山の朝は早い。
たとえ下界にたとしても、入山の朝は同様に早いのである。
思うに、山に入ろうと考えた時点から、人はすでに山に居るのかもしれない。
朝5時、僕は小淵沢駅近くの宿泊施設で目を覚まし、時計代わりにテレビを付けっぱなしにしながら身支度をしていた。
NHKにチャンネルを合わせていたら、「小さな旅」という番組で、瑞牆山を取り上げていて、今から八ヶ岳というときに奥秩父の話もどうなのかとも思ったが、そのまま見てしまった。
その番組は、どちらかというと瑞牆山よりも富士見平小屋にフォーカスしているような内容で、富士見平小屋のご主人のシーンのほうがヤスリ岩などよりも余程印象的だった。富士見平小屋のご主人オススメのスポットというのも鷹見岩だったし。それ、瑞牆山ちゃうやん。
それはともかく、あのご主人はやっぱり富士見平小屋が好きだから、決して便利とは言えないあの場所にあるあの小屋を引き受けたんだなぁと、なんとなく気持ちの伝わってくる番組だった。
閑話休題。
人の山は人の山。
なにしろ、僕のような半畜な登山者にとって、これからの3日間はそれなりにシンドイ行程なのだ。目の前の課題である自分の山にしっかり集中しなければならない。
6:00、いよいよ出発。
前日入りした小淵沢駅近くの宿泊施設から観音平までタクシーで移動。
小淵沢駅から観音平まで歩くという猛者もいるが、僕の脚力と日程ではそこまでカバーすることは無理。それに、アスファルトを登山靴で歩くのはまっぴらだ。
観音平駐車場には15分ほどで到着する。
駐車場はすでに満車状態。さすが連休初日だけあって、世間の皆様も気合が入っているということだろうか。
観音平駐車場には簡易トイレが2台設置されている。
ここでしっかりと用を足さないと、その後は編笠山を越えて青年小屋までトイレはない。
登山道の入り口は、駐車場の奥のほうにある。
お決まりの「熊出没注意」と入山届のポスト。
もちろん、どちらも抜かりは無い。安全第一。
6:25、出発。
最初はなだらか。
が、なかなか迫真のポスターが貼られていた。
南八ヶ岳といっても、このあたりはまだまだ岩稜の印象は無く、奥多摩あたりを歩いているのとあまり印象は変わらない。
花の見ごろはちょうどトリカブトの時期。
中二病をこじらせている僕としては「この根っこの毒を使えば・・・。ふっふっふ」などと意味もなく不敵に笑みを浮かべてしまうのだが、通報はしないでください。
山は次第に勾配が増し、登山道の岩もゴロゴロしはじめる。
7:15、雲海に到着。
いったい何故「雲海」という地名なのかは、まったく分からず。
標高が1800mちょっとだから、雲海がきれいに見えるということでもないだろうし。
そもそも、樹木に囲われていて、ほとんど眺望は無い。
ピンポイントで、富士山だけが見えた。
まさか、富士山が見えるように、そこだけわざわざ伐採してたりするんじゃないだろうな・・・。
まだ歩き出してから1時間も経っていないので、休憩せずにさっさと先を急ぐ。
このあたりの風景は相変わらずの樹林帯で、雲取山の三峰側を歩いているかのような錯覚を起こす。
7:57、押手川到着。
年配の登山者が数人、談笑しながら休憩していた。
ここには押手川という名前の由来を解説した看板が設置されていた。
張り出した尾根の先っぽなのに「川」とは何故?と思っていたが、こういうことだったのか。
ちなみに、看板には「観音平から1時間30分」と書いてあるが、山と高原地図では1時間50分になっている。さらにちなむと、僕のタイムは約1時間半。実際はみんなそんなもんなのかもしれない。
展望台もちょっと見てみたい気はするのだが、時間に余裕が無いのでスルーして、そのまま編笠山のピークへの直登ルートを歩き出す。
このあたりから、次第に登山道が険しくなり、斜面も角度がキツくなってくる。
標高を上げていくと、次第に木々の間から眺望が得られるようになってきた。
南アルプスの山々は、残念ながら細切れの雲に遮られて姿が一部しか見えず。
さらに標高を上げていくと、標高2,300mあたりからはさらに斜面がキツくなり、登山道も険しさを一段と増す。
早くも汗だくになりながら、ついに森林限界を突破。もう頂上はすぐそこだ。
そして、9:31、編笠山の頂上に到着。今回の山行の記念すべき一つ目の峰であり、同時に僕にとっての八ヶ岳最初の峰でもある。
