このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2012年11月26日月曜日

2012年11月25日 第1回 富士山マラソン

僕は基本的に、富士山を見ると得した気分になる。
登山の最中でも、新幹線や飛行機の中からでも、富士山を見るのが好きだ。

だが、年に1日だけ、富士山をみるとゲンナリする日がある。
それが河口湖マラソンの日だ。
河口湖マラソンには毎年参加しているのだが、フルマラソンを走るという憂鬱さを反映して、富士山を見てもゲンナリするのだ。

その河口湖マラソンは昨年で36回を数えていたが、今年から「富士山マラソン」に名前を変え、コースや大会運営仕様を大幅に変えて開催されることとなった。
開催日程は河口湖マラソンと同じく11月下旬、JRAのジャパンカップと同日に開催される。

もちろん、大会の名前が変わっても、憂鬱な気持ちは変わらない。

今年も、富士山を見てゲンナリする日がやってきた。
その日の早朝、河口湖駅前からは皮肉なほどに美しい富士山を見ることができた。

心は沈んだまま。お得感は無い。42kmも走りたくない。
特に今年は、秋の間ずっと登山にかまけて走るトレーニングをサボっていたので、とてもじゃないがフルマラソンを走れるような体づくりはできていない。
走ったら多分膝とか壊す。

しかも、気温は氷点下。なんの耐寒訓練なんだ、いったい。

事前に選手に郵送で送られる『参加のご案内』には、「レース直前 セルフチェック項目」が記載されているのだが、そのうちの1つに
「走る意欲充分です」
という項目があった。正直なところ意欲は非常に希薄なので、参加を取り止めてもいいですか?

さて、今回から参加賞は走る前から引き換えることができるようになった。
しかもその引換所はスタート地点ではなく、河口湖駅前。
なので、スタート地点に向かう前にさっさといただく。

今回の参加賞は、Tシャツとサングラス。

Tシャツは、河口湖マラソンの時の仕様と全く異なる、ややシェイプされた黒いメッシュ地ボディだった。
サングラスの方は、なんとSWANS。

もちろん、お店で売ってるようなものに比べてややチャチな印象は否めないが、トレランのときの目の保護にはちょうど良さそうな色と形だ。

参加賞を貰ったら、いよいよスタート地点へ。
フルマラソンの部は、河口湖マラソンのときと同じスタート地点だった。
ちなみに、河口湖マラソン時代にあった10kmと28kmの部は無くなり、富士山マラソンでは河口湖1周コース(18km)というのが新設され、そちらのスタート地点はいきなり河口湖大橋のたもとからだ。

スタート地点といっても、参加者が大人数のため、スタートラインから長い長い列でゴッタ返しである。
うらめしいまでの青空と、スタートを待つ選手たち。
この時点でまだ気温は氷点下。

スタート前には、ゲストのトークもある。
河口湖マラソン時代から引き続き、有森裕子さんとデンジャラスの他、今回は瀬古利彦さんと菅原文太さんが来ていた。

8:15、はるか前方でスタートの号砲が鳴る。
じわりじわりと動き出す人の波。

スタートしてしばらくは、人がゴッタ返して自分のペースで走ることが難しい。
はるか前方まで人のうねりが続いている。
やっぱり富士山が見えてもお得感は無い。

今回は全くのトレーニング不足のため、ペースをいつもより抑え目にして走る。
ただただ淡々と、景色や参加者を眺めながらの長い長いジョギングのつもりで。

しばらくすると、河口湖1周の選手たちのコースと合流するポイントを迎えた。
フルの選手も18kmの選手も一緒クタになって走っていると、前方から
「ふぉーーーっ!」
という、やたらテンションの高い叫び声が聞こえてきて、それがすごいスピードで近付いてきた。
その正体は、選手たちとは逆方向に対向車線を走る有森裕子さんだった。
ものすごい前傾姿勢で、ものすごいスピードで走りながら、参加者ひとりひとりとハイタッチして突っ走っていった。
その姿に思わず笑みが溢れる。
いい仕事っぷりだ。

河口湖畔はすっかり紅葉のハイシーズンで、モミジが特に濃く色付いていた。

山に行くとモミジなんて見れないから、これはこれでうれしい。
これがマラソンでなければもっと楽しかったろうに。

さて、昨年までの河口湖マラソンは、河口湖を2周するという地味に精神を蝕まれるようなコース設定だったのだが、富士山マラソンでは河口湖と西湖を巡るコースに変更になった。
西湖なんて行ったことがないので、どんなコースなのだろうか。

