NPOやボランティア団体などが主催して、車椅子の子供に富士山を登ってもらうなどの企画がたまにあったりする。
そういえば、つい最近の某24時間テレビで盲目の少女が屋久島の山を登ったとかで、その番組制作サイドの問題なども含めて良くも悪くも話題になった。
ある種の人たちにとって、体の不自由な人に山に登ってもらうという行為が何らかのカタルシスも生むものなのだろうか。
なぜそれが「山登り」でなくてはならないのか。正直なところ、僕にはいまひとつよく分からない。
『松葉杖で歩く世界の山』の著者には、そのような気負いは、少なくとも本書の中からは見受けられない。
著者は右下肢に障害があり杖無しでは歩けないとのことだが、その著者自身が歩いた山々についての山行の記録が本書では綴られている。
その内容は、もちろん杖をついて歩くという事情を踏まえつつ書かれているわけだが、それは「障害者」というくくりというよりも、単純に体の特性という程度に捉えられているように感じる。
それはつまり、「外反母趾がひどい」とか「歩くと膝が痛む」というようなことと、程度の差こそあるにしても、同じようなものとして著者が捉え、受け入れているように感じた。
だからこそ、本書のメインはあくまで「杖」や「障害」ではなく、山なのだ。
本書のなかで著者も書いている通りだが、本書を「障害者が頑張っていますよ」というような視点では捉えるべきではないし、捉えて欲しくもないはずなのだ。
本書は、非常にウィットに富んだテンポの良い文章で描かれており、単純に山行記として楽しめるものになっている。山小屋で知り合ったオッサンの自慢話なんかとは比べ物にならないほどだ。
本書の巻末に収録されている山行年表によるとかなりの山を登っていらっしゃるようなので、第二弾、第三弾も期待したい。
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