このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2014年9月21日日曜日

今回の『Coyote』は星野道夫特集

恥ずかしながら、星野道夫を初めて知ったのは、ここ数年のことだ。
初めてその作品に触れたとき、僕は
「出会うのが遅すぎた」
という思いと、
「若い頃に出会わなくてよかった」
という、矛盾する思いが錯綜した。

もし若い頃に、星野道夫の作品に出会っていたならばどうなっていただろうか。

僕は20代の頃、極端に失うものの少ない、刹那的な生活をしていた。(今も本質的には、大して変わらないわけだが。)
だから、星野道夫の強烈な生き方、そして、メッセージ性の強い作品に触れていたならば、もしかしたらアラスカに旅立ってしまっていたかもしれない。

が、その一方で、そのような衝動に駆られながらも未知の世界に対する恐怖感が勝って最初の一歩を踏み出せず、悶々とするばかりだったかもしれない。

いずれにしても、当時の僕に何らかの影響を与えずにはいなかったであろう。
そうなれば、おそらく、今の僕のちっぽけだけれど平穏な日々は無かったものと思われる。
(良くも悪くも。)

なにしろ、心の瑞々しさを失ったオッサンになってから出会ったにもかかわらず、星野道夫の作品とメッセージは、僕にマッキンリー登山を決意させたのだから。
(マッキンリーには、50歳の年に会社を1ヶ月休んで行く予定だ。それまで鍛錬を積んで、体力および技術の維持・向上に努めなければならない。)

そんな星野道夫特集を組んだ雑誌『Coyote』には、書店でたまたま出食わした。

普段は手に取ってもみないような雑誌だし、そもそも普段足を踏み入れないようなコーナーに置かれていることが常なのだが、たまたま(本当に、たまたま)近所の本屋で目に入って、即購入したのだ。

ページをめくると、星野道夫自身の過去の作品と、縁者による追悼が、絶妙な構成で配されていた。
その文章の一句一句に胸が熱くなり、写真の一枚一枚に心を奪われる。

夏草の生い茂る広大な大地の写真(蚊が多いんだろうなぁ)や、岩と雪と氷の写真(寒いんだろうなぁ)を見るにつけ、この場所に未だ訪れ得ぬ自分の人生に意味などあるのだろうかと、嘆きと興奮の入り混じった気持ちになる。

東京で己の食い扶持を稼ぐのに汲々としている今の生活の対局にある(少なくともそう見える)アラスカの大地。
たまらん。たまらん。たまらん。


来年あたり、1週間ぐらい休暇取って行ってこようかな。。。
マッキンリーは日程的に無理だけど。。。



山行記 : 2014年9月13日~ 剱岳リベンジ 総括




(この記事は「2日目 登頂!」の続きです。)


今回の剱岳登山は、登頂には成功したものの、考えさせられることの多い山行となった。


その第一が、登山における目的意識の在り方である。

薄々気づいてはいたが、今回一緒に登った2人は山そのものが好きなわけではなかった。
単なる達成意欲からメジャーな山に登頂することをモチベーションとしていただけだった。
このため、2人は登頂を果たすと、一刻も早く帰京したがった。

それに対して、僕は、山の中に身を置くことそのものが幸せなのである。
こんなに天気の良い剱岳に巡り会えるなんてそうそう無いことであるし、全ての景色を堪能しきって脳裏に刻み込み、時間が許す限りその景色の中に身を置きたいと思うのだ。

そのモチベーションの在り処の違いが、2日目の下山時に、僕に地獄を見せた。
2人の希望とはいえ、なぜこんなに急いでこの場を去らなければならないのか。
天気が悪かったり、場所がショボかったりするのではない。こんなにも素晴らしい景色の中にあって、脇目も振らずに帰宅を急ぐことに僕個人は何の価値も見いだせなかった。

登山に対する価値観のすり合わせは、パーティとして行動する際には非常に大切なことだと、改めて痛感した。


第二に、安全に対する配慮の欠如だ。

今回、連れの2人の希望を受け、かなり急いで下山をした。
室堂に着いたときには、僕だけでなく、連れの2人も体力の限界を迎えていた。
なにしろ、朝の5時にテントを出発し、ロクな休憩も取らずに16時まで行動し続けたのだから。
無事にその日のうちに帰京できたのは良かったのだが、安全登山の面から考えれば、これは大変危険な行為である。

