このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2013年6月30日日曜日

モンベル品川店に行ってきた

モンベルの品川店が6月28日にオープンしたので、様子を見に行ってきた。

場所は、品川駅から5分ほど歩いた坂の上。
近所には、税務署がある。
住所を見ると「モンベルビル」となっているので、自社ビルなのかもしれない。すごいな、モンベル。


店舗入口。
吹き抜けになった地下1階のテラスを見下ろすことができる。

店舗は1階部分のみで、2階から上は事務所や会議室になっているようだ。
品揃えは、普通のモンベル。特に目新しさは感じない。
単純にフロア面積でいえば恵比寿店や渋谷店のほうが全然広いので、自分が買い物するなら渋谷か恵比寿に行くかなぁ。


この品川店の使い方としては、僕の場合は地下1階のカフェ「ハーベステラス」のほうに力点が置かれそうだ。
地下1階に降りてみると、テラス席だけでも5テーブル20席以上ある。

店内はガラガラ。
この日開店2日目で、恵比寿店や渋谷店のように特に人通りの多い場所でもないので、そりゃ空いてて当たり前という感じ。

渋谷店のカフェのようなカフェテリア形式でなく、店員さんが席に注文を取りにくるタイプ。
しかも、メニューにゴハンものが多い。
どのへんの客層を狙っているのだろうか。

店内の音楽は控えめで心地よい。
渋谷店のカフェのようにソリチューズのヘビーローテーションじゃないので、ゆっくりできる。
いや、実際はソリチューズなのかもしれないが、「自然派レーベル・ソリチューズの」というような紹介アナウンスが無いので、落ち着いてのんびりできる。

さて、特に腹が減っていたわけでもないのだが、せっかくなのでガパオライスを注文してみる。
しばらくして運ばれてきた料理は、想像していたものと大幅に異なるビジュアルで驚く。
いろんな店でいろんなガパオライスを食べてきたが、これは本当にガパオなのだろうか。

食べてみると、いままで食べたガパオと全く異なった味だが、これはこれで料理としては美味しい。
ライスが五穀米なところも、健康志向っぽくて好感が持てる。
ただ、目玉焼きの黄身が固かったのが残念。トロトロの黄身をソボロに混ぜて食べるのが好きなのに。。。

たぶん、このカフェの存在が知れるようになれば、けっこう混むのではないかと思うのだが、立地的にも激混みということにはならないかもしれない。
ここが空いたままだったら、しばしば訪れてのんびり読書をしたい。そんなカフェだった。





2013年6月16日日曜日

村上宣寛 『ハイキング・ハンドブック』

『野宿大全』での歯に衣を着せぬ鋭い論評で、一部で評判となった村上宣寛の新著が出版された。
それが『ハイキング・ハンドブック』だ。

著者は、本職は教育心理学の研究者で、心理学関係の著書が多い。
アウトドア系の著作については、『完全野宿マニュアル』や『野宿のすすめ』など20世紀から独自のジャンルを確立して、定評がある。

本書では、PCT(パシフィッククレストトレイル)のハイカーメーリングリストや著者自身の経験を起点に、ハイキングやトレッキングにおいて通説となっているティップスが、はたして本当なのかどうかについての論考を、豊富なエビデンスを元に行っている。

例えば、
「荷物は軽いほど良いのか」
とか、
「重い靴は疲れるのか」
とか、ハイカーやトレッカーなら誰もが必ず考えるようなテーマ設定が非常に多い。

もちろん、著者独特の道具考も、現代の道具にリニューアルして披露されている。
相変わらず、オスプレーに好意的で、モンベルに冷淡だった。こういうところが、著者が登山雑誌での露出が少ない所以なのではないかと勝手に推測する。

エビデンスを多数用意した、研究者ならではの筆致には非常に説得力を感じるし、示唆に富んだ内容である。
いささかぶっきらぼうな書き方をするキライがあるのだが、それも味というものだろう。

そんなわけで、多くのハイカー、トレッカーに読んで欲しい良著だと思う。






保田明恵 『山男と仙人猫』

丹沢・塔ノ岳の山頂に建つ尊仏山荘。
そこには、巨大な猫が住んでいる。
その猫が本になった。
それが『山男と仙人猫』。

なんで山頂の山小屋に猫が??と思ったものだが、いきさつが全部書いてあった。

(2011.1.4撮影)

前日塔ノ岳に行った時には姿を見ることができなかったが、本書によると元気で健在なようなので、ひとまず安心した。
近いうちにまた会いに行きたい。






2013年6月9日 竹内洋岳さん×角幡唯介さん トークショー

去る6月9日、神保町にある東京堂という書店で、竹内洋岳さんと角幡唯介さんの対談形式によるトークショーが行われた。

僕は、6月8、9日で、1泊2日で登山をしていた(詳細はこちら)のだが、このトークショーを見るために、2日目の早朝から走って下山したのだ。
前夜、体はヘトヘトなのに寒さのためにあまり睡眠が取れていない状態で、頭がクラクラしながらトークを拝見していたのだが、相変わらず興味深いお話を聞くことができ、大変有意義な時間だった。


