このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2013年7月9日火曜日

2013年7月7日 第15回 北丹沢12時間山岳耐久レース まさかの結末

2013年7月7日の朝4時。
相模湖にある小さな宿の1室で目を覚ました。
ついにこの日が来てしまった。そう、北丹沢12時間山岳耐久レースの日だ。

本当は会場に近い宿を取りたかったのだが、手配をするのが遅くて、送迎バスの出る相模湖駅の近くに宿を取ったのだ。

すでに、前日のうちに受付は終わらせた。
今日はもう走るだけだ。

5:30、僕らを乗せた送迎バスは相模湖駅を出発し、30分ほどで会場である青根緑の休暇村に到着する。
受付はごった返しする一方、6:30スタートの選手たちはすでにスタートラインについていた。



開会式では、六花さんはじめ、多くの人が
「気温が高いので、水分を十分に摂取してください。水は最低でも2リットルは持って行ってください」
と注意を促していた。
その際、本日朝5時の鐘撞山山頂(標高900m)の気温が25℃であったことがアナウンスされると、選手たちからどよめきがあがった。
そんなに暑いのかよ、と。
過酷なレースになる予感しかしなかった。

開会式のゲストには、片山右京さんが来ていた。
開会式終了後、マダム達に取り囲まれ、記念撮影の嵐だった。


6:30、第一陣の選手たちが一斉にスタートする。
この組は、過去にこのレースを完走している強者ばかりだ。

次は、7:00スタートの自分達の番だ。
スタート10分前にスタートラインに付く。

写真でもわかるとおり、完全に夏空だ。
もうすでに、ただ立っているだけなのに汗をかく。暑い。

7:00、スタートの合図とともに、各選手は拍手をしながら進みはじめる。
スタート地点ではお囃子がお見送りをしてくれた。

スタートからしばらくは、アスファルトの上り坂。たぶん1kmぐらい。
僕のシューズはソールがとても硬いので、アスファルトの道を走るのがものすごく苦痛だ。
だが、このアスファルトの道でできるだけ前に行かないと、渋滞に巻き込まれた際に致命的なほど時間をロスしてしまう。
なので、頑張って走る。

7:20頃、トレイルの入口に到着。やっぱり渋滞。

つづら折りの上り坂を、渋滞にイライラしながら登る。
分岐にたどり着くと、そこからは下り坂。さすがに渋滞は解消される。

概ね下りきったところから、道はトレイルではなくアスファルトになる。
ここから立石建設までの約8kmが、アスファルトの道だ。
まさかこんなに長くアスファルトの道が続くと思っていなかったからソールの硬いシューズを選んだのだが、完全に失敗だった。

アスファルトの道は、このシューズだと上りも下りもフラットも、いずれも苦痛でしかない。
早くも、「これを味わいに来たんだろ!」という鏑木毅さんの声(想像)が脳裏にコダマする(cf.『RUN or DIE』)。でも、こんなロードを味わいに来たつもりは、僕には毛ほども無かった。
はやくアスファルト区間が終わるように祈りながら、正面に大室山を眺めつつ、いくつもの沢を渡る。

沢では、釣りに興じるオッサンや、水遊びにはしゃぐ若い男女のグループなどを目撃し、その度に、自分の今この瞬間の行為が休暇の過ごし方として大幅に間違っているのではないだろうかという疑念がふつふつと湧いてきた。

このロード区間、できるだけ走ろうと頑張るものの、走るのと歩くのとが半々ぐらいになってしまった。
とんだタイムロスだ。
後続の選手がどんどん僕を追い抜いて行くが、こればかりはどうしようもない。

それにしても、暑い。
日差しを遮るもののないアスファルトの道は、体から容赦なく汗を絞り取る。
このロード区間には自販機が2か所あったのだが、たまりかねて、そのうちの1台で水を購入。半分飲んで、半分を頭からかぶった。
一瞬だけ正気に戻る。

9:08、第一エイドの立石建設に到着。
なんとか、ギリギリ関門を突破できるだろうと考えていた時間を過ぎてしまっていた。
いくらなんでも、ロードに時間をかけ過ぎた。