そもそも、体力ギリギリまで急ぐというのは不測の事態を招きやすく、同時に、不測の事態を招いた際の対応に不備が生じやすくなる。

例えば、道を間違えた際に、安全登山のセオリーからすれば道を間違えた地点まで引き返すのが正しいとされる。
が、体力が無いと、その引き返す行為に過剰な負担を感じ、いい加減な目測で歩いてしまって状況を悪化させ、遭難に至るのである。
もちろん、危機管理意識の不足による判断ミスもあるだろうが、体力的な負担を強く感じることも、このような遭難を引き起こす大きな要素なのだ。

だからこそ、自立した登山者は、体力を使い果たすような歩き方をしてはいけない。
今回の僕は、連れの2人の希望に押され、その大原則を怠ってしまった。
このような山行の仕方をしていれば、遠からぬ将来、必ず遭難する。まさに『孤高の人』の結末のように。
これは今回の最も猛省すべき点である。

登山においては、

・そのリスクテイクには意味があるのか。
・リスクテイクに対する、最低限のリスクヘッジ策は用意されているか。

の2点を、必ず反復しなければならない。
それは、低山だろうが岩山だろうが、同じだ。

この点に関して、僕はもう一度反省と総括をすることなしに、次の山に向かうわけにはいかない。


第三に、自身の山の知識に対する慢心があったこと。

今回僕は、熊鈴も熊スプレーも持って行かなかった。
おそらく今回の登山道は人間がアリの行列のように連なっているだろうし、わざわざそんな場所に熊が現れると思わなかったからだ。
ましてや、2日目の剱岳核心部では、そもそも熊が来ることも無いだろうと思っていた。
熊の生態に関する本を10冊以上読んだし、ネットや雑誌でも情報収集に努めていたので、その判断には自信があった。

が、今回、登山道において熊のものと思われる真新しい糞を2箇所で目撃した。
1箇所は、雷鳥沢から剱御前小舎に至る雷鳥坂で。もう1箇所は、なんと、平蔵のコルでだ。

雷鳥坂はまだしも、平蔵のコルのような急峻な岩だらけの、ロクに餌も無いような場所で熊の糞を見かけるなんて思いもしなかった。
だが、これは僕が、身に付けた知識を十分に活かしきっていなかったことの証左である。

というのも、かつての北アルプスの猟師たちの話を思い起こせば、槍ヶ岳の西鎌尾根で熊を撃った話などはいくらでも出てくる。
西鎌尾根に現れるなら、平蔵のコルに現れても不思議は無い。
それがちゃんと頭の中で繋がらず、「こんな標高の高い岩ばかりの場所に熊がいるわけが無い」とタカをくくってしまっていた。
己の判断ミスを恥ずかしく思う。

ちなみに、平蔵のコルの糞については、僕の周りにいた登山者たちは「熊がこんなところに来るわけがない。きっとカモシカの糞だ」と口々に言っていた。
が、それこそ無知の至りか、目の前の現実を受け入れられない愚か者である。
カモシカの糞などコロコロのツブツブなのだから、熊の水っぽい巨大な糞と見間違うわけがない。熊の糞は食べ物によって様子が変わるのだが、こんな大きい雑食性の糞は、熊しかいない。
自身の油断と、人間の「バカの壁」を痛烈に指摘する糞であった。

なお、人間の糞にも見えないこともないのだが、もしこの糞が人間のものであるならば、内容物からして、随分無茶な食生活を送っている様子に同情の念を禁じえない。


第四に、これは僕の反省ではないのだが、鎖場でガチャ類を使うのは却って危険であるということ。

昨年、剱澤小屋で出会った年配の男性に、ロープ等による確保無しでカニの縦ばいに行くのは危険だと諭された。
その点については、もちろん僕も事前に検討した結果、一般登山道として整備されている箇所で慣れないガチャ類を扱うのは却って危険であるという判断に既に至っていたので、その意見を容れることはしなかった。

今年、カニの縦ばい・横ばいを含む岩場を実際に登り降りした結果として、十分に整備されている印象を持ったし、これだけ整備されているにも関わらず別途ガチャ類で安全確保をしなければならないような人は、剱岳に登るべきではないという思いを強くした。
つまり、前年の自身の判断は誤りではなかったことを確信するに至ったわけだ。

