(この記事は「1日目 中房温泉まで」の続きです。)
山の朝は早い。
結局20時に意識を失ったものの、その後たびたび目を覚ますなど、浅い眠りを繰り返して朝を迎えた。
いろいろな夢を見たような気がするが、目が醒めた後にはよく覚えていなかった。
5:50から朝食。
やはり朝は胃が動かない。
どうにか一通り残さず食べるので精一杯。
朝食時の宿のご主人からのブリーフィングによると、燕山荘の今朝の気温はマイナス13℃とのこと。けっこう暖かいが、前回ほどではない。
その後準備に手間取り、中房温泉の建物を出たのが6:46。
まだ太陽は登っていない。
このあとさらに、連れが不要な荷物をフロントに預けたり、登山口でアイゼンを装着したりして、結局登山口を出発したのは7時を回っていた。
ちょっとのんびりし過ぎた。
登り始めは、土がむき出しになっていて、例年に比べてあまり雪が多くないような。。。
といっても、僕は毎回年が明けてからここに来ているので、この1週間の差が積雪量の差に現れているのかもしれない。
とはいえ、それも道のりにして200mも進むと、しっかりと雪に覆われるようになった。
いつ来ても、登山口からすぐの急登が、このルートで一番シンドイ。
僕のペースで行ったのでは当然連れがすぐ潰れるだろうと思い、年配の大人数パーティの後ろに付いて行くことにした。そうでもしないと、ゆっくり歩くのがキツくて、無意識にペースを上げてしまうのだ。
のんびりのんびり登って行き、7:33、やっと太陽を拝んだ。
お日様の光というのは、なんとありがたいものなのだろうか。
その後も、年配パーティの後ろを付いていったが、
第一ベンチのかなり手前で、そのパーティのメンバーの一人のアイゼンが外れてしまったとかで、我々が先行せざるを得なくなった。
こうなると、ペースメーカー無しでやっていくしかない。
7:46、第一ベンチに到着。
だいぶのんびり歩いたような気がする。
ここで、連れが日焼け止めを塗り忘れたとのことなので、小休止。
僕はどうも日焼け止めが苦手であまり塗らないのだが、一般的に日焼け止めが大切であることは理解できる。
後で気付いたことだが、僕は日焼け止めどころか、今回はリップクリームさえ塗らなかった。きっと、年を取ってから後悔することになるのだろう。
連れの準備が整ったところで、第二ベンチを目指して再び歩き始める。
第二ベンチまでは、そこそこの急登がつづく。
まだまだ樹林帯だが、木々の葉が落ちているため、青空が頭上に大きく広がる。
8:18、合戦小屋の搬送ケーブルの下を通過。
これを過ぎると、第二ベンチは間近だ。
8:19、第二ベンチに到着。
無意識にペースを上げてしまったかもしれない。
が、連れはなんとか付いてきている。
第二ベンチを過ぎると、木々の間から次第に八ヶ岳が見えるようになってくる。
日差しは暖かいが、雪はまだしっかりと締まっていて、アイゼンがよく利いた。
第二ベンチから第三ベンチの間は、前半は緩やかだが、後半はまた急登となる。
その急登のおかげで、標高を上げるごとに見晴らしもどんどん良くなってくる。
そして、微かに見える富士山。(写真ではかなり見づらいが。)
今回もまたここから富士山を見ることができた。
感無量。
9:00、第三ベンチに到着。
ここから富士見ベンチまでの急登が、地味にキツい。
ますます鮮明になる八ヶ岳の姿。
黙々と登る。
どんどん濃くなる空の碧。
が、景色の素晴らしさにどんどんテンションの上がる僕とはウラハラに、連れの元気がどんどんなくなってきた。何やら吐き気がするとのこと。
高山病? 食あたり? それともインフルエンザ?
