このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2013年7月24日水曜日

加藤則芳 『ロングトレイルを歩く 自然がぼくの学校だった』

2013年4月17日、加藤則芳さんが亡くなった

筋委縮性側索硬化症(ALS)を患い寝たきりとなりながらも、積極的にインタビューや口述筆記といった方法で、アウトドアの魅力や自然保護の大切さを訴え続けた晩年であったそうだ。

その遺作とも言うべき書籍が先ごろ出版された。
それが『ロングトレイルを歩く 自然がぼくの学校だった』である。

内容は、大きな字で著者の人生を振り返ったものである。
中高生やトレッキング(ハイキング)の初心者を読者対象とすべく、易しい語り口で、自然やロングトレイルの魅力を力強く記されている。
まさしく、若い世代、未来ある人々に対する遺書と考えて差し支えないものなのだろう。

僕のような、四十路のオッサンが買ってしまい、中高生の目に触れる機会を奪ってしまったことを心から反省しつつ、それでも、僕もこの遺書は読んでおきたかったのだ。
これまでの著書を読んでいれば、本書に目新しい情報が含まれているわけではないだろう。
が、死を目の前にして語っておきたかった総括であることを考えれば、込み上げるものを抑えきれない。
本書を読まずして、何を読むのか。「新潮文庫の百冊」などよりも、少年少女には本書を強く勧めるのである。


余談だが、著者が晩年に関わったロングトレイルプロジェクトである「みちのく潮風トレイル」は、僕の出身地の町も通る。そんなことにまで、何やら縁を感じずにはいられないのである。







山行記 : 2013年7月21日 丹沢・大室山 虫とヤブ

すさまじく忙しかった仕事がひと段落し、久しぶりに落ち着いて山に行ける状態になった。

とはいえ、長期山行ができるような身分ではなく、日帰りで近場の山に行くことに。
そのとき一番最初に思い浮かんだ山は、キタタンのロード区間を走っている時に見た大室山だった。灼熱のアスファルトの道から見た大室山は、厳しく凛とした姿で屹立し、ヘタレた僕を冷然と見下ろしているかのようだった。
その大室山に登ってやろう。そして、来年のキタタンに向けてリベンジを誓おう。
そう考えて、友人1人を誘って出かけていった。

とりあえず大室山に登れさえすればいいので、ルートは西丹沢自然教室と山頂のピストンを予定していた。


7:19、小田急線の新松田駅に着き、7:30発のバスに乗って西丹沢自然教室へ。
このバスの10分前に出たバスはお客さんを満載していたようだが、このバスは座席もガラガラ。1時間以上の路線バスの旅を快適に過ごせた。

8:52、西沢自然教室を出発。
天気はどんより曇り空。
夏の低山歩きなので、暑くて死にそうになるんじゃないかと予想していたが、濃いガスのおかげで気温はこの時期にしては低め。
眺めは悪そうだが、歩くには楽だ。

しばらくはアスファルトの道を歩く。
この道は、広い川原を伴った沢に沿って続いている。
その広い川原には、たくさんのテント(山岳用ではなく、オートキャンプ系)が立ち並んでいる。
そう、ここは自動車が乗り入れられる広いキャンプ場なのだ。
子供や若者が、こんな朝早くから川遊びに興じていた。
まさにリア充系アウトドアだ。好きこのんで夏の低山に分け入る僕とは、そもそも属性の異なる種族の人々だ。

そんなリア充アウトドア族を尻目に、8:59、檜洞丸への分岐。
檜洞丸へは、ここからこんな谷筋を詰めていくようだ。
なんと僕はまだ檜洞丸に行ったことが無いので、こっちのルートも惹かれる。
が、当初の予定通り、大室山へ向かう。

9:07、相馬沢に掛かる橋を渡る。
橋の上からは、キャンプ場の様子が見える。
きれいな沢で涼むキャンパーたち。
こっちのほうがトレッキングよりも楽しいんじゃないだろうか。
でも、もう、水遊び程度の刺激では満足できなくなっているので、後戻りはできないのだ。

