このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2010年8月15日日曜日

山行記 : 【1日目】 2010年7月31日~8月1日 常念岳 常念小屋の夜編

到着直後の生ビールで完全にダウンした僕は、そのまま就寝となった。

部屋は満杯で、1畳に2名の割合で詰め込まれ、1枚の布団の上に2名が1人1つづつの寝袋で寝るような状態。
寝袋は大変清潔で無臭。さすが北アルプスの山小屋。

標高2400mの山小屋だから、寒さは想定していても、暑さは考えていなかった。
それが、満杯の人の体温で、部屋の中は灼熱地獄。とても寝られるような状態じゃない。

夜11時時点で我慢できなくなり、寝袋を持ってそのまま1階の廊下へ。そしてそのままその場で寝た。
非常に快適でぐっすり眠れたが、午前2時ごろになると早起きのじいさんばあさんがバタバタしだして、とても寝ていられない。
これだから山小屋泊は・・・。
テント泊ならこんな思いをしなくていいのに、、、と思いながら、午前3時までは粘ったが、どうしても寝ていられず、かといって元の部屋にもスペースはなく、やむを得ず起きて、外に出て星を見ていた。

月が明るすぎて、星はあまり見えなかった・・・。
うー、、、もうちょっと寝ていたい。。。

2010年8月14日土曜日

山行記 : 【1日目】 2010年7月31日~8月1日 常念岳 常念小屋へ編

一ノ沢登山口を出たのが12:50。
すぐに山ノ神の祠が現れる。登山の無事を祈る。

登山道はほぼ沢沿いに進み、沢の音を聞きながら歩くことになる。

とにかく水の豊富なところだなと。

沢の水は冷たく、とても澄んでいた。




















しばらくいくと、次第に「道」ではなく、岩がゴロゴロした場所がルートとなる。






















烏帽子沢あたりを過ぎると、次第に道が急勾配になり、足場も悪くなる。
しんどいので、「ここが胸突八丁か?」と思ったりした(胸突八丁がどんなところか知らなかった・・・)のだが、本物の胸突八丁を目の前にして、絶句した。




はしごが・・・。



これが胸突八丁か。。。






















胸突八丁の入り口付近では、雪渓も見ることができた。












胸突八丁を登りきると、今度は高巻道を歩く。






















予定では17時に山小屋着だったが、かなりのペースで歩けている。
これなら、16時過ぎには着けちゃうんじゃないか?という感じだったが、ここから先が異常に長く感じた。



第一ベンチ、第二ベンチ、第三ベンチを続くのだが、その距離表示を見るたびに、「え?こんだけしか進んでないの?!」という気分になる。

















もうクラクラしてきたとき、パっと視界が開けて、常念岳の山頂が目に飛び込んできた。


キタコレ!!














ここからはダッシュで常念乗越へ!


キターーー!!

雲間に槍も見える!
無事着いた!

無事全員を誘導して山小屋まで着いた。初日の責任を果たし、すさまじい開放感に包まれた。
これが悪かった。







見れば、先に到着した登山者たちが、槍穂を眺めながら生ビールを飲んでいるではないか。




常念小屋では、生ビール(中ジョッキ)1杯800円!
標高2,400mでこの価格!
これは飲むしかあるまい!
















開放感に包まれて、勢いそのままに3杯を立て続けに飲む。
一気に酔っ払う。

そしてバタン、キュー。。。

みなさんも、標高の高い場所でのアルコールには気をつけましょう・・・。

2010年8月5日木曜日

山行記 : 【1日目】 2010年7月31日~8月1日 常念岳 出発編

7/31~8/1にかけて、北アルプスの常念岳に登ってきた。

会社の同僚と4人で、土日の1泊だけで北アルプスのどこかに登る、という企画を実現するために立てたスケジュールは、

1日目:
朝7:20集合
新宿~穂高 → JR
穂高駅~一の沢登山口 → タクシー
一の沢登山口~常念小屋 → 徒歩

2日目:
常念小屋~常念岳山頂~一の沢登山口 → 徒歩
一の沢登山口~穂高駅近くの日帰り温泉~穂高駅 → タクシー
穂高~新宿 → JR
新宿着20:00前

という感じ。

山小屋泊なので、先日の2泊3日テント泊単独縦走よりは軽装だったが、それでも、今回の登山では自分がガイド兼シェルパであったため、装備の重さは18kgにもなった。とてもじゃないが、一泊山小屋泊のときの重量ではない、、、

今回の特殊装備は、神保町の石井スポーツで売ってたスリングの中で一番太いヤツ。
何のためかと言えば、メンバーの誰かが足をくじいて歩けなくなった際に、背負って降りるための補助道具として使おうと。
実は今回のメンバーが遭難するようなことがあれば、一事業が完全に止まるリスクが大きかったため、出発前日には会社中から「ちゃんと生きて帰って来い」という念押しを散々されていた。そういう重圧がガイド兼シェルパの自分に圧し掛かってくると、そういう要らん心配まで気を回さなくてはならない。。。

正直なところ、そこまでの心配をしなくてはならないプレッシャーというのは大変しんどく、これなら単独行のほうがナンボかマシだというのが出発前の気分だった。
新田次郎の『孤高の人』を読み終えたばっかりだったので、そういう気分に余計に拍車がかかっていた。


で、穂高について、駅前で蕎麦を食べて、タクシーで一の沢登山口へ向かった。
運ちゃんに促されるまま、翌日の帰りの分を予約する。登山口に13時待ち合わせ。予定時刻から1時間のバッファを見ての時間設定だったが、この時間の縛りが我々をその後苦しめることになろうとは、そのときは思いもしなかった。

(つづく)

2010年8月2日月曜日

『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』

夏山で疲労凍死。しかも、8人も一度に。
2009年に起きたトムラウシ山での遭難事故は、はっきりと衝撃だった。
マスコミは「中高年が山を甘く見て軽装でツアーに参加した当然の帰結」というような論調で報道していたが、本当にそうなんだろうか。
マスコミ報道は平気で素人見解を垂れ流すから信用ならない。といっても、それ以外あまりまとまった情報も得られない。

そんな中、事故から1年のタイミングで山と渓谷社から事故の詳細に迫る書籍が発売されると知り、発売日に購入し、その夜に読み切った。

なかでも、気象や低体温症について詳細に解説した章による啓蒙と、生存者の証言を元にした当時の状況の再現をした章。この両方を良いバランスで配置しているのは、さすが専門出版社。

登山者は皆この本を読むべし。