このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2013年11月27日水曜日

2013年11月24日 第2回 富士山マラソン これでロードは引退

11月下旬に河口湖で行われるマラソン大会に出場して、今年で5回目。
その間に、大会の名前が「河口湖マラソン」から「富士山マラソン」に変わり、その富士山マラソンも今年が第2回。コースも「河口湖マラソン」時代よりもアップダウンがキツく、ある意味バージョンアップしていると言っていいだろう。(詳しいコースはこちら

「富士山マラソン」と名称が変わってから、ランニングと縁遠い人からは富士登山競走や富士山駅伝などと混同されることが多く、「え、この時期の富士山で走るの?!」みたいなことを言われるようになった。
が、あくまで平地でのフルマラソンであって、富士山には行きません。

今年から富士山マラソンはフルマラソンのみとなり、去年あったハーフの部は廃止された。(そのために生じた、デンジャラス安田氏の悲劇についてはこちら
そのフルマラソンの出場者だけで1万6000人。非常に大きな大会だ。

第1回である昨年は、大会側が用意した都心からの送迎バスがスタート時刻に間に合わず、多くの参加者が出走できないという事態が発生した。(詳しくはこちら
その経験からか、今年はスタートが例年よりも1時間遅くなり、午前9時となった。これにより、少なくともスタート時の気温は例年より高いことが期待できるだろう。
この大会では、スタート時の気温が氷点下になることも珍しくなく、毎年スタートラインで極寒に耐えながら、「これはいったい何の罰ゲームなんだ?!」と思うのである。少しでも暖かくなってくれたら、こんなに嬉しいことはない。


実は、僕はこの大会を以てロードの大会を引退しようと決意していた。
アスファルトの上を走ることにはもう何のモチベーションも感じることができないのだ。
今後は「走る」ことについてはトレイルに絞っていきたいと思っている。
そのため、この大会は僕にとって非常に大きな節目となるのだが、いかんせん、もうやる気が無いので平地での走り込みをほとんどしていない。果たしてこんなんで制限時間内に無事ゴールにたどり着けるのだろうか。


スタート30分前ともなると、もう会場はごった返し。
見ろ、人がゴミのようだ!(cf.ムスカ

幸い、昨年に引き続きこの上ない晴天に恵まれ、気温もこの時点で3℃を上回っていた。ありがたいことだ。
とはいえ、スタート地点は嫌がらせのように日陰となっているため、非常に寒く感じる。
風邪が治りきっていない我が身には、ことのほか堪える。
スタートラインのほうではゲストの軽妙なトークが繰り広げられていたが、僕のような鈍足ランナーが待つ後ろのほうまではその声もあまり届かず、心すら暖まらないまま、ひたすら寒さに耐えるばかりであった。

9:00、スタートの合図とともに、湖の上に花火の号砲が鳴り響く。
そこから僕が実際にスタートラインを通過するまで約5分を要した。
スタートラインでは、例年通りゲストが手を振って見送ってくれる。
スタートラインの200mほど先にある公衆トイレに多くの選手がダッシュで駆け込んでいくのも、この大会ならではの風物詩だ。もう来年から、僕はこの風景を見ることはなくなるのだ。

スタートから1kmほど進むと、次第に富士山が姿を現す。
とても美しいのだが、この大会で見る富士山はいつも気が重いのだ。

それどころか、気ばかりではなく、体も重い。
全くペースが上がらない。
去年までのイーブンペースに全く及ばない状態に、早くも焦りを覚える。


8.9km地点の第2給水所。なんと自衛隊のみなさんが出動されていた。
やっぱり富士山といえば自衛隊、ということなのだろうか。

この第2給水所の時点で、既に去年の自分よりも2kmほど後ろにいる計算だった。どうにもこうにもペースを上げられない。
トレランのトレーニングはしていたわけだが、やっぱりロードをイーブンペースで走るというのは全く別な調整が必要なのだと痛感する。

13km地点で警備員の制服を着て沿道警備をしていたオネーチャンが非常に可愛かったのだけが、ここまでの唯一の喜びだった。

15kmあたりから、すでに全身を倦怠感が包み込む。
こんなところでこんな状態になるなんて、ここ5年ぐらいは経験の無いことだ。
これでは、ゴールどころか、ハーフ地点過ぎで待っている急坂にすらたどり着けないのではないだろうか。。。

この大会は富士五湖の素晴らしい紅葉を眺めながらのマラソンなわけだが、例年以上に鑑賞する余力が無い。

とにかく、ハーフ地点過ぎの急坂までは走ろう、と自分に言い聞かせる。
僕の目の前を走る2人連れの男性も
「坂は歩く。そこまでは走る」
という会話をしていた。同じようなタイムで走るランナーが考えることは、だいたいみんな一緒のようだ。
それを見透かしたかのように、20km地点でスキンヘッドのオッサンがランナーたちに、
「坂は歩いていいから、そこまで頑張れ!」
と激を飛ばしている。
ランナーだけでなく、沿道の人も同じことを考えるものだなーと、思い知らされる。


なんとか歯を食いしばって、急坂の入口である21.8km地点のエイドに到着する。
このエイドではおにぎりやうどんが振舞われるのだが、その列に並ぶことは僕のような鈍足ランナーにとってはリタイヤを意味するので、素通りせざるをえない。

ここからが、約1kmにわたって標高差70mほどの上り坂となる。
昨年はここを頑張って走ってしまって、足が終わってしまった。
今年は早歩きで乗り切る。どちらにしろ、今年のコンディションでは走れない。

坂を登りきるとすぐに、トンネルが現れる。
これを抜ければ、いよいよ西湖の湖畔に出る。
フラットな場所なのだから走らざるをえない。

昨年の記憶では、このあとすぐに古民家みたいな「西湖いやしの里」が現れるはずなのに、全く気配すら感じない。
そのうち、もうシンドくなってしまって25km過ぎの道端にあったちょっとした駐車スペースで寝っ転がり、ストレッチをしているように見せかけながら横たわっていたら、後方から5時間30分のペースアドバイザーが姿を現した。
マズイ、ここでこのペースアドバイザーにすら抜かれてしまったら、本当に制限時間(6時間)に間に合わなくなってしまう。
慌てて起き上がってペースアドバイザーに着いていく。
が、着いていくのが精一杯。5時間半って、こんなにハイペースだったっけ?!

