去る5月11日に開催された新緑の奥武蔵もろやまトレイルランにエントリーしていたものの、右足首の捻挫の影響が怖くて、出場を回避するかどうか、直前まで悩んでいた。
それを、最終的に出場することにしたのは、5月9日発売となった竹内洋岳さんの『標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学』を読んだからだ。
本書は8,000m以上の山14座を中心に竹内さんの登山人生を振り返った自伝のような作品なのだが、冒頭は、いきなりガッシャブルムII峰での事故の話から始まる。
この話自体は 『初代竹内洋岳に聞く』でも読んでいたし、講演でも聞いていたので、目新しさは無い。が、初手からいきなりこの話で始まると、やっぱりインパクトがある。
その事故で竹内さんは、片肺破裂、肋骨を数本骨折、背骨を破裂骨折している。
通常なら、社会復帰だけでも大変なのに、竹内さんは1年後に、事故に遭ったガッシャブルムII峰に登頂している。それだけでなく、そのままブロードピークに向かい、同じ月のうちにブロードピークにも登頂している。
そのとき、竹内さんの背骨にはまだ、背骨を固定するためのチタンの板が入りっぱなしだったそうだ。
この話を、棄権するかどうかで悩んでいるときに読むと、平時以上にショックを受ける。
竹内さんは背中にチタンの板を入れっぱなしでガッシャブルムII峰とブロードピークを登ったのに、捻挫の予後に不安があるというだけで、アップダウンも大したことない、最高到達点が600mそこそこのたった20kmのレースを棄権するなど、どんだけ軟弱なのかと。
しかも、すでに知っている話なのに、何故自分はこの話を自力で思い出すことができなかったのかと。
情けなくて仕方がない。
(おかげで、大会では無事ゴールできた。)
さて、本書の中身だが、著者である竹内さんが一人称で語る形式で展開されるのだが、その言葉一つ一つが、竹内さんのあの穏やかで淡々とした語り口で脳内再生される。
言葉の選び方も丁寧で、表現することに対するこだわりを感じる。
そんな「言葉の選び方」で、実は僕は最初に本書を見たときに、1点だけ違和感を感じた箇所があった。それは、本書のタイトルである「登山の哲学」という表現だ。
「登山の哲学」。
こんな安っぽい言葉の使い方を、あの竹内さんがするかな?と。
案の定、あとがきにこんな説明があった。
----------------------------------------------------
『登山の哲学』というタイトルを編集者の粕谷さんから提案された際には、まずお断りをいたしました。
そもそも「登山」というのは非常に大雑把な総称で、本来、その中には一つ一つの種目があります。私がやっているのは、その中でも特に偏った「高所登山」という一種目です。それをもって「登山」とし、さらに長い歴史の中で探求され続けている崇高な学問でもある「哲学」とを、「の」の一文字でくっつけることには、正直すこし無理があると感じたからです。
----------------------------------------------------
結局、この抵抗は受け入れられず「登山の哲学」で出版されてしまうわけだが、何にしても、本書が出版されて本当に良かった。
もちろん、トレランの大会に出場できたのも良かったが、それ以上に、これまで僕の認識の至らなかったことがいくつも書かれていて、非常に勉強になったのだ。
いま竹内さんはネパールに出かけているようだが、次はどこを登るのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