そもそも、そこまでして何故このトークショーを見たかったのかといえば、竹内さんのファンであることは言わずもがな、角幡さんのファンでもあるからだ。
角幡さんの著書は、朝日新聞社員時代のものを除けばすべて読んでいる。

そんなわけで、登山家×探検家という組み合わせでのトークショーはどっち方面に転がるのか、と。

すると、冒頭から竹内さんが、「子供の頃は探検家になりたくて、ナンセンの大ファンだ」と言い始めて、探検家話へ。

見た感じ、角幡さんよりも竹内さんの方が、トークがこなれている。
マニアックな方向に話が行きかけると、竹内さんがすかさず解説を加える。そのたびに、この人すごいなぁ、と思って見ていたのだが、同じことは話者である角幡さんも感じたようで、自身のブログに記していた。


書評&トークショー
http://blog.goo.ne.jp/bazoooka/e/fe2f612d5345abbb0aced4380ea473ad







塩野米松 『登頂 竹内洋岳』

竹内洋岳さんが8000m峰を12座まで登頂した時点で出版された書籍『初代 竹内洋岳』の著者である塩野米松さんが、その続編ともいうべき作品を上梓された。
それが『登頂 竹内洋岳』。

前作である『初代~』以降に登頂したチョー・オユーとダウラギリの話題を中心に、竹内さんや山行パートナーへのインタビューと、竹内さんのブログ記事を織り交ぜながら、著者自身の考察を交えつつ描かれている。

14座目となったダウラギリ登頂については、読売新聞やら報知新聞やらNHKやらの取材が入っていたので、我々一般人でも比較的詳細を知ることができたが、チョー・オユーについては、登頂を果たせなかった1回目の挑戦を含め、実は僕も詳細を知らなかった。

チョー・オユーの1回目の挑戦の際、パートナーを一般から公募したのは、山岳雑誌で知っていた。
その後、一般公募のパートナーがモヒカン頭になったことも山岳雑誌で知っていた。
が、それだけだった。
本書によって僕は、初めて詳細を知った。
一般公募でパートナーとなった阿蘇さんは、僕なんかからすればとても強い人だと思う(詳細は知らないけれど)。その阿蘇さんでもこうなのか、と思うと、やはり8000mというのは生半なことではないなと、思いを新たにした。

2回目のチョー・オユーについても、多くの項を割いて、その詳細が綴られている。
特に、下山の時にルートを誤ってしまってひどい目に遭ったということ。
なお、6月9日の講演では、本書に書かれている以上に詳しく、また、その時に経験した非常に不思議な体験についても語られた。(有料の講演の内容なので、ここで詳細をつまびらかにするのは控えたい。)


前作である『初代~』について、なぜ「初代」なのかサッパリわからなかったが、14座をまだ達成していない時点での作品だから、2作目、3作目の出版を想定してのタイトルだったのかもしれない。


ところで、本書の出版を記念しての竹内さんと著者のトークショーが新宿の紀伊国屋で開催されるそうで。

『登頂 竹内洋岳』出版記念トークショー開催のお知らせ
http://weblog.hochi.co.jp/takeuchi/2013/06/post-54f4.html

紀伊国屋で本書を買うと、新着で整理券が貰えるとのことだが、このお知らせが出た時点でもうオレは買っちゃってたよ!
お知らせが遅いよ!涙







山行記 : 2013年6月8~9日 六ツ石山~雲取山 トレランスタイルで (総括)



(この記事は「2日目」編の続きです。)


今回は、自身初のトレランスタイルでのテント泊山行だった。
また、快適さを切り捨てた装備での山行という意味でも、これまでの僕のスタイルとは全く異なるコンセプトだった。
これは、大きな発見を僕に与えてくれた。


【装備】

今回は、そもそもテントではなく、信州トレイルマウンテンの「ストックシェルターPRO」という、ビバーク用シェルターを使用しての宿泊だった。
ビバーク用シェルターなので、当然狭い。尻をついた状態で背筋を伸ばすと、身長166cmの僕でも頭が支える。
このため、シェルター内で着替えようと思うと、それなりにツライ。
また、シングルウォールテントにも言えることだと思うが、入口がメッシュではないので、通気を確保しようとして入口を開けっ放しにすると、虫が入り放題になる。

が、それ以外の点については全く不満は無かった。
寝るだけなら十分すぎるぐらいのスペックだった。結露もしなかったし。

ただし、ストックシェルターPROの支柱としては、ブラックダイヤモンド「ゼットポール ウルトラディスタンス」の110cmは短すぎた。このポールを支柱にするなら、115cmのものがいいかもしれない。
なお、支柱としては残念だったものの、走る際のお助け杖としては最高の働きをしてくれた。
アホみたいに軽い上に、長さもちょうど良かった。非常に取り回しがしやすかった。