標識の後ろに見えているのが、ギボシと権現岳だ。
ってことは、今からあそこに登るってことか。そう思った瞬間に早くも心が折れた。
スタートしてからまだたったの3時間後の出来事である。
気を取り直して山頂からの眺望を確認する。
編笠山は南八ヶ岳のほぼ南西端に飛び出る形で屹立する円錐形の山なので、山頂からの展望は非常に良い。
はずなのだが、残念ながら遠くに行くほど雲がモザイクのようにかかっていて、何処がどれなんだかよく分からない。
とりあえず、こんな感じの風景。
情けないことに、どっちの方角を写したのかも既に覚えていない・・・。
なんだかもどかしいような眺望にガッカリしながらも、次のピークを目指す。
それが、前述したとおり、ギボシと権現岳だ。
威圧感たっぷりだ。
本気で帰りたくなる。
そんな気持ちを奮い立たせ、己のケツを叩くようにして編笠山を降りる。
山頂から権現岳方面へのルートは、山頂の北東角にある。まさに鬼門の方角だ。
山頂直下はしばらく樹林帯の細い登山道。
しばらく下るとハイマツ帯になり、鞍部に青年小屋の屋根が見える。
ハイマツ帯を抜けると、今度は岩場となる。
大きな岩の上を飛び跳ねるようにして進み、9:56、青年小屋到着。
トイレはこんな感じ。
青年小屋から編笠山を見上げると、樹林帯と岩場のトーンがくっきりと分かれているのが分かる。
青年小屋は、入り口の手前にメニューが掲示されている。
ペットボトルのお茶を1本購入。
小屋の裏には広々としたテント場がある。
そのテント場の入り口手前の分岐を北東に向かうと権現岳方面だ。
あのイカツイ山を登るのかと思うと、ついつい足が西岳方面に向かいそうになる。
心の弱さを断ち切り、権現岳を目指す。
登るとすぐに視界が開けてきて、立場岳がよく見える。
その後すぐに見えてくる崖。
この断崖絶壁を左手に見ながら進むと、今度は登山道が崖っぽくなってくる。
岩に描かれた赤い「○」をたどって、ひたすら登る。
あああ、これが下から見たあの岩稜帯か・・・。
ギボシのてっぺんが近付いてきた。
鎖場を通って、
ギボシのピークの手前を通って、
ヤセ尾根を歩いて、
11:12、権現小屋に至る。
このころはすでに、権現岳周辺はガスに包まれ、吹き渡る風は少しひんやりしていた。
たまにガスの切れ間から陽光が差すととても暖かく感じる。
権現小屋は、土間の両サイドに就寝スペースがある、昔ながらのスタイルの造りだ。
ちょうどいい時間なので、ここでラーメンとコーヒーを注文する。
注文して10分ちょっとでラーメンが出てくる。
ラーメンを食べつつ、さらに待つこと10分以上。コーヒーが出てくる。
合計で25分程度。
これはかなりのタイムロスになってしまった。せめてラーメンだけにしておけばよかった。。。
そんなわけで、コーヒーを急いで飲み干し、慌てて権現岳の山頂に向かう。
権現小屋のすぐ上にある道標。
さらにそのすぐ先にある道標。
この2つの道標にちゃんと注意を払っていなかったのが、後々の悲劇へとつながっていくのだが、それは後の話。
11:53、権現岳山頂に到着。
山頂に剣が刺さっているという体だ。
周りは全部ガスっていて眺望がなかったので、そのまま慌てて赤岳方面に進んだ。
・・・はずだったのだが、ここでトラブル発生。
赤岳への分岐が権現岳の手前、つまり、権現小屋からこの山頂に至るまでの前出の2箇所の道標のところにあったということに気付いていなかった上に、ガスっていたので景色から判別することもできず、そのまま東に向かってしまったのだ。
権現岳山頂のすぐ東側にある祠。
ここに来て、なーんか道の様子が変だなーとは思ったのだが、周りに他の道があるわけでもなく、時間を気にして焦るあまりコンパスで方角を確認するするのを怠ってしまい、そのままずんずんと登山道を進んでしまった。
僅かながら人通りもあったことが、余計に油断を招く原因にもなってしまった。
そのままずんずんと斜面を下る。
先にも述べたとおり、視界は不良。
それでも、地図を見ると(コンパスは見ずに地図だけ見ていた)、こんなに標高を下げるようなルートになっていないはずなのだ。
10分ほど下りたところで、いい加減おかしすぎると思い、通りかかった年配の登山者グループに
「これは赤岳方面への道ですよね?」
と聞いてみると、ビックリして
「赤岳?! これは三ツ頭に下りる道だよ」
とのこと。
ヤベー!やっちまった!