そうこうする間に、いやしの里を通過する。
今年こそいやしの里の写真を撮ろうと思っていたのに、ペースアドバイザーに着いていくのに精一杯で、そんな余裕はまるで無かった。

そして、コースはいよいよ西湖の南岸に至る。
この南岸は南側が小高くなっているため、日陰になっていて寒いのだ。
それでも、ペースアドバイザーに着いて走っているうちは集団であるため、わりと暖かい。
が、悲しいかな、29km地点あたりから僕はズルズルと遅れ始め、30km地点に至るころには完全に置いてきぼりとなった。
5時間半のペースにも着いていけないとは。。。情けなさを通り越して、ただただ呆然とするばかりである。

30km地点あたりからは、もはや走ることもできず、ポーチからウィンドブレーカーを取り出して羽織り、トボトボと歩くのみだった。
これはもはや制限時間内のゴールは無理だろう。だが、それでも行けるところまでは行かなければならない。それがエントリーした者としての義務なのだから。

歩いているうちに、だんだん意識が遠退いてきた。
31km地点の距離表示を過ぎたあたりからは、目を開けていられない状態だった。
眠いだけなのか、あるいは健康状態がヤバいのか、判断がつかない。
これが長距離のトレランだったら迷わずコースを外れて横たわったに違いないが、ロードでそれをやると救護車に拾われてしまうので、それもできない。
やむを得ず、歩きながら寝た。
もうダメだな、こりゃ。そう思った。

ところが、奇跡が起きた。

ほとんど目をつぶった状態で歩いて、おそらく15分ぐらい経った頃、急に目が覚めた。
目が覚めたら、急に力がみなぎってきた。まるでスタート前のような元気さだ。
エンドルフィンだかドーパミンだか知らないが、なんだか変なホルモンが大量に脳内に分泌されたみたいだ。
これならいける!!
そう思った瞬間に、何故かケツメイシの『闘え!サラリーマン』が脳裏をよぎった。まるで天からの啓示のように。


おしぼり フレ!フレ!フレ!フレ!フレ!
ネクタイ振り回せ!

あえて言おう 会社はオレ達が回してんだ!
We are Japanese サラリーマン!


そうだ、会社はオレ達が回してんだよ!
こんなところでヘタばってたまるか! これがジャパニーズ社畜だ!

すかさず、ポーチに入れていたiPhoneから『闘え!サラリーマン』を選択し、イヤホンを装着。「曲リピート」で走り出した。

ドーピングしたかのように力が湧いてくる。
どうせ残り10kmだ。飛ばせ飛ばせ!
僕が自制心に欠けるタイプだったら、おそらくこの時、奇声を発しながら走ったに違いない。それぐらいハイテンションだった。

ここからの5kmが、僕のマラソン人生において最もハイペースだったに違いない。
37km地点までで、これまでの行程で僕を抜き去っていった多くの、見覚えのある後ろ姿を抜き返した。
もしかしたらそれらの後ろ姿は、挫折ばかりの僕のこれまでの人生のメタファーだったのかもしれない。
ロードを引退するにあたり、これまで練習量の割にサッパリ伸びないタイムの分の、ささやかな見返りだったのかもしれない。
あるいは、単に、灯火が消える前のロウソクだったのかもしれない。

いずれにしても、この5kmは、これまでのマラソン人生(といっても、たかだか7、8年だが)で最も充実した5kmだった。

37km以降も、ペースこそやや落ちたものの、ちゃんと足が前に出た。
このタイミングでこんなにも走れているのは、これまでになかったことだ。
肺も胃も全部口から出そうなぐらいに吐き気が込み上げてきたが、それが充実感の妨げになることはなかった。

いよいよ残り2km(距離に記憶の齟齬があるかもしれないが)というところで、目の前に富士山が現れた。

圧倒された。

もはや酸素を吸収できなくて、金魚のように口をパクパクさせながら、僕は涙が出そうになった。初めて富士山に出迎えられたような気がしたのだ。

過去4回の大会では、富士山は僕のことを冷徹に無言で見下ろすだけだった。
僕はそんな富士山に対して、少なからず反発を抱いていたし、河口湖から見上げる富士山に対していつも憂鬱さを感じていた。今日のスタート時点だって例外じゃない。こんなにも美しいのに、こんなにも不愉快なものはない。そう思っていた。
それが、いまやっと解合できたような、そんな気持ちだった。


ゴールのゲートをくぐり、吐きそうになりながら完走賞であるメダルをかけてもらう。

ゴールタイムとしては自己ワーストだったが、こんなにも充実したゴールは無かった。

フルマラソンには参加者の数だけドラマがある。
そんなドラマを見ることは今後もう無いわけだが、もう思い残すことはない。

こうして僕の引退試合は終わった。



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