9:16、用木沢出合の手前で、ふたたび橋を渡る。
少し上流に来ただけで、こんなに渓流っぽくなる。

9:17、用木沢出合に到着。
ここからやっと、トレイルが始まる。

用木沢沿いを上流に向かうとすぐに、歩道橋のような橋に出食わす。

この橋の上からは、およそ20mもあろうかという人工の滝(砂防ダム?)を見ることができる。
人工の構造物による絶壁ではあるものの、それはそれで壮観だ。

この人工の滝を高巻くように沢の左岸を歩く。
ちなみに、岸の左右は、上流を背にして下流を見たときの左右である。だから、この場合には、上流に向かって右側の岸を歩いているというわけだ。

このあと何度か用木沢の渡渉を繰り返すのだが、かかっている橋も次第に簡素になってくる。
ちょっと増水したら、簡単に流されてしまいそうだ。

それでも橋からの眺めは、いかにも夏の渓流といった感じで、まるで僕に
「山なんか登らずに、ここで水遊びしていけばいいじゃん」
と誘惑しているかのようだ。

その先、何度か簡素な橋を渡るうちに、最後には橋がかかっていない箇所を渡渉することになる。
水は少ないので、靴の中を濡らすことなく渡渉できた。

ところで、この渡渉箇所の直前で、トラブルが発生した。
そのトラブルは、登山道の地面にあった、ハチのような虫の巣に気付かずに歩いていたために起こった。

後ろを歩いている友人のペースに配慮して、ゆっくりと歩いたり立ち止まったりしながら進んでいたのだが、その友人が後ろから
「あ、虫が!」
と、声がかかった。
ふと自分の足元を見ると、僕の右足の数センチ横の地面に空いた穴から、体長1cm程度の黒い羽虫が続々と現れ、ブンブン飛び始めた。
その姿はアブのようであり、ハチのようでもあり。
(帰宅後にネットで調べてみたが、種を特定することはできなかった。クロスズメバに大きさや形は合致するような気もするのだが、その特徴的な横縞は無かったような気がする。ただ、アブは巣を作らないそうなので、ハチだったのではないかと思う。)

正直、わらわらと地中から現れるその羽虫を見ても、個体が小さいので特に危機感を感じなかったのだが、とっさに僕はその場を離れた。
ほんの数メートル離れただけだったが、追ってはこない。

それを見ていた友人は、僕のそんな様子を見て、刺す虫だとは思わずにその場を突っ切ろうとした。
その瞬間、友人は
「痛っ!!!」
と叫んだ。

刺されたのだ。

2人とも、そのい黒い虫が刺したことに驚くばかり。
とにかく、友人に早くその場を離れてこっちに来るよう声をかけ、巣から20~30mほど離れた場所まで移動した。
見ると、黒いタイツの上からふくらはぎを1箇所刺されている様子だった。さっそく友人は自前のポイズンリムーバーで刺された箇所から毒を吸い出す。
その後、ウナコーワを塗る。はたしてこれで効くのだろうか。。。(一応、抗ヒスタミン剤は入っている。)

とりあえず、急激な腫れや発疹は出なかったので、様子を見つつ山行を続行。
が、ピストンの予定なので、帰りもあの場所を通るわけで。
気が重い。。。


気を取り直して、沢伝いのルートを上流へ向かう。

橋の無い沢を渡渉するとすぐ、非常に広い河原に出る。
丹沢にはこういう広い川原が多いのだろうか。

この川原から上流に向かって左側の樹林に入るように、登山道が伸びている。

10:01、犬越路まで0.8kmの道標に行き当たる。

このあたりから、ニホンジカから植生を保護するための防護ネットが目に付き始める。
やはりネットの内側はあきらかに草ボウボウ。こんなにも違うものかと、旋律が走る。
やっぱり増えすぎたシカについては、我々人間が生態系を壊した責任を取るという意味でも、人間が個体数を見極めて、シカが環境を壊さない程度の数になるまで、獲って食うべきなのだ。