慌ててコンパスを確認すると、確かに進行方向が南東だ。
権現岳から赤岳へは北上しなくてはならないのに、ほぼ真逆に向かってしまった。
教えてくれた登山者グループにお礼を述べて踵を返し、10分かけて下りてきたキツい坂を一気に登り返す。
天に向かって呪いの言葉を吐きながら、10分で権現岳まで辿り着いた。完全に息は上がったが、タイムロスを最小限に抑えるには飛ばすしかない。
さて、権現岳まで戻ってはみたものの、赤岳に向かう分岐がどこにあるのか分からない。
仕方なく、またもや他の登山者に分岐の在り処を聞いてみたところ、
「権現小屋の手前だよ。」
とのこと。
ここでやっと、前述の道標に思いが至る。あれが赤岳への分岐だったのか!
またもや慌てて駈け戻り、やっと分岐に着いたのが12:19。
今度こそ迷わず北上。
権現小屋でただでさえタイムロスしているのに、こんな初歩的な道迷いでさらにタイムロスをするとは。無念さにホゾを噛む。
ヤセ尾根を経て、
その後すぐに現れるのが、長いハシゴ。
山と高原地図にもわざわざ「長いハシゴあり」と書かれている、そのハシゴだ。
これが、垂直なら全然問題ないのだが、角度が中途半端に緩いために、足を乗せにくくて却って怖い。けっこう高度感もあるので、それなりに丹田に力を入れて集中しなければならないポイントだ。
このハシゴを下りきった後は、またヤセた尾根を歩いて、ちょっとした岩場なども登り、
12:46、旭岳のピークと思われる場所を通過する。
その後しばらく尾根道を歩くのだが、風はほとんど無いものの、視界が非常に悪い。
道は迷いようのないぐらいに明瞭なのだが、先ほどの凡ミスもあるので、視界が効かないのは不安だ。
途中のなんでもない小ピークに、他の道標とは明らかに異質な道標が立っていた。
支柱には、「故 芹澤君追悼標」と書いてある。
うわー、、、、まさかここで息絶えたのか?<芹澤君
なんかもう、前にも後ろにも人の姿は見えないし、なんだかもうイヤになってくる瞬間だ。
ということで、先を急ぐことにする。
13:13、ツルネ到着。
道標には「出合小屋」への分岐があるかのように書かれているが、山と高原地図にも国土地理院の地形図にも、ルートは一切かかれていない。つまり、バリエーションルートですらないということだ。決して気安く下りてはいけない。
ツルネのすぐ北にあるピークには、大きなケルンが積み上げられている。
やっぱりガスで視界は不良。
周りに人の姿もなく、ガスの中にただポツンと立っているケルンというのは、何とも気味が悪いものだ。
その脇を足早にそっとすり抜け、先を急ぐ。
その先を下ると、稜線のルートとは別に、東側に下るキレット小屋への分岐が現れる。
青年小屋で買ったペットボトルのお茶が空になっていたので、キレット小屋でドリンクを補給するために、稜線の道から外れた。
13:32、キレット小屋到着。
すでにこの時点で、予定のタイムスケジュールよりも30分の遅延が発生していた。
スピードを上げているつもりなのに、タイムを縮めることができず、焦りと疲れでヘトヘトになっていた。
キレット小屋の売店でお茶を買おうとしたら、よりによってお茶だけ売り切れ。もうこの際だからと、コカコーラを買うことにした。これでエネルギーを投下して、一気に巻き返しを図ろうという決意だ。
八ヶ岳全山縦走を3泊4日でおこなうスケジュールであれば、きっとキレット小屋が初日の宿泊地になったのであろう。
が、僕のこの日の宿泊予定地は、赤岳天望荘だ。つまり、赤岳の向こう側まで行かなくてはならない。
気合を入れなおして、再び歩き始める。
キレット小屋から稜線に戻る合流地点は、まさにキレットになっているのだが、そのキレットに出る頃には次第にガスに切れ間が見えるようになってきた。
すると、前方にただならぬものが垣間見えてきた。
あれ、なんだあれ??
もしかして、西遊記とかで出てくる金角・銀角が住んでる魔の山じゃねーの??
まさかあそこは登らないよな・・・?