スリーピングマットはちゃんとしたものを用意しないと、寒い。銀マットだけじゃ無理だ。
山と道のいちばん薄いやつでもいいので、何かしら用意しないとダメだ。

OMMのシュラフ「マウンテンレイド」は、完全に夏用だと割り切って使ったほうがいいかもしれないが、ちゃんと着込んで寝れば今回の山行でも十分に機能したように思う。むしろ今回の問題はスリーピングマットにあった。


これらの装備を詰め込んだザックはオスプレーのホーネット46だったのだが、トレランに使うにはMサイズでは大きすぎた。Sサイズにしておくべきだった。
もともとが、普通の登山用ザックとして購入したため、背面長の合わせ方も普通の登山用ザックと同じようにしてしまった。
実際は、腰ではなくショルダーハーネスで支えるのが正しい使い方なんだろうなと痛感した。背中でブレないようにするために、終始背中を丸めて突っ張っていなければならなかった。
ただ、華奢なショルダーハーネスも、この程度の軽い装備であれば肩に食い込むこともなく、そういう意味では快適であった。


【行程】

1日目は、奥多摩湖バス停から雲取山荘までの約18kmを6時間半。
2日目は、雲取山荘から鴨沢バス停までの約11kmを3時間。

北丹沢12時間耐久レースを完走できるとは思えない、ショボいタイムだ。
本来ならば、1日目と2日目の全行程を6時間でやっつけなければいけないのに。
自分としてみれば、まぁこんなもんか、というところではあるが、こんな程度の力でキタタンにエントリーしてしまったことを激しく後悔している。
きっと地獄を見るんだろうな、と。



とりあえず、キタタンが終わったらのんびりとした山行を楽しむことにしよう。。。


(完)







2013年6月15日土曜日

山行記 : 2013年6月8~9日 六ツ石山~雲取山 トレランスタイルで(2日目)



(この記事は「1日目」編の続きです。)



1日目の夜は、20時に寝床に付いたものの、寒さのためにすぐに目が覚める。
体がだいぶ疲れているのですぐに入眠するが、次の瞬間に体が震えて目が覚めるということを繰り返した。
こんなの、一昨年の7月に、夏山装備で残雪の上に寝たとき以来だ。

着られるものは全部着て、OMMのシュラフにくるまっているのだが、銀マットだけでは地面の冷たさを防ぐことができずに腰が冷える。やっぱり金をケチらずに、エアマットを買うべきだった。。。

そうこうするうちに次第に夜が更けてゆき、テント場がすっかり寝静まった頃、近くの林から
「キャア!キャア!」
という獣の鳴き声が執拗に繰り返し聞こえてきた。
僕が知っているシカの鳴き声とは違うし、サルにしては「群れ」という感じもしないので、いったい何の動物なのかは不明なままだ。
時計を見ると、0時を回ったところだった。

サルということに思いが至った時点で、ふと、1つの不安が頭をよぎった。
そういえば、このシェルターは前室なんていうものは当然存在しないので、靴は外に出しっぱなしだ。一応ゴミ袋に入れてあるので夜露に濡れることはないが、サルが悪戯して持っていってしまったら、下山どころか山荘に行くのもままならないなーと。
が、シュラフから出るのも億劫で、何の対策をすることもなく寝返りをうつだけ。

午前2時を回ったころから、寒さをあまり強く感じなくなった。
慣れたのか、それもと外気が温かくなったのか、よく分からないが、これまでよりは目を覚ます頻度が減った。

これで、ある程度まとまった睡眠が取れるようになるかと思った矢先の午前3時半頃。
テント場がガサガサし始める。
みんな今日の行動準備を始めたようだ。
さすが、山の朝は早い。
このテント場の人たちは、こんな朝早くに起きて、今日はどこまで行くのだろうか。単にご来光を見たいだけだろうか。

僕はこの日、下界で用事があるため、鴨沢バス停を9:32に出るバスに乗らなければならない。
普通に駆け降りることができれば午前7時に出発すれば間に合うのだが、足首が未だ本調子でないので、それでは不安だ。
ということで、午前6:00出発を予定していた。3時間半あればさすがに着くだろうと。(ちなみに、コースタイムは4時間ちょっと。)

予定としては午前5時頃に起きて、1時間程度で身支度をして出発、というスケジュールを考えていたが、テント場全体がザワザワしていてとても寝てられないので、午前4時に起床。

シェルター内の気温は10℃。
幸い、ストックシェルターの内側は結露することもなく、サラサラのままだ。今年のモデルから透湿性のある素材に変えたとのことだったが、それが良い影響を与えているのかもしれない。
おかげで、OMMのシュラフも濡れていない。濡れに強い素材とはいえ、やっぱりシュラフは濡らしたくないものだ。

シュラフにくるまったまま、持参したランチパックをもそもそと食べ、その後、シェルターの外に出て撤収作業を開始。シェルターの居住空間は狭いので、外に出て作業をした方が圧倒的にやりやすいのだ。