実際、ガチャ類をつけている人を見ると、岩登りの技能がおしなべて低い。
そんな岩登り技能の低い人がガチャ類の扱いに慣れているはずもなく、岩場の途中で鎖にカラビナを噛ませようとしてモタモタしている姿は、滑稽を通り越して危なっかしいことこの上ない。
ガチャの扱いは、無意識に素早く行うからこそ安全器具として役目を果たすわけで、カラビナを鎖に噛ませるのに集中してしまって他の事に気が回らなくなるようでは、意味が無いばかりか却って危険でしかない。カラビナに集中している間に、上から落石が来たらどうするのか、無意識に足を動かしてしまい落石を引き起こしてしまったらどうするのか、もしかしたらちょっと足を動かしただけで踏み外してしまって自分自身が落ちてしまうかもしれない。

つまり、ガチャ類の扱いに慣れているような人間にとっては、鎖で整備されたルートでガチャ類を使う必要は無いし、ガチャ類の扱いに慣れていない人間がガチャ類を使うことは危険でしかない。結果、一般登山道として整備されているルートにおいてガチャ類を使うべき人は存在しないのである。

また、これは本質的な議論からは外れるが、ガチャ類をつけてモタモタしている人は、渋滞のキッカケになっていることも多い。
未熟なら、トレーニングをして未熟でなくなってから臨むべきなのだ。



今回は思うところの多い山行になったため、総括がやたら長文になってしまった。
が、これは僕が次のステップに進むに当たって必要な総括である。
こうして文章に起こし、その文章を人目に触れさせるという緊張感の元に精査することで、初めて己の心に刻み込まれる。
今回の山行の反省は、そこまでしなければいけないほどの課題を孕んでいると、僕は思っている。
いわば、これは僕の懺悔だ。

今後も僕は他者を山に連れて行くだろうし、より困難な課題に取り組みもするだろう。
そのような時、パーティのメンバーや自身の安全を確保するために、これを心に深く刻むものである。


(了)



2014年9月20日土曜日

山行記 : 2014年9月13日~ 剱岳リベンジ 2日目 登頂!



(この記事は「1日目 剱沢キャンプ場まで」の続きです。)


山の朝は早い。

特に、剱岳の別山尾根のように激しい渋滞が予想されるようなルートでは、できるだけ早く出発して他者に先んじ、渋滞を回避することが肝要である。

だからといって早ければ良いというものでもない。
暗い中を歩くのは、やはり一定の危険を伴う行為ではあるので、果たしてその折り合いをどうつけるかが勝負となる。

そこで我々は、日が昇る前の朝5時にテント場を出発することにした。
そうすれば、少なくとも剱澤小屋や剣山荘に泊まっているツアーの団体客には先んじることができるだろうという読みだ。
逆に、それより早いと足元が見えにくく危険と判断した。


朝3時半、シュラフから這い出してテントを出ると、そこは満天の星空だった。
月明かりに浮かび上がる黒々とした剱岳のシルエットが、嫌が応にも僕達の心を煽る。
その剱岳には、早くもヘッドライトの行列が。
いったい何時に出たんだ・・・。

そんな様子を横目でチラチラ見つつ、寒さに震えながらお湯を沸かし、飯を無理矢理胃袋に詰め込む。

出発前にフライシートに付いた水滴を払っておこうかと思い、素手でフライシートの表面を撫でてみると、大量の突起物がザラザラと手に触れた。
びっくりしてよく見てみると、それは水滴ではなく氷の粒だった。
夜中に降った雨が凍ってしまったのだろう。
完全に氷点下である。
まだ9月中旬なのに。。。


そうこうするうちに、空が少しづつ白んできた。
そして、5:07、ついに我々は剱岳の山頂に向かって歩き始めた。

空にはほとんど雲が無く、この上ない晴天。風もほぼ無く、剱岳に登るのにこれほどまでのコンディションはそうそう望めないような天候である。
この時のために、1年半前から面倒なトレーニング山行を企画し、メンバーを育てて来たのだ。心ゆくまで堪能しようじゃないか。