その先で、登山道は狭くなる。
が、谷側の傾斜はそれほどキツくないので、危なさは感じない。

10:20、「コシツバ沢」という道標に出食わす。

おそらく、ここから犬越路直下まで伸びるこの枯れた沢の名前が「コシツバ沢」というのだろう。
登山道は、この沢の左岸をトラバース気味に上がっていく。

犬越路の直下まで来ると、急に笹の勢いが増してくる。

実はこの日の僕の服装は、半袖に短パン。ふくらはぎにはサポーターをつけているものの、肌の露出のややある服装だ。
そういう格好で登山道にまで笹が迫ってきているような登山道を歩くのは、ハッキリ言って苦痛だ。だが、その苦痛が、この日の山行では序の口であったことを次第に思い知らされていく。(それはまた後の話。)

10:47、犬越路に到着。

天気のせいもあって、展望は無いも同然。
が、この天気のおかげで、ここまで水を500mlしか消費しないで済んでいる。

犬越路はちょっとした広場になっており、テーブルも3つ据え付けられている。
意外と小奇麗な避難小屋も。

避難小屋の中も、けっこうキレイ。


犬越路で10分ほどの休憩をとり、再び大室山へ向けて出発する。

ここからが、体力とは全く関係の無い部分で、過酷な山行となった。
というのも、下生えがやたらと生い茂っており、かなりの部分で足元を隠すほどであり、
しかもその下生えは、時にアザミやイバラが群生して行く手を阻むなど、地味に痛くて辛いものだった。
このトゲトゲコンビは、サポーターの上からでも容赦なくチクチクしてくる。大した害があるわけでもないのだが、それでも地味に精神的なダメージを喰らう。

また、この下生えの隙間から見える地面には、体長が5mm以上、個体によっては1cm近くあるようなササダニ(=マダニ)がウヨウヨしていた。
足も腕も素肌を晒している僕としては、いつ食いつかれるかと冷や冷やするばかりだ。とりあえず、ライム病になるのはイヤだ。

しばらく進むと、11:31、このルート唯一の鎖場(笑)に至る。
ちょっと見えにくいが、手前から3本目の横木の向こうが、高さ1.5mぐらいの垂直な岩場になっている。
鎖が無くてもなんとでもなるような場所だし、むしろ、鎖を掴もうとするとバランスを崩しかねないので、三点支持で通過する。

鎖場を通過して鞍部から再び登り返す。
次第にガスが濃くなってきた。雲の中に入りつつあるようだ。

標高を上げるごとに、どんどんガスが濃くなっていく。完全に雲の中だ。
天然のミストなので、いくらか涼しい。
これはこれで嫌いじゃない。
ガレ場でガスられると心細いが、明瞭な一本道の登山道にいる限り、ガスはむしろ幻想的な風景を作ってくれるスパイスでもある。

10分も歩くと、次第にガスが晴れてくる。雲を抜けたようだ。

雲の上に出たあたりから、今度はブオンブオンと大きな羽音を立てて、虫が付近を飛び回るようになってきた。
羽音の大きさからすると、だいぶ大きな虫だし、飛び回るスピードから考えてカナブンなどの甲虫でないことは確かだ。
これはまさか・・・・、と思って辺りを見回すと、案の定、見たくなかったものが視界に入った。
キイロスズメバチだ。

僕の前方1mぐらいにある朽ちた横木の上に、2匹のキイロスズメバチが居たのだ。さらに、僕にまつわり付くように飛び回る個体が少なくとも2匹いる。

連れはこのとき50mほど後方に居たので、その場で待機するように伝えつつ、キイロスズメバチの様子をうかがう。
警戒音である「カチカチ」と顎を鳴らす音は、羽音に紛れて聞き取りにくいことが多いとされるが、横木に止まっている個体は少なくとも警戒音を発していない。
これだけ何匹も居るということは巣が近いのかもしれないが、巣に刺激を与えなければ攻撃してこないだろう。
もちろんその場合、大声を上げたり、手やストックでハチを追い払ったりしたらオシマイだ。できるだけハチを刺激しないように、ゆっくりした動作で進むことが重要だ。