このエイドで提供されるのは水だけだが、この天気では冷たい水が何よりのごちそうだ。
しかも、飲むだけでなく、オジサンがひしゃくで頭から水をかけてくれる。
再び頭がシャキっとする。

このエイドからが、待ちに待ったトレイル区間だ。
鐘撞山への上りが始まる。

トレイルならば、これぐらいのタイムで走っている人に引けを取る気はサラサラ無い。
ここまで来れば渋滞もあまり無いだろうと予想しつつ、トレイルに取りついた。

鐘撞山の斜面は、山と高原地図では破線になっているルートだ。
なぜ破線なのかは分からないが、少なくとも、けっこうな急登ではある。
僕としては、この程度の斜面はガンガン登っていきたいところではあるが、どうしても前が閊えてしまってスピードを出すことができない。やはり、この時間にこのへんにいる人たちの脚力だと、この程度のスピードになってしまうのか。ロードで極端に後れを取ってしまった自分を激しく呪う。

だが、スピードの遅い人は後ろからまくられるので、途中で脇に避けるようになってきた。休憩も兼ねているのだろう。
それを繰り返しているうちに、ノンストップで登る者たちのスピードが速くなっていく。非常に快適なスピードだ。
結局そのまま、鐘撞山の山頂までノンストップで上がった。

9:49、鐘撞山の山頂に到着。
スタッフのオバチャンがカンカンと鐘を撞いていた。
せっかくなので、僕も撞かせてもらう。
叩いた自分がビックリするほどの大きな音が鳴った。

ルートは、ここから少しだけ下り、再び県境尾根分岐に向けて急登となる。
問題は、その急登の入り口だった。

この「のぼりどす。にゃー」の、ちょっとイラっとするコース案内の先から登りが始まる。
そして、同時に、絶望的な渋滞が発生していた。
渋滞がひどすぎて、帰省ラッシュかと思うぐらいだ。
ジリッ、ジリッとは前に進むものの、いつまでたっても渋滞の先頭すら見えてこない。
悪いことに、ここはちょうど稜線上の鞍部のため、風の通り道でもある。
どんどん体が冷えていき、筋肉が固まってくる。
そのうち、あまりに待たされすぎて眠くなってきた。
思えば、直近の1週間、1日に16時間労働の日々が続き、あまりちゃんと寝れていなかった。その影響が今頃こんなところで現れるとは。。。

結局、10分以上待たされた挙句、やっと渋滞の先頭が見えた。
見ると、何のことはない、2m程度のちょっとした岩場が渋滞の原因だったようだ。
岩場と言っても、3手ぐらいで抜けられる、ホールドもしっかりした場所だ。こんなの、丹沢だったらどこにでもあるだろう。
こんなところで渋滞するなよ・・・。
おかげで、体はすっかり冷えてしまって全然動かないし、眠気も全く去らない。
その先も急登なのだが、その急斜面を歩きながら、どうしても意識を保っていられないぐらいに眠い。命の危険を感じた。

そうして眠気と戦うこと数分、まったく予期しなかった事態で目が覚めた。
それは、すぐ上を歩いている人からの
「ラク!!!」
という叫び声である。
その声と同時に、目の前をソフトボールより一回り大きいぐらいの石が転がり落ちていった。
僕も反射的に
「ラク!!!!」
と叫んで、眠気がふっとんだ。
誰かが足元不如意で落としてしまったものらしい。
タイムの遅いランナーに囲まれていると、こういう危険が常につきまとう。

ここからは、ひたすらツラさを押し殺して前を追う。
前を登る選手が次々に道を避けて立ち止まるのを尻目に、とにかく県境尾根分岐を目指して耐える。

ハムストリングはパンプし、胃の底から吐き気が込み上げてくる。
これまで何と怠惰な日々を送ってきたことかと、誰彼構わず懺悔したくなる。
だが、関門の時間が迫る中では、僕にも周りの誰にも、そんな暇は無い。

吐き気をこらえながらひたすら急登を登り続けていると、次第に斜め上の木々の間から、空が見え始めた。
あそこが県境尾根分岐に違いない、と思いながら歩を早めると、スタッフのオッチャンが
「もうすぐそこだから!」
と言いながら、道無き道を降りていく。
周りの選手たちはその声に励まされた様子だが、僕としては、道の無い急斜面を降りていく70歳ぐらいの男性という絵ヅラに、ただ見入ってしまった。