次第に白んでくる空は、刻々と剱岳の表情を変えていった。

後立山方面の空が、オレンジ色を帯びてくる。

その光が当たる場所は、明るくなるのも早い。
剣山荘は早くも朝のたたずまいだ。

一方、剱御前は先っぽのほうがモルゲンロート。

秒単位で変わる空模様。

5:35、剣山荘に到着。

剣御前の上には月がかかっていた。

剣山荘を通過し、一服剱を目指す。

5:40、いよいよ日の出だ。

剣御前も全体が赤く染まる。

別山の影になって、剱澤小屋やテント場には、まだ陽は当たらない。

5:46、このルート最初の鎖場に差し掛かる。
全くもって大した鎖場ではないのだが、さっそく詰まる。
これではこの先が思いやられる。

すでにエラい人口密度だ。これだから混む山に混むタイミングで来るのはイヤなのだ。

稜線に出ると、前剱の先っぽが見えた。

5:53、2つめの鎖場。

5:58、一服剱に到着。

ここまで来ると、富山湾を一望できる。

一服する間もなく、目の前の前剱に向かって歩き出す。

去年は一服剱までだったので、ここから先は我々にとって未知の世界だった。
意外にも一服剱の北側斜面(前剱に向かって下る斜面)には草花の生い茂っていた。

初秋を感じさせるトリカブト。

アザミ。

野イチゴ。

草花を愛でながら、武蔵のコルに降りる。

コルから一服剱を振り返ると、意外と穏やかな顔つき。

前剱への上りに差し掛かるところには、浮石や落石に対する注意喚起のプレートが設置されていた。
実際、けっこう浮いてる石が多くて、足の置き場には慎重にならざるを得ない。

こうして急登をジリジリ登ると、
気付けばけっこう標高があがっている。
振り向けば一服剱は目線より下。

後立山の山々もよく見える。

前剱の手前で、大岩の脇を抜ける。
この大岩から、3番目の鎖場が始まる。
この鎖場は、大岩の脇を抜けたあと、稜線に上がるまで続く。

6:35、稜線に出る。

剱沢方面の眺めも最高。

ここから再び稜線を外れ、前剱のピークを目指す。


標高を上げると、同じ剱沢でも見え方が変わる。
見飽きない風景であることだけは確かだ。

6:40、前剱のピークのすぐ手前まで来ると、ついに剱岳が間近に見えた。
もうすぐあの頂に立てるのだ。
(と思ったが、ここからが長かった・・・。)

足元を見ると、下草は凍っていた。

6:42、前剱のピークに到着。
人多すぎ。

富山湾もしっかり見えた。

源次郎尾根のギザギザももう目の前だ。

ここまでは良いペースで来ているので、この先も何とかサクサクと進みたいものだ。
そう思いながら剱岳方面に向かうと、いきなりの渋滞。
いったい何をモタモタしているのかと思ったら、崖の向こうはこんなことになっていた。
なんだこれは。ひどい。
どうやら、前剱の門のあたりで詰まっている模様。
ここからは、随所で大渋滞に巻き込まれることになる。
1年で一番混む日に来ているのだからやむを得ないのだが、それにしてもゲンナリする。

6:58、やっとアルミの橋まで来る。
前剱のピークを出発して、たった数百メートルに15分以上もかかってしまった。

アルミの橋の下は、切り立った沢になっている。

アルミの橋を渡った後も、延々と待たされる。
前剱のピークから橋までが如何に短い距離であるかは、振り返るとよりハッキリ理解できる。
あのてっぺんから右下の橋まで、たったこれだけの距離に15分以上もかかったのだ。
ひどい。

その後、岩を回り込んで前剱の門に下るのだが、この下りの大したことない鎖場が渋滞の起点になっていた。
この程度の鎖場でモタモタするような人は明らかに訓練不足なので、前剱までにしておいて欲しいものだ。


この渋滞箇所から、カニの縦ばいが目視できるようになる。
やはりすごい渋滞だ。
列の終わりが岩陰に隠れてしまうほど。
うーん、あと30分ぐらい早く出ておけば良かったのだろうか。

渋滞の起点である鎖場を抜け、明らかに渋滞の原因となったであろう登山者を3名ほど抜かす。
そのうちの一人はもうこの時点ですでに、前かがみになって両手を膝についている。ここでバテる(もしくは心が折れる)ようであれば、これ以上進むべきではないだろうに。

尾根に出ると、大きなケルンが。

7:34、登山道が珍しく尾根の西側に付けられている箇所にたどり着くと、ここから平蔵の頭までベッタリと渋滞していた。
ここから平蔵の頭に取り付くまで、この日陰の登山道でひたすら待つ。
天気が良いのだけがせめてもの救いだ。

僕が待っている30分の間にもどんどん渋滞の列は伸びていく。
もはや最後尾がどこなのかも分からない。

8:05、やっと平蔵の頭に取り付く。

取り付き地点からは、ちょうど鹿島槍の姿が見えた。

平蔵の頭は足場に乏しく、鉄の杭に頼らざるを得ない。
平蔵の頭を乗越すと、今度は下り。
これは確かに渋滞するわなー。
下まで降りて見上げてみても、その感想は変わらず。
(なお、この平蔵の頭は、下山用のルートが別途つけられているので、交互通行する必要がない。)