そう考えて、後方に待たせていた友人に声をかけ、再び前進する。

ただし、もし我々よりも前に通った登山者が巣に何らかの刺激を与えていた場合、僕たちが巣に刺激を与えなくても攻撃される可能性は十分にあった。今にして思えば、安全策を取って引き返すべきだったかもしれない。

ここから先、このキイロスズメバチたちにひたすら付きまとわれることとなる。

12:24、ようやく山頂直下の分岐に到着。
頭上の空にはいくらか晴れ間も見えてきたが、相変わらず展望は無い。

この分岐は広場にようになっていて、テーブルが2台設置されている。
が、先行パーティが雑な使い方で完全に占拠しており、利用できる状況でなかった。譲り合いの精神は持ち合わせていないようだった。

とはいえ、こちらもキイロスズメバチにまとわりつかれたままの山行なので、こんなところで落ち着いて休憩をする気にはなれない。
さっさと頂上に向かい、さっさと下山することにする。

この分岐から山頂までは、ほとんど平坦と言ってもよいぐらいになだらかで、登山道の幅も十分広い。トレランでいえば、追い越しポイントだろう。
このあたりではバイケイソウがまだかろうじて咲いていて、初夏の名残りを感じさせてくれた。
ここに至るまでのルートでのバイケイソウはもうすっかり盛りを過ぎており、枯れた葉っぱが腐ったバナナの皮のような無残な姿だった。
それが、ここではなんとか原型を留めている状態を見ることができ、少しだけ救われた気分だ。

12:30、予定より1時間遅れで山頂に到着。

山頂は広いが、展望は無い。冬になって葉っぱが落ちれば、いくらか見晴らしが良くなるかもしれないが、少なくともこの時は、木々に囲まれて何も見えなかった。

相変わらずキイロスズメバチが付きまとってくるので、さっさと下山。
来年にキタタンにリベンジを誓うはずだったのに、それどころではない。

下りは、キイロスズメバチを引き離すつもりでスピードを上げる。
次第に羽音が聞こえなくなって、ほっとして立ち止まると、またすぐに羽音が近付いてくる。それを繰り返し、13:41、気付くと犬越路に到着していた。
往路の際よりも、いくらか見晴らしは良くなっていた。

キイロスズメバチの羽音は聞こえない。
時間も時間なので、いいかげん昼ごはんを食べたくて、荷物をテーブルに下ろす。
と、そこにまた、ブンブン音を立ててキイロスズメバチがやってきて、僕の荷物の30cmほぼ左に止まった。
またしても至近距離で目が合う。
いったい何なんだコイツは。

やむを得ず、避難小屋に逃げ込んで、そこで昼ごはんを食べることにした。
まさか避難小屋に、こういう形で「避難」することになるとは思わなかった。

避難小屋の中は、さすがにちょっと暑い。
が、なんと窓には網戸がついていたので、窓を全開にすることができた。空気を入れ替えると、だいぶ快適になった。
20分程度、遅めの昼休憩を取って、再び小屋の外へ。

すでにハチの気配は無い。やっと諦めてくれたようだ。

ここからは再び沢沿いのトレイルだ。
滑りそうな箇所もあるので注意しながら下る。

用木沢に至ると、清流に再びの涼を得られた。
が、前述した橋の無い渡渉箇所のすぐ先には、往路時に連れがハチ(たぶん)に刺された、登山道上のハチの巣(たぶん)がある。

恐る恐る巣に近付き、そっと様子を見ると、巣まで2mぐらいに近付いただけで巣穴からハチ(たぶん)がバンバン飛び出してくる。完全に警戒している様子だ。
こんなところに突っ込んでいったらまた刺されてしまう。

こうなっては、登山道を通るという選択肢は無い。
進行方向右手は壁、左手は3m程度のほぼ垂直な斜面の先に川原。

こうなると、左手のほぼ垂直な斜面から川原に下りるという選択肢以外無い。
降りやすそうな場所を探し、降りることにする。

普段は必ず、6mm径のロープを10m程度持ち歩いているのだが、よりによって今日に限って持ってきていない。完全に油断していた。今日こそ欲しかったのに。
このため、降りるに当たっての手がかりは、斜面の足場に求めるしかない。

