その服部文祥氏がその滑落直前に出版したのが『百年前の山を旅する』である。
僕は、鹿の食害に対する狩猟圧の一助になればと思って狩猟免許の取得を検討しているのだが、それを考えるきっかけになったのが、服部文祥氏の本書以前の著書だったりもする。
そんなわけで、氏の行動に対して非を唱える気は一片たりとも持ち合わせていないのだが、それでもちょっと本書の内容は物足りないような・・・。
というのも、表紙が嘉門次に扮した著者の写真で、出版当時の各登山誌での書評でも「100年前の装備で山行」と散々書かれていたので、てっきり全編このノリだと思ったのだが、実際は、収録された7つの山行のうち3つだけが当時の装備で、残りの4つは「100年前に思いを馳せる」という程度の内容だったのだ。
まー、そういうのも「100年前の山を旅している」と言うのかもしれないが、、、
とはいえ、相変わらずの服部節で、楽しく読むことができた。
大げさなまでの心象風景の描写、アゴを引き気味にして獲物を食いちぎる斜めからのキメ顔の写真、懐古趣味とも言える述懐、全てが「服部文祥」だった。嫌いじゃない。
特に、自分と世代が近いこともあって、ストーブに関する記述については、非常に懐かしさを感じた。
いわく、
当時は登山用の火器類が、ちょうどガソリンからガスに変わる過渡期にあり、私のクラブも時代の流れに沿って、翌年には合宿で使う火器類をガスストーブに切り替えた。1990年前後のことなので、20年ほど前のことになる。僕も高校3年からガスストーブの使用が認められ、ガスストーブとはこんなに便利なものなのか!と驚愕した覚えがある。
それまではホエーブスを使っていたのだが、高校生は当時高体連の取り決めで、ホワイトガソリンが禁止で灯油を燃料に使っていた。
当然、気温が低ければプレヒートしても灯油が気化せず、ゴールデンウィークの猛吹雪の中で火が起こせなかったこともある。ホントに死ぬかと思った。
今思えば無茶な話である。
閑話休題。
そんなわけで、本書は読みものとしては大変面白かった。
もちろん僕は、まだまだテクノロジーに頼った山行で充分楽しめているので、真似する気は無い。
というか、高校のときのような、理不尽なシンドイ思いはしたくない。
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