このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2015年7月29日水曜日

山行記 : 2015年7月25、26日 甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根から 1日目 七丈小屋まで



(この記事は「計画概要」の続きです。)


山の朝は早い。
が、最近の寝不足もあり、とても早起きをする気力が湧かないので、宿の出発を7:00に設定した。
だが、それでもさらに30分も遅れて、7:30スタートとなってしまった。めまいがして、起き上がれなかったのだ。

こんなコンディションで、この酷暑(この夏一番の暑さという予報だった)の中を、黒戸尾根なんぞ登れるのだろうか。
出発前から不安が募る。
(あとで聞いたら、連れはこのとき、そのまま東京に帰ることも覚悟したそうである。)


宿から韮崎駅まで歩き、タクシーに乗り込む。
向かうは尾白キャンプ場の駐車場。竹宇駒ヶ岳神社の手前、自動車が入れるのはそこまでだ。

8:14、尾白キャンプ場の駐車場に到着。
4年前は、ここで子猫が擦り寄ってきたのだが、今回は姿が見えない。

ここでトイレを済ませ、最終的な身支度を整えて出発。
(ちなみに、これ以降、七丈小屋までトイレは無い。)

8:23、登山口で登山届けを記入し、出発。
僕らが登山届けを書いている横を、爺さん婆さんの5人パーティが

「登山届け出したほうがいいんじゃない?」
「んなもん、出さなくていいんだよ」

という会話を交わしながら通り過ぎていく。

・・・オマエらが良くても、残されたモンは良くないんだよ。
最近はよく、「近頃の若いモンは」ではなく、「近頃の年寄りときたら」という苦言を耳にすることが多いのだが、まさしくこういう不心得な年寄りこそが問題なんだよなぁと思うのだ。


8:32、竹宇駒ヶ岳神社に到着。
 山行の無事を祈願する。
気のせいか、祠が新しくなったような・・・。

8:35、尾白川にかかる吊橋に到着。
吊橋は定員5名。歩くと揺れる。

橋の下では、釣りに興じる若者たち。

吊橋を渡ると、すっかり登山道らしくなる。

七丈小屋からのお知らせの看板がぶっきら棒で、七丈小屋らしくてほほえましい。

8:48、尾白川渓谷との分岐に到着。
周囲にいたほとんどの登山者は、尾白川渓谷方面に進んでいった。
僕もできればそちらに進みたい・・・。
そう思いながらも、黒戸尾根ルートに向かう。

黒戸尾根は、七丈小屋の少し上まで、ひたすらの樹林帯だ。展望など、ほとんど無い。
ブナなどの明るい広葉樹林帯であることだけが唯一の救いだ。

まだ朝だというのに、すでに樹林帯の中は蒸し暑く、汗が噴出して止まらない。
そんな中を、ただ黙々と歩く。

歩き始めて1時間ほども過ぎたあたりから、左足の踵に違和感を覚えるようになった。
なんだか、登山靴の内側がゴリゴリと踵に当たるのだ。
嫌な感触にいったん立ち止まり、靴下を脱いで確認してみると、靴ズレの初期状態だった。
まだ歩き出して間もないのに、困ったな。。。

これまで、靴ズレをしたことのない僕は、以前は装備していたマメ・靴ずれブロックを装備から外してしまっていた。

とりあえずの応急処置として、サカムケアを塗って皮膚の補強を図った。

が、歩き出すとやはり、同様の痛みを感じる。改善するどころか、痛みがどんどん増していく。
たまらず、再び靴下を脱いでみると、すでにズル剥け状態だった。
なるほど、こういう時には皮膚を表面から補強しても無駄なのか。

止むを得ない。ズル剥けの部分を消毒もできる液体ばんそうこうで固めて、その上から普通の絆創膏を貼ろう。
そう思って液体ばんそうこうを塗った瞬間!

「んが!!!!」

思わず声が出た。
すさまじく染みる。激痛だ。まるでフライパンで頭をひっぱたかれたみたいな痛みだ。(そんな経験は無いが。)

もう、踏んだり蹴ったりである。
連れが居なかったら、確実に下山していた。そして、サントリーの白州蒸留所に行ってウイスキーをしこたま飲んで帰京していた。それぐらいの痛みだった。

だが、もちろん帰るわけにもいかず、あとは野となれノモンハン。

再び歩き出すも、この酷暑のなかの日本三大急登の苦しみだけで精一杯なのに、靴ズレの痛みが加わって、もはやただの苦行でしかない。

10:44、笹の平分岐に到着。

横手方面に下る登山道を見ながら、4年前にクマに出会ったことを思い出し、思わずキュッと唇を結ぶ。
あれ以来僕は、ひと気の少ない場所をソロで歩くときには、クマ撃退スプレーをぶら下げて歩くようになったのだ。