その足場となる斜面はほぼ垂直。岩の上に柔らかい砂が分厚く被っていて、ちょっと足を乗せただけでも簡単に崩れてしまう。
頼りは、わずかに生えた潅木と、少しだけ露出している岩。

こんな時こそ、普段からヘタの横好きで練習を積んできたボルダリングの経験が生きる。ホールドが少ない手足限定の課題のようなものだ。
連れに先立って、安全確実なルートを探して降り、連れにそのルートを伝える。その上で、万が一の滑落に備え、斜面の下で確保の体勢を取って、連れが降りてくるのを待った。

幸い、なんとか無事に下りることができ、ハチの巣(たぶん)を大きく迂回して広い川原を歩いた。

ここさえ突破してしまえば、あとは気持ちの良い渓流沿いの散歩のようなものだ。
途中で清流に手ぬぐいを浸して、首筋などを拭う。サイコーに気持ちが良い。


用木沢出合から先のアスファルト歩きも、無事に文明社会に帰ることができた証だと思うと、ありがたくて仕方がない。
途中の自動販売機でコカ・コーラを買って飲み干す。まさしく文明の味がする。

その自販機の横に、1匹の犬がつながれていた。人懐っこい感じなので撫でてみると、飼い主らしき少女が声をかけてきた。
犬の名前を聞いてみると「ブー」だという。「モンスターズインク」に登場した少女の名前から取ったそうだ。
そんな話をしながら犬と戯れる。この犬の無警戒感こそが、まさしく下界なのだろう。
キイロスズメバチやクロスズメバチ(かもしれない黒い虫)とのヒリヒリするようなやりとりをしてきた後である我々には、心に染みる癒しの瞬間だった。


15:28、西丹沢自然教室に到着。

期せずしてアドベンチャー気分を味わうハメになった今回の山行は、こうして終了した。



さて、今回の山行では反省すべき点が多々あった。

  • 下生えがあんなに侵食しているとは思わず、短パンで素肌を晒してしまったこと。ふくらはぎはサポーターでガードしていたが、膝から上は完全に無防備だった。
  • ハイキング程度だとタカをくくって、いつも携行している6mm径ロープを持参しなかったこと。最近トレランばっかりだったので、そのクセでつい荷物を省いてしまった。
  • キイロスズメバチに付きまとわれたのに、そのまま登山を続けてしまったこと。何かあってからでは遅かったわけで、撤退も考えるべきだったように思う。

一方、判断として正解だったことも多かった。
  • スズメバチ対策として、黒い着衣を身に付けず、刺激を与えないように行動した。
  • 水は1.5リットル以上用意した。前半は沢筋なので涼しかったので、結果的に1リットル程度しか消費しなかったが、500mlは予備と考えると、妥当な量であった。
  • グローブを持参した。暑い時期にはグローブを身につけたくないものだが、ハチの巣を避けて垂直な斜面を降りるに際して、グローブがあったおかげでストレス無く手で確保が取れた。
また、連れはロングスパッツを着用していたおかげで、下生えのストレスがだいぶ少なかったようだ。

いくら低山でも、思いもよらないアドベンチャーにも備えておくことが如何に重要かを思い知らされた山行であった。








2013年7月9日火曜日

2013年7月7日 第15回 北丹沢12時間山岳耐久レース まさかの結末

2013年7月7日の朝4時。
相模湖にある小さな宿の1室で目を覚ました。
ついにこの日が来てしまった。そう、北丹沢12時間山岳耐久レースの日だ。

本当は会場に近い宿を取りたかったのだが、手配をするのが遅くて、送迎バスの出る相模湖駅の近くに宿を取ったのだ。

すでに、前日のうちに受付は終わらせた。
今日はもう走るだけだ。

5:30、僕らを乗せた送迎バスは相模湖駅を出発し、30分ほどで会場である青根緑の休暇村に到着する。
受付はごった返しする一方、6:30スタートの選手たちはすでにスタートラインについていた。