ドキドキしながら歩を進める。
キレットに到着すると、下界が薄っすらと見えるまでにガスが晴れていた。
そして、ガスが晴れたおかげで、見たくないものが前方に見えてしまった。
もはや誤魔化しようもなく明瞭に、そこがルートであることがハッキリとした岩峰。
今となっては、青い空すら恨めしい。できることなら、今すぐ家に逃げ帰りたい。が、今来た道をそのまま帰るのはもっと苦痛だ。。。
まさに、行くも地獄、戻るも地獄。
オレはいったい何のためにこんなことをしているのだろうか。。。
もはや「絶望」の二文字だけを心に抱いて、呆然としながら岩峰に取り付く。
ここには鎖もロープもなく、ただ、岩に書かれた「○」「×」を目印に三点確保で崖をよじ登るという行程が待っていた。
背中に背負った70リットルのザックの重みが僕を岩から引き剥がそうとする。
その上、岩がもろく、ホールドや足場は慎重に選ばなければならない。選択を失敗すれば、岩もろとも100m以上滑落すること請け合いだ。
ここでは撮影機材(といっても、単なるiPhoneだが)をうっかり取り落としてしまったら回収不能になるため、ほとんど撮影が行えなかった。
なので、残念ながら僕のオリジナルの情報で充分にお伝えすることができない。
そこで、この岩峰の状況をよくレポートされている記事をご紹介したい。
http://mountaingo.at.webry.info/201011/article_4.html
こちらのブログの、
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/001/213/96/N000/000/025/128842345663016122912_20100910293.jpg
の画像は、まさに僕の感じた恐怖を再現してくれていて、見ているだけで手汗が滝のようになる。
地図でいうとここ。
山と高原地図では、
「ルンゼ状 落石注意」
としか書いていない。
こんな怖いところのコメントがこれだけかい!
崖を登りきり、西を見ると、阿弥陀南稜がそのエゲツない姿を露にしていた。
あんなところ無理・・・。
神経の高ぶりが静まらないまま、その後も幾つかの鎖場や岩場を越える。
高ぶりのあまり逆上せたような状態で、ただただこんなところに来てしまったことを後悔しながら、ひたすら前に進んだ。
振り返ると、今歩いてきたヤセ尾根。
まさにナイフリッジ。
前方には赤岳。その手前には竜頭峰。
まだまだキツい道のり。。。
怪しい雲行き。
いくつもの鎖場、ハシゴ、岩場を越えて、竜頭峰の手前まで来ると、赤岳のピークと赤岳山頂山荘が間近に見えてくる。
ここまで来れば、あと一息だ。
そして、竜頭峰。
ここからまた岩壁を越える。
もういい加減にして欲しい。
15:38、赤岳山頂にやっと到着。
さすが赤岳、山頂も混み混み。
山頂にある祠。
山頂からの眺望はゼロ。恨めしいガス。
山頂直下には赤岳山頂山荘。15:42到着。
入口は大混雑。
だが、僕の宿泊場所は「山頂」のほうではなく「天望」のほう。
ここから赤岳をぐいぐい下りていかなければならない。
けっこうな斜度のザレた登山道を下らなければならないのだが、もうすぐ到着だということで気にならなくなってしまっており、ガンガン飛ばす。
すると、次第にガスの向こうに本日の宿・赤岳天望荘の屋根が見えてきた。
このとき、前方(つまり下のほう)から、
「うわー!」
という叫び声と、ガラガラガラ!という石の崩れ落ちるような音がした。
ハッとして、急いで下りてみると、登山道で小学生ぐらいの男の子がコケていた。しかも単身である。保護者の姿は見えない。
聞くと、
「お父さんとお母さんは荷物を持ってもう行っちゃった」
とのこと。驚きである。
おそらくは天望荘に投宿するのだろうが、もうその山小屋が見えているからといって、こんな小さな子供を一人で歩かせるなんて、いくらなんでも危険すぎやしないか。
放置するのもなんなので、
「じゃあ、しばらくおじさんと一緒に歩こうか」
と声をかけ、その子のスピードに合わせてゆっくりと天望荘に向かった。
天望荘手前のフラットになったところで男の子は僕を振り返り、
「もう大丈夫です。ありがとうございました。」
と礼儀正しくお辞儀をした。
ここまで来ればたしかに大丈夫だろうと思い、僕は先に行かせてもらうことにした。
なお、後で天望荘内でその男の子を見かけたときに、えらく美人な女性と一緒だったのだが、おそらくそれがお母さんだったのだろう。
16:09、赤岳天望荘にやっと到着。
身も心も疲れ果て、へたり込みそうになるのを堪えながら受付を済ませ、荷を降ろした。
(「【1日目その2】 赤岳天望荘の夜」編につづく)
0 件のコメント:
コメントを投稿