このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2011年9月30日金曜日

小島烏水 『日本アルプス』

小島烏水といえば、映画『劔岳 点の記』において主人公のライバルとして登場する、仲村トオルが演じた日本山岳会初代会長である。
本書『日本アルプス』は、その小島烏水が明治時代に著した作品を取りまとめたものである。

著者は、映画ではキザったらしい人物のように描かれているが、本書『日本アルプス』の冒頭を読むと、やっぱりキザったらしいというか、夜郎自大というか、あまり友達になれそうな気がしないタイプのように感じた。
というのも、これまで僕はたくさんの明治文学を読んできた中で、こんなに大上段に構えた偉そうな文章を、小説や随筆で読んだことがないからである。

ただ、読み進むうちに、普通の山行記としての自然な文体に変わっていった。
単に文体が固まっていなかっただけなのだろうか。

文体のことはさておき、内容としては非常に興味深い点がいくつもあった。

まず1つめ。拳銃について。

登山道など存在しないころの北アルプス・槍ヶ岳の山行記「鎗ケ嶽探検記」の一節に、
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ただ腰に拳銃一梃を忍ばせたるは、驚破という場合に、田舎にて購い得べからざればなり。
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と書き記してあり、一般人が気軽に拳銃を持ち歩く社会だったんだなぁと、単純に驚いた次第だ。
たしかに拳銃があれば、僕だって何も熊にビクビクする必要もないのだ。

2つめ。「日本アルプス」の定義について。

白峰三山は、「日本アルプス」の範囲から漏れているかも?
これは、収録されている作品によって異なるような印象を受けるのだが、どうやら飛騨山脈のことを「日本アルプス」と称しているようで、木曽山脈や赤石山脈は含まれていないかのような書き方がされている箇所が、複数見受けられた。

3つめ。山の標高について。

現在は、日本の山を標高順に並べると、

  1. 富士山 (3,776m)
  2. 北岳 (3,192m)
  3. 奥穂高岳 (3,190m)
  4. 間ノ岳 (3,189m)
  5. 槍ヶ岳 (3,180m)
  6. 悪沢岳 (3,141)
  7. 赤石岳 (3,120m)
とされているが、本書によれば、

  1. 富士山
  2. 鎗ケ嶽
  3. 穂高山
  4. 常念嶽
  5. 大天井嶽
  6. 乗鞍嶽
  7. 御嶽
ということになっている。

そういえば、今年の夏に大天井岳の山頂から見た常念岳はバカでかかった。標高から考えれば間違いなく常念岳を見下ろす位置にいるはずなのに、自分の目の高さよりも上に常念岳の山頂があるように見えた。あそこに登るのかと思ってゲンナリしたのを実感としてよく覚えている。
そういう印象を、当時の人たちも抱いていたのだろうか。


そのほかにも、烏水の肖像画(というか、スケッチ)が載っていて、それがどうやっても仲村トオルには似ても似つかないハゲ・メガネ・出っ歯のヒゲオヤジだったりなど、衝撃を受ける内容がテンコ盛りである。

明治文語文に抵抗がなければ、話のタネとして読んでみることを強くおすすめする次第だ。























蛇足だが、服部文祥氏の『百年前の山を旅する』という作品があるが、今から100年前というと、ちょうどこの小島烏水の時代である。
残念ながら『百年前の山を旅する』は読んでいないのだが、本書の内容と符合するのかしないのか、じっくり検証してみるというのも意地悪くて面白いかもしれない。


2011年9月27日火曜日

山行記 : 【総括】 2011年9月23日~25日 甲斐駒ケ岳(黒戸尾根から)

様々なトラブルに見舞われた今回の山行だが、トラブルの数だけ今後の教訓とすべきことを得た思いである。

【1】 登山道、交通事情の確認

今回の最も大きいトラブルは、北沢峠からのバスが一切動かなかったことだ。
北沢峠からのバスが動いていれば、ガスストーブが壊れたとして、無理やりにでも行動していたと思うし、きっと熊にも出くわさなくて済んだに違いない。
やはり台風のあとなどは、山小屋やバス会社などに問い合わせて、登山道の状況やバスの運行状況を確認すべきだと思った。
基本中の基本なはずだが、ついつい怠ってしまう点なので、今後充分に注意したい。

【2】 ガスストーブの故障

ガスストーブは仕組みが比較的複雑なので、いったんトラブルに陥ると、山の上ではリカバーが難しい。
以前からそれにリスクを感じており、ガス缶を2個持って行くぐらいなら、アルコールストーブをバックアップで持って行った方が安全ではないかと考えていた。にもかかわらず、出費を惜しんでアルコールストーブを準備していなかった。
少しのお金をケチって、肝心な時にトラブルを避けられないのは、まさに愚の骨頂であった。
j自分に腹が立って仕方がない。
早速ガスストーブの修理をするとともに、アルコールストーブの購入を検討したい。

【3】 熊対策

正直なところ、本当に熊に出くわすなんて思っていなかった。
もちろん、いつかはそういうことも有るんだろうな、という程度には認識していたが、熊鈴もバージョンアップして快適にシャンシャン音を鳴らしている中での遭遇である。
こういうことが今後も発生することを考えると、熊スプレーを携帯すべきかもしれない。といっても、かなりお高いし、使用期限も短いので、悩みどころである。
(ここでケチると、上記ガスストーブの二の舞ではないか、という思いもあり、余計に悩む。)

【4】 夜行バス

やっぱり夜行バスでは睡眠が取れない。
睡眠不足は山では命に関わるので、もう夜行バスは使いたくない。
「水曜どうでしょう」で大泉洋も散々苦しんだのだから、僕としても避けて通りたいところである。


