このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2013年4月28日日曜日

ナイロンザイル事件

やっと自前のザイルを購入しようという気持ちが固まってきた今日この頃です。

さて、ザイルを購入するとなると、シングルが良いのかダブルが良いのか、長さは60mにするのか、思い切って短いのを買っちゃうか、悩ましいところです。
どうせ外壁行くにしてもザイルパートナーも居ないボッチな僕としては、ザイルの重さに心が折れそうになるのです。

といっても、なんせ自分の命を預ける道具なわけなので、妥協は一切したくない。
長さが足りんとか、太さが足りんとかいう状況は、泣くに泣けず、死んでも死にきれません。
そんなこんなで悩みは尽きません。
なお、現在右足首捻挫中につき、壁どころかピクニックすら行けずにゴールデンウィークが終わる見込みです。

こんな時こそ、己を戒め、ザイル購入のための知識を磨こうと思う次第なのであります。




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で、手にしたのは、井上靖『氷壁』。

昭和30年に実際に起きた、ザイルの破断による遭難事故と、その後の原因究明のゴタゴタ(通称:ナイロンザイル事件)に材を取った小説だ。
ずいぶん古いところから始めてしまったわけだが、やはりナイロンザイル事件を知らずしてザイルの安全性を語るなかれというわけで、まずは小説から攻めてみた次第だ。

ここで迂闊だったのは、井上靖自身は登山家ではないということ。
つまり、井上靖は、ナイロンザイル事件そのものよりも、そこに引っかけての人間模様のほうに興味を持っていたのではないかということだ。
ナイロンザイル事件に対する掘り下げ方は、全くのスカスカ。非常に宙ぶらりんで、何の参考にもならない。

かといって、小説として読むに値するかというと、それも怪しい。
登場人物の描かれ方の、なんと薄っぺらいことか。

本作は、新聞連載小説として、昭和30年代に発表された作品なのだが、昭和30年代ってこんなもんなのか? いくら新聞連載の通俗小説と言っても、ペラペラすぎるだろ。
ペラペラすぎて、登場人物の誰にも感情移入ができなかった。
時代の違いだと言ってしまえばそれまでだが、それを言うならば、僕は明治~昭和初期の小説にも好きな作品はたくさんあるし、「第三の新人」やそれ以降の作家の作品も好きだ。だから、「時代」が要因ではないはずだ。

恋愛小説としても、社会の不合理を描く小説としても、事件を探求する小説としても、すべてにおいて中途半端。いろんなことがウヤムヤのままで、登場人物だけが妙に自分で納得してしまって自己完結している。
すごくモヤモヤする。


で、モヤモヤしたまま手に取ったのが、『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』だ。
本書は、石岡繁雄氏が語った内容を相田武男氏が取りまとめて文章に起こすという形式で、『氷壁』のモデルとなった実際のザイル破断による遭難事故と、その後のザイルの安全性に関する長年の戦いの総括が記されている。
446ページの分厚い単行本だが、後半は、本編で登場する声明文や報告書を収録した資料編になっている。

本書を一言で言うならば、「濃い」。
まさしく、山男による戦いの記録だ。
『氷壁』での消化不良によるモヤモヤが一気に解消する思いがした。

話は、石岡氏が当時会長を務めていた岩稜会の会員が、昭和30年の年初に、前穂高で登攀中に滑落したさい、ザイルが簡単に破断してしまったために命綱の役目を果たさず、結果、1名が死亡するに至ったところに端を発する。
その問題のザイルというのが、当時絶対の強度を売り文句にしていたナイロン製ザイルだったのだ。

この昭和30年の年初には、穂高山域で他にも同様のナイロンザイル破断による事故が2件発生しており、そもそも安全性に問題があるのではないかという疑念から、石岡氏および岩稜会による告発が始まる。
それが20年以上も経った昭和50年代になって、ようやく解決を見たのである。

こんなに長期間ゴタついたのは、ひとえにザイルメーカーによる隠蔽工作によるものだということになっており、それが事実だとすれば、率直に言ってヒドイ話である。
製造物責任法(PL法)が平成6年に成立したが、その法案を審議するにあたって、経済界は随分ネガティブキャンペーンを行っていたように記憶している。しかしながら、本書に描かれている姿が当時の企業の姿なのであれば、製造物責任法は何としても成立させなければならない法律であったのだろうと思う。
考えてみれば、高度経済成長期の日本の企業は、公害問題に代表されるように、利益優先による弊害を平気で撒き散らしていたわけで、企業による不祥事の隠蔽体質も不思議なことではなかったのだろう。

と、まるで現代は違うかのような物言いをしたが、実際はまだまだ昭和の悪い部分を温存しているような企業も少なくない可能性も十分にある。
それがものすごくデカい影響を振りまきながら露呈したのが、東電の原発事故なのではなかろうか。

しかし、現代は、企業の論理で問題を握りつぶすことが難しくなっている時代でもある。
石岡氏が苦労したのは、情報を発信する手段が限られていたことにも因るだろう。これに対して現代は、インターネットを通じて情報を発信し、常に問題提起をし続けることができる。(もちろん、発信の仕方によっては逆効果になることもあるだろうが。)



余談だが、僕が子供の頃は、ドラマのワンシーンで、ビルの屋上などからロープで人がぶら下がっているシーンなどで、ビルの外壁の角にロープが擦られて切れてしまうという演出がよくおこなわれていたものだ。
それに対して、先日、ドラマ『相棒』の劇場版を見ていたら、主人公である杉下右京がロープを伝って外壁を下りた際に、やはり外壁の角にロープが擦られる描写があったが、切れるような演出は無かった。最近のロープは角に擦れても大丈夫ということだろうか。



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