このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2011年11月7日月曜日

山行記 : 【2日目】 2011年11月4日~5日 奥多摩小屋 絶景独り占め編

11月4日は17時に寝入ってしまったが、その後19時に目が覚めて、そのまましばらく眠れなくなってしまった。
文庫本を1冊読み終わってもまだ眠気が来ず、もんもんと考え事をしながら、しんとした山の夜でまんじりともできなくなってしまった。

サルの鳴き声が聞こえるのは良いが、やはりジェット機の音が聞こえるのは興ざめ。

0時を回っていつの間にか寝入って、気付くと朝の5時。まだ外は暗い。
どうせ今日は下るだけだからと、そのまま1時間以上シュラフの中でだらだらして過ごす。

6時半にシュラフから這い出し、朝日に照らし出される風景を眺めながらモーニングコーヒーを飲む。

















昨日はこの景色を楽しむ余裕が無かったが、まさにこの眺めを堪能するためにここまで来たのだ。
一番奥の山並は多分大菩薩嶺。半月前の甲州フルーツマラソンはあの辺りだったんだなー。

クレイジークリークの座椅子に座ってゴハンを食べたりコーヒーを飲んだりしていると、すぐ後ろの登山道を歩く人たちから声をかけられる。

「いい風景ですね」
「独り占めですか」
「贅沢ですね」

当たり前です。このためだけに来たんだから。うらやましいだろ。

より立地の分かる写真はこちら↓。
















風がある時には見事に吹きさらしになる場所だが、ちゃんと出発前に気圧配置を確認して、風が強くなる気配が無いことを確認済み。
思ったとおり、そよ風程度しか吹かず。

8時を過ぎたあたりで食後のコーヒーを飲み終わったので、撤収準備を始める。
片付けが苦手なほうなので、いつも撤収には時間がかかる。

9時半前ぐらいに全てが片付き、パッキングも完了。





















例によって、ザックはグレゴリーの旧トリコニ60。
オスプレーのイーサー85を使うとどうしても色々持って行きたくなってしまうので、今回もこのサイズに収めた。1泊だし。
性格的にウルトラライトと真逆な志向性なもので、荷物を削るのが苦手なんだよね、、、

画像左下に写っている黒い物体は熊撃退スプレー。
咄嗟のときにすぐに使えるように、カラビナでぶら下げて歩いた。

9:20、出発。

鴨沢のバス停まで歩くわけだが、14時台のバスに乗るので、14時までに鴨沢のバス停に到着すれば良い。
多分3時間もあれば着いてしまうのだが、少し余裕を見て出発することにした。
この風景とのお別れは名残惜しいけれども。

帰路は、せっかくなので七ツ石山のピークを通ることにした。
きっと山頂からは眼下に広がる紅葉が素晴らしいに違いない。

ブナ坂に至るまでの道は、到着を焦っていた昨日とは違った風景に見えた。
もうすでに、この標高1,700m付近では紅葉も終わり、すっかり冬の趣きであった。





















その風景に身を置いていて、芭蕉の生涯最後のものとされる句がふいに思い出された。

「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」

芭蕉は病臥にありながらも、心は旅路にあったのだ。しかも、景勝地などではなく、「枯野」である。
人生の中心を旅路に過ごした芭蕉ならではの説得力が感じられる句だ。

この辺りからの眺めはやはり素晴らしく、雲海が無ければ相模湾まで見えちゃうんじゃないかという勢いだ。

















そして、これから登る七ツ石山。





















七ツ石山は小さな山で、奥多摩小屋側からアプローチするとブナ坂から20分で登れてしまう。
ただ、眺望は大変良く、雑木に多少ふさがれた東側を除き視界が非常にクリアだ。