とはいえ、反省点ばかりでなく、あらかじめの準備が奏功した点も多々あった。

【1】 防寒装備

天気図を1週間前からチェックし続け、一気に気温が寒くなることをあらかじめ予測できていたのは大きな成功ポイントだった。
最低気温が0度まで下がること、および、日中に太陽が出なかった場合のテント場の気温が10度に満たないだろうことを充分に予測できたことは大きな収穫である。

防寒対策として、サーマレストのマットを買い替え、持参したシュラフの耐寒温度は0度、ダウンジャケット、フリース、ウールの長袖などを準備していたことは、ザックの容量に制限のある中でよく頑張ったと思う。

また、テントマットを温かいものに買い換えたのも、今回の成功ポイントだった。



あ・・・、良かった点が1つしか思い浮かばない。。。


うーん、とりあえず、次も頑張るぞ、と。。。

山行記 : 【余録】 2011年9月23日~25日 甲斐駒ケ岳 七丈小屋テント場の様子

今回幕営した七丈小屋のテント場は、七丈小屋のガンコ親父のこだわりと愛情を感じる、とても良いテント場だった。






















僕が幕営したのは、2つあるテント場のうち、下の方のテント場だったのだが、まず、非常にキレイに整地されており、地面はあくまでも平ら。
しかも、石コロひとつ落ちていない。
地面は水はけの良さそうな土で、実際夜中に雨が降ったが、朝には乾いていた。

利用するにあたっては600円を支払うのだが、その名目が「キャンプ地管理費」となっており、たしかにこれなら「管理費」と胸を張って言えるだろうと思う。

水場やトイレからやや離れており、かなり急な坂道を移動しなくてはならないのが残念だが、むしろ、この環境下でこれだけキレイに管理している、小屋の親父に敬服するとともに、深い感謝の念を申し上げたい。

また、 テント場の備品として、ペグとトンボがあった。











































ペグは鉄製の丈夫なもので、1張5本まで利用して良いことになっている。
僕は、ペグ自体は持参していたのだが、そのへんの石コロをハンマー代わりにしようと思っていたので、見事に整地されたこのテント場ではかえって困ってしまったのだが、このペグをハンマー代わりに利用して無事テントを張ることができた。

トンボは、ちゃんと各自で整地するようにという主旨の注意書きと共に置かれていた。

いままで利用したテント場の中で、最も寝心地の良いテント場であることは間違いない。

また、見晴らしも非常によく、とくに東側の眺望が絶景で、テントから鳳凰三山、富士山、そしてご来光が拝める立地である。

なお、僕が幕営したテント場はせいぜい15張ぐらいしかテントを張れるスペースが無く、13時頃に到着した僕で、ギリギリ最後の1張のスペースを確保できたという状況で、それ以降に到着した人はさらに上のテント場に幕営することになった。
七丈小屋でテント泊をするなら、早め早めの到着をお勧めする。

山行記 : 【2日目】 2011年9月23日~25日 甲斐駒ケ岳 山頂を見ずして下山編

夜中に目を覚ますと、ポツポツと雨音がした。
その雨音を聞きながら、2日目以降のスケジュールを考えた。

バスが運行できないのは、バス会社の都合ではなく、道路が土砂崩れで通行止めになっているからだ。
バス会社に電話をして聞いたところでは、9月23日(つまり、僕のこの山行の1日目)に役所が現地に出向いて状況を確認するとのことで、結果が判明するのが23日の夕方から24日の朝ではないかということだった。
ということは、早くても24日からしか復旧作業は始まらないわけで、1日で全てが片付くとは考えにくい。

つまり、どう転んでも僕は、あの険しい黒戸尾根を下るしかないのだ。

それを踏まえて、以下のようなスケジュールに変更した。

2日目 : 七丈小屋テント場 ⇔ 甲斐駒ケ岳山頂 ピストン (テントは立てっぱなし)
3日目 : 七丈小屋テント場撤収 → 黒戸尾根 → 横手

2日目、3日目の行動時間は、どちらも5時間程度。黒戸尾根のハードさを考えればこれぐらい保守的なスケジュールにしておくのが無難であろう。
2日目はかなり時間的余裕があるが、そもそも山ではのんびりすることにしているので、本でも読んで過ごすことにしようと。そのために、文庫本を2冊も持ってきているのだ。

そう腹をくくってそのまま入眠。
目が覚めると5時だった。寒い。

テントのフライシートのジッパーを開けると、氷が降ってきた。結露が凍ったようだ。そりゃ寒いわけだ。

テントから顔を出すと、東の空が白んでいる。快晴だ。
隣のテントのソロトレッカーはすでに外でコーヒーを飲んでいた。早起きに頭が下がる。

僕は外に出るだけの根性が無く、下半身をシュラフに 突っ込んだまま朝飯の準備を始めた。

準備と言っても大したものではない。
前日の夕方、お湯を沸かして尾西アルファ米「梅わかめご飯」に注いだまま、酔っ払って寝てしまっていたので、冷たくなった「梅わかめご飯」にフリーズドライのみそ汁でもぶっかけて食べるだけのことだ。
ただそれだけのことだったのに、ハプニングのタネはここにもあった。
ガスに火がつかないのだ。昨日の夕方には問題無くついたのに!