開会式では、六花さんはじめ、多くの人が
「気温が高いので、水分を十分に摂取してください。水は最低でも2リットルは持って行ってください」
と注意を促していた。
その際、本日朝5時の鐘撞山山頂(標高900m)の気温が25℃であったことがアナウンスされると、選手たちからどよめきがあがった。
そんなに暑いのかよ、と。
過酷なレースになる予感しかしなかった。

開会式のゲストには、片山右京さんが来ていた。
開会式終了後、マダム達に取り囲まれ、記念撮影の嵐だった。


6:30、第一陣の選手たちが一斉にスタートする。
この組は、過去にこのレースを完走している強者ばかりだ。

次は、7:00スタートの自分達の番だ。
スタート10分前にスタートラインに付く。

写真でもわかるとおり、完全に夏空だ。
もうすでに、ただ立っているだけなのに汗をかく。暑い。

7:00、スタートの合図とともに、各選手は拍手をしながら進みはじめる。
スタート地点ではお囃子がお見送りをしてくれた。

スタートからしばらくは、アスファルトの上り坂。たぶん1kmぐらい。
僕のシューズはソールがとても硬いので、アスファルトの道を走るのがものすごく苦痛だ。
だが、このアスファルトの道でできるだけ前に行かないと、渋滞に巻き込まれた際に致命的なほど時間をロスしてしまう。
なので、頑張って走る。

7:20頃、トレイルの入口に到着。やっぱり渋滞。

つづら折りの上り坂を、渋滞にイライラしながら登る。
分岐にたどり着くと、そこからは下り坂。さすがに渋滞は解消される。

概ね下りきったところから、道はトレイルではなくアスファルトになる。
ここから立石建設までの約8kmが、アスファルトの道だ。
まさかこんなに長くアスファルトの道が続くと思っていなかったからソールの硬いシューズを選んだのだが、完全に失敗だった。

アスファルトの道は、このシューズだと上りも下りもフラットも、いずれも苦痛でしかない。
早くも、「これを味わいに来たんだろ!」という鏑木毅さんの声(想像)が脳裏にコダマする(cf.『RUN or DIE』)。でも、こんなロードを味わいに来たつもりは、僕には毛ほども無かった。
はやくアスファルト区間が終わるように祈りながら、正面に大室山を眺めつつ、いくつもの沢を渡る。

沢では、釣りに興じるオッサンや、水遊びにはしゃぐ若い男女のグループなどを目撃し、その度に、自分の今この瞬間の行為が休暇の過ごし方として大幅に間違っているのではないだろうかという疑念がふつふつと湧いてきた。

このロード区間、できるだけ走ろうと頑張るものの、走るのと歩くのとが半々ぐらいになってしまった。
とんだタイムロスだ。
後続の選手がどんどん僕を追い抜いて行くが、こればかりはどうしようもない。

それにしても、暑い。
日差しを遮るもののないアスファルトの道は、体から容赦なく汗を絞り取る。
このロード区間には自販機が2か所あったのだが、たまりかねて、そのうちの1台で水を購入。半分飲んで、半分を頭からかぶった。
一瞬だけ正気に戻る。

9:08、第一エイドの立石建設に到着。
なんとか、ギリギリ関門を突破できるだろうと考えていた時間を過ぎてしまっていた。
いくらなんでも、ロードに時間をかけ過ぎた。

このエイドで提供されるのは水だけだが、この天気では冷たい水が何よりのごちそうだ。
しかも、飲むだけでなく、オジサンがひしゃくで頭から水をかけてくれる。
再び頭がシャキっとする。

このエイドからが、待ちに待ったトレイル区間だ。
鐘撞山への上りが始まる。

トレイルならば、これぐらいのタイムで走っている人に引けを取る気はサラサラ無い。
ここまで来れば渋滞もあまり無いだろうと予想しつつ、トレイルに取りついた。

鐘撞山の斜面は、山と高原地図では破線になっているルートだ。
なぜ破線なのかは分からないが、少なくとも、けっこうな急登ではある。
僕としては、この程度の斜面はガンガン登っていきたいところではあるが、どうしても前が閊えてしまってスピードを出すことができない。やはり、この時間にこのへんにいる人たちの脚力だと、この程度のスピードになってしまうのか。ロードで極端に後れを取ってしまった自分を激しく呪う。

