『その峰の彼方』を読み、笹本稜平さんの著書を少し読んでみようかと思い、店頭POPで映画化の文字が掲げられている『春を背負って』を読んでみた。
舞台となるのは奥秩父。
架空の山小屋を中心とした、山の短編連作ものだ。
奥秩父は地味な山域だ。関東甲信地方の人しか興味を持ってないんじゃないか、と思うぐらい人が少ない。おかげで、この登山ブームの昨今ではありがたいほどに、静かな山域だ。
その静かな山域の中でも特に静かな場所、国師ヶ岳と甲武信ヶ岳の間の稜線からちょっと下ったあたりに建っているというのが、この架空の山小屋の設定だ。
作者によると、「富士見」あたりをイメージしたとのこと。そんなこと言われても、このへんを実際に歩いたことのある人じゃないとピンと来ないのではないか。それぐらい話題に乏しい場所である。
だが、僕にとっては、奥秩父は退屈ながらも好きな山域で、国師ヶ岳から甲武信ヶ岳の稜線も一年半前に歩いている。(その時の模様はこちら)
本作を読んでいると、その時の記憶がリアルに蘇ってくる。
眺望も良くなく、クソ退屈なばかりの稜線。
6日間のテント泊の装備を背負ってのしつこいアップダウン。
整備されてなくて、しばしば不明瞭になる踏み跡。
たびたび道を塞いでいる倒木。
歩いている最中はしんどいばかりで、良い点と言えばせいぜいコケが北八ヶ岳なみに茂っていることぐらいしか無いように感じていたが、振り返ってみると懐かしくなってまた行きたくなる。
作品中、舞台となっている山小屋の主人が大弛小屋の主人と話をするシーンなどもあるのだが、それなどは大弛小屋のご主人の声で脳内再生される有様だ。
ああ、また行きたい。
肝心の本作だが、例によって登場人物が魅力的すぎて、またもや嫉妬してしまう。
ただ『その峰の彼方』とは違って、登場人物は皆それぞれに弱さを抱え、その弱さと折り合いをつけながら生きている。より親近感の湧くキャラクター設定だ。
奥秩父という地域設定と相まって、本当にそこにそういう小屋があって、そういうスタッフが居るような、そんな気持ちになってくるから不思議だ。
(ちなみに、僕が行ったときは、国師の山頂で登山者と出会ったのを最後に、甲武信の山頂まで人間と会うことは無かった。)
いてもたってもいられなくなり、とりあえず今年のゴールデンウィークは瑞牆山荘から入って甲武信から徳ちゃん新道を下りることにしようと決意した。
ゴールデンウィークの国師~甲武信は、残雪が深くトレースも期待できないため、せめて歩行を楽にするためにスノーシューを持っていこうと思う。
ちなみに、今月号の『PEAKS』の特集の中で、『春を背負って』が取り上げられた。
映画『剱岳 点の記』木村大作監督によって映画化されるということを受けて、映画の話題と笹本さんのインタビューなどが掲載されていた。
映画の方は、舞台が立山連峰だったり、登場人物が変わっていたりと、もはや原作とは全く異なるものになっているが、そりゃ映画にするなら奥秩父ではないわなぁ、とは思う。
でも、奥秩父だからこそよかったのに、、、と思うと、非常にさみしい。
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