冷所に置きっぱなしにしたのがマズかったのかと考え、ストーブとカセットをシュラフに突っ込んで温めてみたが、1時間温めても効果無し。
もちろん、点火プラグの問題かもしれないと考え(静電気の火花は肉眼で確認できていたが)、ガスの栓を開いてライターでの着火を試みたが、やはり点火せず。ガスの噴出音もしないので、そもそもガスが出ていないのだ。
リスクヘッジのためにカセットを2缶持って行っていたが、どちらのカセットでも同じ状態なので、おそらく何らかの理由で、ストーブ内でガスが詰まっているものと思われる。

完全にしくじった。調理用の火のバックアップは持ってきていないのだ。
せめてテルモスを持ってきていたら、僕の行動パターンとして、前日の夜のうちにお湯を作っていたと思うのだが、60リットルザックに入りきらなかったために持参していない。非常に悔やまれる。

こうなると、これ以後は水でアルファ米を戻して食うしかなく、それだけではカロリーが全然足りない。
アルファ米のカロリー不足は、フリーズドライの雑炊やスープやみそ汁で補う予定だったので、水だけではツラい。
これが北アルプスであれば、小屋には常時お湯が用意されていて、事情を話してお願いすれば割と気軽に分けてもらえるのではないかと思うのだが、南アルプスの頑固オヤジに相談したら一喝されそうな気がして怖い。(たぶん僕の偏見だが。)

他の登山者にお湯を分けてもらうという手もあるだろうが、僕としては、それを潔しとは思えない。
そもそもソロで登山をするというのは、自分自身でリスクを全て引き受けるということであると僕は考えるので、メシという最も大事な部分で他人に依存するというのは、ソロトレッカーとしてあるまじきことであると思っている。

あ、もちろん、自分がそうだというだけで、他の人が困っていれば、やっぱり僕だってお湯を分けてあげるぐらいのことはしますよ。でも、その好意をハナからアテにするのは反則だろうということです。

そんなわけで、僕は本日の下山を決意した。食糧計画が根本から崩れた今、これ以上山に留まるべきではないと考えたからだ。
本当は山頂を拝んでから下山したいところではあるが、それだと行動時間が9~10時間に及んでしまう可能性があり、乏しい食料事情と、このトラブルで行動開始時間が遅くなってしまったことを考え合わせれば、そのようなリスクは取れない。
ということで、非常に無念ではあるが、山頂を見ずして下山することを決意した。

テント場から見える鳳凰三山と富士山が、今となっては恨めしい。

















下りるとなったら、もうここに長居しても仕方がない。
昨日のうちに戻しておいたアルファ米の「梅わかめご飯」をかき込む。
冷蔵庫みたいに冷え切った外気にさらされていた冷え切ったご飯は、はっきり言ってまずかったが、これがこの山で食べる最後の食事で、あとは下山まで行動食でしのがなくてはならない。
そう思うと一粒たりとも無駄にはできなかった。

食い終わると早々にテントをたたみ、パッキングをした。
すべての準備が完了してテント場を出発したのが8時。
ガスを温めていた1時間が大きく響き、出発が遅くなってしまった。

恨めしいほどの快晴の中を、まだ見ぬ甲斐駒ヶ岳山頂に背を向け、黙々と下山する。

垂直の壁、垂直の梯子は、登るよりも降りるほうが怖い。






















梯子を下りきったところで、垂直具合を写真に収めようとしたが、足場が狭すぎて度アップの写真しか撮れない。























あとはもう、来た道を引き返すだけ。
分岐からは白州のキャンプ場側ではなく、横手に下りる予定だ。
それは単純に、登山口から最寄り駅までのタクシー代が安そうなことと、来た道をそのまま折り返すというのも芸が無いと思ったからに過ぎない。

だいたい山というのは、登りのときよりも下りのときのほうが景色がいいもので、刃渡りのあたりに差し掛かったところで、遠くに八ヶ岳がくっきりと見えた。

















きっとあっちにはリア充な登山者がたくさんいるに違いない。
などとスネたことを思いながら、刃渡りに差し掛かるところで、ビックリするほど道を間違えた。
それが下の写真の場所。






















本当はこの岩の向かって左手を通らなければならないのに、道を見落として右側に入ってしまったのだ。
右側は、砂礫岩と砂で足場が悪く、少しでも気を抜くと谷底まで砂もろとも滑り落ちそうな場所であった。
10mほど進んでから「これは道じゃない!」と気付き、引き返そうにも、振り向いたらそのまま足場が崩れそうで身動きが取れない。かと言って、このまま進んだら多分滑落を免れないだろう。

仕方が無い。この岩を乗り越えて反対側(写真では岩の左側)に出よう。そう決めて岩に取り付いたら、岩の下のほうはグズグズの砂礫岩で、握ったところから大きな塊でボロボロと崩れてくる。
それをうっかり落としてしまったので、落石注意の警告のために叫ぼうとしたが、
「ら、ら~~~~く・・・」
と、ふにゃふにゃで声にならない。
下手に大声で叫ぼうものなら、自分もろ共落ちていきそうな状態である。
背中の荷物の重みもあって、足元の砂地に徐々に足が沈んでいく。
マズイ。
とにかくもう、掴めるものは何でも掴んで這い上がるしかないのである。

幸いにも岩の上部の固い部分になんとか手が届き、体を引き上げた。ボルダリングジムでもこんな無理なリフトはしたことがないぐらいの土壇場の馬鹿力だった。
岩の向こう側に道が見えたときの安堵感と虚しさの交じり合った気持ちは、なんと言い表せばいいのか、今も言葉が見つからない。
ただ、ひとつだけ言えることは、これで南アルプスの土にならずに済んだ、ということである。