と思っていたら、河口湖から西湖に向かう場所、おおよそ20km過ぎの地点で、標高にして80m程度の渋い坂が現れる。
走力の無い者は、ここで心が折れる。
僕のようなのんびりペースで走っている人達は皆、軒並み歩き始めた。
僕にとっては、上り坂は勝負どころなので、ペースを落とさずにそのまま突っ込む。いったい何人抜いたか分からない程、面白いように抜き去ることができた。

その先すぐ、文化洞トンネルを抜けると、目の前には西湖が現れる。

生まれて初めての西湖だが、特に思い入れも無いので、感慨は無い。

そのまま西湖の北岸を西に向かうと、古民家が現れた。

左上のほうに写っているのが十二ヶ岳。このすぐ先に登山口がある。

そのまま西に向かい、西湖の湖畔に沿って折り返すように南岸を走る。
この南岸がは日の光が当たらず、しかも西湖からの冷たい風が吹き付けてくるので、体の左半身(西湖に面している方)の体温がどんどん奪われて痛みすら感じるようになる。
しかも、30kmあたりからバテでしまい、ペースがグンと落ちているので発熱量も少なく、体が冷える条件が見事に整っているわけだ。

そんな南岸から見た、西湖と十二ヶ岳。

もう西湖をはやく切り抜けて、はやく河口湖に戻りたい。
そればかりを考え、気持ちは急くものの、足がついてこない。
トレーニング不足をうらめしく思いながらも、まさに身から出た錆。

エイドで食べたバナナを吐きそうになりながら、どうにかこうにか文化洞トンネルに到着する。
ここを抜ければ、坂を下ってすぐに河口湖に出られる。

その下り坂の途中に35km地点がある。
この時点でもう完全に膝が痛くて、確実に壊れた感があった。
残り7kmをなんとか左足1本で持っていこうと四苦八苦しながら坂を下っているときに、

「スピード落とせ」

の看板が目に入った。これは天啓なのか・・・?

見通しの悪い下りのカーブだから、ドライバー向けに掲示されている看板なのだと思うのだが、なんかもう「歩いたっていいじゃない」という、神の赦しの言葉にも、悪魔の囁きにも思えた。

坂を下りきったころには、右膝の痛みが耐え難くなっていた。
痛いだけならいいのだが(いや、良くないが)、完全に踏ん張りが効かなくて、右足に体重をかけると膝がカクンと折れ曲がってしまうのだ。そう、まるで「膝カックン」をやられたみたいに。

そうなると、いよいよ本格的に左足1本で走るしかない。
もちろん、左の前腿に大きな負荷がかかってしまい、パンパンにパンプしてしまう。
汗も鼻水も涎も垂らしながら、歩いてるんだか走ってるんだか分からないようなスピードで、右足を引きずるようにして進んでいると、「残り5km」の看板が目に入った。

看板には「by有森裕子」と書かれたメッセージが。
細かい文言は忘れたが、「ここまで来たんだから、笑顔で頑張れ」的なことが書いてあって、思わず目頭が熱くなる。
完全に心が弱っている証拠だ。

ここから先、もうずいぶん前に抜いたはずの人たちにバンバン抜かされている。
僕を置き去りにする、見覚えのあるたくさんの後ろ姿。
きっと、白骨街道でマラリアと飢えに倒れた兵士たちも、同じような光景を見ていたに違いない。

残り1km。
他の選手たちは皆、ラストスパートを始めた。
こんなところでスパートできるんなら最初から頑張れよ、こちとら歩くのもままならない状態だっつーのに!
と、僕を抜き去る背中に八つ当たりをしたくなる。
我ながら、スポーツマンシップもなにも有ったもんじゃない。

この最後の1kmの長いこと長いこと。
これまでのマラソンのなかで、一番長い1kmだった。
そんな1kmも、よろよろしながらなんとか終えて、ゴール。
正式なタイムは分からないが、手元の時計では明らかに自己ワーストを更新した。

僕はいったい、河口湖くんだりまで何をしに来たのだろうか。。。
得たのは、疲労と吐き気と痛みと虚しさだけだった。
トレーニングを積むことなくフルマラソンを走るというのは、きっとこういうことなのだろうと思った。


帰り支度を整え、出店で美味しい串焼きを食べて、心を落ち着かせてから新宿行きのバスに乗り込んだ。

こうして僕の今年のフルマラソンは終了した。


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