幸い、外に置きっぱなしにした靴に異常無し。一安心だ。

撤収作業をおこなっていると、いつの間にか太陽が昇っていた。

荷物が少ない分、撤収作業にもあまり時間がかからず、午前5時には全てのパッキングが終わってしまった。
このまま6時までここで待機していても仕方が無いので、A先輩夫妻に声をかけて早々に出ることにした。

5:15、まずは雲取山山頂に向けて、雲取山荘前を出発。
朝日を受けて輝く雲取山荘。

雲取山の山頂を巻いてしまうことも考えたが、前日と打って変わっての好天なので、山頂に行かないのはもったいない。

調子よくサクサク登れて、5:34、雲取山の山頂に到着。

雲取山山頂からの和名倉山。その向こうに見える雪山は八ヶ岳か?

もちろん、富士山も見える。
ここからの富士山は、1年半ぶりぐらいか。

山頂の西、避難小屋側からの富士山。

ここから、いよいよ石尾根を下りはじめる。

これだけ晴れていると、石尾根の下りは最高の景観を眺めながらの行程となる。
まさに至福のひととき。

山頂直下からの富士山もなかなか。

昨日はよく見えなかった、飛龍山とその向こうの奥秩父の山々。

5:48、小雲取山の分岐に到着。

5:59、ヨモギノ頭に到着。

ヨモギノ頭からの景色も、昨日と打って変わって遠くまで見渡せる。

6:03、奥多摩小屋に到着。

おととしの11月、富士山を眺めながらコーヒーを飲むためだけにテント泊をした、まさにその場所から、同じ富士山を望む。
この眺めは、飽きることが無い。

奥多摩小屋の向こう側は、まさしくテント街道。
ヘリポートのほうまでテントが続いていた。
というか、ヘリポートにテントを張っているおバカさんまでいた。そこはガチでマズい場所だからやめとけっての。

セクシーな木の手前では、遠くにはっきりと、南アルプスの山影が確認できた。

6:18、セクシーな木の横を通過。
ここまでで、出発から約1時間。
まあまあといったところか。

6:24、ブナ坂に到着。

ブナ坂からは、七ツ石山には登らず、巻道を走る。
が、あまり寝ていないせいか、足が重い。

七ツ石小屋へ向かう分岐を2つパスして、そのまま鴨沢に向かってどんどん下る。

堂所の少し上にある、折り返すように曲がる箇所から、
この日最後の富士山の姿を拝む。
実は僕は、この場所から富士山が見えることを知らなかった。
単に忘れていたのか、これまで気づかなかったのか、いままでここを通った時にガスがかかっていたのか、理由はよくわからないが、とにかく知らなかった。
なので、木々の間から急に姿を現した富士山を見た瞬間、思わず「おぉ。。。。」と唸ってしまった。
ソロ登山は、こういう時に感動を共有できる相手がいないのが寂しい。

ふたたび登山道は樹林の中に入る。

濃い樹林の中にあって、さらに標高もだいぶ下げてきたので、体感の気温がどんどん上がってきた。

7:10、堂所を通過。
ブナ坂からここまで1時間弱。
走ったはずなのにほぼコースタイムだ。おかしいな。。。

堂所から先は、次第に尾根筋から外れていく。

ヒノキ林も増えてくる。

次第に右足首が痛くなってくる。
走れないことはないが、タイムリミットである 9:32 まで時間が有り余っているので、もう走るのは止めた。
それでも、すれ違う登山者達に、
「おー、もう降りてきたのか、早いなー」
「健脚だねぇ」
などと声をかけられ、ちょっといい気になる。

7:43、廃屋も健在。(健在とは言わんか・・・。)

7:54、登山口に到着。
白タクに声をかけられるのを警戒したが、さすがにこんな早朝には張っていない模様。

そのままバス停へ向かう。

鴨沢山の家の前から見た奥多摩湖はすっかり干上がっていた。
6月でこれじゃ、東京ははたして今年の夏を無事に越すことはできるのだろうか。
非常に不安だ。

8:14、鴨沢バス停に到着。

予定していた9:32よりも早いバスに乗れないかなぁ、なんて思って時刻表を見たら、なんと8時台にはバスが無い!!