こうして、無事下山再開。

11時すぎに横手への分岐に到着。






















横手方面はあまり登山者の姿を見ることはないだろうと予想はしていたが、結果から言うと、ここから登山口までの間に会った人間はたった1人だけ。
だが、この時点ではそこまで寂しいところであるとは思わず、軽い気持ちで横手へ向かったのだ。

分岐からしばらく歩くと、沢が見えてくる。
川床が、よく洗われた白い石で、キラキラと光るようだ。






















だが、この沢が曲者で、登山道が何度かこの沢を渡った対岸に続いていることがあったのだが、そのたびに僕はルートを見失ってしまっ近辺をウロウロするハメになった。
「あれー? こっちは崖だし、こっちは藪だし、あ、この空き缶はいったい何十年前のだ・・・?」
などとウロウロした挙句、下手な踏み跡に迷い込まないように細心の注意を払いながら、やっとの思いで対岸に道を見つけるのである。

単に僕が、キレイな沢を見るとテンションが上がってしまい、「登山道」の標識を見つけられなくなるという性質であるという可能性も充分にあるのだが・・・。

その後、幾つか登り返しなどもあったが、概ね単調な下り坂で、それほどキツいこともなく順調に歩いていく。

「横手バス停まであと60分」という、黒戸尾根に入ってから初めて見るような親切な標識を見つけたあたりで、登山道にやたらと毬栗やミズナラの実がたくさん落ちているのに気付いた。
その時点で嫌な予感はしていたのだ。
つまり、

「熊出没注意の看板」+「毬栗・ミズナラ」+「沢筋」+「ひと気の無い山中」+「秋」=熊に遭遇

という足し算が容易に成り立つのである。
ただ、正午過ぎのこの時間帯に、はたして熊が活動するものなのか。熊は朝方と夕方に活動するものではないのか。その1点だけが、安心材料であった。いや、確かに不安材料はたくさんあったが、正直なところ、真昼間には、熊は寝てるものだと思っていたのだ。

ところが、出たのである。
熊が。

登山口まであと30分ぐらいのところで、前方150~200mあたりを大きな焦げ茶色の物体がワッサワッサを走って横切っていった。ガサガサと茂みが大きな音を立てたが、登山道からちょっと入ったところでその音が止まった。

ヤバイ、熊だ!
そう思って僕は歩みを止めた。
間違いなく熊だ。鹿や猪や猿はこれまでも野生のものを見ているから、見間違える可能性は極めて低いし、そもそも僕が目にしたものはテレビで見た熊の走り方そのものだった。
しかも、大きさから考えて子熊ではない。

以前読んだ熊の本によると、熊は距離が充分な状態で人間に気付くと、隠れてやり過ごそうとするそうで、まさに今、茂みの音が止まったあたりで隠れてやり過ごそうとしていることが容易に推察された。
とりあえずいったん退却して様子を見るべく、熊鈴を鳴らしながら、僕は50mほど後ずさりをした。
もちろん、付近には人間が誰も居ない。つまり、今、僕は熊と1対1で対峙している状態なわけだ。

「怖くて小便がちびりそう」という言葉は、こういう時のために用意されているのだということを、実感を持って知ることができた。ちびりはしなかったが、まさしく「ちびりそう」だった。

前方には熊がいる。
でも、だからといって分岐まで引き返すのは時間的に厳しい。それに白州のほうに熊が出ないという保証も無い。
前方の様子を伺っていると、熊のほうからこっちに向かってくるような気配は無い。一応、目視の範囲では熊の姿も見えない。
それならば、熊を刺激しないようにしながら、思い切ってこのまま歩いていこう。そう決めて再び歩き出した。

ちょうど熊が走り去ったあたりに差し掛かったあたりで、急に木の枝がバサッと落ちてきた。
落ちた枝と自分の距離が約50メートル。

うわっ、茂みじゃなくて木の上に居やがったか!

僕は反射的にそう思った。だが、その木を見上げることは、熊の姿を直視し、熊を刺激することになる可能性が高い。
もし熊が、僕に見つかったことで退路が無いと考えたら、攻撃に転じてくる可能性のある距離感だ。
だから僕は、一切その木の方を見ず、ゆっくりゆっくり歩いた。走ったりすれば熊の本能で追いかけてくるに違いないからだ。

その後、5分歩いては振り返る、ということを繰り返した。

可能性としては低いが、登山者が餌を持っているということを経験的に知っている熊だったり、好奇心を抑えられない若熊だったりした場合、後をつけてくる可能性があるからだ。
登山口まで30分の場所だったので、民家が近いという点でも、人間が餌を持っている可能性を理解している熊であることは否定しきれない。

また、他の熊に出会ったらもう心が持たないと思い、本で読んだ、もっとも効果的とされる熊避けを実践しながら歩いた。
それは、「ほーい、ほい」と言いながら、手をポーンポーンと叩くというものだ。
「ほーい、ほい」のトーンが分からなかったので今まで実践したことは無かったのだが、もうそんなこと言ってられない。熊鈴は高い音が出るものを選ぶと良いというから、きっとトーンが高いほうが熊に聞こえやすいのだろうと考え、できるだけ高いトーンで「ほーい、ほい」と言いながら、できるだけ大きな音で手を叩き、30分間それで歩いた。
ハタから見たら、どれだけ滑稽な姿だったことだろう。でも、やっている本人は100%大真面目である。

