に、もう1つの祠もある。
白井差コース「廃道」の看板が。
実際は、地主さんの許可を得て通過することはできるようだが。
神社の鳥居と狛犬。
ここで、狛犬が珍しい風貌をしていることに気付く。
そうか、そうであった。
両神神社は、奥多摩の御嶽神社と同じで、狼信仰の神社であった。
両神山が「りょうがみ」と濁るのではなく「りょうかみ」と清音で読まれるのは、「狼(おおかみ)」からの派生であるという説があるぐらいなのだ。
だからこの狛犬も、獅子のような風貌ではなく、オオカミ風(というか、ブル・テリアっぽいけど・・・)なのだ。
ちなみに、御嶽神社の狛犬はこんな感じ↓(2012年11月撮影)。
共通点が全く見当たらない。。。
鳥居をくぐって登山道をたどると、風景がいかにも山の神社の参道っぽくて良い。
14:58、横岩に到着。
ここにも小さな祠がある。
そのすぐ先は階段が設置されていた。
鎖もあるが、その上から覆いかぶさるように階段が付けられているところを見ると、昔は鎖場だったのだろう。
だとしたら、ちょっと過保護すぎやしないか? 信仰登山のルートだからそれもアリなのか。
その先は階段状の急坂。
15:03、鎖場登場。
その後も連続で鎖が登場する。
正直なところ、どの鎖も設置意図がイマイチ分からなかったが、お年寄りがお参りするための補助ということだろうか。
その後快適な尾根道を歩くが、
それを邪魔するように、道標が現れる。
なんでこんな道の真ん中に道標が?と思ってよく見てみると、実は道標の向こう側は間違い尾根で、正しい道はまたもや左側に折り返すように下っていた。
フェイントの多いルートだなぁ。。。。
15:12、食べるとお腹が痛くなる草の群生地を通過。
だいぶ標高を下げてきたということか。
15:15、「鈴が坂」という標識に出会う。
が、どこからどこまでが「鈴が坂」なのかは分からず。
そもそも何が「鈴が坂」なのか、なんで「鈴が坂」なのか、全く分からない。
そのすぐそばから、七滝沢コースへの分岐が現れる。
七滝沢コースとは、会所で再び合流する。
このあたりは陽が当たりにくいということもあり、谷筋にはまだまだたくさんの雪が残っていた。
そろそろ下りにウンザリしてきた頃、やっと清滝小屋が見えてきた。
15:23、清滝小屋に到着。
避難小屋だと認識していたのだがエライ立派な建物だ。
小屋の中は確認しなかったが、宿泊しようとしている登山者が話しているのを小耳に挟んだところでは、布団もあるとか。(←不確かな情報なので、アテにしないでいただきたい。)
トイレも立派。
炊事場まであって、なんと水道が敷設されていた。
なんだこれは。オートキャンプ場か?!
テント場には、すでに10張近くのテントが立てられていた。
ここって、こんなに賑やかな場所なんだっけ??
事前のイメージでは、うっかり下山できずにここに泊まることになった場合、シーンとした中でクマの気配に怯えながら眠れぬ夜を過ごすものとばかり思っていたのに。
こんなに人がいるとなると、もはや奥多摩小屋のテント場と変わらんじゃないか。
こうなると、俄然、今日のうちに下山したくなった。
なにせ、幕営を楽しむような装備は一切持ってきていないのだ。酒すら持ってきていない。
こんな状態で、周囲が楽しげにディナータイムを過ごしているのを羨みながらフテ寝するなんて耐えられない。
トイレだけ借りて、さっさと下山することにした。
ここからはストックを突くことにする。
小屋の直下には弘法ノ井戸。
弘法大師が鎮座し、その足下から清水が湧き出している。
弘法大師が独鈷杵で岩を突いたら水が吹き出した、みたいな伝承は日本各地にある(井戸掘り職人みたいだ)が、ここもそうなのだろうか。
生水はお腹を壊しそうで苦手だが、どうせ今日のうちに下山するのだからと飲んでみた。
雪を解かしたような味がした。
季節柄なのか、いつもなのか、それとも僕の味覚がおかしいのか。
ここからは、沢筋を付かず離れず登山道が伸びている。
沢の水量は決して多くないが、雪渓の雪解け水という感じで風情がある。
この細い流れが荒川に流れ込み、いつか太平洋に注ぎ込むのだろうと考えると、ドキドキする。
ただ、その前に取水されちゃって家庭に流れ込むかもしれないけれど。。。
15:38、石仏が登場。
奉納された石碑や石仏がやはり多いなぁと感心する。
こんな重いものを担いで歩くなんて、考えただけでゲンナリしてしまう。
15:41、白藤の滝への分岐に到着。
寄っていきたい気持ちはあるものの、あわよくば16:36のバスに乗りたいと思っていたのでパスすることにした。
が、ここから少し下ったあたりで、急ぐのがバカバカしくなってしまった。
手頃な岩の上に座り、沢を眺めながら持参したパンを食べて、10分ほどの大休止を取った。
16:36を逃しても、その後もバスはあるのだ。セカセカしても仕方がない。
16:07、いまだ会所にもたどり着かず、16:36のバスは絶望的な状況となりながら、雪渓の流れを愛でる。
雪渓に乗っかるのは怖いけど、眺めるのは良いものだなぁ、などと呑気に歩いていたら、ルートが雪渓を横切っていた。
念仏を唱えながら歩く。
そう、僕は臆病なのだ。
この雪渓上から上流を見上げると、なかなかの迫力である。
16:14、御岳山のロックガーデンみたいなところを渡渉する。
渡渉した先にはまたもや石碑。
その後も沢沿いに歩き、何度か渡渉して標高を下げていく。
16:23、またもや石仏。
薄紫色のツツジも目に楽しい。
16:27、またもや石碑。
こういうのを立てるところって、何か法則性はあるのだろうか。
大きな岩があるところならどこでもいいのだろうか。
そして、謎の分岐登場。
「山道」というのはなんだ?? 登山道も山道じゃないのか? 杣道みたいなものか??