後半のんびりしなければ、あるいは7:47に乗れたかもしれないが、もはやアフター・フェスティバル。
バスが来るまで1時間以上の待ちぼうけだ。

仕方がないので、バス停のトイレで汗ダクの服を着替え、その後日だまりで本を読みながら時間を潰した。なんとも長閑な朝だ。
そう、まだ朝なのだ。

9:32、バスが時刻通りにやってきて、無事座席に座れた。
こうして僕の慌ただしい山行は終わった。


(「総括」編につづく)







2013年6月12日水曜日

山行記 : 2013年6月8~9日 六ツ石山~雲取山 トレランスタイルで(1日目)



(この記事は「計画概要と装備」編からの続きです。)



山の朝は早い。
でも、むしろ、山に行くために東京を出発する日の朝の方が早いかもしれない。

早朝、眠い目をこすりながら駅に向かう。
いつもこの瞬間は、もっと他に有意義な休日の過ごし方があるのではないかと自問自答するが、結局、家で寝てる以外の過ごし方が思い浮かばず、これでいいのだと自分に言い聞かせる。

今日と明日の1泊2日、A先輩夫妻とそのお仲間と共に雲取山方面へ向かうのだが、宿泊地である雲取山荘へは、僕だけ別行動・別ルートで向かう。
というのも、1ヶ月後に控えた北丹沢12時間耐久山岳レースのトレーニングのために、より長い距離をトレランスタイルでこなしておきたかったからだ。

新宿から中央線に乗り、立川駅で青梅線に乗り換え。
ここでお仲間と合流。
今回の山行で僕がこのメンバーと顔を合わせるのは、この車中と雲取山荘だけ。
しかも、僕はテント泊(!)なので、同じくテント泊であるA先輩夫婦以外のお仲間とは、山荘でもそんなにたくさんは会えないのだ。
全く以て身勝手だなぁと、我ながら呆れる。


奥多摩駅に到着するとすぐにお仲間とは別れ、峰谷行きのバスに乗り込む。
バスを奥多摩湖バス停で下車。

このバス停で降りるのは初めてなのだが、この奥多摩湖の岸辺にあるたくさんのバス停の中でもわざわざ「奥多摩湖」の名を冠するだけあって、眺めもなかなか。
何やらレリーフもあるのだが、一刻も早く山に入ることしか頭に無いため、ろくに見もせず。

今日の行程は、コースタイムにして9時間程度。それを、なんとか6時間程度でやっつけないと、先に雲取山荘に到着するだろうお仲間達に心配をかけてしまうかもしれない。(心配なんかしないかもしれないが。)
なので、一刻も早く雲取山荘に到着しなければならないのだ。

8:26、出発。
まずは六ツ石山を目指す。

地図によると最初しばらく舗装路を歩くことになりそうなのだが、なんせ初めての道なのでドキドキしながら歩く。
バス停の対面にある「奥多摩 水と緑のふれあい館」の裏手からスタート。

道標が示している方向に歩くと、すぐに歩行者専用の陸橋が現れる。
その先には階段があり、下ると一般道に出る。
その一般道を渡って、下の写真の向かって右側、道標のあるほうに進む。
この道標、「むかし道入口」というのばかりが前面に出ていて分かりにくいが、奥にひっそりと「六ツ石・鷹ノ巣登山口」の道標も立っている。

ここから沢沿いを少し歩く。
写真の上のほうに見えるガードレール沿いに上っていく。

山あいからは、いかにも天気の安定しなさそうな雲が見え、気持ちがザワザワした。

道は、沢から離れるかと思いきや再び沢沿い。
水根沢口という道標に行き当たる。
下に沢を渡る橋も見えるが、もちろんそちらには進まない。
まだまだアスファルトの道を行く。

8:37、分岐が現れるが、道標に従って右折。

この先の藪で、声高にさえずる野鳥発見!
でも、家に帰って調べてみたらガビチョウという特定外来生物だそうで。。。

さらにしばらく、つまらない舗装路を歩く。

ただ、眺めは良く、奥多摩湖がよく見渡せる。

さらにこんな道標。
「六ツ石」とは書いていないが、「むかし道」のほうに向かって歩く。
すると、また道標が。
「むかし道」との分岐らしい。
六ツ石へは、さらに舗装路を進む。

8:45、舗装路にウンザリし始めたところに砂利道との分岐が現れる。
ここには「六ツ石」の名前が出てこない。
が、そのまま舗装路を上るのが正解。砂利道は水根沢を経て鷹ノ巣へ直接上り詰めてしまう道だ。

舗装路を進むと、ちょっとした集落が現れる。
この最も手前の建物には「奥」と大きく書いてあるのだが、ここは奥集落ではないような。。。

この数件の集落を過ぎるとすぐ、唐突に登山口が現れる。

このあとも民家の脇をすり抜けるようにして高度を稼ぎ、次第に針葉樹林(たぶんヒノキ)になっていく。

山と高原地図にも「ヒノキの植林帯の急坂」とわざわざ書かれているルートなので、きっとあまり面白くもないだろうことは覚悟していたので、黙々と上る。
(だが、この思いはこのあと、良い意味で裏切られた。)

8:54、産土神社が現れた。
丁寧な縁起も建てられている。

その後も黙々と急坂を上る。
それにしても、絶望的な急坂に、思わず顎が上がる。

9:21、この急坂が一瞬落ち着いたところで、急にブナ林が現れる。
登山道の西側だけがブナ林という、なんだか不思議な景色だ。
が、ヒノキの植林が延々と続く、峰谷から千本ツツジに伸びる赤指尾根を思うと、比べ物にならないぐらい目に楽しい。
なかなか良いブナ林だ。(ブナじゃなかったら恥ずかしいが・・・。)