様々な病名が頭をよぎるが、どうやらそのいずれでもなさそう。本人曰く、頭痛も熱も無く、ただただ吐き気がするだけという。
何よりも無事に下山することが絶対的な第一優先事項なので、一緒に下山することを強く提案したが、スローペースであれば問題無いとのこと。
ならば、ということで、合戦小屋まで行ってみて、その時のコンディションで継続か下山かを判断することとした。
が、当然ペースは大幅にダウン。
たびたび立ち止まりながらの登高となった。
結局富士見ベンチが見つからないままに標高を上げ、10:18、いよいよ主稜線が見えてきた。
大天井も常念もよく見える。
10:47、いよいよ合戦小屋が見えてきた。
すっかり雪に覆われた合戦小屋。
小屋の前ではたくさんの登山者が、森林限界を超えるこの先のルートのための身支度をしている。
この日、天気は穏やかであったものの、主稜線ではそれなりに風があるようで、雪煙が舞い上がっているのがたびたび見えていた。
主稜線が風を防いでくれるとはいえ、合戦尾根もむき出しの稜線であることには変わりなく、風に対する防備を怠ってはならないのだ。
され、体調が芳しくない連れの様子であるが、いくらか持ち直した模様。
本人曰く、行動食として摂取したチョコレートやナッツ類を胃が受け付けなかった様子とのこと。
であれば、登山を続行しても差し支えあるまい。
11:00、合戦小屋を後にし、合戦沢ノ頭を目指す。
振り返ると、八ヶ岳、奥秩父、富士山が一望できる素晴らしい眺め。
合戦小屋から合戦沢ノ頭までの斜面は、実に急で、実に雪が緩い場所だ。
連れに配慮しながら、一歩一歩踏みしめるように登る。
途中まで来ると、主稜線の鞍部から槍ヶ岳が顔を出した。
この鞍部のおかげで槍ヶ岳が見えるわけだが、鞍部の標高がどうやらこのあたりと同じぐらいのようで、主稜線でブロックされるはずの風がビュンビュン吹き付けてくるようになる。(といっても、体感値としては風速10mには満たなかったように思う。)
風に吹き上げられた雪が、僅かに露出した素肌に当たって痛い。
槍ヶ岳が見えてからも、合戦沢ノ頭まではもう少し登らなければならない。
11:24、合戦沢ノ頭に到着。
風に煽られて雪煙が立っている。
ここまで来ると、燕山荘や燕岳の姿が見えるようになる。
北に目を転じると、遠くに針ノ木岳の姿も見えた。
これだけ吹き曝しだと、当然シュカブラも刻まれる。
この稜線を、景色を十分に堪能しながら歩く。
あまり歩きながらキョロキョロすると、コケそうになるので要注意だ。
(雪山でコケるのは、命に関わる。)
左手には、槍ヶ岳、大天井岳、常念岳。
振り返れば、八ヶ岳、富士山、奥秩父。
右手には、妙高、戸隠。
この景色を、タッパーに詰めて持ち帰りたい。
そして、家に帰ってからも美味しくいただきたい。
何度も振り返り、その度に「ああ・・・」と溜息を漏らしてしまう。
燕岳が近づいてくると、主稜線の東側はけっこう吹き溜まっているのが分かる。
合戦尾根にも一部、わずかながら雪庇が発達している箇所があった。
普段あまり気にしない有明山も、クッキリ。
これが「信濃富士」と呼ばれる理由は、未だに分からん。
燕山荘まであと少し。
このあたりで、スノーボードで下山していく人とすれ違う。
ボードをわざわざ担ぎ上げたのかと思って感嘆していると、その先で、おそらくそのスノーボーダーが付けたと思われる滑走跡を見つけた。
こんなふうに斜面を切ってしまうと、雪崩を誘発することにはならないのだろうか。
滑走跡のすぐ上には割れ目もできているし、あまり適切でないコース取りのような気がしてならない。それとも、バックカントリーではこんなことは当たり前なのだろうか。
さらに進むと、主稜線の向こうに次第に東鎌尾根が見えてきた。
燕山荘直下を直登し、山荘の裏に出たのは12:39だった。
ここから山荘の西側を回り込む。
すばらしい展望。
裏銀座の山々も一望できるのは、この場所ならでは。
表銀座の尾根道もこのとおり。
女王と呼ばれる燕岳の白無垢姿も。
12:46、燕山荘の入口に到着。
景色に見とれて、えらく時間がかかってしまった。
山荘の前では、テント設営に励む人々も。
今晩あたりから天気が崩れそうなので、がんばってほしい。
さて、ここで、このあとの行動指針を決める。
選択肢は3つ。
1.荷物を預けて燕岳山頂に向かう。
2.燕山荘にチェックインし、チキンカレーを食ってのんびりする。(山頂には行かない)