だが、スピードの遅い人は後ろからまくられるので、途中で脇に避けるようになってきた。休憩も兼ねているのだろう。
それを繰り返しているうちに、ノンストップで登る者たちのスピードが速くなっていく。非常に快適なスピードだ。
結局そのまま、鐘撞山の山頂までノンストップで上がった。

9:49、鐘撞山の山頂に到着。
スタッフのオバチャンがカンカンと鐘を撞いていた。
せっかくなので、僕も撞かせてもらう。
叩いた自分がビックリするほどの大きな音が鳴った。

ルートは、ここから少しだけ下り、再び県境尾根分岐に向けて急登となる。
問題は、その急登の入り口だった。

この「のぼりどす。にゃー」の、ちょっとイラっとするコース案内の先から登りが始まる。
そして、同時に、絶望的な渋滞が発生していた。
渋滞がひどすぎて、帰省ラッシュかと思うぐらいだ。
ジリッ、ジリッとは前に進むものの、いつまでたっても渋滞の先頭すら見えてこない。
悪いことに、ここはちょうど稜線上の鞍部のため、風の通り道でもある。
どんどん体が冷えていき、筋肉が固まってくる。
そのうち、あまりに待たされすぎて眠くなってきた。
思えば、直近の1週間、1日に16時間労働の日々が続き、あまりちゃんと寝れていなかった。その影響が今頃こんなところで現れるとは。。。

結局、10分以上待たされた挙句、やっと渋滞の先頭が見えた。
見ると、何のことはない、2m程度のちょっとした岩場が渋滞の原因だったようだ。
岩場と言っても、3手ぐらいで抜けられる、ホールドもしっかりした場所だ。こんなの、丹沢だったらどこにでもあるだろう。
こんなところで渋滞するなよ・・・。
おかげで、体はすっかり冷えてしまって全然動かないし、眠気も全く去らない。
その先も急登なのだが、その急斜面を歩きながら、どうしても意識を保っていられないぐらいに眠い。命の危険を感じた。

そうして眠気と戦うこと数分、まったく予期しなかった事態で目が覚めた。
それは、すぐ上を歩いている人からの
「ラク!!!」
という叫び声である。
その声と同時に、目の前をソフトボールより一回り大きいぐらいの石が転がり落ちていった。
僕も反射的に
「ラク!!!!」
と叫んで、眠気がふっとんだ。
誰かが足元不如意で落としてしまったものらしい。
タイムの遅いランナーに囲まれていると、こういう危険が常につきまとう。

ここからは、ひたすらツラさを押し殺して前を追う。
前を登る選手が次々に道を避けて立ち止まるのを尻目に、とにかく県境尾根分岐を目指して耐える。

ハムストリングはパンプし、胃の底から吐き気が込み上げてくる。
これまで何と怠惰な日々を送ってきたことかと、誰彼構わず懺悔したくなる。
だが、関門の時間が迫る中では、僕にも周りの誰にも、そんな暇は無い。

吐き気をこらえながらひたすら急登を登り続けていると、次第に斜め上の木々の間から、空が見え始めた。
あそこが県境尾根分岐に違いない、と思いながら歩を早めると、スタッフのオッチャンが
「もうすぐそこだから!」
と言いながら、道無き道を降りていく。
周りの選手たちはその声に励まされた様子だが、僕としては、道の無い急斜面を降りていく70歳ぐらいの男性という絵ヅラに、ただ見入ってしまった。

10:54、県境尾根分岐に到着。
なにか写真に残しておけるようなものは無いかと見渡したが、単なる分岐に過ぎないここには、道標ぐらいしか存在しなかった。

ここでは、スタッフのオジチャンとオバチャンが各1名ずつ立っていた。
とりあえず僕は、1分だけ停滞し、スポーツようかんを貪った。
その間に、僕の後から到着した男性が
「第一関門からバス出てる?」
と、第一関門でリタイアすることを前提とした問をスタッフの方に大声で投げかけ、笑いを誘っていた。
笑いはしたものの、僕もかなり第一関門が危うい。
まさかこんな展開になるとは思っていなかったので、ようかんを食いながら大いに焦った。

第一関門まであと3.5km。
残り時間はあと30分。
捻挫の影響が残る右足首を抱えながらで、果たして間に合うのか?