その後アスファルトの道に出て、横手駒ヶ岳神社が見えたときの安堵感たるや、まさに地獄に仏、いや、地獄に神様である。

横手駒ヶ岳神社では、ちゃんとお賽銭を投げ入れつつ、
「無事に下山できました。ありがとうございました。」
と心の底からの感謝の念を伝えた次第である。

その後、タクシーで日帰り温泉「むかわの湯」に連れて行ってもらい、さっぱりした状態で中央本線で甲府に向かい、「小作」でほうとうを食べた。
行き当たりバッタリで入った店だったが、どうやら有名な店らしく、さっきテレビを見ていたら、SMAPの香取信吾とアンタッチャブルの山崎がロケに行っていた。
実際、注文した「きのこほうとう」は非常に美味しかった。






















子供の頃に祖母に連れられて山で採ったのとそっくりなキノコが入っていて、とても懐かしく食べた。
あの頃は、悩みなんてなかったなぁ・・・。

とにかくこのほうとうは、味もボリュームも申し分なし。また食べたい。

ということで、いろいろハプニングもあり、根本的に納得感の無い山行だったか、最後の最後、ほうとうは当たりだったということで納得するしかないのである。

そんなわけで、2泊3日の予定が1泊2日になってしまった。



2011年9月25日日曜日

山行記 : 【1日目】 2011年9月23日~25日 甲斐駒ケ岳 黒戸尾根から七丈小屋

前日の夜遅くに夜行バスで東京を出て、朝の3時には甲斐駒ケ岳登山口のある白州観光キャンプ場尾白の駐車場に到着してしまう。


















写真は明るくなってから撮ったものだが、到着時点ではまだ外は真っ暗だった。

東京からここまでの4時間がそのまま睡眠に充てられれば良かったのだが、途中でトイレ休憩が発生するので時間が非常に細切れにされてしまい、まともに寝てられなんていられなかった。
すでに今年のゴールデンウィークに夜行バスの過酷さを味わっていた僕としては、夜行バスは避けたかったのだが、、、

ここでバスを降りたのは僕のほかに十数人。その中で単独行なのは僕だけのようだ。

夜明けは5時頃なので、それまであと2時間もある。
気温は手元の温度計で13度。

2時間となると、わざわざ荷を解いてシュラフやらシュラフカバーやらまで引っ張り出すには時間が短い。が、そのままゴロ寝をするには寒い。

とりあえずフリースとダウンジャケットを着込み、今回初投入のサーマレストの「RidgeRest SOLite」を地面に敷いて、丸まってゴロ寝した。

寒い。が、ここで「RidgeRest SOLite」の真価を見た。地面の冷たさが全く伝わってこない。
これはスゴイ!
えらくカサ張るが、やはりそれだけの断熱効果があるということがこれで実感できた。

寝ていると、1匹の子猫が寄ってきた。
やたら人に慣れているのと、毛並みがキレいなのとから推察するに、どこかの飼い猫のようだ。
出発前の登山者に餌をねだって歩いている模様。
朝食のパンの切れ端をあげたところ、ガツガツと食べていた。
この猫、えらく懐いてくる割に、写真を撮ろうとすると逃げる。やっと絵に収めたのが下の1枚だ。(ねむい写真でお恥ずかしい。)






















かわいい猫との名残は惜しいが、5時を過ぎてすっかり明るくなってきたので、5時半には出発した。
登山口は駐車場の端にある。
そこからまずは竹宇駒ヶ岳神社を目指す。
「熊出没注意」の看板も立てられていた。やはりこの辺にも出るんだなぁ、と、熊鈴を鳴らし始める。

なぜか道すがらの道標には「尾白川渓谷」とばかり書いてあり、「駒ヶ岳」の文字は全く現れない。
まさか入り口を間違えたかと不安になり通りすがりの人に聞いてみるが、道は合っているようだ。

10分も歩くと、竹宇駒ヶ岳神社に着いた。

















入り口はいかにも山の中の神社という感じだが、境内に入ってみると普通の神社だ。

















旅の無事を祈って参拝をする。

そのまま神社を抜けると、すぐ裏手に吊り橋が現れる。「定員5名」の看板がリアル感丸出しだ。






















非常にしっかりした造りに見えたが、これが、歩くたびに揺れる揺れる。
この揺れこそが耐久性において重要なのだろうが、あまり気持ちの良いものではない。

下を流れるのは尾白川。





















素敵な渓流だ。

吊り橋を渡ると、道標が現れる。






















ここで初めて甲斐駒ヶ岳の名が道標に現れる。
ここからが黒戸尾根の始まりと思えば良いだろう。

しばらく、地味にキツい登りがひたすら続く。
『山と高原地図』のコースタイムによれば2時間半も歩けば横手・白須分岐に到着するはずなのに、8時を過ぎてもたどり着かない。

睡眠をロクにとれなかったため、歩いていても眠くて眠くて倒れこんでしまいそうになるため、全然足が進まないのだ。
もれはもう開き直って、大休止するべし。

荷物を降ろし、湯を沸かして、パンを食べ、コーヒーを飲んだ。気温は、なぜか未明より下がって10度。






















場合によってはここで仮眠をとることも考えていたが、元気が出てきたのでこのまままた登り続けることにした。

今度はビックリするほど足が軽い。
単なるシャリバテだったのか??