当然地図には載っておらず、確認する時間も体力も無いため、今後の課題としたい。
16:36、たぶんここがたちや堀なのだろう。
道標もあるが、現在地の地名は書かれていない。
沢の落差はやや急で、しかもうねっている。
2つの沢が合流しているのかと思ったぐらいだ。
ここからは、なんと登り返しとなる。
日向大谷コースの地形をあまり事前にチェックしていなかった僕は、この事実に愕然として地形図を見直した。
たしかに登りだ。。。
悄然としながら登山道を進む。
16:37、会所に到着。
ここで七滝沢コースと合流するのである。
16:39、大蛇のような蔦が木の幹に絡みついていた。
B級映画『アナコンダ』を思い出したが、ラストがどんなだったか、全く思い出せない。
日曜洋画劇場で放送してたのを2回ぐらい見たはずなんだが・・・。
そもそもあの映画に、ストーリーらしいストーリーなんてあったっけ・・・?
崖と崖に挟まれた狭い登山道を進み、
そこそこキツい登りを経て、
なぜか今さら鎖場を下りる。
いい加減疲れてきた。
16:52、何度かのアップダウンを経て、比較的水平な登山道を歩いているとき、谷川の木々に面白い状態を発見した。
背の高い白っぽい幹の木はまだ葉っぱが生えておらず、背の低い木の葉っぱはすっかり新緑状態だ。
背の高い木の葉が生えるのが遅く、低い木の葉が生えるのが早いのは、そういう組み合わせでこそお互い生きていけるということなのか。
これが、葉の生える順番が逆だったら、低い方の木には日光が当たらず、成長できないということになってしまうのだろう。
16:54、細い沢(きっと雪解けが済んだら枯れ沢になるのだろう)を渡渉。
16:55、またしても謎の分岐。
裏側になっている表示を見ると、
ここでも「山道」という案内が。
だから何の山道なんだよ。
かまってられないので、先を急ぐ。
地味な登り斜面を歩き、
16:59、またもや謎の分岐に出くわす。
だから「山道」って何なんだよ。
そのすぐ横には、顔の潰れた坊さんの像。
もう、イベント盛り沢山だな!
沢を挟んだ反対側の斜面には、白い花が咲き乱れていた。
17:05、またもや石碑が現れる。
そのすぐ先には、地図に載っていない神社。
17:07、ついに下界が見えた!
17:08、この谷筋を渡るところを境にして、道が石垣で補強される。
はじめて目にした日向大谷は、花に囲まれた山里だった。
17:10、ついに両神山荘に到着。
次のバスは18時過ぎのはずなので、まだまだ時間はたっぷりある。
両神山荘で山バッヂを買って、もし可能なら軽く何か食べさせてもらいたい。
まずはバス停の場所を聞くことからコミュニケーションをはじめてみた。
庭先に出ていたオカーチャンをつかまえて、
「すみません、バス停はどこでしょうか」
と尋ねた。
すると、この下に降りたところだからすぐ行け、とのこと。
え、でも、バスの時刻まで随分あるよ??
それでも、もうバスが行ってしまうから早く走って降りろ、とオカーチャンに急き立てられる。さらには、建物の中に居たオトーチャンまで声を張り上げて早くいけと声を張り上げる。
僕は何がなんだかさっぱり分からないまま勢いに負けて、山バッヂも買わずに走って降りた。
すると、バス停には、10人程度の登山者がバスを待っていた。
バスは居ない。
みんなこのままあと1時間も待つのだろうか、と思っていると、なんと、バスが来たではないか。
あれ?なんでこんな早くに??
GW用の臨時便なのだろうか。
まあ、せっかくなので乗らせてもらう。
17:25、バスは日向大谷を出発する。
途中、薬師の湯に停車して、何人かの登山者が下車した。
あれ、オレが乗ろうと思ってたバスは、薬師の湯に止まらなかったはずだぞ?
このとき僕は、小鹿野町役場に向かうバスに乗っているつもりだったのだ。
小鹿野町役場でバスを乗り継ぎ、西武秩父駅で下車するつもりでいたわけだ。
その路線からは、薬師の湯は外れていたはずなのだ。
でもまあ、きっと自分の調査ミスだろうと、特に大きな問題も感じず、再び窓の外を流れる景色をぼーっと眺めていた。
しかし、、いつまでたっても小鹿野町役場に着かない。
40分程度でつくはずなのに、もうすぐ乗車して1時間近く経とうとしている。
不審に思っていたその時、薬師の湯のバス停の表示が急に鮮明に脳裏に蘇った。
そこには確かに【三峰口行き】と書いてあった。
マジか!三峰口か!また秩父鉄道に乗るのか!
そう、このバスは、僕がその存在を認識していなかった三峰口行きのバスだったのだ。
いや、特に問題があるわけではないのだが、あんなに調べたのにこの路線の存在に気付けなかったとは、情けない限りだ・・・。
そんなわけで、最後の最後で訳のわからないサプライズが発生してしまった。
その後、西武秩父駅からレッドアロー号に乗って都心に帰還。
帰宅したのは夜9時を回っていた。
こうして僕の長い1日が終わった。
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