3.チキンカレーを食ったあとに燕岳山頂を目指す。
連れと相談したが、どう見ても山頂を目指す体力は残って無さそうだ。
僕としても、山頂は前回行っているし、あまり興味が無い。むしろ、チキンカレーを食べることに執着が強い。
というわけで、山頂には行かず。
そのまま燕山荘にチェックイン。
受付では、年配の男性が山荘のスタッフに救助の要請をしていた。
曰く、数名のパーティで登ってきたが、合戦小屋を過ぎたあたりでメンバーの1人が行動不能に陥ってしまった。空身ならなんとか歩けそうだから、誰か荷物を持ってくれないか、と。
それに対して山荘のスタッフは、
- それは救助に出るということになるので、山荘としてはまず警察に連絡をし、指示を仰がなければならない。そうなると、場合によっては金銭が発生してしまうが大丈夫か。
- 大人数のパーティであるなら、誰かが荷物を背負うことはできないのか。
ということを繰り返し話している。
僕の目からは、救助を求めている年配の男性は「ちょっとそこまで助けに来てよ」ぐらいの軽いノリで依頼しているようにしか見えなかったし、そうでなかったとしても山荘のスタッフの対応はこの上なく真っ当である。
そもそもこんな絶好のコンディションにもかかわらず行動不能に陥るような人は、厳冬期の北アルプスに来てはいけないし、実はこのパーティは、前日の夜に中房温泉で消灯ギリギリまで騒いでいたのを僕は知っている。
自己管理も自己責任もあったものではない。
遭難には、ちゃんと準備していれば避けられるものと、ちゃんと準備しても避けきれないことを認識しつつリスクテイクした上で遭うものと、2種類あると思う。
後者に関しては、もはややむを得ないものであるし、そうやって人類は進歩をしてきたわけで、許容しないわけにいかない面があると強く思う。
が、一方で、前者は何としても避けるべきものであるし、忌むべきものである。
このパーティは、前者でしかないと思えてならない。いくら燕岳とはいえ、厳冬期の北アルプスは観光ではないのである。
さて、チェックインした我々は、さっそくチキンカレーを注文した。
そう、これこれ、この味。
たいへん美味しくいただいた。
なお、この食事をした休憩スペースだが、食堂のテーブルである。
前回、前々回は、食堂の半分を潰してコタツが置かれていたのだが、今回は全面的に食堂のままだった。
一番客数が多くなる年越しのタイミングまではこのままにして、年が明けたらコタツを出すのだろうか。だとしたら、次回からは年明けに来たいなー。コタツでミカン食べ、本を読みながらまどろむのが、燕山荘の楽しみの1つなのだから。
その後、寝床で1時間ほどまどろむ。
16時過ぎに再び起き出し、夕日を見るために山荘の外に出てみた。
残念ながら、夕日は雲の向こう。
一番肝心なところだけが雲に隠れてしまった。
でもまあ、これはこれで綺麗だ。
17:30、夕飯。
予想に反して、チーズハンバーグではなかった。
いや、むしろまだ胃袋にカレーが残っているので、チーズハンバーグでなく、このサバがありがたかった。
さすが燕山荘だけあって、どのおかずも美味しい。
そして、食事が一段落したころを見計らって、恒例のオーナー・赤沼さんからのご挨拶。
曰く、
- カラマツを傷つけないよう、トレースを外さずに歩きましょう。
- 尻セード禁止。
- ストックではなくピッケルを。
という注意事項を聞くのももはや恒例であるが、その軽妙な話術のために面倒なお説教には聞こえずベテラン演芸のようで楽しい。食堂は笑いに包まれた。
また、赤沼さんのお話によると、今食べたこの食事は、支配人が今日担ぎ上げたものなのだそうな。
冬はヘリコプターで輸送をすると雪煙が舞い上がって大変なので、人力で担ぎ上げるのだそうだ。
本当に何から何まで、頭が下がる。
さらに、今回はホルンの生演奏付き。
以前から評判だけは聞いていたのだが、燕山荘に来ること5回目にして初めてのホルンである。感激。
食後、山荘の外に出てみると、町の夜景が見えた。
iPhoneのカメラではこれが限界。とほほ。。。
あとは寝床に引きこもって、持参したウィスキーを連れと分け合いながら『戦争と平和』を読む。
冒頭からイライラするような人物のオンパレードで、これこそ19世紀ロシア文学の醍醐味だと思うものの、やっぱり不快。
不快なまま寝落ち。
(「下山」につづく)
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