やせ尾根ふうの登山道も現れ、少し気分も上がる。























8:45、横手・白須分岐到着。

















休憩せずにそのまま歩き続ける。

次第にガスが濃くなってきた。木々がまばらな樹林帯が薄っすらと白んで、ややもすると幻想的な景色である。






















前にも後ろにも人がいない中でこのような景色の中にいると、このまま違う世界に踏み込んでしまうのではないかという気がしてくるが、不思議と怖くはない。

そんな異空間な雰囲気をより一層強くさせるのが、登山道沿いの至るところに置かれている石仏や石碑だ。

















もともとが修験道の修行の場であるようで、きっとこういう石仏・石碑を背負って奉納する修行なのだろう、と妄想する。本当のところはよく分からない。
少なくとも、この山全体がひとつの霊場なのだろう。

このあたりは「八丁登り」と言われるキツい傾斜で、しつこくしつこくキツい坂が続く。
もういい加減イヤになったころに、第一の難関「刃渡り」が現れる。






















ここは、極端なまでのやせ尾根で、尖った岩の両脇は谷底まで切り立っているという無茶なルート。
手前の岩場をよじ登ると、いよいよその「刃渡り」部分に差し掛かる。

















進行方向左手は木々の生い茂ったガケ。右手は何も無い岩盤のガケ。
この岩盤のガケ、下のほうはどうなっているかというと、






















うーむ、どこまで落ちてるんだ、これは・・・。

そして、この先に、






















こんな感じに続いて、






















こんな感じになる。

歩いた印象としては、見た目ほどは怖くないし、足場もしっかりしていた。
ただ、これで風が強かったり、雨で滑ったりするような状況なら怖かっただろうなと。

刃渡りを渡り終えて、時刻は10:10。

その後20分ほど、再び地味な登りをジリジリ歩くと、今度は梯子が現れる。






















登っていると梯子の下が丸見えなので、高度感がなかなかのものだ。























この梯子を終えると鎖場が現れ、






















これを登りきると刀利天狗の土台になっている巨石が現れる。






















巨石の下には奉納された石碑が、まるで岩を支えるかのように置かれている。

















この岩を回り込むと、いよいよ刀利天狗の祠が現れる。

















刀利天狗を後にすると、黒戸山の山頂直下まで登りが続く。
ここはキツ過ぎない気楽な道だ。

















黒戸山の山頂直下と思われる場所までくると、山頂方面への踏み跡がわずかながらあるようだった。黒戸山には三角点もあるので、ちょっと見ておきたいような気もするが、先も長いのでやめておくことにする。

ここから五合目まではいったん下り。

下りに入って10分ほど歩くと、急に広場に出る。






















これが五合目小屋の跡か?
見回してみたが、それらしい標識は無い。

この黒戸尾根を歩いていて思うのは、標識の類が非常に少ないことである。
一応登山道には「登山道」という、そのまんまな標識が木の幹などにつけられていたりはするのだが、『山と高原地図』に記載されているような地名、たとえば「前屏風の頭」なども特に案内は無く、結局どこがそれなのかが分からなかった。

この五合目小屋の跡地らしきものも、あくまで「らしい」ことしか分からない。
もしかしたら、この場所に隣接している祠の前の広場のほうが小屋跡かもしれない。






















まあ、どっちでもいいけど。

というわけでこの祠、やはり巨石の張り付くように立てられており、周りには石仏や石碑が立てられている。

















この祠の向かって右側に登山道は続いている。

そしてすぐに連続して現れる梯子。











































この梯子を登りきったところで12時になったので、軽くメシを食うべく、大休止とした。






















コンビニで買った、チョココロネとクリームコロネが一緒になったパンを持ってきていたのだが、ザックの中で潰れて、無残な姿に・・・。
チョコとクリームが渾然一体となって、なんだかよく分からない甘いものになっていた。
それでも美味しくいただくのが山の鉄則。

潰れたコロネをお腹に叩き込んだところで、再び歩き出す。


しばらく歩くと橋が現れた。






















この向こうには、また幾つもの梯子が続く。
そして、その梯子の極め付けが、垂直の梯子。






















上の写真は、垂直の梯子を上りきって、上から撮ったところ。
こんな断崖を20kgの荷物を背負って、確保も無しに登らなくてはならないとは・・・。

と思っていたら、すぐ後に、今度は足場も微妙な垂直の壁が現れた。今度は梯子も無く、鎖が1本垂れているだけ。






















非常に分かりにくいと思いますが、垂直な岩場を登りきったところで、上から覗き込むようにして撮った写真である。この鎖は、垂直に垂れ下がっているものだ。

この辺が『山と高原地図』に記載のある「屏風岩」だろうか。。。
そんなことすら判然としない。
とにかく、だいぶ怖かった。空身であれば、ボルダリング経験があるので何の問題も無いのだが、背中に20kg以上を背負ってこんなところを登るのは始めての経験なので、かなりスリリングである。


この難所を乗り切ってしまえば、七丈小屋はもうすぐだ。

12:55、七丈小屋到着。






















看板には、いろいろな注意事項が。























小屋でテント場を借りる受付をする際に、明日の目的地として「北沢峠」と書いたところ、小屋の親父が「北沢峠行ってどうすんの?! バスなんか来ねぇぞ。」と言いだした。
どうやら台風15号の影響で広河原の先で土砂崩れがあり、通行止めになっているということらしい。

諦めがつかなくて、テント場からバス会社各社に電話をして聞いてみたが、伊那方面にも甲府方面にもバスは動いていないとのこと。

ということは、またあの黒戸尾根を通らなきゃいけないのか。。。

とりあえず、テント場にテントを張って、ちょっと落ち着いてみた。

近所のテントの人と情報交換をしながら酒を酌み交わし、午後の4時には寒さのあまりにテントに引き篭もって眠りについてしまった。

夜9時、トイレに行きたくなって目が覚め、テントからのそのそと這い出した。
トイレに行く道すがら、眼下には韮崎の街だろうか、煌煌たる街明かりが広がっていた。
それを見ていると、自分はこのクソ寒い中、いったい何をしているのだろうかと情けなくなった。下界に居れば、なんの苦労もなく美味いものを食べ、飲みたいものを飲み、温かい布団で眠れるのに、寒さに震えながら夜をやり過ごすのは何故なのか。
ほとほと嫌気が差したとき、ふと視線を頭上に向けてみた。
そこには満天の星空。
そうだ、思い出した。山には山でしか見られないものがある。だからこそ、わざわざ登るのだ。