分岐からしばらくは、それほどの急登でもないが、
次第に「八丁登り」の本領を発揮してくる。

泣き言を言っても仕方ないのだが、急斜面を歩くと、踵の靴ズレが靴の内側にゴリゴリと当たり、痛い。非常に痛い。絆創膏などお構い無しに傷口を刺激してくる。
もうカンベンして欲しいのだが、この尾根はこんなもんじゃカンベンしてくれないことを、僕は4年前に体で覚えさせられた。うつむいて、黙々と歩くしかない。
眠気にも襲われ、バターン死の行進のような気分だ。

本当は見晴らしの良い場所までたどり着いてから昼飯にしたかったのだが、こんな体たらくでは全然先が見えないので、11時半ごろに適当な場所で昼飯を事務的に食う。
少しは元気が出たが、眠気は去らない。やはりシャリバテではなかったようだ。

眠気と斜面に苦しめられながら歩いていると、ふと登山道沿いに白いものが目に付いた。
ギンリョウソウだ。
なんだか今年はやけに縁がある。

そんなギンリョウソウに癒されたのも束の間。
12:38、もういい加減イヤになってきたころに、急に目の前に刃渡りが現れた。

ここは、七丈小屋までの間で数少ない絶景スポットである。

鳳凰三山。

見た目に反して全然怖くないナイフリッジを通って、
振り返れば八ヶ岳。YA・YA・YA!

奥秩父。

大菩薩方面。

晴れてて良かった。

刃渡りは、「刃」な感じのところが終わっても数十メートルに渡って岩が続く。
差し詰め、刃の根元の柄の部分であろうか。

それが終わると、再びの急登だ。

13:01、最初のハシゴが現れた。
奥にまで続くハシゴ。

さらに幾つものハシゴを登り、ついに行く手に大岩が見えてきた。
あの大岩こそ、刀利天狗の大岩だ。

13:08、刀利天狗に到着。

さあ、こんなところで油売ってる場合ではないので、先を急ごう。

道端にはキノコが。
黒戸尾根は立派なキノコがよく生えている。

こんなヤツも生えていた。

そりゃキノコも生えるわなー、といった感じの鬱蒼としたコケの樹林帯。

そして急登。

コケの回廊。

黒戸山の山腹をトラバースし、五合目小屋跡に向かって登山道は下り始める。

13:59、五合目小屋跡に到着。

ここで一休みしていると、白髪の50代半ばぐらいの男性がやってきて、大変バテたと陽気に話し始めた。聞けば、七丈小屋のテント場泊まりとのこと。今日の目的地は我々と同じだ。

しばしの休憩の後、白髪男性に別れを告げ、先を急ぐ。

五合目小屋跡のすぐ直下、黒戸山と甲斐駒ヶ岳の最鞍部にある大岩には、小さな祠が建てられている。
この大岩の脇から、ハシゴ地獄は始まるのだ。
長い長いハシゴ。これは序の口でしかない。
この長いハシゴの横で、登山者を見守るかのように咲くクルマユリ。
クルマユリの花がうつむき加減なのは仕様だが、このハシゴ脇に咲いていると、ハシゴの下を見下ろしているかのようで、可憐さに拍車がかかる。

ハシゴを上りきると、石碑の大群がお目見え。

靴ズレの激痛に顔をゆがめ、熱中症になりかけの朦朧とした意識のままに、次のハシゴに取り付く。

ハシゴの無い場所は、岩を避けて通る細い道か、
 岩をよじ登る道のどちらか。

岩を登るのに、つま先で踏ん張ると踵の靴ズレが痛むという厳しい状況の中、黙々と登るしかない。
嗚呼、もう帰りたい。。。

14:25、木々の上に、やっと八ヶ岳が見えた。
これだけ背の高い木々の上に景色が見えるというのは、いかに急斜面であるかの証とも言えよう。

14:26、石碑に水が供えられていた。
 あんまり石碑にお供え物をすることはないだろうから、もしかしたらお墓なのだろうか。
それとも、供えたのではなく、単なる置忘れ?

この石碑の脇には、まるで大岩を割って道を通したかのような箇所。
隙間を無理やり通る。

そして、その先にまたすぐに現れるハシゴ。
 その先にもハシゴ。

さらに険しい道も続く。

わずかに咲き残ったアズマシャクナゲに励まされる。

木々の隙間からたまに見える富士山。

黒戸山から五合目にかけての下りを除くとほとんど下り斜面の無い黒戸尾根だが、一瞬だけ下り斜面が現れ、
14:47、鞍部(というか、谷?)にかかる橋を渡る。

橋を渡り、ハシゴを登った先に、石仏や石碑の群れ。

この石仏・石碑群のすぐそばから、またもハシゴが伸びている。

ハシゴから石仏・石碑群を見下ろすと、しめ縄がかけられていることに気付いた。
やはり、なにか縁起のある場所なのだろうか。

このハシゴを登った先に、垂直なハシゴがかかっているはず。
が、実際にたどり着いてみると、記憶の中のハシゴと違ってそんなに垂直でもない。
あれー? こんなに緩やかだっけか?
何はともあれ、登る。
登りきってから見下ろすと、なぜ4年前の自分があんなにビビっていたのかちょっと分からない。

