その人は、ちょっと投げ遣りなおどけた文体を駆使して、時にシビアな、時におちょくった文章を発表している。
その人こそが、探検家・角幡唯介氏だ。
角幡氏は、早稲田大学探検部出身で、卒業後新聞社に就職するも、チベットの秘境で地図の空白地帯であるツアンポー峡谷への思いが断ち切れず、新聞社を退職して探検の旅に出てしまった人である。
そのツアンポー峡谷の探検の様子を描いたのが、角幡氏の探検家としての実質的な処女作『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』である。
正直、こういうライフスタイルは多くの人にとって、観賞対象としては面白いかもしれないが、自分でやりたいとは思わないのではないだろうか。
「すごいなー」という羨望と、「すごいなー、、、」というちょっと引いちゃう気持ちと、7:3ぐらいだろうか。。。
で、角幡氏のもっとすごいのは、新聞社を辞めてからツアンポー峡谷に旅立つ前に、雪男を探しにチベットに行ってしまったところだ。
しかも、完全に巻き込まれ型での参加である。
そんな雪男探索隊員の在り方自体がすごい。
しかも、そのあと今度は単独でも雪男探索に行ってしまうハマリっぷり。
その模様が描かれているのが『雪男は向こうからやって来た』である。
本書が出版された翌年には、根深誠氏の『イエティ』が出版され、イエティの存在を否定するその内容が話題になったが、読み物としても面白さは、僕個人の感想としては、圧倒的に角幡氏に軍配が上がる。
根深氏の『イエティ』は、どうも言葉足らずなところが多いのと、ロジックに足りない部分があるような印象で、そういう細かいところが引っかかって純粋に楽しめなかったのだ。
やはり作家である以上、ストレス無く読ませる文章を書くというのは必須の能力なのだなーと痛感した次第だ。
さて、その「文章」について、一つ感じたことがある。
角幡氏と同じく早稲田大学探検部出身のノンフィクション作家に高野秀行氏がいるのだが、角幡氏がその文体に似合わず探検のタクティクスを綿密に立てるのに対して、高野氏の探検(?)は、わりと行き当たりバッタリな印象を受ける。
その持ち味の違いがありながらも、文章のテイストというか、事象を文章化する際のテイストというか、なんとなくだが底通するものを感じたのだ。
早大探検部のマインドみたいなものが受け継がれているのだろうか。
さて、そんな角幡氏の最新刊が『探検家、36歳の憂鬱』だ。
「合コンでモテない」という独白から始まる本書は、シニカルを通り越して完全にペシミスティックだ。
しかし、イヤミはない。
どれぐらいイヤミが無いかというと、富士山に登る気が全く無かった僕が、本書に収録されている「富士山登頂記」という作品を読んで、「あー、オレも富士山ぐらい登っておいてもいいかなー」と思ってしまったぐらいである。(そんなわけで、来年は富士登山競争に出場しようと思う。)
そんなわけで、今後も活躍を期待しております。
こんにちは。
返信削除「空白の5マイル」買いました!
いやぁ今回もいい買い物でした。
他のも気になってますが、まだ全部読んでないので読んでからにします(笑)
おお! お買いになりましたか!
削除この探検無き時代に探検を探し求める角幡さんの本は、非常にエッジが効いていて引きずり込まれます。
ほかの著作も続けて読まれることをオススメしますよー!