10:54、県境尾根分岐に到着。
なにか写真に残しておけるようなものは無いかと見渡したが、単なる分岐に過ぎないここには、道標ぐらいしか存在しなかった。

ここでは、スタッフのオジチャンとオバチャンが各1名ずつ立っていた。
とりあえず僕は、1分だけ停滞し、スポーツようかんを貪った。
その間に、僕の後から到着した男性が
「第一関門からバス出てる?」
と、第一関門でリタイアすることを前提とした問をスタッフの方に大声で投げかけ、笑いを誘っていた。
笑いはしたものの、僕もかなり第一関門が危うい。
まさかこんな展開になるとは思っていなかったので、ようかんを食いながら大いに焦った。

第一関門まであと3.5km。
残り時間はあと30分。
捻挫の影響が残る右足首を抱えながらで、果たして間に合うのか?

行けるところまで行くしかないし、3.5kmなら行けない距離じゃない。
そう思い直して、急な下り坂をできる限り飛ばす。
斜面は湿って、いかにも滑りやすそうな泥の道。コケたらそこで終了する可能性も大いにある。
が、後先考えずに、今の僕に可能な限りのスピードで降りていく。
まだだ、まだ諦められない。せめて第一関門だけは突破したい。

11:08、斜面の途中で、柴犬を連れた女性が施設エイドをしてくれていた。
その女性に
「あと2kmぐらいですかね?」
と尋ねると、
「いや、そんなにないですよ。あと15分ぐらいで着くと思います」
とのこと。
よし、間に合う! そう確信して喜び勇んでペースアップする。

が、11:15、急に足に力が入らなくなる。
ヤバイ!と思って立ち止まり、足の様子を観察すると、まるで生まれたての子ヤギのように震え、ふくらはぎには軽い痙攣が始まっていた。
なんだよ、こんな時に! あともう少しなのに!

ここからは、全く踏ん張りが効かなくなり、転ばないように歩くのが精一杯となった。
言うことをきかない足を引きずるように斜面を降りていくと、上のほうから
「あぶない!」
と声が聞こえる。
反射的に声の方を見ると、大きな落石が迫ってきていた。
慌てて手近な木の影に隠れてやり過ごす。
今度の落石は、バスケットボールよりも大きな石だった。あんな大きな石、どうやったら落とせるんだ。。。
こんなに人為的な落石が続いたのでは、命がいくらあっても足りない。


結局、11:30になったことに気付いたのは、日蔭沢にも至らない斜面の途中だった。
この時点で僕のキタタンは、予想もしなかった第一関門敗退という結果で幕を下ろした。

11:47、第一関門に到着。

敗北感しか無かった。
あまりの自分の不甲斐なさに、悔しさすら湧いてこない。
ただ、もう、消え入りたいというだけだった。

関門のテントでタイムオーバーの旨を告げられ、神ノ川ヒュッテに向かった。
スタッフのおじちゃん、おばちゃんに優しく迎え入れられる。

給水所では頭から水をかぶせてもらい、給食スペースではキュウリの浅漬けとバナナをご馳走になる。
キュウリが事のほか美味に感じた。
その美味さが、敗北感をより濃くする調味料ともなった。

この半年、トレーニング中の事故で捻挫をしたり、それを早期に治すために激痛に耐えながらリハビリをしたり、踏ん張りの効かない足首を抱えながら強化トレーニングをしたりしたのは無駄だったのだろうか。もっともっと努力をしろということなのだろうか。きっとそうなのだろう。質的に量的にもトレーニングが足りていないに違いない。

神ノ川ヒュッテから、進むはずだった東の方角を見つめながら、ただただ呆然とするばかりだった。

第一関門からバスに乗せられ会場にたどり着くと、目の前で上位陣がどんどんゴールしていく。
期せずしてそんな風景を見せつけられ、心の底から負け犬の気分を味あわされた。
その瞬間、憎悪にも似た怨念がむらむらと湧き上がった。
このまま終わらせてなるものか。来年こそは完走して、50km未満の大会には見切りをつけてやる。
必ずや、借りは返す。
この瞬間に、来年のリベンジを誓った。








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