次はいよいよカニの縦ばいだ。

平蔵のコルを通り、
8:16、カニの縦ばいの渋滞最後尾に到着。
ここから平蔵の頭を見ると、ひどい険しさに唖然とする。

次第に稜線の東側にはガズが出てきた。

8:29、渋滞の流れが改善されるわけもなく、便秘3日目のような重苦しさを感じて列の後方を見遣ると、平蔵のコルまで列が伸びていた。
平蔵のコルなんぞで待たざるを得ない皆さんは大変だろうな、と思いながらも、こちらは広いテラスのような場所で、足を投げ出して待つ。
陽気もいいし、暇だし、うっかり寝落ちしてしまいそうだ。

それにしても、今どき人気ラーメン店のピーク時だって、ここまで並ばんのではないだろうか。
並んだ先には、ラーメンどころか岩しか無いというのに。
9月の3連休とは、モノ好きが一堂に会する行事が北アルプスなどの各所で開かれる日なのだと改めて認識した。

9:00、やっと列が水平方向ではなく垂直方向に伸びているところまで来た。
下から見ると、かなり隙間なく鎖に取り付いているように見えて、怖い。
こりゃ、登っている時に上から人が落ちてきたら避けようが無いな。

ここで改めて連れの2人に、カニの縦ばいでの緊急回避に関してリマインドする。
  • 悲鳴や「ラク!」という声を聞いたら、上は見ず、両手で鎖にしがみついて体を引き寄せ、顎と脇を締めて投影面積を小さくすること。
  • 石や人が落ちてきても避ける余裕は無い(避けようとして下手に動けば自身が落ちてしまう)ので、上記姿勢で踏ん張るしか無い。
  • 逆に、石を落としたり、自分が落ちたりしないよう、細心の注意を払うこと。
9:08、いよいよ本日の核心部である。
アドレナリンが溢れ出して、耳から吹き出してしまいそうな勢いだ。
散々焦らしやがって、コノヤロー!

このカニの縦ばい、確かに言うだけのことはある。
実際登ってみると、ホールドも足場も岩に求めることが難しく、僅かにホールドになりそうな岩があっても、人間の考えることは皆同じようで、皆が持つから磨かれてツルツルになってしまっており、フリクションゼロ。
必然的に鎖に頼らざるを得なく、三点支持もクソもない状態になってしまう。
特に、カニの縦ばいの上半分はこれが顕著で、写真を撮る余裕は無かった。

さすが、陸軍測量部の猛者が登れなかった岩(って、多分この辺だと思うのだが)だけのことはある。舐めてはいけない。(cf.『剱岳 点の記』)



核心部を抜けて下を見ると、渋滞が平蔵の頭まで伸びていた。ひどい。

ここからは鎖も無く、ただひたすら三点支持で岩をよじ登る。


9:26、カニの横ばいへの分岐に到着。
平蔵の頭が遥か下に見える。

カニの横ばいも既に渋滞。

ここから山頂までは、一息。

だんだん近づいてくる山頂。

ついに山頂の祠が見えた。

9:45、剱岳の山頂に到着。

山頂から見た源次郎尾根。
足元から源次郎尾根が伸びているこの感じ。
ガスが出てしまっていて少し残念ではあったが、ついにここまで来たかと感慨ひとしおである。

記念写真の列(ここも渋滞)に並び、連れと3人で写真を撮る。
目的は達成した。

さて、あとは下山であるが、連れの2人は、なんとかして今日中に東京に戻りたいという。
元々の計画では雷鳥沢キャンプ場でもう1泊して、明日の朝一で帰京というスケジュールを立てていただ、もしサクサク行けた場合には本日の帰京も有り得るという留保事項付きではあった。
問題は、渋滞にハマったおかげで、本日中の帰京が可能なペースではなくなりつつあったということだ。

連れの2人は、あくまで最優先は安全登山であり、それでもなお室堂からの交通機関の時間に間に合えば帰京する旨を伝え、急ぐあまりに安全登山を忘れがちになりそうな2人を押さえつける。


9:55、下山開始。
山頂滞在時間はたったの10分だった。
こんなに焦って下山するのは勿体無いなぁ、と思いつつ、連れの2人の意向を容れて、本日の帰京に向けて努力することとする。