9:25、急に平らなところに出る。

距離と時間を考えると、山と高原地図で「風ノ神土」と書いてある少し手前の緩やかな地形のあたりだろうか。

9:28、小さな祠に出食わす。
これが風ノ神土のようだ。
ここまでの無事を感謝しつつ通過。

ここから、細かくツヅラ折りになったヒノキ林の急登を上る。
ヒノキ林といいながらも、登山道の東側は広葉樹林が広がっていて、新緑が目に清々しい。

9:45、道標が現れる。
登山口からは一本道なので迷いようもないが、下山ルートに使った時にはウッカリ変な方向に下りかねないのかもしれない。
標高を上げていくと、前方右手に走る尾根が木々の間から見えてくる。これがハンノ木尾根か。

9:57、トオノクボに到着。(道標にはその旨の記載は無い。)
これを右に行くと、ハンノ木尾根をたどることになるのだが、今回は一切足を踏み入れる気は無い。

トオノクボからは、緩やかな登りが続く。

ツツジもちらほら。


緑と茶色の風景の中に、鮮やかな赤が点描のように現れると、ハッとさせられる。

この緑のトンネルを抜け、10:26、六ツ石山山頂に到着。


三角点も。

ここまで、コースタイムで2時間40分のところ、所要時間は2時間。僕にしてはまぁまぁだ。

でも、雲がかかっていることもあり、あまり眺望は良くない。

ということで、ここで時間を浪費しても仕方がない。
先を急ぐ。

10:33、六ツ石山分岐に到着。
この分岐を右に行くと、そのまま石尾根を下って奥多摩駅方面に至る。
もちろん僕は左に進む。
そこは六ツ石山を北に巻く緩やかな道だ。

ここから先は何度も通ったことのある道なのだが、千本ツツジまではこっち向きで歩いたことが無い。そのためか、すごく新鮮に感じる。

将門馬場の南側を抜け、
そのすぐ先で、10:50、巻き道との分岐に到着。
もちろん、巻かずに尾根道を選ぶ。

城山手前のプチ急登。

11:04、城山到着。

城山から水根に向かう快適な尾根道。

水根山が近付くにつれ、次第に尾根が広くなっていく。

11:28、水根山の山頂に到着。
うっかりするとスルーしてしまいそうになる、地味で存在感の無い山頂だ。

11:31、榧ノ木尾根への分岐に到着。

ここから先、鷹ノ巣山の山頂まで、ヤマツツジがきれいな場所だ。

鷹ノ巣山の広い防火帯も見えてきた。

ヤマツツジは、花を谷側に向けて咲かせている。やはり、人間のために咲いているわけではないのだなぁと、街路樹との違いを痛感する。

いよいよ鷹ノ巣山の最後の詰め。
西側斜面と違って、風情もなんにもありゃしない。

山頂直下から南側を向くと、榧ノ木山がとんがっている。

11:47、鷹ノ巣山の山頂に到着。


残念ながら、天気が良ければ見ることのできる富士山は、雲の向こうだった。

せっかくなので、ここで持参したクリームパンを食べる。
汗ダクのせいか、やたらと小さな虫が寄ってくる。
虫除けスプレーを自分に振りかけたが、使用期限切れのものをそのまま使っているせいか、効果が薄い。仕方がないので、虫は諦めることにして、クリームパンに集中することにした。

11:57、再び出発。
山頂直下は南アルプスをも臨むことの出来るビューポイントなのだが、やはり雲の向こう。
日蔭名栗山はしっかりと見えた。

12:07、避難小屋手前の広場が見えてくる。

12:08、鷹ノ巣山避難小屋に到着。
手前の広場も含め、お昼時とあってたくさんの人がゴハンを食べていた。

ここで、2人のマウンテンバイクの人とすれ違う。
この避難小屋ではよくマウンテンバイクを見かけるのだが、いったいどのルートを通るのだろう??
少なくとも、石尾根では見たことが無い。
と思って、下山してから調べてみたら、どうも榧ノ木尾根や浅間尾根を通るらしい。
そっちに行くのは避けたほうがいいかもしれない。

さて、ここから先には日蔭名栗山と高丸山が控えているのだが、特に興味が無いので巻くことにする。
巻道は、上り基調とはいえなだらかなので、頑張って走る。

巻道を選んだのは、もちろん楽をしたかったからということもあるが、それ以上に、ヤマツツジが尾根道よりもキレイに見えるんじゃないかと思ったからだ。
思ったとおり、なかなか立派なヤマツツジを何本も見ることができた。