というわけで、サクっと山頂に。
標識と三角点。
















北側は、今来し方。
















画像右側が、まさに今歩いてきた尾根道。
奥にそびえるのは奥秩父主脈。

西側には、遠く南アルプスの山々が見えた。
















東側は、木々の間から高丸山が見えるが、景観としてはしょぼい。
















眺望を満喫したら、そのまま七ツ石小屋方面に下る。

七ツ石山の南東斜面は岩がゴツゴツしていて、ちょっと歩きづらい。





















うち捨てられた祠。





















どうもこれが七ツ石神社らしい。もはや地図にも載らない神社だが。
平将門が祀られていると言われている。

七ツ石という名も、そもそも平将門に由来する伝説が元のようだ。

曰く、平将門がこの辺りに陣を張り、追討軍である藤原秀郷に相対していた。
将門は藁人形で6体の影武者を作り、自身を含めて7体のうち本物はどれか分かるかと挑発した。
秀郷が成田不動に念じたところ、吐く息が白くなっているのが本物の将門だというお告げが下された。
それで秀郷は、吐く息が白くなっている真ん中の将門めがけて矢を射り、見事命中させた。
すると、藁人形は七つの石になったという。

この伝説を聞くたび、6つの藁人形が何故7つの石になるのか、将門本体も石になったのか、それとも、藁人形が将門の影武者になったのではなく、将門が藁人形に化けていたことから、将門がかぶっていた藁も石になったのか、なんだか話の整合性が気になってモヤモヤするのである。

ちなみに奥多摩には将門伝説が多いらしく、七ツ石山から石尾根を東に数キロ下ったところに将門馬場という地名があり、将門の軍が馬の調練に使っていたとかいう話があるらしい。
また、その将門馬場のすぐ東にある六ツ石山にも、将門を祀った大きな自然石がある。

話が逸れたが、この七ツ石神社は、今でこそ廃屋同然になっているが、幕末頃には年に1度賭場がが開かれたそうで、そのときは非常な賑わいだったようだ。
そんな七ツ石神社を過ぎると、登山道はいったん東に向かう。
その道すがら、巨大な自然石を迂回するように登山道がつけられている。






















その傍らには、おそらくこの石にまつわる何らかの話が書かれているであろう石碑があったのだが、いかんせん風化がひどく読み取れず。






















そのままどんどん下って、七ツ石小屋上の分岐に到着。
そこに水場がある。





















七ツ石小屋の水もここから引いている模様。

10:30ちょっと前に七ツ石小屋到着。
















あんまり立ち寄る気はなかったが、ここでトイレ休憩を取る。
この奥に休憩用の広場があるのだが、人がたくさん居たので撮影は自粛。
けっこう展望は良く、眺望の無い道を延々と登ってきた人にとっては、かなりの開放感だと思う。

ここまでゆっくり歩いたつもりだったが、それでもまだペースが早い。もう少しゆっくり歩かないと、バス停で待ちぼうけだ。
とりあえず落ち着いてトイレを済ませ、再び歩き出す。

下りはじめてすぐに分岐に差し掛かる。
左手が近道、右手がだらだら道。
近道は、近道だけあって、急な登りを直登するルートで、笹薮を切り開いたハードな道だ。
だが、ここからだらだら回り道をするのもシャクなので、近道を選択。






















ここを暑い季節に通ると、笹薮に風を全部遮られるのでとてもツライ。
今回は下りだし、涼しい時期なのでそれほどキツくはなかった。

あとは前日に通った道をそのままひたすら歩くだけ。
途中、ちょっとした広場でランチ。わざわざお湯を沸かしてコーヒーを入れて、たっぷり時間をかけた。

鴨沢のバス停には13:30到着。
バスの時刻は14時台としか覚えてなかったが、14:33。
1時間待ちかー。。。

とりあえず、今年5月には鴨沢のバス停はソフトバンク携帯の電波は見事に圏外であったが、今回はバリバリ圏内。ちょっと見直した。

14:33、バスは2台で来たが、見事に満席になった。やっぱり混むなー。

15時ごろに奥多摩駅に到着。
日帰り温泉で垢を落とし、さっぱりして帰宅。

最寄り駅から自宅まで歩いている途中で、見知らぬ女性3人組が
「うわ、すご、本気の登山だ」
と大声で話しているのが聞こえた。
やっぱり街中で60リットルザックは異様だよな。。。






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