10:04、カニの横ばいの渋滞の最後尾に着く。
縦ばいを登ってきたときよりも、横ばいの渋滞が伸びていた。
恐るべし、剱岳。

実は、縦ばいよりも怖いという評判もある横ばい。
そこに至るまでの道のりもなかなか険しい。

10:31、いよいよカニの横ばいに突入。
ここは、最初の一歩目の足場が見えないのだが、足場自体はしっかりしているので、探りつつ慎重に渡る。
途中で振り返って足場を撮影しようとしたが、あまり上手く撮れず。お察しください。

10:32、横ばいの終点に到着。

すぐに垂直なハシゴが現れる。

ハシゴを下りると、小さな掘っ立て小屋が見えてくる。
それがトイレだ。
が、素通りする。

10:38、平蔵のコルに出る。カニの縦ばいへの渋滞は、まだまだ健在。

渋滞を脇をすり抜け、平蔵の頭へ向かう。

10:45、平蔵の頭を登り始める。

頭を乗越し、
上りルートの渋滞の皆様に見守られながら下る。

上りルートの渋滞は、相変わらず長いまま。

10:54、ケルンに到着。

11:00、前剱の門に差し掛かる。

前剱に登る。
登る。

11:13、気付いたら前剱のピークにいた。
あれ、、、下山ルートではピークを巻くはずだったのに。。。
とはいえ、登っちまったもんは仕方がない。
下山を急ぐ。

前剱の南側斜面からは、剱沢がよく見える。
が、この時は濃いガスが湧いて、半分ほどを覆い隠していた。
前剱から一服剱までの下り斜面では、よく登山者がコケて怪我をするそうなので、慎重に歩を進める。

11:46、一服剱に到着。

ここまで来れば、危険箇所はもう無い。
気を抜いてはいけないが、ひとまず安心である。

すぐに剣山荘も間近に見えるようになる。

11:59、剣山荘に到着。

多少の渋滞と前剱の道間違えのことを考え合わせても、もうちょっと早く歩きたいところだったが、やむを得まい。

さて、ここまで来て、僕がエンストを起こす。
おそらく、連れの二人をここまで無事に連れ帰れたことに対する安堵感で脱力してしまったのだろう。
もはや、剱沢を登り返す気力も残っているか怪しい状態となった。

それでも、少なくともテントまでは帰らなければならないわけで、ゆるゆると進む。

12:26、なんとかテント場にたどり着いた。

が、休む間もなくテントを撤収。
30分でパッキングを終え、再び出発。
なんで山に来てまでこんなに忙しなくしなきゃイカンのだ。。。

どうにも足が重く、ぼっくりぽっくりしか歩けず。
剱沢をゆるゆると登る。

13:47、剱御前小舎に到着。
ペースが上がらないと言っても、コースタイム1時間のところを47分で歩いてるんだから、文句は言わせない。

ここで、10分の休憩。
オレンジジュースを購入し、飲み干す。

次は雷鳥沢目指してひたすら下るルートだ。

立山方面は、山頂付近がややガスっているものの、概ね良好な天気。
が、こんな素晴らしい景色を十分に堪能することもままならないほどに、連れの2人の「今日中に帰京」プレッシャーが強く、フラフラになりながらも先を急がなくてはならない。

まったく、こんなに素晴らしい景色を楽しまずして、何の登山か。

しかも、疲労を押してのハイペースで、九十九折になっている登山道でうっかり足を踏み外して3mほど滑落してしまった。
登山パンツは破れなかったものの、左大腿部を擦りむいてしまった。急ぐとロクなことが無いのだ。


14:51、雷鳥沢の橋に到着。
コースタイム1時間10分のところ、53分で歩いたのだから、文句は言わせん。

ここでまた10分休憩。

ここから室堂までが、最後の登りとなる。
ここまできての階段の上りが、登山者たちを苦しめるのだ。

実は室堂~剱岳のルートの中での、一番の難所なのではないかとさえ思える。

まずは、雷鳥沢キャンプ場を抜けると、最初の階段が現れる。

地獄谷の向こうには、大日岳が見える。

雷鳥沢のキャンプ場も次第に小さくなっていく。

この後、息も絶え絶えになりながら火山ガス攻撃をしのぎ、繰り返される階段のアップダウンに耐え、吐きそうになりながらも、15:57、室堂のターミナルに到着した。

トローリーバスの係員に、
「16時のバス、出発します! 走ってください!」
と急かされ、この状態で走れというのかと呪い殺しそうになりながらトローリーバスに駆け込む。

こうして、僕の剱岳登山は終わった。


(「総括」につづく)