12:34、日蔭名栗山と高丸山の鞍部を通過。

この先も、新緑とヤマツツジの巻道を進む。

12:47、高丸山と千本ツツジの鞍部に到着。

ここからがついに、ヤマツツジの核心部。
山と高原地図でも花のマークがやたらと散りばめられている地帯だ。

昨年は峰谷から赤指尾根を上がってきて七ツ石方面に向かったので、ここから千本ツツジの間の花マーク地帯は目にしていないのだ。
山と高原地図の花マークの付き方からすると、尾根道ではなく巻道のほうにヤマツヅジが多いのではないかといった印象なので、そのまま巻道を進むことにした。

が、結局赤指尾根に至るまで、あまりめぼしいツツジは見当たらず。
12:53、赤指尾根との分岐に到着。

ここから千本ツツジに上る。
ここのツツジがキレイなのは、去年も見ているのでよく知っている。
と思ったのだが、どうも去年とはちょっと様子が異なる。

なんか、ちょっとショボイ。質的にも、量的にも。
去年は6月10日に来たので、時期が違うわけではない。
もしかしたら、雨が少なすぎて開花が遅いのだろうか。それとも、すでに時期が終わっていたのだろうか。もしくは、全く異なる理由なのだろうか。

花の色も、なんとなく白っぽい。


1本だけ発色の良い木があった。

去年は見なかったような、蕾ばかりの木もあったので、今年の見頃はもうちょっと後だったのかもしれない。

去年たくさん見かけた、紫っぽい花は全然無い。
なんかモヤモヤするが、仕方がない。

そうは言っても、こんなにツヅジが群生しているところもそうたくさんは無いので、今後も毎年楽しみにするのだろうなと。
尾根を七ツ石山方面に向かう途中でも、やはり何本ものツツジを見ることができる。
が、みんな谷側を向いて咲いているので、意中の女性にそっぽ向かれているような寂しさを感じる。

名前を知らない白い花も満開。
「千本ツツジ」といっても、ツツジばかりじゃないんだという猛アピールだ。

そして、いつもの緑のトンネル。

13:09、七ツ石小屋方面に向かう1つめの分岐に到着。

続いて、13:14、七ツ石小屋方面に向かう2つめの分岐に到着。

ここに来るまでの道すがら、何度か「ずどーん」という、銃声のような音を聞いた。
だが、こんな時期に銃なんかブッ放すものだろうかと疑問に思っていたのだが、この分岐で「害獣駆除」の腕章を着けた年配の男性に出会った。
やっぱり銃声だったのだ。
尾根の下のほうからは何頭もの犬の鳴き声も聞こえる。

僕は足を止め、その男性に
「クマですか?」
と尋ねたところ、
「いや、シカだ」
とのこと。
先週丹沢でシカの駆除の張り紙を見たばかりなので、奥多摩でもやっているのだと頓悟した。

男性に別れを告げ、再び七ツ石山へ向かう。

まずはダラダラとした斜面。

13:18、廃屋という言葉がしっくりくる七ツ石神社を通過。

この神社を境に、斜面は大きな岩だらけになる。
大きな石が、この山に立て籠った平将門の影武者の役目を果たしたという伝説のある七ツ石山らしい風景なわけだ。

13:21、七ツ石山の山頂に到着。


山頂では、雲のせいで眺望も無い上に、やたら大声でまくし立てる年配の男女がいたので、休憩もせずにさっさと先を急ぐ。
皆様も、多くの方が休憩しているような場で大声でまくし立てるのは止めましょう。山だろうと下界だろうと、人がいる場所では節度を持った行動が望まれます。

七ツ石山の北側斜面を小走りに駆け下りる。
細かいつづら折りになっている登山道は、ちょっとスピードを上げると踏み外してしまいそうになるので、慎重に進む。

13:29、ブナ坂に到着。

ここから奥多摩小屋あたりまでの尾根道が、僕にとってはたまらない好物なのだ。

だが、この時は一瞬雨がパラつくようなこともあるぐらいの曇天模様。
眺望はほとんど得られないまま、雲取山方面を目指す。

セクシーな木も、曇り空をバックにやや頼りなさげ。

このセクシーな木を越えた先で、七ツ石山で休憩が取れなかった分、道端に腰を下ろして休憩を取る。
このとき、生まれて初めてスポーツようかんを食べてみた。
なんだよ、ちゃんと美味しいじゃないか!
今後の山のお供になること間違いなし。

一息ついたら再び歩き出す。

13:55、奥多摩小屋手前のヘリポートが見えてきた。

ヘリポートの向こう側からすぐ、テントが立ち並んでいた。
ヘリコプターが来たら吹き飛ばされそうなところまで、すでにテントが張られていた。
このまま奥多摩小屋まで、テント街道が続く。
えらい混みようだ。

奥多摩小屋でこんなに混んでいるなら、雲取山荘のテント場も思いやられる。

13:58、奥多摩小屋の前を通過。

小屋の前のテーブルにも、「害獣駆除」の腕章を着けた別な年配の男性が立って、無線機で何やら話をしていた。
随分大々的にやってるなー。

そんな様子を尻目に、先を急ぐ。
が、正直、もう疲れてきた。
奥多摩小屋からヨモギノ頭まではそこそこの急登。
ひょいひょい上がっていく力は残っていないので、一歩一歩登る。

