去年の夏、僕はAmazonの洋書コーナーで、スコット・ジュレクの 『EAT&RUN』を見つけた。
スコット・ジュレクといえば、『BORN TO RUN』でメキシコのタマウマラとのデッドヒートを繰り広げた伝説の人として描かれている人だ。
当時の僕は、いつも膝の痛みを抱えていて、走ることに恐怖している市民ランナーの1人だった。
『BORN TO RUN』が僕のランニング人生を変えてくれたわけだが、そこに描かれているスコット・ジュレクという人物に対し僕は、己の不文律に従って生きる求道者で、孤高のひとなのだという畏怖を感じていた。しかもヴィーガン(完全菜食主義者)だというのだから、気難しくないわけがないだろうと思っていた。
そのスコット・ジュレクの自伝的作品である 『EAT&RUN』、興味が湧かないわけがなかった。
英語の勉強にもちょうどいいだろうし、さっそく購入した。
が、結局積読になったまま、1ページも読み進まないうちに日本語翻訳版が出版されてしまった。
単行本を買って読み終わらないうちに文庫化されてしまったような悔しさと共に、これで英語版を読まなくて済んだという安堵感との入り混じった気持ちになった。
その日本語翻訳版を手がけた編集者は、『BORN TO RUN』の日本語翻訳版の編集者である松島倫明氏だということだ。なかなかの仕事人だ。
日本語翻訳版を手にとってみると、そこには日本語のサブタイトルが。
「100マイルを走る僕の旅」
原著の「My Unlikely to Ultramarathon Greatness」の素敵な意訳だ。
右が英語版のハードカバー。左が日本語翻訳版。
さて、中身を読むと、僕が『BORN TO RUN』で感じていたスコット・ジュレク像とは違ったスコット・ジュレクの姿がそこにはあった。
生きることに悩み、仲間や愛する人との絆を求める、至って普通の人間の心象風景がそこにはあった。
もちろん、困難に立ち向かう姿は、僕が真似できるような次元では無い。が、少なくとも「孤高の求道者」ということではないようだ。
本書で、ヴィーガンに対するイメージも変わった。
ヴィーガンといえば、動物愛護思想の原理主義者が、食の楽しみを極端に制限して思想・信条に殉じているのだとばかり思っていたが、少なくともスコット・ジュレクの場合は、完全菜食のほうが体の調子もいいし、何より非常においしいのだということだ。
そういえば、自分も10年前にタバコを止めて以来、何を食べても美味しく感じるようになったのだが、それに近い話なのかもしれない。「タバコ=肉・魚」ということか。
なお、本書は、走ることに対する技術指南は一切無い。
走ることの精神性と、それを支える食事の話とが、スコット・ジュレクのランナー人生の振り返りを通して語られている作品だ。
だから、伝説のスコット・ジュレクがトレーニングでどんなルーティーンをこなしているのかを知りたいという人にとっては物足りない内容かもしれない。
が、本書をよく読めば、それに対する答えも垣間見える。つまり、どんな走りをしたいのか、から逆算して必要なトレーニングを割り出していくということだ。
ウェスタンステイツ100で優勝したいなら、そのための対策をしなければならない。バッドウォーターもしかり。
とはいえ、各章の終わりには、約1ページのランニングに関するティップスが載っている。おそらく、シリアスなランナーたちにとって1度は聞いたことがあるような内容ばかりだと思うが、やはり生きる伝説の言葉だと思うと明らかに重い。
すでにロードに対するモチベーションを完全に失っている僕だが、トレイルランナーでもあるスコット・ジュレクの本作品は心に響く。
走ることに嫌気がさしたとき、再び本書を手に取りたい。
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