暗闇のなかで、登山の醍醐味を思い出したのであった。




山行記 : 2011年9月23日~25日 甲斐駒ケ岳(黒戸尾根から) 計画概要

甲斐駒ケ岳は、去年金峰山から下山したときに、近いうちに登ろうと決めた山だ。
それをついに実現させる。

当初の予定としては、

9月22日(0日目) : 
夜行バスで東京出発
9月23日(1日目) : 
早朝から登山開始。黒戸尾根をひたすら登り、七丈小屋のテント場で幕営。
9月24日(2日目) : 
早朝にテントをたたんで甲斐駒ケ岳登頂。北沢駒仙小屋のテント場で幕営。
9月25日(3日目) : 
Aプラン ⇒ テントを残置して小仙丈岳あたりから仙丈ケ岳を眺める。
Bプラン ⇒ テントでゆっくりコーヒーを飲みながら読書。
A、Bのどちらにしろ、午後一で北沢峠からバスに乗り甲府へ。

というスケジュール。
今回のメインは黒戸尾根なので、そのあとの行程は流れでのんびりとするつもりである。

ところが、今回はトラブル続きで、後に大幅に計画を変更することに・・・。


装備は、

ザック : GREGORY 旧「トリコニ60」
シューズ : LA SPORTIVA 「パミールGTX」
テント : モンベル 「ステラリッジ テント1型」
シュラフ : ダンロップ (使用限界温度0度)

など、夜間は0度まで気温が下がるであろうことを想定しつつ、梯子や鎖場の多いルートであることを考えての装備とした。
結果、寒い時期にあると便利なテルモスを装備から外した。これが後々大きく影響することになる。(詳しくは後ほど)

酒は山小屋で買うことにして、装備には加えなかった。
食料もほとんどアルファ米とフリーズドライである。
水は3リットル積んだ。

いろいろ考えて装備を検討し、削るべきところを削ったが、ザックの重さは実測で20kgを越えた。うーむ、何がこんなに重いのか・・・。
まあ、体力的にはなんとかなるので、これで行くこととする。



山行記 : 【総括】 2011年9月17日~18日 蔵王全山縦走

行程の記録は以下。


2011年9月17日~18日 蔵王全山縦走 計画概要
【1日目】 2011年9月17日~18日 蔵王全山縦走 笹谷峠~刈田岳編
【2日目】 2011年9月17日~18日 蔵王全山縦走 刈田岳~不忘山編


東北の山は全体的に標高が低く、最も高い燧ヶ岳でも2,356mと、低山に毛が生えた程度である。
だが、山は標高ではない。それぞれの山にはそれぞれの顔があり、それがその山の魅力なのだ。
蔵王も東北の山の例に漏れず、標高自体は低い。だが、蔵王の山は深かった。
いわゆる営業小屋が1件も無いというルートで、森も深く、樹林帯は密集した天然林で、まさに自然回帰を果たせる山だった。

やはり東北の山には東北の山独特のたおやかさと懐の深さがあり、また、厳しさもあった。
来年は飯豊か朝日あたりに行きたいものだ。


なお、今回の縦走は、前泊と下山後の温泉宿、往復の新幹線代(何故か復路はグリーン車)など、登山そのものではない部分での出費が大きかった。
たまにはこういうのも良いような気もするが、分不相応な気もする。

ただでさえ登山は、道具や移動に金のかかる趣味なわけで、僕のようなしがない安サラリーマンは、分際なりの出費で済むように工夫しながら続けていくように心がけねばなるまい。

余談だが、下山後の温泉宿では、食事の際にとなりの席に座っていたカップルの女性のほうがとても美人で、一気に脳みそが下界に引き戻され、「オレはいったいこんなところで何をやっているんだろう・・・」と醒める思いがした。


山は山、下界は下界。ふぅ。。。


2011年9月22日木曜日

山行記 : 【2日目】 2011年9月17日~18日 蔵王全山縦走 刈田岳~不忘山編


夜中、たびたび目を覚ました。
何度目かに目が覚めたタイミングで外が明るくなっていた。

外に出てみるとまぶしい朝日が照っていて、夜中の雨がウソのよう。
でも、ウソでなかった証に、周辺の木々から水滴がポタポタ落ちていたり、熊笹がズブ濡れだったりしていた。

2日目のスタートラインは刈田岳を少し降りたエコーライン沿いの登山口。
本日目指す山々をエコーラインから眺めると、キラキラとした朝日と雲海の向こう、はるかに眺めることができた。

















本日はあの山々を越えて、向こう側に下山する。
遠いなぁ。

登山口はエコーラインの道端にひょっこり現れる。

















ついに南蔵王へ踏み出す。
ここからしばらくは展望の無い樹林帯を歩くことになる。

南蔵王は北蔵王と異なり、登山道が整備されており登山客も多いルートだ。
(ちなみに、笹谷峠~熊野岳では3パーティ6人にしか会わなかった。しかもそのうちの1パーティは営林署の見回りの人だった。)

10分ほど歩くと、刈田峠の避難小屋に向かう分岐に至る。






















残念ながら避難小屋の見学はしなかった。

峠を越えたということは、ここからが上り坂になるということである。(登山だから。)
山頂に向かう一本のスジのような登山道を、本日最初のピークである前山に向かって登る。

