14:05、ヨモギノ頭に到着。
来し方を見ると、ガスの切れ間からカラフルなテントが見える。

14:08、富田新道への分岐が現れる。

11月になると黄金色に染まるカラマツも、今は新緑が瑞々しい。

14:23、小雲取山の分岐に到着。

ここまでも道標にたびたび括りつけられていた害獣駆除の張り紙が、ここでも括りつけられている。
シカには気の毒だが、やはり数が増えすぎたのでは、シカ自身のためにもならない。
捕獲したシカをちゃんと食肉として扱っていることを祈りつつ、先を急ぐ。

小雲取山を越えると、いよいよ雲取山山頂は間近だ。
避難小屋をしっかりとその姿を確認できるようになる。

西には、三条ダルミ方面が見えるが、飛龍山はガスがかかっていて見えない。

14:27、雲取山荘への巻道との分岐をスルー。

ゆるやかなアップダウンを越えるごとに、どんどん避難小屋が近付いてくる。

避難小屋直下の斜面に取り付く。

14:38、雲取山避難小屋に到着。
小屋の前には、おそらく今晩ここに泊まるであろう方々が、すっかりお寛ぎモードで飲み食いしている。
ここも混むんだろうなぁ。

もちろん、ここは雲取山の山頂ではない。
山頂はもっと東だ。

14:40、雲取山山頂に到着。
埼玉県による山頂の標識。
一方、東京都による山頂の標識。

小袖のあたりには随分、東京マラソンの焼印のある立派な道標があるのに、山頂はコレかと。
まあ、いいけど。

展望は、ガスのせいでほとんど得られず。
和名倉山方面も、あんまりよく見えない。

眺望も良くないので、さっさと雲取山荘に向かう。
雲取山荘への登山道は、石尾根側とは打って変わって荒々しい。

20分ほども下ると、雲取山荘が見えてくる。

14:57、雲取山荘に到着。

テント泊の手続きを済ませ、テント場に行くと、同じくテント泊のA先輩夫婦がすでに到着していた。
聞けば、他のメンバーはまだ到着していないとのこと。
うーむ、のんびりだなぁ。

テント場はすでに、かなりの満員御礼状態。

なんとかスペースを見つけて、僕の今晩の寝床を準備する。
今回はテントではなく、トランスジャパンアルプスレースでおなじみのストックシェルターが寝床だ。

つーか、張ってはみたものの、こんなに弛んでるのは仕様なのか??
これ以上ピンと張る術が見つからず、弛んだままで結局諦めたのだが、こんなに弛んでちゃだめだよな?
今回持参したトレッキンポールは、このストックシェルターのために用意した110cmサイズのものなのだが、気持ち長さが足りないような気が。。。
もうちょっとポールが長ければ、もっとピンと張れるような気がするんだよなー。

どちらにしろ、今更どうにもならないので、これでヨシとする。
ちなみに、縫い目やジッパーは防水加工されていないので、雨が降ったらオシマイ。

隣のソロテントのニーチャンが、
「ほんとにそれで寝るの?」
と心配そうに声をかけてくれたが、こちらとしては「そうです」としか言い様もなく。。。

これまでの僕は、テントといえばシングルウォールすら嫌で、ダブルウォール一辺倒だったのだが、それが、シングルウォールどころか防水にすら不安のあるこんなペラペラで心もとないシェルターで寝るなんて。。。もしかしたらちょっと血迷ったかもしれない。

とはいえ、今更考えても仕方がないので、A先輩夫妻のテントに行って、ビールを飲もうと誘う。

結局ビールだけに留まらず、A先輩が担いできてくれたワインや、美味しいゴハンをご馳走になる。

まだ17時前だというのに、かなり寒い。
冷気が谷筋からガスと共に上ってきているようだ。

上半身はダウンジャケットとレインウェアを着込んで防寒バッチリだったのだが、下半身がユニクロのヒートテックタイツと薄手のショートパンツだけだったので、寒いことこの上ない。
せめてレインパンツを持ってくれば良かったのだが、OMMのショートパンツタイプしか持ってきていなかった。完全にしくじった。

ふと見ると、テント場がさらに混雑してきた。
もはや、登山道にまでテントを張っちゃう人が出てくる始末。
それどころか、急斜面に無理やり張っちゃったり。
もう、何がなんだか。。。

テント場が冷えすぎるので、場所を山荘前のテーブルに変えて引き続き飲む。
テント場に比べて暖かい。
山荘に宿泊するお仲間も集まってきて、いっしょに飲む。
このひとときだけが、山荘宿泊組と共有する時間だった。
次の機会には、ちゃんと行程もご一緒しようと思う。


20時、ストックシェルターに引き上げて、明日に備えて就寝。


(「2日目」編につづく)