行けるところまで行くしかないし、3.5kmなら行けない距離じゃない。
そう思い直して、急な下り坂をできる限り飛ばす。
斜面は湿って、いかにも滑りやすそうな泥の道。コケたらそこで終了する可能性も大いにある。
が、後先考えずに、今の僕に可能な限りのスピードで降りていく。
まだだ、まだ諦められない。せめて第一関門だけは突破したい。

11:08、斜面の途中で、柴犬を連れた女性が施設エイドをしてくれていた。
その女性に
「あと2kmぐらいですかね?」
と尋ねると、
「いや、そんなにないですよ。あと15分ぐらいで着くと思います」
とのこと。
よし、間に合う! そう確信して喜び勇んでペースアップする。

が、11:15、急に足に力が入らなくなる。
ヤバイ!と思って立ち止まり、足の様子を観察すると、まるで生まれたての子ヤギのように震え、ふくらはぎには軽い痙攣が始まっていた。
なんだよ、こんな時に! あともう少しなのに!

ここからは、全く踏ん張りが効かなくなり、転ばないように歩くのが精一杯となった。
言うことをきかない足を引きずるように斜面を降りていくと、上のほうから
「あぶない!」
と声が聞こえる。
反射的に声の方を見ると、大きな落石が迫ってきていた。
慌てて手近な木の影に隠れてやり過ごす。
今度の落石は、バスケットボールよりも大きな石だった。あんな大きな石、どうやったら落とせるんだ。。。
こんなに人為的な落石が続いたのでは、命がいくらあっても足りない。


結局、11:30になったことに気付いたのは、日蔭沢にも至らない斜面の途中だった。
この時点で僕のキタタンは、予想もしなかった第一関門敗退という結果で幕を下ろした。

11:47、第一関門に到着。

敗北感しか無かった。
あまりの自分の不甲斐なさに、悔しさすら湧いてこない。
ただ、もう、消え入りたいというだけだった。

関門のテントでタイムオーバーの旨を告げられ、神ノ川ヒュッテに向かった。
スタッフのおじちゃん、おばちゃんに優しく迎え入れられる。

給水所では頭から水をかぶせてもらい、給食スペースではキュウリの浅漬けとバナナをご馳走になる。
キュウリが事のほか美味に感じた。
その美味さが、敗北感をより濃くする調味料ともなった。

この半年、トレーニング中の事故で捻挫をしたり、それを早期に治すために激痛に耐えながらリハビリをしたり、踏ん張りの効かない足首を抱えながら強化トレーニングをしたりしたのは無駄だったのだろうか。もっともっと努力をしろということなのだろうか。きっとそうなのだろう。質的に量的にもトレーニングが足りていないに違いない。

神ノ川ヒュッテから、進むはずだった東の方角を見つめながら、ただただ呆然とするばかりだった。

第一関門からバスに乗せられ会場にたどり着くと、目の前で上位陣がどんどんゴールしていく。
期せずしてそんな風景を見せつけられ、心の底から負け犬の気分を味あわされた。
その瞬間、憎悪にも似た怨念がむらむらと湧き上がった。
このまま終わらせてなるものか。来年こそは完走して、50km未満の大会には見切りをつけてやる。
必ずや、借りは返す。
この瞬間に、来年のリベンジを誓った。








2013年7月7日日曜日

【速報】 北丹沢12時間山岳耐久レースの結果 まさかの・・・

残念ながら、まさかの第一関門敗退でした。

いっそのこと死んでしまいたい。



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