前山のピークは、何のことも無い道端に「前山」という標識が立っているだけだった。






















三角点も無し。あくまで通過点である。

次に目指すのは杉ヶ峰。本日最初の三角点である。
というほどのことも無く、前山から20分ほど登った8:48、杉ヶ峰の山頂に出た。






















広い山頂で展望も良い。

来し方を見ると、熊野・刈田のいかめしい姿が見える。

















山にジグザグに走る線は、有料道路の蔵王ハイラインである。
出発から約1時間半で、遠くに見えるあの場所からここまで来た。これこそが登山の醍醐味だ。


この杉ヶ峰からいったん下って、その後登り返して、南蔵王の雄・屏風岳に至るのである。
その途中の最鞍部にあるのが、知る人ぞ知る芝草平だ。

芝草平とは、春になると雪解け水が流れ込む湿地帯で、尾瀬のように木道が渡されている景勝地である。
といっても、今の季節はすっかり干上がっており、いまひとつピンと来ない。

















やはり5月~7月頃が見ごろのようだ。

そこからまたコツコツと登り、あまり展望も無いまま、山頂に近づくと急に道がなだらかになる。
そして9:54、屏風岳の広い山頂にたどり着いた。






















ここから尾根伝いに、東側に崖を見ながら南屏風岳の山頂を目指すのだが、屏風岳の山頂直下から南屏風岳を眺めると、東側の崖っぷりがよく分かる。

















この崖っぷりから「屏風」という名前がついているのだそうで。
紅葉の季節などは絶景なんだろうなぁ。

この気持ちの良い稜線を歩いている頃から、徐々に風が強くなってきた。
かなり晴れているので、強めの上昇気流が発生しているのだろう。だが、心配していた雨は、全く降る様子が無い。少し風があったぐらいのほうが、火照った体を冷やしてくれるので助かる。

そうこうするうちに南屏風岳の山頂に到着。10:36。






















一休みすると、早々に出発。
次は不忘山。

不忘山は歌枕にもなっている由緒ある山で、下界から見るとキレイに裾野の広がったコニーデ型の火山である。
その稜線を南屏風岳側から見ると、稜線フェチの自分には垂涎の風景なのだ。

















だが、こんなたおやかな山容に見えて、実は山頂直下は崖である。
三点支持でしっかり登らないといけないルートは、立ち往生する中高年登山者が発生するほどだ。

その崖でスリルを味わった後には、360度の大パノラマが広がる山頂が出迎えてくれる。






















11:12、不忘山山頂到着。

山頂ではパノラマと日差しを味わいながら昼ごはんを食べる。幸せ。
尾西のえびピラフを食べたのだが、これがなかなかのウマさ。今後の登山の定番にしようと思う。

ひとしきり休憩したら、あとはもう下山するだけ。温泉が待っている。

白石スキー場に下山するルートで、山頂直下に「不忘の碑」を見学した。






















レリーフには、太平洋戦争の際にこの近辺に3機のB29が墜落し、搭乗していたアメリカ兵が亡くなったことを悼んでの碑である旨が記されている。

















平和を祈念する碑は、平和な田園風景を眼下に見渡す南斜面に据えられていた。


















そんな碑とは対照的にコミカルなものもすぐ近くにある。
その名も「カエル岩」。






















たしかにカエルに似ているのだが、わざわざ「カエル岩」って書かなくても。。。笑

ちなみに、「不忘の碑」(もしくはカエル岩)のある場所が、長老湖に下りるルートと白石スキー場に下りるルートの分岐になっている。

















この分岐はとても目立たないため、うっかり見落としてしまうとヒドい目に遭う。
もちろん、長老湖に下りるならば、この分岐に気付かなくても差し支えないが、見晴らしの良い方にフラフラと行ってしまうと、白石スキー場方面には下りられないので要注意だ。

この後はしばらく火山特有のザレ場が続くが、その後すぐに滑りやすい土がむき出しになった登山道となる。ひたすら単調な樹林帯で、取り立てて書くほどのこともない。正直飽きる。

ただ、この単調な下りは、非常に体力を消耗した。
ここに来て、登山靴のインソールを忘れてしまったことが響いてきて、靴の中で足がズレるズレる。
下りが長く続くと、ちゃんとフィットしていない靴ではシンドい。
マメもできるし、筋肉も疲労しやすくなる。つくづくインソールの大切さを思い知らされた次第だ。

そうこうするうち、かなりバテた状態で、ついに下界の匂いがするところまで下りてきた。
そこが、白石女子高山小屋跡だ。

















本当に何にも無い跡地だ。
跡地としてわざわざ看板を立てる必要性が有るのかさえ疑問に思うほどのキレイな更地だ。

道の様子を見ると、どうやらここまでは車が入ってくるようだ。
我々の下山地点である白石スキー場の看板も立っていて「ソフトクリーム」「コーヒー」といった文字が躍っている。
嗚呼、ソフトクリーム!! なんと甘美な響きであることか!

そこからは、ひたすら白石スキー場のレストハウス(センターハウス)を目指す。
スキー場だけあって、リフトもあればゲレンデもあるのだが、当然のように雪は無い。
雪の無いゲレンデは僕にとってめずらしかったので、写真を1枚。























ゲレンデを何本もパスして、やっとセンターハウスにたどり着く。

















さっそく自販機でコカコーラを買い求め、一気に煽る。
これこそ文明の味! ビバ、文明!


これにて、長いようで短かった蔵王全山縦走は幕を閉じたのである。

あとは、タクシーを呼んで、予約してあった温泉宿に直行。旅の疲れを癒して帰京、という段取りである。