さすがに切り立った岩の上だけあって、展望は良い。

さらに連続してハシゴが現れる。
いいかげん、うんざりである。
が、こうしてしっかりしたハシゴを設けてもらっているからこそ、こうして容易に登ることができるわけで。
こんな整備された状態でない昔に、信仰のために登っていた方々の苦労やいかばかりか。
感謝して登らなければバチが当たるというものである。

などと言っても、しんどいものはしんどいのである。

いっそのこと、山頂のほうで迎えに来てくんねーかなー。
でも、そんなことになったら、登山なんか面白くなくてやってらんねーよなー。

山に登っている最中は、だいたいこうして二律背反が頭の中でグルグルする。


そうこうするうち、15:02、本日最後の難関である鎖場を越える。
これも、記憶の中では大層怖かったような気がしていたのだが、えらく簡単にクリアできる代物だった。
うーむ。

ここを越えてしまえば、あとは大したことのない道だ。
黙々と登り、

この日最後の鎖場を越え、
15:20過ぎ、七丈小屋に到着。
(疲れ果てて、正確な到着時刻を記録し忘れた・・・。)

七丈小屋の前は10人以上の登山者が寛いでいた。そんなに広いスペースでもないのに・・・。

疲れ果てていた僕は、七丈小屋でテント場利用の申し込みをするだけなのに凡ミスを連発し、そのたびに小屋のオヤジに怒られるのを繰り返した。いやはや面目ない・・・。

この小屋のオヤジさんは非常にぶっきら棒ではあるものの、同時に、非常に真っ当であり、しかも几帳面で行き届いた人だと思う。山で信頼できる人は、まさにこういう人なのだろう。

ついでにビールも購入し、テント場へ向かう。
小屋からテント場までも、まさにこれまでの登山道の延長と言えるような道が続く。
というよりも、登山道に七丈小屋とテント場が点在しているというほうが、正しい表現だろう。

まずは、ハシゴを登る。

さらに、岩の迫る狭い道を歩き、
15:35、第一テント場に到着するも、すでにスペースは無い。
已む無く、第一テント場を見下ろしながら、さらに上の第二テント場を目指す。
鳳凰三山の眺めが大変良い。

幸い、第二テント場にはスペースがあり、問題なくテント設営ができた。
眺めも決して悪くない。
きっと夜には、下界の夜景も綺麗に見えることだろう。

テントの設営場所を確保したら、まずは小屋で買ったビールで乾杯。
この一杯のために生きている、ということを実感するひとときだ。

その後、ビールを飲みながら、幕営初体験の連れにテント設営実地講習をしつつ設営完了。
モンベルのステラリッジ3型を、2人で贅沢に使う。

装備も全部テントに放り込み、メシの支度を始めたころに、五合目小屋で出会った白髪男性が第二テント場に現れた。
男性はかなりヘトヘトの様子で、それでも我々のテントの横に設営をしはじめた。ステラリッジ1型だ。

ヘトヘトでも、彼は陽気に話し始めた。
それによると、このステラリッジ1型は今回初めて使うのだそうだ。
ソロテントを持って登山をするのは初めてだそうで、最近このテントを購入してテンションが上がり、そのテンションのままに登山計画を立てたばっかりに、こんなキツいルートを選んでしまったとのこと。
口では後悔の念を繰り返し語っていたが、顔は満足そうだった。

テント設営をする彼の横で、我々は一足先に食事を開始した。
赤ワインも500ml担ぎ上げた。(連れが。)

フリーズドライのボルシチに、缶詰のソーセージを放り込んだだけなのだが、連れは
「こんな美味いメシは食ったことが無い。食うのが勿体ない。」
と何度も繰り返し、涙を流さんばかりに頬張っていた。
自分で担ぎ上げたメシというのは、それぐらいに美味いものである。山ヤならば誰しもが首肯するところだろう。

こちらのメシが終わろうとする頃、隣の白髪男性もようやくメシの支度が整いつつあった。
彼は、豚のソテー用厚切り肉を2枚担ぎ上げたようだが、バテすぎて1枚しか食えないので1枚我々に食ってくれとのこと。
もちろん、ありがたく押し頂き、赤ワインの共とさせていただいた。


そうこうするうちに、次第に日が傾いてきて、ワインを飲みきった我々はすっかり眠くなってしまった。
もうトイレに行く気力もなく、早々にテントに入って就寝。
これは夜中にトイレに起きるパターンだなぁ。


(「2日目 登頂、下山」につづく)